プロローグ 『白い花の約束』
春の陽射しが降り注ぐ王城の庭園で、幼いカトリーヌは途方に暮れていた。
「お母様…」
八歳の誕生日。母である女王から、美しい青い宝石のペンダントを贈られた直後のことだった。庭園に咲く花々を見たいと一人で抜け出してきたものの、迷路のような小道に迷い込んでしまう。
空には薄い雲が流れ、影が庭園を覆い始めていた。不安に駆られた少女の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「姫様?」
優しい声に、カトリーヌは顔を上げた。そこには一人の若い衛士が立っていた。まだあどけなさの残る顔つきながら、凛とした佇まいの少年。十四歳のエルリックである。
「迷子になられたのですか?」
カトリーヌは恥ずかしさに頬を染めながら、小さく頷いた。エルリックは微笑み、片膝をつく。
「泣かないでください」
そう言って、エルリックは近くに咲いていた白い花を一輪摘み、カトリーヌに差し出した。
「姫様の涙より、笑顔の方が美しいですから」
幼いカトリーヌの胸に、不思議な温かさが広がる。彼女は花を受け取り、涙を拭った。
「エルリックって言うの?」
「はい。今年から王城護衛見習いとなりました」
「私の護衛もしてくれるの?」
「もちろんです」エルリックは誠実な瞳で答えた。「姫様をお守りすることは、私の誇りです」
その時、カトリーヌの首元の青い宝石が、かすかに輝いた。後にガルディムは語ることになる—あれは魂の共鳴の予兆だったのだと。
「ねぇ、約束して」カトリーヌは白い花を胸に抱きながら言った。「ずっと私のそばにいてくれる?」
エルリックは微笑んで頷いた。
「誓いましょう。この命尽きるまで、姫様をお守りします」
春風が二人の間を通り抜け、花びらが舞い上がる。
それは純真な誓いだった。まだ誰も知らない。この誓いが後に、魂を賭けた愛の物語へと変わっていくことを。
王城の鐘が、正午を告げる。
「さあ、皆様が心配されています」エルリックは立ち上がり、カトリーヌに手を差し出した。「お母様の元へご案内いたしましょう」
小さな手が、その手のひらに重ねられる。
「エルリック?」
「はい」
「ありがとう。私、この花、大切にするわ」
幼い姫の無邪気な笑顔に、エルリックも心から笑みを返した。
二人が歩き出す後ろで、春の日差しが庭園を優しく照らしている。やがて訪れる試練も、魂を揺るがす選択も、まだ遠い未来のことだった。
この日の記憶は、後に魂を失ったエルリックの心の中で、最後まで消えることのない光となって輝き続けることになる。
そして、白い花の香りは、永遠の愛の誓いとなって―