家族と姉に『化け物』だと追放されましたが、水の神と山の神の力が使えるので全然平気です
お話をいたしましょう。
私にとってはつい先日の出来事でございますが、人々にとっては昔々のお話でございます────。
◇ ◇ ◇
side. 八の姫
◇ ◇ ◇
「八の姫様よ。八の姫様がいらしたわ」
「ああ、もうあの家も、七の姫様と八の姫様の二人きり。この国は一体どうなってしまうのか」
面を隠した私が道を行けば、私を見た村人たちがある者は手を合わせて祈り、ある者は平伏し、またある者は畏れのままに身を震わせます。
私が立ち去る後には人々の騒めきが残り、口々に不安の声を落としました。
「姫様」
「よいのですよ。あの者たちが不安に思うのも仕方のないことでございましょう」
神官であることを示す衣装を着て、薄布の数々で面を隠し、足を擦るように一歩、また一歩と道中を行けば、人々の声は否応なしに耳に届いてしまうもの。
それを咎めるべきかと窺うように声をかけてきた若い付き人に、私はただいつものように、彼らを許すようにと告げるのでございます。
ここでの私は『八の姫様』。
この雲が出ずる小国の村々を束ねる、辺境の地の長を任されるナヅチ兄妹夫婦の間の八番目の娘であり、養女。
生まれてすぐに私に宿っていた力は時に豊穣をもたらし、人々に恵をもたらしました。
しかし一方で、時に嵐をもたらし洪水を引き起こすことすらあります。
単純な神通力の域を超えたこの力を前に、国でさえも手を出しかね、私は親の顔も知らぬまま、この辺境の村へと追いやられたのでございます。
子のいなかったこの村長夫婦の元へ養女として出され、やがて『姫』と呼ばれた私でしたが、兄妹であり夫婦でもあったナヅチの家に直系の子どもが生まれるたび、私の名前は変わっていきました。
姫が生まれ、『二の姫』に。
また姫が生まれ、『三の姫』に────。
生まれた姫君たちはみながみな絶世の美しさを持っており、息子はなく、美しき姫ばかりがナヅチの家には生まれました。
そうして八番目の姫子が母上様のお腹に宿り、私が九の姫になるはずだった年、それまでの平穏が嘘だったかのように、私やこの村に変化が訪れました。
一の姫が命を落としたのでございます。
前触れなく、まるで人知を超えた力でもって引き起こされたかのような美しき姫の死に、私を含めて家族も、村人も、皆が彼女を悼みました。
そして、その悲しみも癒えないままに翌年の同じころ『二の姫』が、またその翌年の同じころには『三の姫』が亡くなりました。
私が『八の姫』と呼ばれた年を最後に、毎年一人ずつ姫様が亡くなっていきました。
そうして残ったのは、『八の姫』である私と、一の姫の亡くなった年、まだナヅチの妹母の腹の中にいた姫の二人だけ。
『八の姫』の上となる直系の姫は『七の姫』と呼ばれ、それ以降、七の姫が十六の年になる今日この日まで、新たに生まれてくる姫も、新たに亡くなる姫もおりませんでした。
『このままでは、八の姫に吾子が全て殺される』
いつか聞いた、ナヅチの妹母の叫びも、そんな妹を抱きしめ涙を流し続けて娘の死を悼む兄父の嗚咽も、ずっと私の頭の中で響き続けているのでございます。
私さえいなければ。
そんな風に自身を責めたことはございません。
私は『八の姫』であり、神通力を操る『神官』であるだけでなく、顔も知らぬ両親より賜りし名を持つ、ただ一人の娘でもあるのですから。
「赤目の化け物! お前なんか死んじまえ!」
衝撃に強く目をつぶり、遅れて感じたこめかみからの熱と鈍痛に、何が起きたかを察しました。
嫌な汗が、首や背から噴き出します。
「なんてことを! 姫様! 八の姫様!!」
白む視界に途絶え行く意識の中で、それでも私に一体何の罪があろうかと問いかけます。
ただ生まれ、そこに居る。
私は私を責めません。
たとえ、この身が人ならざるほどに、醜い化け物であったとしても。
◇ ◇ ◇
side. 佐野 命
◇ ◇ ◇
俺の名前は佐野 命。
現代日本で社長令息として生まれ、人生イージーモードと高を括っていたら、同級生とのちょっとした喧嘩が原因で家督を継げなくなりそうなんていう大ピンチだ。
話を聞いて激昂した親父は俺とは縁を切って姉ちゃんに跡を継がせるとか言い出すし、だいたい喧嘩っつったってつまんねえイジメなんかしてる奴がいたから、ちょっとオハナシアイをしていただけだっつーのに、それを姉ちゃんが大袈裟に……。
ま、そんなことを今言っててもしゃーない。
まあ、ほとぼりが冷めるまでの間は大人しくしておく他ないなってのが現状だ。
そう思っていた矢先だったんだ。
「なんだこれ。どこだよここ」
典型的な異世界転生。いや、この場合は転移か?
俺が現れたのは広い平野で、それでもどうやら山の頂上付近らしい。
見渡す限りの緑、緑、緑。
いくら田舎だって、現代日本でこんなに見下ろして見える範囲全部がかやぶき屋根だ平屋だってこたあないだろ。
それに国道どころか整備された気配もない原生林が生い茂る山々が連なる光景は、異世界でなきゃ、とんでもなく昔へのタイムスリップってとこか。
歩いて、歩いて、だけど不思議とまったく疲れない体。
それに、異世界へ来たときに装備されたのであろうこの世界風の着物っぽい服や靴に、何故か携えた一本の太刀。
何故か長く伸びていた髪は草を結って作った髪紐で一つに束ねた。
これが夢じゃないなら間違いなく神かなんかの介入があってのことだろうが、どうせ手を出すなら中途半端にせず、この異世界での『目的』だとか『目標』みたいなもんも教えてほしかったところだ。
このやたらと年季の入っていそうな気合の入った刀で何をしろっていうんだ。
不思議と、殺生に対する畏れはなかった。
おもむろに刀を抜いてみれば、俺の新しい体はそうするのがまるで当たり前かのように自然と刀を振るってみせる。
どうせ現代日本にいたって何をするでもないのだ。
せっかく異世界に来たのだからと、これも経験と前向きに自分の現状と向き合うことにする。
山を登り深い森を草木を切り払って進んでいた時、俺は出会った。
「一体、どうすれば……っ! このままでは、クシナまでっ、あの『八の姫』に、殺され……!」
「ああ、クシナよ。我が愛しい娘。お前を失ってしまっては、私は、私は………」
悲しみを叫ぶ、老いた声が二つ。
老いた女はその理不尽に憤り、叫び、老いた男はたださめざめと嘆き、涙し続けている。
二人の老人の傍らには少女が一人。
子どもから大人になろうかという年頃の、黒髪が美しい少女だった。
(なんっつー! 美少女!)
高校生くらいだろう、俺より年下だろうその少女に、俺は目を奪われた。
俺じゃなくても、きっと男なら誰しもが彼女の悲哀を取り除いてやりたいと、そう思ったはずだ。
可憐で儚げ。
トップアイドルも裸足で逃げ出すような、化粧っ気も混じりっ気もなし、百パーセント純度の美少女がそこにいた。
ザ・大和撫子って風情の見るからにお嬢様で、豪華な町娘って感じの着物姿が俺の胸に突き刺さる。
目を離せないでいると、そんな彼女の、愁いを帯びた瞳と目が合ってしまう。
誰でもいいから、何かにすがりたいと、助けてくれと、その潤んだ瞳は訴えていた。
「そこの御方……」
「ぜひ、お力に、ならせてください!!」
完全に食い気味に申し出ていた。
泣く老人も、聞こえてきた不穏な話も、何もかも。
ここでは、この美少女からの好感度を稼げる有用なファクターでしかなかった。
美少女の名は、クシナというらしい。
やっとのことで泣き止ませて落ち着かせた老人二人は彼女の両親らしく、十六だというクシナとはとんでもない年齢差だと思った。
が、よく聞けば老人夫婦はもともと血のつながった兄と妹らしく、俺はただ、異世界ってすげえやという感想しか出て来ない。
いや、近親婚は伝統だの血統だのを守る風土では昔からよくある話なんだったか。
クシナの父である老人が口を開く。
「私と妻には娘が八人おりまして」
異世界ってすげえや。(再び)
そうして話を聞けば、クシナの家であるナヅチ家はこの一帯の村の村長をしているらしい。
といっても大きな集落らしく、日本でいうところの市長さんとか県知事くらいの影響力があるっぽい。
そんな村長さんには娘ばかりが八人もいたものの、八年前から一年に一人ずつ、娘が死んでいったらしい。
そして、残った一人であるクシナも、このままでは今年死んでしまうに違いないだろうと、それをこの老夫婦は嘆き悲しんでいたんだという。
俺は、過去の地球で繰り返されてきた近親婚が無くなった理由を思い起こしていた。
遺伝によって子に現れる性質のうち、顕性なものと潜性なもの。
一般的な婚姻では、両親から子へ受け継がれる遺伝子のうち、顕性の遺伝子が表面化する。
しかし、近親婚では潜性の遺伝子が顕在化しやすくなり、結果、生存に不利な性質を受け継いでしまう可能性が高くなるというものだ。
また、家族全体が遺伝的に近しくなるため、特定の病気で一族が絶えてしまうなんてこともあったはず。
俺がそうして前世知識を駆使してナヅチ家衰退についての推測に思い巡らせている中、ナヅチ老の嘆きは続く。
「ミコト様、どうか奴をお願えします。きっと、あの化け物が殺したに違いありゃあせんのです」
「ば、化け物ですか……?」
「はあ。妙な術を使い、土を肥やし雨を降らせる化け物です」
「それは、また……、有用なお力をお持ちで……?」
「まんさか! あの化け物はてめえの気分次第で嵐を呼び、洪水を起こし、稲妻を降らせよる! ついこないだだって、奴に石を投げた村人が一人死んだんだ!」
「ヒェッ、すんませっ」
カッと、烈火のごとく怒りこぶしを振り上げるナヅチ老に、俺は身をすくませた。
俺の展開した近親婚を所以とした推測なんてものは、あくまで科学で太刀打ちできる範囲のものらしかった。
ナヅチ老の言うように人智を超えた力が存在するとしたら、この異世界では俺の常識は全くの非常識だ。
「……国を治める殿様も、すっかり手を焼いてこの地に放り出されてしまわれた。神通力だ、水の神だ山の神だと奉るようこの地の民には流布しておるが、実際は触らぬ神に祟りなしとばかりに、皆が皆、あの化け物の機嫌を損ねることのないよう生きるのみ………」
嘆き、再び涙するナヅチ老に、どうしたものかと気を揉んでいると、視界に美しい黒髪が現れた。
「あの、もし」
「あ、ああ。はい」
サラリと流れる黒髪に目を奪われるのも一瞬、気遣わし気にこちらへ向けられたくりっと大きな目から向けられた視線と控えめな声に、慌てて返事をする。
これまで一歩下がって黙っていたクシナだ。
「私のようなものが発言をすること、どうかお許しくださいませ。けれど、叶うことなら、お救いくださいませ。どうか、私と父母を、お救いくださいませ。どうか、この村を、この国を、お救いくださいませ」
胸元で握られた両手に、痛いほど力が入っているのが見ていて分かる。
真っ直ぐにそらさずこちらを見つめる視線に、どれだけクシナが勇気を出してこの発言をしたのかと、想像するだけで胸が苦しくなった。
「………わかりました。俺に、任せてください」
ハッと、俺の言葉に目を見開くクシナの顔がみるみる明るくなるのが分かる。
臆せず、俺は言葉を続けた。
「その代わり、命がけで化け物退治へ行く俺に、クシナさんをくだされば」
令和の世では許されないだろう台詞も、ここ異世界では有効だったらしい。
「この身、ミコト様へお預けいたしましょう」
目に涙を浮かべて美しく笑ったクシナは、一筋の涙を流す。
その姿に思わず見とれてしまっていると、彼女の肢体、そして体全体が淡い光に包まれた。
彼女の輪郭が全て淡い光に包まれ、そして光が収束していく。
すっかり光が収まる頃、彼女は俺の手の平の上で、その身を美しい爪櫛へと変えていた。
異世界ってすげえや。(三度目)
俺は、俺の髪へとクシナであった爪櫛をおさめ、思わず遠い目になるのだった。
◇ ◇ ◇
side. 八の姫
◇ ◇ ◇
「これはどういったご用向きで?」
「宴でございます」
「まさか! この時期に宴を? ナヅチ家の娘たちが毎年命を落としている季節ですよ。六の姫様が亡くなられて、やっと一年が経とうかというだけなのですよ」
「………ご当主様のご意向です。あえて、というとおかしな話ではありますが、宴を催し、良くない風向きと運気に変化をということではないでしょうか」
「なんという………」
私は絶句するほかありませんでした。
まさか、陰の気が満ちるこの時期に宴を開こうなどと、この七年、娘を亡くすことに心を痛め続けた父上様はついにお気を違われてしまったのかもしれません。
父上様の正気を疑う気持ちもありながら、しかし、もしこれが”祭り“であったなら、肩書だけとはいえ神官である私に出来ることもあったろうにと、残念に思う気持ちもまたわいてきてしまいます。
毎年一人ずつ姫が亡くなり、何をしても姫が亡くなり、六の姫、私にとっての七人目の姉であり妹がついに昨年の今頃亡くなったこと。
今でもまだ鮮明に思い出せる彼女の死を悼んでいる私にとっては、まだ一年の喪が明けない今に酒宴を行うというのは分かりかねますが、しかし、残る一人の直系の娘である七の姫をどんな手を尽くしても守りたいという親心は、私にも分かる気がするのでございます。
村の中央、大きく開かれた広場で着々と進められていく宴席の準備を、幾重の薄布越しにただ私は見つめていることしかできないのでした。
日が落ちてから始まった宴。
焚かれた火を囲む村人たちによって誂えられた上座の席、一段高くなった高座から眺めるのでございます。
この七年間、続いた姫たちの死に、喪に服し続けて来てくれた彼らが、今日だけは久しくなく明るい表情をしております。
まだ、以前に比べれば控えめで、私を意識しているのかチラチラと視線が向けられることはありますが、珍しい宴の席に心も浮き立つものなのでしょう。
私はといえば変わらず、神官を示す服に、顔には薄布の数々。
村長である父上様と母上様よりもさらに上座に位置する最上座の高みで黙すのみでございます。
若いお付きの者たちは侍っているものの、私が身じろぐたびに怯えるのですから、じっとしていて差し上げるのが彼ら彼女らのためです。
不思議なのは、普段は怯えて必要最低限しか言葉をかけてこない村の者たちが四方を囲み、しきりに酒杯を勧めてくることでございましょう。
「ひ、姫様、どうかこちらをお召し上がりくださいませ」
「ど、ど、どうかこちらの酒を、八の姫様」
まるでそうすることが彼らの“仕事”で、“義務”であるかのように、念入りに念入りに私に酒を飲ませるのでございます。
畏れの気持ちはいつもと同様にありありとその顔に浮かんでいるのに、せっせせっせと私の元まで酒を運んで、その盃を私へと差し出すのでございます。
「いただきましょう」
私がそう言って杯を受け取れば、彼らはみな一様に強張っていた肩の力をほっと抜き、その後改めて正面に座す私への怯えを思い出しては、震える手で一杯また一杯と酒を受け渡しては下がって行きます。
私は分かりました。
これはきっと、真実、彼らの“仕事”で“義務”なのでしょう。
ナヅチの家の美しき姫君がたは、もはや七の姫お一人。
私のような、よそからやって来た醜い八の姫などものの数に入らないというのに、このままでは私だけが残ってしまいます。
それは、父と、母と、そう呼ぶことがついぞ許されなかったお二人にとって、許されざることなのでしょう。
「父上様………。母上様………」
私の涙は次々と杯に落ち、しかし面を隠す薄布がそれを周囲に悟らせません。
村人が差し出すこれは、毒杯なのかもしれません。
酒に呑まれた私を、彼らは殺すつもりなのかもしれません。
彼らがそうすることを、私は理解します。
それほど、私は娘たちを亡くした彼らの悲哀を理解しているのでございます。
しかし、彼らの慰めのため、私が自ら命を落とすことはないのでございます。
そして、彼らの思いを理解こそすれ、許すこともないのでございます────。
◇ ◇ ◇
side. 佐野 命
◇ ◇ ◇
「あ、あれ、いや、あの女性が、化け物ですか……?」
「はあ。まさに」
「いやいやいや! 彼女を殺せっていうのは、ちょっと………」
『ミコト様、お願い申し上げまする!』
木陰に身を隠し、噂の化け物を実際に目にした俺は完全にたじろいだ。
爪櫛に姿を変えたクシナが叱咤するように声をかけてくるが、それどころではない。
赤目の化け物だ、妙な術を使うだ、神通力だと色々と話こそ聞いたが、実際に見てみればどうだ。
巫女さんのような衣装に身を包み、顔を垂らした布、おそらくは八枚あるのだろう薄布で隠しているものの、スラッとした美女にしか見えない。
十六のクシナの九つ上だというから、二十五歳。
ストライクゾーンでいったらめちゃくちゃど真ん中である。
大和撫子だったクシナに比べると、こちらは目元から口元まで見えないこともあって、常人離れしたミステリアスな雰囲気が漂っている。
それが巫女さん風の衣装と相まって背徳的な魅力を増しているのだ。
こう言っては何だが、未発達な良さが際立っていたクシナとは正反対の、完成され溢れんばかりの魅力が爆発している御方である。
正直に言ってしまえば、俺はクシナよりこちらの御方のほうが好みだったり……。
もはやこれには、異世界ってすげえや(四度目)を捧げざるを得ない。
「んんん、クシナに決めたのは早まったか!? いやしかし、ここからハーレムルートもあるかもしれん……! い、異世界だし、な!」
『ミコト様! しっかりなさってください!』
「ミコト殿の様子がおかしい、よもやあの化け物、魅了の術でも使うておるのか」
「しっかりなさいな、ミコト様」
あまりに理想の外見をした女性を前に錯乱状態に陥りそうになった俺を、クシナとその両親である老夫婦が強く諌めた。
それでも「いやしかし……」としぶる俺に、ナヅチ老は彼らが化け物と呼ぶ女性、『八の姫』を指差して言う。
「見なせえ、あの姿。まっこと化け物じゃ。あの化け物が乳飲み子だった時分より飲ませ食わせてきた我らだから知っておる。あの化け物の体には鱗や苔が生え、腹の肉は血が滴るほどにただれておるのじゃ」
「ふへぇ………」
俺に彼女を倒させなければならないナヅチ老は大げさに言っているのだろうが、八の姫を見てみればたしかに、焚き火の明かりに照らされた彼女の細腕に数枚の鱗が光って見えた。
「化け物、ね……」
己を納得しようと声に出したところで、風に揺られた薄布の一枚から、形の良い真っ赤な唇が覗いた。
思わず生唾を呑んでしまったのも仕方のないことだと思う。
「ゴク……ッ」
『ミコト様!!』
「はいぃ!」
クシナ改め爪櫛からの厳しめの叱責に、うーんいよいよ早まったかもしれん、などと、今さら口にできるはずもなく、俺は腹をくくって老夫婦へと向き直った。
「まずは、化け物の正体を現させましょう……、いえ、酒の力で、正体を無くさせましょう」
退治はそれからです、と、俺はなかなか上手いこと言ったと内心で自画自賛しながら、予め話し合って決めてあった作戦をナヅチ老たちへ改めて伝える。
「まずは彼女……、あの『八の姫』にたらふく酒を召し上がってもらいます。八の姫が神通力のような力を使うというのなら、正面からぶつかっても勝てる見込みはないでしょう。一番案じられていたクシナ様の御身は、こうして私の髪にあれば守られます。今は待つときです」
「はあ。村々から集めた八つの樽酒を、八度は醸造し直し用意した強い酒。それを飲ませておりますゆえ、一刻もすれば酔いつぶれましょうぞ」
「ええ。ひとたまりもないでしょうね」
俺たちは機を窺い待った。
そして────。
「やあやあ、我こそはミコト。異世界よりこの地に降りた、サノ・ミコトと申す者である。此度はこの村の長より助力を乞われ、参上いたした。いざ尋常に、成敗いたす!」
めっちゃ小声で口上を述べる。
もちろん早口でだ。
こういった一連の口上は形式美ではあるが、ここで起きられては大ピンチ。
絶対に起きてほしくない。
目の前には酔いが回り、眠ってしまった化け物と呼ばれる八の姫。
『いざ尋常に』などとどの口が言ってるんだという話だが、背に腹は代えられないのだ、そうっと近づかせ、一太刀で決めさせてもらう。
村人たちは宴の最中でも関係なく、八の姫が眠るやいなや、食べ物も飲み物も何もかも置いたまま、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
ナヅチの老夫婦もこの場を俺に任せて離れ、今ここには俺と酔いつぶれた八の姫、それから爪櫛となって俺の髪におさまっているクシナだけだ。
宴席の中央で焚かれた火が風を含んでゴウと燃えて揺れるたび、八の姫の顔を覆う薄布に落ちる影がザワザワと形を変えた。
現代日本ではなかなか体験できない真っ暗闇の中で、炎に照らされた八の姫の肌はやたらと白く、くたりと座席へもたれかかる細い肢体に、なんだかゾッと怖気が走る。
そっと足音を忍ばせ一段ずつ、彼女のいる高座へ繋がる段差を登った。
スラリ、と、嫌な音をさせながら、身の丈にも届きそうなほどの太刀をゆっくりと抜き放つ。
「悪いな」
両手で持った太刀を上段に構えた。
握った刀が不思議なほどに手に馴染む。
「お命、頂戴いたす────」
◇ ◇ ◇
side. 八の姫
◇ ◇ ◇
強い痛みに、私は正気を取り戻しました。
「な、にを……っ!」
首の一つに深々と刺さった太刀に、思わず体を捻るように大きく身じろぎました。
身じろぎに合わせ、尾が周囲の木々をなぎ倒します。
「起きて、しまわれたか……っ!」
「そなた、一体何者だっ」
「あなたの養い親は、最後の実の娘を亡くしたくないらしい!」
「………なるほど」
私の首の一本から太刀を引き抜き、大きく一歩で後退した男に誰何すれば、男は男自身がここにいるその理由を完結に述べました。
まるで先ほどまでの答え合わせのよう。
私はこの宴や酒について感じていた推測が、間違っていなかったのだと理解したのでございます。
「あなたのようなっ、人を! くっ! 殺すのは、私も、忍びない……っ!」
「どの口がそのように申しますか」
私が振るった尾を避け、身軽に飛び躱す男は、まるで冗談でも言うように笑ってみせました。
………男の言葉が真実なら、どれほど良いか。
「本心、ですよ! あなたのような、美しい女性は、初めてっ! 見た……っ!」
「まさか、このような場で、色仕掛けでも始めようというのですか……っ!?」
思いがけない言葉の数々に、私はカッと顔という顔が火照るのを感じます。
まさか、私の外見を称える殿方がいようなどと、想像もしませんでした。
私を油断させるための虚言に違いないと、そう思いながら、無我夢中で噛みつき、尾を振り回して暴れ回ります。
初めに刺された首は、断ち切られる寸前でぶら下がってもはや神経は通わず、残る七つの首を懸命に伸ばして男を狙います。
その度、二度、三度と凶刃は振られ、私の身体は傷ついて行くのでございます。
噛みつこうとすれば避けられて切り付けられ、尾を叩き付ければ身をかわされた上に加減が分からず振るった自身の尾が痛みを訴えました。
生まれてから今まで、遠巻きに石を投げつけられることはあっても、面と向かって暴力を誰かと交わすことなど決して無かった私です。
義理の妹であり姉であった姉妹とは喧嘩などするはずがありません。
掴み合いどころか、触れることでさえ姉妹たちを傷つけてしまいかねない、常人の何十倍とある巨躯。
八つある頭には鋭い牙が並び、赤黒い口内からは緑の舌が覗きます。
地を這う体はいつも腹が擦れて爛れ、固い鱗越しにも緑色の血が滴りました。
こんな体で生まれたくはなかったのです。
こんな体で、人の世で育ちはしたくなかったのです。
けれど、私は私が何者であるかも分からず、ただ周囲を巻き込んでしまう力だけを持って、存在していました。
畏れながらも怯えながらもここまで養い育ててくださった父上様も、母上様も、悪くはありません。
八つの首を持ち、八人の姉妹を持った私を、他の姉妹と同じく『八の姫』と呼んでくれた村の民たちも、悪くはありません。
生みの親から呼ばれたもうた『八又の大蛇』という名を、恥じ入ることはございません。
けれど、私も、他の姫たちと同じ、ただの『八の姫』であれたらどんなに良かっただろうかと。
「あなたのような! 美しい人を! 斬ろうという俺をっ、どうか、許せ……っ!」
なぜあなたは、そんな風に言うのでしょう。
まるで、ただの人の娘を、斬ろうかとでもしているような。
なぜあなたは、悔いる顔をされているのでしょう。
まるで、その言葉が、本当に、本心であるかのように。
「民を畏れさせるあなたを、俺は、斬らねばならない……っ!」
一本、また一本と首を飛ばされ、最後。
胸の中央を熱い杭が穿つように、強い言葉と共に太刀の一振りが私の身体を貫きました。
私に太刀をぶっすりと突き刺し、苦渋に満ちた顔をする彼を、ただ一対残された両の目で見ていると、彼の髪に差し込まれていた爪櫛が淡い光を纏うのが見えます。
『ミコト様! なぜ、そのような化け物を……!』
「化け物なものか、ただ、二十五の齢の娘さんじゃないか……。俺の力が及ばぬばかりに、こんなにも苦しませてしまった。申し訳ないよ……」
『ミコト様………』
聞こえてきた声で、その爪櫛が七の姫クシナであるとわかりました。
二人の会話からは、目の前のミコトという殿方が、本当に私をただの一人の娘としてみているということが伝わって来たのでございます。
「……ミコト様とやら……」
「すまない、苦しませて。次の一太刀で、きっと一息に……!」
「……お頼み、申し上げまする……。どうか、どうか、私の体を切り開いてください……」
「そんなっ!」
「……どうか、私の体を、尾まで、切り刻みください……。どうか、どうか……」
「……っ」
残った一つの首へ、まっすぐに太刀を向けて構えたミコト様へ、切実にお願いをいたします。
この体に宿る力に際限はなく、ならばこの身を八つに裂いてもきっと終わりにはなりますまい。
ならば、この身を裂いて、切り刻み、そうしてやっとこの地には何の憂いもなくなりましょう。
切り刻まれたこの身はきっと、水の神となって、山の神となって、この地に雨を降らせ、野を芽吹かせ、豊かにしていくでしょう。
上段に構えられた、人の背丈ほどもある太刀が、振り下ろされます。
叶うなら、八つ首の下、胴の下、ただ尾の一欠けらでもって、あなたのおそばに在れたなら─────………
ドッ
……………
昔々、この地ではないところからやってきた男が一人おりました。
名を、サノ・ミコト。
彼が雲の出ずる国を訪れた時のこと、川の上流にて一人の娘を囲んで涙する老父と老婆と出会います。
彼らは言います。
『我らには、八人の娘がおりました。やってきた八つ首の化け物が毎年一人ずつ喰ろうたのです。残る一人の娘もこのままでは死んでしまうでしょう』
話を聞いたサノ・ミコトは、彼らの娘をもらい受ける代わりに、ヤマタノオロチを倒すことを決めました。
サノ・ミコトは宴席を整えさせ、八回は醸造した強い酒を用意させます。
娘を守るためその姿を爪櫛へと転じさせ髪に差すと、酒を飲んで眠ってしまったヤマタノオロチへと刀を振るい、その身を切り刻んでしまいました。
切り刻まれていくヤマタノオロチ。
刃がその尾の根元へ差し掛かったとき、ヤマタノオロチの体内から一本の刀が現れました。
素晴らしい業物であったその刀は、後にサノ・ミコトの手によって彼の姉へと譲られます。
けれど、譲られたその刀が、ヤマタノオロチから現れた刀なのかどうか、分かる者はおりません。
無事に娘と結ばれたサノ・ミコトの腰には、いつも一本の刀がございました。
素晴らしい業物であるその刀が、果たしてヤマタノオロチを倒した刀そのものであったのか、それとも、ヤマタノオロチから現れた刀であったのか。
知るのは、サノ・ミコト自身と、もう一人。
その刀である、私だけなのですから。
~家族と姉に『化け物』だと追放されましたが、八つ首の化け物なので全然平気です(原題)~ 完
お粗末さまでした。
もちろん、スサノオノミコトのヤマタノオロチ伝説がモチーフです。
色々と間違ってますが。。
八つ首の巨躯を見て好みど真ん中の美女と称えてしまうミコトさんの美的感覚ェ…………
神話を何が何でもハッピーエンドにするシリーズ第一弾ということでここはひとつご勘弁を。。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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