第2話 お弁当
「……朝だ」
カラスはいないが窓の外の朝日を見ながら玄咲は呟いた。
ベッドの隅、体育座りのまま壁にもたれかかって久方ぶり、でもない安眠。バエルの温もりがまだ体に思い出される。ぼやけた頭で、寝ている間中ひと時たりとも手放さなかったカードをカードケースに仕舞いながら壁掛け時計に目をやる。
「……7時か。この前ほどではないとはいえちょっと遅い。生命力回復の影響か。それだけじゃないだろうが……まぁとにかく登校支度をするか」
玄咲は急ぎ身支度を整えて部屋を出た。廊下を歩き隣室のドアの前に差し掛かった時、
ガチャリ。
「うっ!」
「げっ!」
ドアを開けたらそこに神楽坂アカネがいた。互いに仰け反って顔を見合わせる。予期せぬ気まずい邂逅。しかしよく考えれば隣室同士で同じ道で同じ学校に通う以上このような邂逅は当然として起こりうる事態であり、偶然というよりはもはや必然であり、きっと今後も度々起こる事態に違いなかった。神楽坂アカネも察したのだろう。「あっ、そっかぁ……」みたいな顔をして視線を逸らしてくる。その反応にちょっとだけメンタルを削られながらも、一応社交辞令として玄咲は挨拶を試みる。
「お、おはよう……」
「ど、どうも。じゃ……」
神楽坂アカネはドアを閉めると玄咲の脇を身を縮こまらせてそそくさと抜けて逃げるように廊下を走り去っていた。
「……彼女との関係修復の日は来るのだろうか」
こころなし少しマシになったとはいえ相変わらず玄咲を嫌っているらしい神楽坂アカネの背を見送りながら玄咲はそう呟いた。
1年G組。
クラス名が刻まれた教室扉横のネームプレートを見上げて玄咲は思わず体を震わした。数日前の出来事を反射的に思い出してしまったからだ。全身の骨を折られた血まみれのシャルナ。その幻影をつい扉の向こう側に見てしまう。これ程までにあの光景がトラウマ化していたのかと自分で自分に驚きつつ、玄咲は額に指を当てて念じ呟く。
「――大丈夫。サンダージョーは殺した。だからもう安心だ。もう敵はいない。いても殺す。だから安心だ。シャル、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる――ッ! 愛してるッ!」
弾みをつけて扉を開く。意図的に立てつけを悪くされている扉がギギィ―っと軋んだ。
シャルナがちゃんとそこにいた。
窓際最後列の玄咲の隣の席に、赤い染みなど一ヶ所もついていない白い制服を着たシャルナがちゃんといた。その事実にまず玄咲は心底の安堵を覚えた。
シャルナはつまらなそうに自席に一人突っ伏していた。玄咲の見たことのない表情。玄咲は少し戸惑った。シャルナの机の周りには誰もいない。おそらく意図的に、色々と複雑な立場のシャルナは遠巻きにされ孤立している。玄咲は表情の理由を察して哀しくなった。シャルナの白い眼がちらり、と入口を向く。玄咲と眼が合う。
途端、シャルナは上体を跳ね起こして表情を輝かせた。
笑顔で玄咲に手をぶんぶんと振る。待ってた、あるいは早く来て、そんな意思が明確に伝わる感情豊かな動き。玄咲は一瞬で胸がぽわぽわになった。シャルナの手の動きに引き寄せられるように自席まで歩いていき、そして着席。すぐにシャルナが椅子を寄せて話しかけてくる。
「お、おはよう。玄咲。久しぶり、だね」
「久しぶりって、一日ぶりだが」
「うん。だから――久しぶり、だね」
シャルナが妙な熱を瞳に灯して言う。友達というか、まるで恋人のような――心の中に浮かんだ蒙昧を願望が見せる幻覚と断じ捨てながら玄咲は返答する。
「そうか。シャルは時間間隔も変わってるんだな。1日を長く感じられる。いいことだ」
「うん。とっても、いいこと。玄咲は、長く、感じた?」
「ああ、俺も長く感じたよ。シャルのことばかり考えてしまって――」
……。
「シャル」
「なに?」
もしかしてそういう意味で久しぶりなのか。尋ねかけるも、違った場合の恥を想像し、あと単純に気恥ずかしくなって、玄咲はやっぱりやめた。普通に挨拶をする。
「え、えっと――まだ挨拶してなかったな。おはよう」
「うん。おはよう。これから毎日、朝、おはようって、言い合えるね」
さらに椅子を寄せて、玄咲の机に腕を乗っけて、白い瞳を輝かせて、シャルナが言ってくる。内容はごく普通。だから他意はないのだろうが、玄咲はどうしてもその言い回しが引っかかった。
(まるで恋人、どころか、夫婦、のような……駄目だ。シャルの台詞全てに不純な意図を感じてしまう。シャルは堕天使だけど天使のように純粋な女の子だから裏の意図なんてあるはずないのに、俺がそうだったらいいなって勝手に期待してるだけなのに。俺が不純だから、シャルを穢してしまう。駄目だな俺は。やっぱりシャルと付き合う資格なんてないんだ……)
思いながら、自室に置いてあることに昨日初めて気づいた教科書等の教材が詰め込まれたカバンを開けて、机に手を突っ込む。
布に包まれた固い感触に触れた。
「? これは――?」
机の上に取り出す。程良い重みを玄咲の手に伝えるそれは布に包まれた長方形の箱だった。結び目の隙間から中身が少し見えている。蓋つきの白い箱だ。その物体の正体の推測はあまりにも容易だった。
お弁当箱だった。
「わ、わーっ!」
シャルナがパンっと手を叩いて非常にわざとらしく驚く。
「お、お弁当だーっ! 凄いな―っ!」
その謎の反応に戸惑う玄咲にシャルナが少し引きつった笑みを浮かべて言う。
「ラ、ラッキー、だね?」
「……」
玄咲はお弁当を見る。シャルナが作ったのは自明の理。それを、多分サプライズでも仕掛けたつもりなのだろう。バレバレで、しかも緊張しているのか極端に台詞がわざとらしくてとてもシュールなことになっていたが、とにかく玄咲を喜ばせようとしてくれたのだろう。シャルナの心遣いが嬉しくて玄咲は思わず涙ぐんだ。
「あ、ありがとう。お弁当なんて作って貰ったのは事件を起こす前最後の小学校の遠足でお母さんに以来だよ。凄く嬉しいよ……」
「う、うん。それなら、よかった」
「これは食わずに大事にとっておこう。大事な大事な記念品だ。食べて消費するなんてもったいないからな」
「!? ちゃ、ちゃんと食べて! 腐っちゃうよ!」
シャルナは自分が作ったことを隠すこともなく、玄咲の肩を掴んで揺さぶって言ってくる。友達とはいえ、十分に幸せな距離感だった。恋人じゃなくても全然いい。玄咲は今度こそ心の底からそう思えた。




