第1話 新たな精霊
ラグナロク学園が誇る超巨大学生寮【ラグナロク・ネスト】。
666号室。
時刻は23時。
「……ゴクリ」
いつもの如くベッドの隅の定位置。玄咲は簡易召喚したバエルと共に右手に持った一枚のカードに視線を集中させていた。左手にはもちろんバエルのカード。カードに触れていなければ簡易召喚を維持できないと言う制約があるせいだ。両手に花ならぬ両手にカード状態。この世界で割とよくある状態。
「早く召喚しなさいよ」
「わ、分かってる。今召喚する。ハァ、ハァ、メリー、やっと君に会えるんだな……」
「……」
玄咲が熱視線を送るカードの表面には左上隅に闇の文字。右上隅に数字の4。両者の間には【夢幻牢メリー】という文字が並んでいる。つまり闇属性でランク4のメリーという名前の夢幻牢の肩書を持つメリーという名前の精霊であるという情報が詰め込まれている。
そして、カード中央のイラスト欄には、ピンクと白の入り混じったパステルカラーのファンシーなドレスに包まれた、ふわふわピンクヘアーの美少女が丸まって眠るイラストが描かれていた。
「……俺の現在レベルは50。そしてメリーのランクは4。ランク×10の適正レベルは満たしている人間の魂格に応じて精霊は態度を変えるから適正レベルを満たさないと召喚しても力を貸してくれないし、最悪殺される、だよな?」
「ええ、そうね。私とあなたみたいに余程相性が良ければその限りではないけどね」
「う、うん……性格相性が良ければレベルなんて関係なく力を貸してくれる。悪ければいくらレベルがあっても力を貸してくれない。普通の場合は基本召喚主のレベルを見て力を貸すかどうか決める。他の3枚はレベルを条件に助力を断られてしまった。でもメリーは適正レベルを満たしてる。もう召喚できるはず……よし! 行くぞ!」
玄咲は【夢幻牢メリー】のカードを目の前に構えて眼を血走らせた。
「簡易召喚――夢幻牢メリー」
魔力パスを通していない状態での初めての簡易召喚なので、バエルを簡易召喚した時と同じように空中に紫色の巨大な魔法陣が現れる。バチバチと闇色の魔力を迸らせながら魔法陣の中から光を纏った人型のシルエットが現れる。這いずり出でてきたバエルと異なり、転がり落ちるようにメリーのシルエットは魔法陣から抜け出してきて――。
ボトン。
そのままベッドに転がり落ちた。と、同時、シルエットを包んでいた光が弾け飛んだ。
「むにゅ……」
(こ、これは……)
バエルやシャルナとは別ベクトルの絶世の美少女がその姿を現した。可愛い系だった。
ふわふわとしたオーラを全身から発するお人形みたいな女の子だ。白とピンクでもこもこ編まれたパステルカラーのファンシーなドレス。それに、まるで揺り篭に包まれるように小柄で華奢な体躯が包まれている。ベッドの上に布団に包まって寝ているように見える。というかスヤスヤと寝息を立てている。メリーはゲームと同様に――いや、当然のごとくゲームよりも遥かに可愛い姿を隠すことなく晒して無防備に眠っていた。
「……ゴクリ」
メリーは玄咲にとってバエル程ではないが多大な思い入れのある精霊だった。EP消費1という低燃費。ゲームシステムの一部とまで言われる程の凶性能。使用頻度だけならバエルより上。そして何よりイラストが滅茶苦茶可愛かった。他の全てを差し置いて可愛いだけをだくだくと詰め込んで男受けを狙った、そしてその狙いが100%嵌まった超絶美少女だった。人気投票の順位は2位。19位のバエルよりも人気だけなら格上だ。バエルはイベント限定カードだったので単純比較することはできないが、とにかくプレイヤーから多大な支持を集めていたことは確かな、主人公の相棒の【プチドラ】を差し置いてCMAのマスコット的存在と化していたキャラだった。メディア露出もグッズ数もプチドラより格上。CMAの精霊と言えば誰の頭にもメリーの姿が真っ先に思い浮かぶ。そんなメリーのことが玄咲は当然のように大好きだった。可愛らしいイラストに魅了され切っていた。露骨なまでにメリーに見惚れながら玄咲はバエルに尋ねる。
「な、なんて話しかけるべきかな」
「単刀直入に用件だけ言いなさい。余計な会話は不要よ。サクッと終わらせて送喚しなさい。普通の精霊にとって強制的に呼び出されるのはそれなりにストレスでしょうからね」
「分かった」
玄咲はバエルの助言に従ってメリーに話しかけた。
「こ、こんばんはメリー。俺の名前は天之玄咲。君の味方だ。怖くないよ。だから俺に力を貸してくれ」
「zzz……zzz……」
「……起きないな。ゲームでは話しかけると高頻度でzzz……返答を返してきて、ごくたまに通常会話ができるキャラだったが、この世界でもか。まず起こさないと話にもならない。今度はちょっと大きな声で――」
玄咲は耳元で隣室に響かない程度の大声で名前を呼びかけてみる。起きなかった。
「ど、どうしようバエル……」
「しょうがないわねぇ。任せなさい」
バエルが首をコキッコキッとメリーに近づく。同一召喚者によって簡易召喚された精霊同士は接触可能。メリーを起こしてくれるのだろうと察して玄咲は安堵した。バエルが手刀を振り上げ、そして――。
「ふんっ!」
「ふぎゅ!」
「バエル!?」
メリーの首へと切れ味鋭い一閃を振り下ろした。メリーの体が衝撃で飛び跳ねた。
「い、いきなり何をしてるんだ!?」
「あなたも知ってる通りこの子は中々起きないの。だから首元に手刀を叩き込んだまで。必要不可欠な全く合理的な暴力なの。趣味も私怨も混じってないわ」
「わ、分かってる。それは分かってるが、もう少し優しく――」
「い、いたた、なの。なんで、メリー殴られてるの?」
「メリー! 大丈夫か!」
首をさすって涙目を晒すメリーに玄咲は慌てて駆け寄り、その幼い顔を心配げに覗き込んだ。涙目のメリーと視線が真っ向から絡み合う。可愛さの極みのような日本人好みの童顔が徐々に赤らんでいく。見開くと大きくてつぶらな眼をゴシゴシと擦ってメリーがポツリと一言、
「――夢?」
「残念だが現実だ。君の大好きな夢の世界から無理やり引きずり降ろしてすまない。えっと、その、俺の名前は天之玄咲。君の召喚者だ。俺に力を貸して欲しい」
不自然にならない程度に単刀直入に用件を告げる玄咲。メリーはコクリと、お人形のような容姿で壊れた人形のように頷いた。
「うん。いいの――」
「あ、ありがとう……! ――でも、本当にいいのか? お、俺なんかに即答してしまって」
「うん。あのね、メリーはメリーっていうの。玄咲、今度メリーと個人的なお昼寝を――」
「あらあら、1人じゃお昼寝もできないなんておこちゃまなのね」
メリーの台詞がピタッと止まる。ギ、ギ、ギと顔を青くして玄咲の背後――バエルへと視線を移す。
「なんで、悪魔神、様が……なの」
「どうでもいいでしょそんなこと。それよりまだ玄咲に用事があるの? 正直に言って欲しいわ」
「……ないの。正直起こされて不快だから早くまた寝たいの。さっさと精霊界に戻すの」
「だ、そうよ、玄咲。彼女の望みの通り送喚してあげなさい」
「あ、ああ。すまなかったなメリー。睡眠が大好きな君を無理やり起こしてしまって。でも、ありがとう。きっと君の力が必要になる機会がこれから訪れる。だから、その時は遠慮なく頼らせてもらうよ。もちろん俺にできる範囲でならお礼は何でもする。何でも言ってくれ」
「じゃ、じゃあ、一緒にお昼寝を――」
メリーがバエルをチラ見しながらおずおずと申し出る。バエルは素早く頭の中で計算を巡らせて、今度は了承した。本音を交えて、
「まぁ、それくらいは精霊として当然の権利よね。一方的に利用されるだけなんて道具と何も変わらないわ」
「! なのっ!」
「う――必ず。じゃあ、送喚」
「絶対、なの」
メリーが消える。送喚の呪文の効果で精霊界に帰ったのだ。夢幻牢メリーのカードをカードケースに戻してから玄咲は胸を撫で下ろした。
「ふぅ、レベルが適正レベルに達していたお陰でスムーズに話が進んだな。良かった」
「……そうね。適正レベルのお陰ね」
呆れ半分適当に相槌を返しながらバエルは思考を巡らせる。
(まさか、玄咲にメリーが一目であれだけ好意を抱くなんて想定外だったわ。いや、でも、玄咲は歪で奇麗な魂をしているから、尖った価値観を持つ精霊には逆に刺さり易いのか。でも、うーん……有用ではあるし、私の好感度も下がるし、何より玄咲に生き残ってもらうためにも過度に遠ざけるべきではないわよね。ま、メリーならあの子と違って精々たまに文字通りの意味で一緒に寝る程度のほほえましい関係にしかなりえないだろうし、少しくらいいいか)
「ゲームでもたまにメリーはお昼寝に誘ってくれるんだよ。でもまさかこの世界でも誘ってくれるとは思わなかった。は、はは。正直、嬉しいよ。主人公離れした俺でも誘ってくれるんだな。まぁ、誰でも誘うってことなんだろうけど」
「……」
「ど、どうしたんだバエル。頭を押さえて」
「いえ、それも一種の自己防衛なのよね。なんだか見てて哀れになってきた……」
「え? 何だって?」
「なんでもない。あなたは(私に都合がいいから)そのままでいいって話よ」
「そ、そうか……!」
「ところで今日やることはもうこれで終わりかしら?」
「ああ。明日の登校準備も終えたし、バエルとカード図鑑も読み進めたし、メリーと話もした。飯は食い忘れたがどうでもいい。だからあとはもう寝るだけだ」
「そ。じゃ、そろそろ、約束通り――」
バエルが数秒、黙して動かなくなる。そして再び動き出した時には輝くような笑顔を浮かべていた。
「こんばんは玄咲! 寝るまでずっとお喋りしようね!」
「ああ、シーマ。寝るまでずっとお話しよう」
1日に1度はシーマがバエルと入れ替わって玄咲と話をする時間を作る。3人で決めた約束だ。意外なことに発案者はバエルだった。バエルのシーマへの愛情が伺える提案をもちろん玄咲は即諾し、入れ替わったシーマとエア指切りをして約束を交わした。その約束の時間が初めて来た。玄咲はドキドキしながら大好きなシーマと会話を始めた。
「し、シーマの好きな食べ物って何なんだ?」
「玄咲の愛情だよ!」
「っ! じゃ、じゃあ好きな天気は?」
「晴れ! だって雨だと玄咲が外で私で遊んでくれないんだもん」
「……嫌いな食べ物は?」
「玄咲の悲しいって感情。玄咲が悲しんでるとね、私も悲しいよ」
「っ!! CMAで一番好きなキャラクターは?」
「CMAのキャラクタはーはサンダージョーの家族以外みんな大好き! でもね――玄咲はもっと大好きだよ」
「うっ!!! うぅ……シーマ、お、俺もCMAが、君のことが大好きだ……」
「うん! 両想いだね!」
「――ちょ、ちょっと休憩させて。心臓が痛くなってきた……」
「うん。どうぞ。好きなだけ休んで。ずっと傍にいてあげる」
「――う、ん」
シーマの発言はどこまでも玄咲に甘く優しく愛情深い。しかも大好きなバエルの姿で、バエルが絶対しない表情と仕草で言うものだからギャップで愛おしさと破壊力が凄いことになっていた。玄咲は1分ほど深呼吸して自律神経を整えて――心臓の痛みは自律神経の乱れからくる――心臓を回復させてから、再びシーマと話し始める。シーマはずっと楽しそうだった。
「フリースタイルは難しいんだよ。俺もアルルの真似をしてみたことがあるが全然上手くできなかった」
「玄咲のフリースタイル、私、聞きたいな」
「へ、下手糞で聞かせられたものじゃないよ」
「玄咲らしければそれでいいよ。どんなに上手いフリースタイルよりもね、私はポケット・ボーイの前で格好つけてた玄咲のフリースタイルが大好き」
「……知られてるのか。そりゃそうか。恥ずかしいな。でも、そう言ってくれて嬉しいよ。ありがとう、シーマ」
「滅茶苦茶な韻踏みもね、味があるんだよ」
シーマは絶対に玄咲を否定しなかった。全肯定マシーン、あるいはすごいです係かと玄咲が思うくらいに玄咲が何を言っても肯定してきた。だが、それがとても自然だった。心のままに、優しい、暖かい台詞が出てきてるのだと、シーマは心の底の底まで優しさに満ちた存在で、だからこそバエルも心を許しているのだと、玄咲はシーマと話し始めて程なくして理解した。シーマとの会話は全くのストレスフリーでメンタルカウンセラーとの会話よりもずっと玄咲の心を落ち着かせた。バエルもそうだったのだろうなと玄咲は思った。
シーマは人間離れして純粋で善性な、まさに精霊と呼ぶべき感性の持ち主だった。そんなシーマと2人で体を寄せ合って、心をくっつけ合って、話をしている内に、玄咲の中の色々なものが緩んでいく。心の蓋が外れていく。眠りかけの大分緩んだ脳が、シーマに解きほぐされてさらに微睡の中で緩んだ心が、無意識化に閉じ込めていた玄咲の本音を、何もかもを言えてしまう雰囲気を纏う暖かさと優しさだけで心が構成されてるとしか思えないシーマに打ち明けさせる。
「俺さ、シャルのことが大好きなんだ」
「うんうん。知ってるよ」
「でも、シャルは俺のことを、お友達だって、恋人はちょっと無理って……!」
「うんうん、分かるよ」
「最初は平気だったんだ。でも、後から色々考えこんじゃってさ、俺の何が悪かったんだろうとか、俺は童貞だから男性的魅力が欠けているのだろうかとか、俺は死んだ方がいいのかなとか、やっぱり俺なんかがシャルと恋人なんて……とか、シャルとまた抱き合いたいとか、色々とさ、考えてる内に鬱ってきてさ……」
「うんうん、いつもの奴だね」
「悪いシーマ、俺、やっぱつらいよ……」
「――抱き合いたかったんだ?」
「うん。シャルと抱き合うと凄く落ち着いてほっとするんだ。運命の人なんだなって感じるんだ」
「――そうだ、玄咲、ちょっと私を召喚して」
「召喚悪魔神バエル」
ノータイムで玄咲はシーマを召喚した。シーマがふわりと玄咲に覆いかぶさる。
包み込むように抱きしめてくる。
「落ち着く? ほっとする?」
「――うん。凄く落ち着く」
「寝るまでずっとこうしていてあげるからね」
「ありがとう。愛してるよシーマ」
「私も愛してるよ玄咲……」
無限の暖かさに満ちたシーマの抱擁。その中で玄咲の意識は段々と薄らいでいき、そして眠りに落ちかけたとき――。
ギュッ。
抱擁の質が変わる。力任せの抱擁。爪が肌に食い込むほどに手繰り寄せてくる。如実な雰囲気の変化。玄咲はもう口を動かす気力もなく心の中だけで感謝を告げる。
(ありがとう、バエル……)
「ずっと、ずっと私と一緒にいようね。絶対だよ。絶対だからね……」
(……ん?)
口調も、声音もシーマのもの。だけど雰囲気はバエル。これはどういうことかと一瞬玄咲は思案を巡らせ――。
(ま、どっちでもいいか。どっちも愛してるんだから)
それが最後の明瞭な思考。それ以降は思考も感情もただの緩い熱となって形を保てず、ひたすらの暖かさに包まれたまま玄咲は楽園の匂いのする夢の世界へと溶け落ちた。




