第29話 雷丈家 ―Thunder House―
プレイアズ王国の夜道は明るい。
町の至る所に立つ街灯。家々から漏れる光が夜道を照らして憚らない。カード魔法の恩恵だ。人間の文明はカード魔法の発展によって飛躍的な進化を遂げた。カード魔法が発明される以前の文明は石と木で火を起こすような原始的な生活を送っていたらしい。
あらゆる生物の頂点に立つ人間がそんな生活を送っていたなんて信じられないことだと、ラグナロク・ネストの寮生でないサンダージョーは自宅への帰路を歩みながら思う。エルロード聖教の聖典である新訳創界聖書にもそんな記述はない。おそらく反エルロード聖教の思想を持つ背教者がエルロード聖教を貶めるために考え出したデマだろう。もしもそのデマ野郎と会う機会があったら絶対殺してやるのにとサンダージョーは常々思っている。
「あー、糞。またイライラしてきましたねぇ」
サンダージョーは道端に落ちていた小さな石を街灯の根元へと蹴りつける。石は甲高い音を立てて固い街灯に凹みを作った。驚きサンダージョーを振り返ってきた見るからに日々を考えなしに生きていそうな低レベルのゴミどもを一睨みで黙らせる。
「あいつらどっちもぶっ殺してやりますよ。特にせっかく目をつけてやったのに僕をひっぱたたきやがったあのクソアマ。絶対許しやがりません」
崩壊しかけた笑顔を顔に張り付けてサンダージョーはぶつぶつ呟きながら歩く。その苛立ちにゆがんだ表情がふいに歪み、
「しかしあのクソアマァ。絶対見たことあるんですよねぇ。あの反応。初対面じゃないはず。でもあんな色の抜けたような白髪の美人、一度見たら忘れるはずがない。一体どこで」
プレイアズ王国の夜道は明るい。
だが、全ての道が明るいわけではない。中には勿論街明かりから見放され人もろくに通らないような道もある。サンダージョーの通学路にもそうした道が何路かある。その内の一つの道――左右を背の高い建物に挟まれた裏路地にさしかかったときだった。
狭路に小石が降った。
「あ?」
頭上。見上げる。影。降ってくる。黒尽くめの衣服。夜に迷彩した不審者。剣型のADを振りかぶっている。そこまで認識した時点でサンダージョーは腰から抜いたデバイス・カードを取り出し、発声しながら両手を紐を握るような形で頭上へとかざした。
「武装解放! マリアージュ・デュー!」
「リベリオン・スパーダ!」
一瞬で顕現した鞭型の愛AD――マリアージュ・デューの中央部を張って不審者が落下しながら振り下ろした紫色の光を纏った剣型のADを受ける。ランク5魔法リベリオン・スパーダ――ADに闇属性の魔力を纏わせて振り抜くモーションで斬撃波を放つ魔法だ。それを至近距離で放たれた。マリアージュ・デューの細紐では防ぎ切れるはずもない闇色の光が溢れ殺到しサンダージョーの顔を焼く。焼きごてで張られたような痛み、熱さ。喉から悲鳴が迸った。
「ぐぁあああああああああ!」
痛み。痛み。痛み――怒り! それ一色で心が塗りつぶされる。サンダージョーは今度は激情を喉から迸らせた。
「このクソカスがぁああああああああああ!」
マリアージュ・デューを殴りつけるような勢いで突っ張り剣型ADを弾き返す。空中で体勢を崩した襲撃者が黒い布でぐるぐる巻きに覆った布の向こうからくぐもった悲鳴を漏らした。サンダージョーは腰のカードケースからカードを引き抜いた。
「バ、馬鹿な! 7年かけて上げた俺のレベルは50! しかもランク5の魔法だ! 魂成期入りたての子供がくらって生きてるわけがない!」
「40レベル早ぇよ低レベルがぁ! 神の子を舐めてんじゃねぇぞあぁあぁあっぁぁぁぁぁああああん!」
マリアージュ・デューのグリップ部のカードスロットにカードを挿入し、右腕を思い切り引き絞る。
「ゾディアック・サンダァアアアアアアアアアアァアァー!」
マリアージュ・デューが極大の雷を纏う。地に垂れた鞭部分から地を伝い、道を挟む壁、そしてその先の空中まで雷が駆け抜け迸った。襲撃者の貌が恐怖にゆがんだのが露出した目と布の歪みから分かった。
「ら、ランク9の魔法だと! バ、馬鹿な! まさか、まさか貴様のレベルは――」
男の言葉を最後まで待たず、サンダージョーはマリアージュ・デューを振り上げた。
「ジャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
雷光の花火が宙空に咲いた。
「あ、が……」
「まだ息があるのですか。無駄に抗魔力が高いですね」
憂さが晴れ敬語を使う余裕を取り戻したサンダージョーが黒焦げになった男を見下ろす。衣服はすべて、顔を覆う黒い布も含めて焼け焦げて素顔を晒している。見覚えのない顔。サンダージョーは尋問することにした。
「あなた、何で僕を狙ったんですか?」
「きさ、まが、俺の家族を、奪ったからだ。妻と娘の、仇。殺、す」
「んー? 心当たりありすぎて分かりませんねぇ。一体何族ですかあなたは」
「こ、ろ……」
「ん?」
それきり襲撃者は喋らなくなった。足で頭を小突いてみるが反応がない。死んだようだ。サンダージョーは舌打ちをして死体を蹴とばした。
「ちっ、これしきで死ぬとは何て低レベルな。仕方ない。気が進みませんが死体を調べますか。汚いから足でひっくり返してっと――」
「貴様、動くな!」
「あ?」
サンダージョーは死体をひっくり返しかけた足を下げて声のした方、狭路の入り口を見た。そこには青い制服――カード犯罪を取り締まる特殊組織【魔符警察】の所属を示す制服を着た2人の男がいた。若い男と中年の2人組。若い男が怒鳴りたてる。
「我々は魔符警察だ! そこの死体、先ほどのカード魔法で貴様がやったんだな! このクズめ! カード法違反で逮捕する! 大人しくADを捨てて投降しろ!」
「――てめぇ、新入りですね。僕が誰だか分かんねぇんですか?」
「は? 何を言って――」
「やめろ馬鹿!」
「わっ!」
中年が若い男の頭を下げる。若い男は反発した。
「何するんですか先輩! まるでこのガキを権力者みたいに」
「みたいにじゃない! 権力者なんだよ! 彼はサンダージョーだ!」
「――え?」
若い男が身震いした。
「ま、まさかこのガキが、いや、彼が、今や王家並みの権力を持つ雷丈家のサンダージョー……!」
「申し訳ありません! こいつはまだ入りたてのペーペーでこの世界の道理って奴が分かってないんです! 俺が後で厳しく教育しときますから見逃してやってください! どうか折檻だけは! 折檻だけは!」
中年が頭を下げて懇願する。犯罪者と断罪者の完全な立場の逆転。その異常を当り前のものとして受け止めながら、サンダージョーは中年に歩み寄って告げる。
「正当防衛と報告しておきなさい。というか本当にただの正当防衛なんですよ。いきなりこの異常者が襲ってきましてねぇ。困ったものです。みんな雷丈家を勘違いしている。僕たちが正義なのだと分からないバカが多すぎる」
「は、はは。全くで」
「話の分かるゴミは好きですよ。ゴミはゴミらしく。分別のわきまえは大事です。さぁ、行っていいですよ」
「あ、ありがとうございます。ほら、行くぞ、マサル!」
「は、はい。うぅ、正義が……」
中年に続き背を翻した若い男。
その尻を見てサンダージョーは瞠目した。
若い男の尻は膨らんでいた。こんもりとズボンの内側から。その正体をサンダージョーは一瞬で看破する。
うんこではない。
尻尾だ。
うんこではなく尻尾が詰まっているのだ。
若い男は亜人だった。サンダージョーはわなわなと唇を震わす。
(ぼ、僕はこんなみっともない尻尾付き――【ウンコ漏らし】に偉そうな口を叩かれたのか。こ、この、うんこカスがァ……! いや、うんカスがァ……!)
尻尾付きの亜人はウンコ漏らしの蔑称で呼ばれる。ズボンの尻がまるでウンコを漏らしたかのように膨らんで見えることからつけられた名前だ。サンダージョーは荒い呼気で若い男の膨らんだ尻を見つめた。みっともなく膨らんだ尻。亜人の証。【ウンコ漏らし】如きに舐めた口を利かれた――。
(許さん)
サンダージョーはキレた。中年に続き背を翻した若い男にサンダージョーが無造作に声を投げる。
「おいてめぇ。何ちゃっかりてめぇまで逃げようとしてんだ」
「え?」
「逃がさねぇよ」
若い男の首にマリアージュ・デューが巻き付く。引きずり倒した若い男の顔にサンダージョーが足を踏み下ろす。
バキン!
「うぶぅううああああああああああああああああああ!」
踏みにじる。グリングリンと。さらに背中を鞭で滅多打ちにする。悲鳴が血飛沫と乱れ咲く。
「よくもウンコ漏らし如きがこの僕に舐めた口を利いてくれたなァアアアアアアアアアアアアアアアア! ァアアアアアアアアアアアアアアン!? クズもガキもてめーのことだろうがッ! このゴミが! クズが! ウンコ漏らしがぁあああああああああああああああ!!」
「グっ、げぶっ、ごはっ!」
「それに誰が正義だ! 僕だ! エルロード聖教に殉じる雷丈家こそが――この僕こそが正義だっ! もの道理も分かんねぇんだなウンコ漏らしはッ!!! 全く、この世にはカミナくんみたいにものの道理が分かる人間が少なすぎるッ! 嘆かわしいッ! だからフェルディナ神に変わって僕がお前にお仕置きしてやんよ! 明日の朝刊に載せてやろうか! その改造制服の代わりに命刈ってやろうか! 二度とウンコ出来ない体にしてやろうかぁああああああああああああああああああああっ!?」
「アアァアアアアアアアアアアアアアア痛”ぁあああああああああああああああああああああいよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおマンマァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
マリアージュ・デューで殴打しながら顔を足裏でなぶるのもやめない。尻もちをついた中年がサンダージョーを震える指で差す。
「ひ、ひぃいいいいいいいいい! せ、折檻だぁ! サンダージョーの折檻だぁッ!!」
「分かんねぇならバカでも分かるようにものの道理を今からその身に刻んでやるよ! 痛みでなッッッッッッ!」
サンダージョーが腰のカードケースから新たなカードを取り出し、マリアージュ・デュ―に挿符する。符警を殺すと流石に後処理が面倒。そう考え、ゾディアック・サンダーより遥かに威力の低い、しかし痛めつけるには十分な威力のカードを。
「僕は選ばれし神の子だァ……! 神の子の一撃をくらえェ……!! はぁぁあああああああああああああっ!!! サンダー・ショ」
轟音がサンダージョーの台詞を遮った。
「おわっ!」
大地の揺れに足を取られサンダージョーも中年と同じように尻もちをつく。強烈な恥に襲われ、それを誤魔化すために折檻を開始しようと立ち上がりかけたサンダージョーの動きが止まる。
「――なんだ、あれは」
学校の方角。町の屋根を跨いだ郊外の夜空に。
夜空より尚黒いキノコ雲が昇っていた。
ありえないサイズ。狂った縮尺。バカげた威力。カード魔法であのようなものが生み出せるものなのか。サンダージョーの知識にはないカード魔法。いや、一つだけ、あのようなものを生み出せる可能性のあるカードなら思いつく。
「――禁止カード、か?」
国際法で使用・製造・所持を禁止されたカード群。それらの中にはあのようなカード魔法を発動できるカードもあるかも――いや、例え禁止カードでもあのレベルの威力の魔法など存在しただろうか? サンダージョーは禁止カードについて特別詳しいわけではないが常識レベルの知識は持っている。特に有名なカードの情報は魔符士として当たり前に押さえている。しかし、あのようなものを生み出せるカードをサンダージョーは知らない。未知の、途方もなく強力なカードが使われた。それが今サンダージョーに分かる全てだった。
「走れ、マサル。急いで離れるぞ!」
「は、はい。ショウ先輩……」
「ッ! 待て! 逃がさねぇぞ!」
サンダージョーは肩組み走る2人を追って狭路を飛び出そうとする。しかしその時、
“ウォーーーーーーーーーーン。
“ウォーーーーーーーーーーン。
「っ! これは――!」
プレイアズ王国をサイレンが跋扈した。5段階ある警戒レベルの中でも最大のレベル5。国家危急の危機を示す、魔符警察出動のサイレンだ。じきに王国中にゴミ箱を引っ繰り返したように魔符警察が溢れ返る。サンダージョーは舌打ちした。
「ちっ、1人2人ならともかく10人20人、最悪100人や200人も相手してられるか。話の通じねぇバカが現場指揮を取ってたらそれまで。戦う羽目になる。あの程度の小物相手にんなリスク犯せるか。ちっ、イライラする。誰だか知らねぇが糞みたいなタイミングで折檻を妨害しやがって……まぁ、いい。この死体の処理は問題ないし、こいつの種族だけ確認して帰るか。さて、どんな亜人だぁ?」
亜人は必ず人間と異なる身体的特徴がある。仰向いた死体にその特徴を見られない。ならば背面か。
そう考え、サンダージョーは死体に右足のつま先を潜り込ませ、
「おら」
そして一気にひっくり返した。
双肩の下に1対の黒い痣があった。サンダージョーの表情が一瞬で凍り付いた。
「――堕天使族、だと」
この世で最も醜い種族の証拠。その隠蔽の跡。驚きが理解へと変わった瞬間、サンダージョーの凍り付いた表情が一瞬で烈火の怒りに溶かされた。足を振り上げる。
「っ! この、世界一醜いアマルティアンが! よくも僕を虚仮にしてくれやがったな! 糞、糞! 靴が穢れたわ! この糞がぁああああああああああああああああああああああああ!」
蹴る。蹴る。蹴る。靴がさらに穢れるがどうでもいい。どうせ後で買い替える。ならば気の済むまで蹴った方がマシ。死体が穴ぼこになるまで蹴り続けサンダージョーはようやく冷静になった。
「ハァ、ハァ……ゴキブリを嵌め込んだみてぇだ」
死体の肩の下には、2対の楕円形の黒い痣がある。いや、それは痣ではない。一見痣に見えるそれこそが堕天使の証。人間に擬態するために黒翼を切り取った痕跡なのだ。堕天使の翼は心身深くに物理的にも魔力的にも根を張っているため完全に切除することができない。凹凸を排除するのが限界なのだ。黒い痣だけでも確信するには十分。それに加えて黒髪に黒眼。もう間違いなかった。
堕天使族――アマルティアンの中でも特に穢れた種族とエルロード聖教で定められた種族だ。数あるアマルティアンの中でも最も優先して浄滅するようにエルロード聖国から通達されている穢れた種族。サンダージョーとも深い因縁のある種族。サンダージョーは荒い鼻息と共に死体を見下ろす。
「絶滅寸前だと聞いていたがまだ生き残りがいたのか。最後に狩ったのは10年前だったか。懐かしいな。そして苦い記憶だ。フフ、あの頃は僕も未熟だったな。今は違うが」
子供の頃、サンダージョーは堕天使を狩った経験がある。
父と母と娘2人の4人家族だった。
その中の母を殺して、いつも笑顔を絶やさない優しい祖父に生まれて初めて激怒された苦い思い出があるので思い出すのは容易だった。あやふやな記憶が段々と鮮明になっていき、殺した母と逃がした娘の顔まで。
娘の、顔、まで。
「思い出した」
サンダージョーの顔からぶわっと冷汗が噴き出した。
「あ、あの娘だ。あの女はあのときの娘だ。あ、あああ、なんで気づかなかったんだ。あああああああああああ! 僕はあんな醜いアマルティアンを美しいと思い、あまつさえ、誘いをかけて、う、うっっぷ――おげぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
死体の背に猛烈にゲロを吐き出す。黒翼の跡がゲロで埋まる。ぜぇぜぇと息を吐き、涙目で口端を拭いながら、サンダージョーは瞳に憎悪の暗い炎を燃やした。
「よくも――よくも僕をここまで虚仮にしてくれたなシャルナ・エルフィン! 髪も、瞳まで一丁前に白く染めやがって。擬態だけ上手い邪悪なアマルティアンめ! 見てろ。僕が必ず貴様に地獄を見せてやる……! 自分がいるべき場所を思い出させてやるよ……!」
「おい、貴様――あ、す、すいませ」
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
サンダージョーは魔符警察を裏拳で吹っ飛ばした。誰も何も言わない。誰もが眼を逸らす。それら全ての反応を当然の権利と鼻息をならし、サイレン塗れの夜道をサンダージョーは家へと歩き始めた。
握りしめた拳が熱い。
血の滴りが指先を濡らす。
「浄滅する」
サイレンの音の中でサンダージョーは復讐を決意した。
雷丈家邸。
サンダーハウスの異名を持つ、プレイアズ王国の中でも王宮に次いで巨大な建物。その中の家長室にてサンダージョーは家長の雷丈正人と対面していた。雷丈正人の隣には執事のゴルド・ジョンソン。細身長躯でピシッと手を後ろで揃えている。
「お爺様。報告がございます」
「なんだね」
穏やかで柔和な笑みを浮かべて雷丈正人――叔父が聞いてくる。気性の大らかさを称揚するようなふっくらな体躯。プレイアズ王国の重鎮ながらエルロード聖国の聖人の一人に数えられる偉大なる祖父。この世で最も尊敬する人物に背中に手を回し胸を張ってサンダージョーは答える。
「10年前に取り逃した堕天使族の娘を発見いたしました。たまたま学校で同じクラスになりまして」
「なんだと!」
祖父が珍しく笑みを崩して驚く。それほどのことなのだろうかとサンダージョーはいぶかしんだ。
「珍しいですね。笑みを崩されるなんて」
「ん? い、いや。そういうこともある。私だって人間だからな」
「そうですね。聖人もまた人間ですもんね。だからこそ人の気持ちが分かる――ですよね?」
「その通りだとも。お前はいい子に育ったな」
サンダージョーは相好を崩して頭を掻いた。尊敬する祖父に褒められるとどうしても嬉しくなってしまうのだ。
「ところでその堕天使の娘の容姿はどんなものかな」
「容姿、ですか」
なぜそんなことを気にするのだろう。そう思ったが、尊敬する祖父のことだからきっと深い意図があるのだろうと思いサンダージョーは素直に答えた。
「……認めがたいことですが、一般的には、かなりの美人に入るかと思われます。もちろん僕は欠片も魅力など感じませんでしたが。ええ」
「そうか! それはよかった」
「やけに嬉しそうですね」
「む? あ、ああ。ジョー坊も知っての通りアマルティアンは容姿端麗な若い雌ほど罪深いからな。浄滅してやれるのが嬉しくて仕方ないのだよ」
「! そうでしたか! 流石お爺様! 素晴らしいお考えです!」
「その子は必ず我が家で確保するのだ。エルロード本国に連れて行って浄滅する必要がある。罪穢れを浄化し殺される――それが結果的に来世でその子のためになる。分かるね? ジョー坊」
「はい!」
「ジョー坊にしかできない役目だ。ラグナロク学園は警備が固い。部外者の侵入は不可能。だが、学生のジョー坊なら素通りだ。その子を必ず拉致してきなさい。その子のためだ。これは正義だ。分かるね?」
「はい、分かります。必ず僕が拉致してきますよ。そして、分からせてあげますよ自分の身の程って奴をね……!」
「む?」
「あのクソアマ、よくも僕を色仕掛けでたぶらかそうとしやがって。く、くそ汚らわしいアマルティアンの分際で……クソが! たっぷり痛めつけて死ぬ程絶望を味わわせてやる! どうせあとで回復魔法で傷を治せばいいんだからな! 糞ッ! 糞ォッ! この神の子たる僕をアマルティアンの分際でたぶらかしやがってぇえええええええええ!」
サンダージョーは床をガシガシ蹴る。感情の高ぶりによって漏れた、質・量ともに今では祖父を圧倒する魔力圧が空気をバチバチと震わせる。正人が笑顔のままいう。
「お、落ち着きなさいジョー坊。別にいいじゃないか。アマルティアンを美しいと思ったって」
「ッ!」
サンダージョーは反射的に正人を睨んだ。いくら相手が祖父でもジ・エルロードの教義に反する思想は許せなかった。
「てめっ、お爺様、今、なんて……!」
「あ、い、いや。無論私も本気でそう思ってるわけじゃない。それくらいの心の余裕を持たなければ聖人の境地は程遠いと言いたいのだよ。全く、ジョー坊は、まだまだ未熟だなぁ。聖人と言われる日はまだ遠いな」
「う……し、しかし」
正人の言葉にサンダージョーは勢いを削がれる。正人――聖人の言葉は全て正しい。納得しきれないこともあるがそれは自分が未熟なだけ。反感を抱くのは心に払うべき邪悪が住んでるから。そう心の中で繰り返し念じてサンダージョーは心を静める。祖父はただただ笑顔でそんなサンダージョーを見つめる。まるで彫像のように、不動。冷静さの塊。その尊敬すべき正人の姿を見てサンダージョーはようやく幾ばくか冷静になった。
「申し訳ありません。少し興奮しました」
「分かってくれればいいんだよ。私は聖人なんだ。逆らってはいけない」
「はい……ところで、お爺様。堕天使の確保に当たり、懲罰十字聖隊の隊員を使っても?」
懲罰十字聖隊――魔獣狩りが主な仕事だが、アマルティアン狩りもこなす、雷丈家の最高戦力たる私兵部隊。サンダージョーは若干15歳にしてその隊長だった。理由は単純。サンダージョーが一番強いからだ。サンダージョーが率いる懲罰十字聖隊は過去最強と呼ばれる。その隊員から今回の仕事に適性のあるものをアマルティアン確保に使う腹積もりだった。
「構わないよ。だが、部外者は――」
「懲罰十字聖隊にはラグナロク学園の上級生もいます。暴力のスペシャリストです。今回の任務にはうってつけですよ。ちょっと糞ムカつく邪魔な男がいるものでそいつをぎったぎたにしてもらいましょう。そいつは人間ですが背教者です。生意気なクズですよ、死んでも文句は言えませんね」
「そ、そうかい。まぁ好きにしたらいい」
「あとは、教師をどう突破するか。特に担任のクロウとかいう教師を出し抜くには……」
「ん? ああ、教師の心配はおそらくしなくていい。教師は全部マギサの子飼いだ。マギサの決定に従う。そしてマギサはその生徒を庇いはしないだろう」
「なぜ、言い切れるのですか?」
「あの婆は結構冷淡なんだ。100年に一度、そういうレベルで優秀な生徒でもない限り、アマルティアンを庇うリスクを考えて、切り捨てるだろう。昔同級生だったし、今でも顔を合わせるからね。あの婆には詳しいんだ」
ニコニコと正人は続ける。
「アマルティアンだという物的証拠を突き付けてしまえば簡単さ。妨害されないうちに堕天使の証を衆目に晒してしまいなさい。それで、終わる。それと、ジョー坊の担任のクロウはいつも遅刻かギリギリかの無気力教師として有名だ。一応、早めに行って鉢合わせないうちにことを済ませた方がいいだろう。妨害されないとも限らないしね。念には念を、だ」
「なるほど……大体の方針はもう決まってしまいましたね。さすが、お爺様。お知恵添えありがとうございます」
「うむ。期待してるよ。ジョー坊」
「はい。任せてください! いつもよりも強めに折檻してから拉致してきますよ! それではこれから岩下隊員に連絡を取らなければいけないので、お爺様、本日はこれにて――クソアマが、待ってろよ」
サンダージョーは家長室の扉を閉めた。
サンダージョーの消えた家長室。雷丈正人とコルドは同時に笑みを消して、ため息をついた。
「はぁ……疲れたわい」
「顔の筋肉がおかしくなりそうですよ」
「聖人は常に穏やかで笑顔たるべしなんて阿保みたいな戒律を守り、癇に触れないようにビクビクしながら孫と話す人間はワシくらいだろうな。全く……教育に、失敗した。まさか、聖書による洗脳がここまで嵌まるとはな……恐るべきは新約創界聖書の完成度というべきか、ジョー坊の単純さというべきか。あれはもう敬謙通り越してただの狂人だ。幼い頃から子供に洗脳を施せば従順な駒に育つと夢想した過去のワシは本当に馬鹿だったわい」
「キレ始めた時はひやひやしましたね。いつかみたいに殴られるかと」
「あのときか。ジョー坊はずっとすみませんすみませんと土下座をしていたな。だが、もしあいつの中からワシへの敬意が失われたらどうなることか。――殺されるかもしれん。考えるだけで恐ろしいわい。本当に、教育を間違えた」
二人は再びため息をつく。正人は机の引き出しから一冊の本を取り出して、ページをパラパラと捲る。
エルロード聖国が開発した魔導書、新約創界聖書。それは全頁の文字を利用した複雑な魔法陣が描かれており、読むたびに微弱な催眠効果を与えられるように作られている。エルロード聖教の関係者でもごく僅かな人間しか知らない事実だ。
信者を増やすための道具、新約創界聖書。それを利用した子育てはエルロード聖教の関係者の中ではポピュラーな試みだ。そして多くの成功例を上げていた。雷丈正人も子供ができたら試してみようと思っていた。そして試した。
結果は成功を超える。超成功。つまり大失敗だ。過ぎたるは及ばざるがごとし。性根が純粋だったのだろう。あまりにもエルロード聖教に傾倒した思想を獲得したサンダージョーは正人にさえ制御できない化け物になった。
だが、頭がおかしいだけならまだ救いがあった。一番の誤算はその天の悪戯としか思えない特異体質。生まれた時から既に成魂期の状態であると言う超特異体質だ。それが洗脳と最悪の形でかみ合った。
雷丈正人は当初喜んだ。特別意識を植え込むため神の子と呼んで育てた。結果サンダージョーは異常な傲慢をも得た。亜人を迫害対象とするのみならず、気に食わない人間をも背教者として迫害対象とする、自己愛性人格障害を患った。そしてそれをふりかざして罰されない地位と実力がサンダージョーをどこまでも歪めた。果てしなく狂わせた。
「ま、まぁ希望もある。ジョー坊はレベル20上限がないだけで、レベル100の上限はあるようだからな。ここ数か月全くレベルが伸びていないのがその証拠だ。要するにただの早熟なのだ。まぁ、だとしても魔符士としての素質は異常なものがあるがな。全く、神の子というのも案外適切な表現なのかもしれん」
「全くですな」
「だが、レベルが伸びなくなった今、その内自分の限界というものを思い知り、傲慢も正されるだろう。ラグナロク学園はそういう意味では最適の環境だ。なにせあそこには化け物しかいない。いやでも天狗の鼻を折られるだろう。そしたら少しは真人間になるかもしれない」
「マギサ学園長はいいタイミングで特待生の招待を出してくれましたな」
「全くだ。しかし、ふふ。思わぬ副産物がついてきた」
正人はほくそ笑む。コルドもいやらしく笑う。サンダージョーに見せていた笑みとは全く異なる生の笑み。生臭い笑みだ。
「先方のリクエストにドンピシャの年齢の見目麗しい、今や絶滅危惧種の堕天使が、まさかこのタイミングで学園に入学して、しかもジョー坊と同じクラスとはな。これがもう天のお告げと考えてもいいだろう。天が我が雷丈家にもっと羽ばたけと言っている。マギサもおそらくその生徒は庇いはしまい。あの婆は結構冷淡だ。アマルティアンを庇うリスクを考えたら切り捨てるだろう」
「我が雷丈家の後援はより盤石になりますな。大金が手に入るのはもちろんのこと、アムネス地区を治めるブートン大公は覇国エルロード聖国の重鎮中の重鎮。国際的な立ち位置もよりよくなるでしょう。王家よりも国際的な影響力を持つのも時間の問題ですな」
「いずれプレイアズ王国は滅びる。エルロード聖国の属国化する。少しずつその手引きもしているし、エルロード聖国とのパイプも繋げてる。もしそうなったら、ふふ、現精霊人の女王をワシがもらって好きにしていいことになっている。学生時代からあの美しい肢体を蹂躙してやるのが夢だったんだ……! いつまでも若々しい精霊人の王女。それがもうすぐワシのものになる……! そう、次の天下壱符闘会でこの国を負けさせればね! お前には王女を当てがってやろう」
「おお! それは光栄! 何としてもプレイアズ王国を潰さねばなりませんな!」
正人とゴルドは色欲を肴に笑い合う。醜悪な絵面が展開された。
「おっと、そうだ。ブートン大公に伝えとかんとな。ジョー坊のことだ。なんだかんだで仕事は成功させるだろう。そうでないと飼ってる意味がないからな」
雷丈正人は机の上のテレフォン・リード・デバイス――その魔術特性から電話の通称で呼ばれる、庶民には決して買えない超高級リード・デバイスで遠く離れたエルロード聖国のアムネス地区を治めるブートン侯爵へと揉み手で電話を繋げた。
「あ、もしもし。ブートン公爵ですか? いえ、3日後の定時取引にてかねてよりお望みでした商品がようやくご用意できそうでして――」




