王城にて 1
■ 王城にて ■
数日後、カルケーネン王国の少女姫の招聘により、吟遊詩人フィルと3匹のペットは、王城を訪れていた。
騎士や王宮の使用人たちからは敵意のこもった視線を向けられ、吟遊詩人風情だとかあからさまに侮蔑されるが、フィルは表面上はにこやかに応対していた。
事実、フィルにとってはこの程度の侮蔑など慣れたもので、それで傷つく感性など忘却の彼方にとっくに捨てていたし、そうした無関心は、いっそ気楽ですらあった。
フィルに対してそうした侮蔑と敵意の視線を向けてくるのはもっぱら男たちであった。
一方、待合室で待たされている間、お茶やら、お菓子やらと、入れ代わり立ち代わり王城のメイドなどの女性たちがやってきていた。
いまのフィルは髭を全て綺麗に剃り落とし、髪も結わった美青年姿である。無論、少女姫の指定だ。
元々、風呂好き、綺麗好きで、体臭を周囲にまき散らす騎士たちとは一線を画する清潔感に加えて、貴族以上に貴族らしい所作に、男性的でありながら美しいとすら形容できる美形ぶりに、王宮の女たちは皆メロメロ(死語)になり、それが余計に男たちの嫉妬を買っていた。
ところがなにかれとなく理由をつけてやってきては話しかけてくる城の女たちは、吟遊詩人のことを知りたいと【鑑定】し、その真名を知っていた。
「ペドロフ・チイチャイコスキーとおっしゃるのね(はーと)」
「ペドロフ様……」
と口々にフィルの真名を口にしていった。
フィルにとってはその方がよっぽど不快であったが、その代わりとばかりに一部の女性たちと楽しく談笑 (ボディタッチ付き)をして待ち時間を楽しく過ごしていた。
そんな軽薄な様子に、男たちは更にフィルへの不快感を募らせるが、敵意の最大の理由は別にあった。
カシャー
吟遊詩人の連れている奴隷の美しさに、騎士や侍従、使用人はおろか、厳つい歴戦の老将軍すらもまなじりを下げて夢中になっていた。
件の老将軍など幼女を目にしてからすぐに街に出向き、即金で魔道具を買って来て、今も【撮影】の魔道具を起動させている。
なんでもここ最近、街では【撮影】や【動画撮影】の魔道具が売れに売れて、将軍が買った物が最後の一台だったとか。
吟遊詩人を色っぽい女性たちが囲み、その周りには近づくこともできずにウロウロしている若いメイドたちが取り巻き、その一方フィルの近くでお菓子を食べている幼女ナカをさらに離れた場所から【撮影】する男たち……という、異様な空間が出来上がっていた。
カシャーカシャーカシャーカシャー
普通の子供なら泣き出しそうな怖い顔の騎士たちの視線を一身に受けているが、当の幼女、ナカはニコニコし、手を振ったりして、怖がる様子を一切見せていなかった。
そんな幼女はいま大きな欠伸をして吟遊詩人の膝の上でウトウトしている。
うらやましい!
男たちに視線で人を殺せる力があったならば、フィルはもう千回は死んでいることだろう。
結局、朝一で呼び出されたにもかかわらず、その日は王の前に呼ばれることは無く夕方を迎えた。
さて、帰るか、とフィルが王宮を辞そうとすると、女たちが一斉に食事に誘いだす。
「ふむ。せっかくなので二人ぐらいお持ち帰りを」
無駄になった一日を埋め合わせるべく、フィルがそんなことを考えていたが、その夢は儚くも破られた。
「ペドロフ、居るか!」
「ひ、ひめさま」
ばーん、と自分でドアを開けて一人の少女が待合室に現れた。フィルは嘆息を見せないよう慇懃に礼を取る。
「ご機嫌麗しゅう、ディア・プリンセス」
「堅苦しいのはよせ。妾と其方の仲だろう」
はて、どんな仲だったろうか、と思わないでもなかったが、口に出すほどフィルも大人気なくは無かった。
「今日は泊まってゆけ。おお、前に見た時もめんこいとは思ったが、改めてみるとすごいのぉ。ペドロフ、其方の奴隷か?」
幼女ナカの顔を覗き込み、見惚れる少女姫。その様は高慢さは鳴りを潜め、年相応のものであった。
「厳密には異なりますが、似たようなものです姫君」
「堅苦しいのはよせと申したろう。其方には名で呼ぶことを許す。妾のことはエンドラと呼ぶがよい」
胸のうっすい少女姫エンドラが精いっぱい胸を逸らしてそう宣言する。
「では、私のこともどうかフィル、と」
「のう、ペドロフ。この子を妾にくれ」
エンドラ姫はフィルの言葉など聞く気もなく、彼女にとって一般的な真名読みでフィルを呼び続ける。
「ただとは言わん。望みの物をつかわすぞ。何なら妾を其方にやろう。どうじゃ、未来の王配ぞ」
「ひめさまぁ!」
侍女が悲鳴のような声を上げる。
そしてその様子を窺っていた城の男たち、女たちからも悲鳴が上がる。彼らの気持ちを一言で表現するなら“ずるい”という一語に集約されたことだろう。美形と美幼女を同時に手に入れようとする姫様ずるい、流石王族。
「お戯れを……わたくしめはどこの馬の骨とも知れぬ旅の吟遊詩人。姫殿下の隣になど、立てようはずもありません」
「其方の所作は妾の知るどんな貴族よりも貴族らしい。そして多くの土地を旅して得た他国の情報にスキルの知識。立派に王配たる資格があると妾が保証しよう。の、の、娘御にも不自由はさせぬ。妾は良き母になれると思うのじゃ。どうじゃ、ペドロフよ。それとも妾には、魅力が無いかの? ペドロフの好みではないのかの」
そう言って上目遣いに不安そうな目を向けるエンドラ姫。可憐さと、傲慢さと、妖艶さと、少しの子供らしさとを兼ね備えた、その筋の人には憤死もののシチュエーションである。
しかし、ペドロフ、ペドロフ呼ばれ続けたフィルにとって、いまのシチュエーションはある種の苦役そのものであった。
ずるり、とフィルの心の奥底で欲望が鎌首をもたげた。
全体的に肉付きの薄いガキの身体に幼さを残した顔立ち。そんな幼稚なフィジカルで精いっぱい女を演じようとするやはり幼稚なメンタル。
しかしフィルはそんな幼稚さに魅力を感じはじめていた。
無垢なるものを汚したいという破壊衝動でも、弱い者を屈服させたいという征服欲でも、倫理や道徳に逆らいたいという逆張り欲求でもなく、純粋にソレに魅力を感じていく。
それが“愛”ならば、世間の道徳や価値観など無視してもいいのではないか?
お互いに愛し合っているなら許されるのではないか?
そう言い訳して、自分に甘い決断をしそうになる。
親愛なる少女姫。その幼稚な少女姫の前に膝をつき、その手のひらに口づけしたい衝動に駆られる
熱っぽいフィルの視線に、少女姫の瞳にもまた熱を帯び、フィルの腕を取る。
「ペドロフ……“ペドロフ・チイチャイコスキー”」
少女の冷たい指の感触と、本性を現す真名の言霊によりフィルの理性は消えていく。
--貴方を苛む称号は、貴方の真名と強く結びついています
且つて聞いた言葉
「俺に力を貸してくれ、師匠……」
血が出るほど固く歯を食いしばるフィル。
「エンドラ! 何をしているのです」
フィルの祈りが精霊に通じたのか、怒声と共に一人の女性が踏み込んでくる。
「もちろん、王国の未来を築くため、有能な人材をスカウトしていたのですわ、お母様」
うっすい胸をそやすエンドラ姫。
「どこの馬の骨とも知れぬ吟遊詩人に、はしたなく迫っているようにしか見えませんでしたわ」
大きな胸をそやす王妃。
睨み合う母娘と、固唾をのんで見守る者たちの中、最初に動いたのは誰あろう、渦中の人、吟遊詩人フィルであった。
視界の隅でそれを認めた王妃であったが、下賤な者など気にする女性ではなかったので、目の前の娘に意識を集中したままである。
が、突如、王妃の手が取られた。
王妃の手を握り、そのまま跪いてその手の甲に口づけする吟遊詩人。
「美しい王妃殿下。お目にかかれて光栄です。わたくしの名はフィル。一介の吟遊詩人にすぎませんが、王妃様の美しさを歌に表現することをお許しください」
そうして見上げる吟遊詩人の美貌と穏やかなトパーズの瞳に王妃は思わず魅入られ、頬を染めながら辛うじて、許します、とだけ答えた。
その後、王妃の美しさを讃える歌を数編、フィルは即興で歌い上げ、聴衆の心を掴んでいった。
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「なんでですの、なんでですの。胸ですの、胸なんですの!」
少女姫の私室でそんな叫びが聞こえたとか、聞こえなかったとか。
* * *
結局フィルとナカ達は、半ば無理やり王宮に留め置かれ、用意された部屋に泊まって数日を過ごした。
立場としてはエンドラ姫が招聘した吟遊詩人から王妃カサンドラの客人となった1級冒険者兼吟遊詩人のフィルに変わっていたが、本来の理由である国王の前での演奏の機会は未だない。
フィルにとって幸いなのは王妃の計らいで王宮の大書庫への入室を許可されたことであった。
城のメイドたちにナカ達の世話を頼み(無論、メイドたちは我先にその役目を取り合った)、空いた時間は書庫で過ごしていた。
また、大書庫の司書がフィルの容姿に嫉妬したり、流れ者を侮蔑するような者ではなかったことも幸いであった。
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「毎日熱心ね。いったい何を探しているのかしら、フィル」
王妃に呼ばれ数曲演奏した後、お茶を馳走になっていた際のことだ。
そう尋ねられたフィルは、少し考えてから正直に答えることにした。
「魔術とアカシックレコードにまつわるものです」
「魔術ですって? どうしてあんな使えないモノを」
「使えませんか?」
「先々代の国王の頃に魔術士に研究させたそうよ。でもできたのは普通の魔法より遥かに劣るものだったそうよ。その上、準備も費用もかかって全然労力に見合わないものだったとお爺様がこぼしていらっしゃいましたわ。その自称魔術士の詐欺師も追放されたそうよ」
「だからなのですね」
「なにがかしら?」
「魔術に関する書物は書庫の奥まったところで箱に詰められていました。この国では望まれていないのですね」
「貴方は吟遊詩人でありながら魔術の探求しているのね。ひょっとしてわたくしに研究費を出させるおつもりかしら?」
探るような王妃の視線に、笑いながらもろ手を挙げる。
「私は魔術を研究したいのではなく、必要な知識を求めているだけです。ほしいのは探求ではなく結果です」
「魔術などという不確かなものを追い求めて旅をする。わたくしにはとても無駄に思えますわ」
エンドラの手がフィルの手に重なる。
「貴方が求めるものは、わたくしでは代わりにならないかしら?」
王妃の熱を帯びた視線に、トパーズの瞳が微笑みを返す。
「……私には、ある種の呪いがかかっていまして、それを解く方法を探して旅をしております」
「高位の【光魔法】に解呪があると聞きますが」
「失礼。呪いというのは言葉の綾です。確かなのはスキルではこの呪いを解くことができないということです」
「だから“魔術”なのね。でも今の貴方は呪われているように見えないわ。気を悪くしないでね。本当にその呪いとやらを解く必要があるの?」
懐疑的なエンドラに、フィルはステータスボードを開き、自分のステータスの一部を見せた。
ある項目を見たエンドラの目が見開かれ、みるみる嫌悪に歪んでいく。
「これを私に与えた者は祝福のつもりだったのかもしれません。ですが私にとってはおぞましい呪いに過ぎません」
「貴方がそれを望んだのではないのね?」
「誓って」
フィルの手が冷たくなっていくことをカサンドラは気づき、そのぬくもりがこれ以上なくならないよう、強くその手を握り締めた。
「……わたくしにできることは無いかしら?」
「こうしていてくれるだけで十分です。カサンドラ」
穏やかなトパーズの瞳に、王妃は少女のように頬を染めた。
「そ、それにしてもあなたのその髭、たった数日でふさふさね。きっと大臣が羨ましがるでしょうね」
羞恥を誤魔化すため、王妃が少し上ずった声で話題を変える。それに口髭顎髭をたくわえた吟遊詩人がほほ笑む。
「エンドラ様のご命令で髭を剃りましたが、私にとっても世界にとっても、この姿が普通だからなのかもしれませんね」
「それにしたって早すぎでしょう」
「スケベは毛が伸びるのも早い、と言いますし」
「“スケベ”とは何かしら?」
首をかしげる王妃の耳元で答えを囁く吟遊詩人。そのバリトンと、耳にかかる吐息に王妃が身を震わせる。
「……もう」
羞恥に更に顔を赤くした王妃が吟遊詩人を手荒く突き飛ばしたが、吟遊詩人は倒れることなくクルリと優雅に回って王妃に礼を返した。
そして二人の朗らかな笑い声が庭園にこだました。
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そんな二人から少し離れた植木の中で、一人の少女がハンカチを噛みしめ、食いちぎらんばかりに引っ張ることで怒りを我慢していた。
「不潔ですわ、羨ましいですわ、お父様に言いつけますわ、無理に決まってますわ、お父様如きではお母様に勝てませんわ。どうしますの、どうしますの、やっぱり胸ですの、殿方は胸ですの。ああ、くやしー!」
メイドさんに遊んでもらっていた幼女は、その植木をじっと見つめてつぶやいた。
「しょうがいひんにゅう」
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