招かれざる客 2
ちょっとした?騒動の末、招かれざる客を撃退した講義に参加していた冒険者たちはそのまま“夜明け鳥の止まり木亭”で打ち上げになだれ込んでいた。
メインスキルが吟遊詩人でありながら【ポーター】であり【風魔法】まで使って見せたフィルに、講義における質問や具体的なスキル取得についての質問が飛び交った。
そんな騒々しくも楽し気な“夜明け鳥の止まり木亭”であったが、乱暴に扉が開かれ。
「すみませ~ん。いまいっぱい……で、そのう」
新たに来店した客に女中の声が元気に対応するが、その声が途中から小さく萎んでいく。
兵士を伴った騎士と貴族であり、店内も潮を弾くように静まっていく。
「き、騎士様。うちは貴族様をお迎えできるような店ではありません。もし粗相でもあったら」
頭を下げ、相手を直接見ないよう気を付けながらマリアーヌが騎士に申し出るが、居ぬでも追い払いように手で退かす騎士。
「“ペドロフ・チイチャイコスキー”はどいつだ」
「そいつだ。そこのヒゲ。そいつが俺たちを殺そうとしたんだ」
騎士の言葉に、粗野な声が被さる。先ほど講義を邪魔していた闖入者の男だ。
「騎士様。そいつらが先に嫌がらせをしてきたんですよ」
店の女将マリアーヌの言葉に次々に同意の声が上がるが、静まれ、という騎士の言葉に反論が静まっていく。
「詳しい話は詰め所で聞く」
そこで騎士が傍らの貴族に目をやり、貴族が目配せすると騎士は男の傍らにいる幼女に目を向けた。
「場合によっては捕縛、罰金、財産没収もありうる。ペドロフの荷物並びに奴隷もこちらで預かる。やれ」
騎士の命令で動いた兵士が幼女ナカに手を延ばすと、店内のあちこちから、だったら私が、ナカちゃんを守れ、Hshs、殺してでも奪う、等々非難の声が上がり、一色触発の空気を帯びる。
ところが店の入り口を固めていた兵士たちに混乱が起こり、何事だ、と騎士が怒鳴りつけ、そこで体が硬直する。
そこにはまた出で立ちの異なる騎士に護衛された少女の姿があった。慌てて跪く騎士と狼狽える兵士たち、そして目を白黒させている貴族。
明らかに手のかかった服を身に纏った場末の酒場には場違いな少女は、そんな有象無象など気にも留めずに店内を睥睨した。
「ここに外国から来た吟遊詩人がいるのでしょう。前に出なさい」
少女の言葉にフィルがさっと進み出て、膝をついた。
「フィルと申します、お姫様」
「……なんで妾が姫だと思ったのじゃ?」
フィルの言葉に、少女がつまらなそうに尋ねる。
「護衛の騎士の方々はカルケーネン王国の紋章を付けていらっしゃいますので王国騎士、しかもサーコートに金糸が入っておりますので近衛の方とお見受けいたします。また、貴女様のお召し物に、この国の貴色である紫が使われておりましたので、王家に連なる方と思い、プリンセスとお呼びいたしました」
その返答に、満足そうに頷く少女。
そのやりとりに、騎士だけでなく兵士や店内の酔客も女中も全員がひざまずく。
「おどろかしてやろうと思ったのに、つまらぬわ。でも、今の話はちょっと面白かったから、それに免じて許してやろう。さあ、妾のために歌うのじゃ、吟遊詩人。気に入ったら褒美をやろう」
従者の持ち込んだ椅子に腰かけ、全員がひざまずく姿を睥睨しながら、少女姫が命ずる。
「お、お待ちください。この者達を魔法で害した危険な者。まずは捕縛し、罪を明らかにせねばなりません。何より万が一にも御身の身になにかあっては一大事」
「黙れ、ゲデブ。そのような些事で妾を煩わせるでない。第一その害されたという者たちこそ、見るからに品性の下劣さが顔や態度に出ておるわ。大方、嫌がらせでもやって返り討ちにあって逆恨みでもしたのだろう。おい、そちらの者どもを捕縛せよ」
近衛騎士の命令に兵士たちは騎士と貴族に視線を送るが、ゲデブと呼ばれた貴族が不承不承頷き、闖入者達が連れ出されていく。
「罪状はいかに?」
「妾の邪魔をした罪じゃ」
傲岸不遜な少女姫の言葉に、貴族を初め一同言葉もない。
「さて、待たしたの吟遊詩人。妾を満足させてみよ。その間だけはこの者と止めておいてやる」
貴族や騎士、それに兵士たちを顎で示す少女姫にフィルは深く首を垂れる。
「お姫様のお慈悲に深く感謝いたします。では」
客も店員も女将も、誰も彼もが膝をつき、床を見つめる中、一人フィルはリュートを手に立ち上がり、姫を見下ろす。
そして腰に下げた首輪を少し引くと、大トカゲ、小悪魔妖精、そして幼女がフィルの周りに集まってきた。
「おとーさん、なーにー」
その幼女の心奪う美しさに近衛騎士は狼狽え、少女姫も目を見開いた。
そんな反応は判り切っていたというようにフィルは構わずリュートを弾き始めた。目まぐるしく動く指が複雑な音を紡ぎ出し、聞くものを幽玄の世界へと誘っていく。
「ふぅぅ」
軽く息を吸ったフィルの喉から歌われる声に、少女姫の肌は粟立ち、幼女から吟遊詩人に視線を移した。
高い、それでいて力強い声に、少女は耳を澄ませ、そのメロディに体を預け、その心は音の海に飲み込まれていった。
それは、マリアーヌら、フィルの歌を聞きなれた者達も同じであった。
「これが、旦那の、本気の歌……」
フィルのことをよく思っていないような者達でさえ、その頬を涙で濡らした。
騎士はも身じろぎせず、貴族ゲデブですら言葉もなく、店の外を行く騒々しい酔客さえ声を落とした。
そうして、数曲も弾き終わったところで、リュートのテンポが少しづつ速くなっていく。そして悪戯っぽい笑みを浮かべる髭の吟遊詩人から少女姫は気分が高揚していくのを感じる。そしてそんな少女姫をフィルは見つめながら演奏を続けていく。
そして歌われる軽快な歌。フィルは男声と女声を使い分けながら、軽快にコミカルな歌詞を紡いでいく。
それは船乗りと情婦の悲しい別れの歌……に見せかけた丁々発止のやりとりが為される下世話な歌だ。
少女姫を窺いながら困ったように目配せしたり、笑いを堪える者など、反応は様々だ。
「ばかやろー」
歌のクライマックスで飛び出した情婦の罵声に、少女姫はびっくりして目をむき、店のあちこちから堪えかねて噴き出すものがそこかしこに見られた。
「おとーさん、おもしろーい」
意味など判っていないだろうが芝居がかった歌の調子に、幼女がケラケラと笑いだす。
そして笑いの発作は、店内に伝染していき、騎士が笑い、女中が笑い、冒険者が笑い、ついにはお姫様まで笑い出した。
「Hey!」
フィルの高らかな声に合わせ、跪いたまま掛け声と床を叩く足拍子が広がっていく。
「ディア・プリンセス。ここからは王宮では決して目にすることのできない、酒場流をお見せいたしましょう」
両足を魔法のように軽快に動かし踊るフィル。だが上半身で引くリュートの調べに淀みはない。
「あはははは、いいわ、好きにおし。あははははははは」
フィルは跪くマリアーヌを無理やり立たせ、足拍子に合わせてくるくると踊り、マリアーヌはきゃああああ、と乙女のような悲鳴を上げる。
客や女中も立ち上がり、手拍子やジョッキでテーブルを叩いてリズムを取りはじめた。
まるで貴婦人に対するようにマリアーヌに礼をしたフィルは、再びリュートをかき鳴らし、場末の酒場にあった、そして王家のお姫様には相応しくない軽快な歌を何曲も披露していった。
冒険者も、騎士も、兵士も、従者も、酔客も、女中も、女将も、小悪魔妖精も、魅惑の幼女も、そしてお姫様も、みな大いに笑った。
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「あー、おかしかった」
笑いすぎて少し声の枯れた少女姫が息をつく。
周りでは喉の渇きをいやすために、酔客たちがエールで喉を潤していた。
そこにお盆が差し出された。
「よろしければいかがですか」
店の女将が持つお盆の上には、見事な細工の入った透明なガラスの容器があった。中は果実水のようだ。
「……いただくわ」
のどの渇きに耐えかねた少女姫がガラスのコップを手に取り、びっくりする。
「なにこれ、冷たい。それに甘くておいしい」
年相応の反応にマリアーヌは微笑み、ちょっと気取った様子で一方を指し示す。
「あちらのお客様からです」
髭面の吟遊詩人が同じガラスのコップを掲げながらウィンクする。
演奏は小休止のようだが、髭の吟遊詩人はあちこちのテーブルに顔を出していた。その様子を甘くて冷たい飲み物を楽しみながら、少女姫は見るとはなしに目で追っていた。
「……もしかして……うん、そう、間違いない」
少女姫は自分の目と直感を信じた。
「吟遊詩人。こっちに来なさい!」
少女姫の命令に、店内の喧騒が潮を引くように静まり、緊張した空気が流れる。
「お呼びでしょうか、ディア・プリンセス」
「命令よ。その髭をそりなさい。今すぐこの場で」
姫以外の誰にも理解できない論理の飛躍した命令に、近衛騎士たちも首を捻る。
「どうしても、でしょうか?」
フィルは困ったように抗弁する。それは困惑しての消極的抵抗ではなく、その意味を理解した上での確信的な抵抗だったが、少女姫は譲らない。
「髭を落とすか、首を落とすか。好きな方を選びなさい」
その脅迫に、仕方がありませんね、とフィルは諦めてナイフを取り出し、無造作に髭を落とし始めた。
フィルと少女姫以外には、意味が解らずその様子を固唾をのんで見守っていた。だが少しづつ髭に隠されたフィルの素顔が明らかになってくると、ざわめきが広がり、女たちは前に出て食い入るようにその様を見つめていた。
すっかり綺麗に髭を剃り終えたフィルは、軟膏を取り出し剃り痕に塗りこんでいく。
「わたくしの見立て通りですわ」
中年のおっさんだと思われていたフィルだったが、髭のないその姿はギルクークとさして歳が変わらぬように見えた。
くすんだ濃い金髪とトパーズの瞳を持った美青年の姿に、女中たちは仕事そっちのけで見つめ、生真面目な女斥候はうっとりとし、息子みたいな歳のフィルの姿にマリアーヌは困惑しつつも目を離せずにいた。
そしてそれを命じた少女姫もまた、頬を赤らめ、熱っぽい視線を吟遊詩人に向けていた。
「その方が良いぞ、吟遊詩人“ペドロフ・チイチャイコスキー”。其方を王宮に招聘する。王の前で演奏せよ」
髭で隠せぬ渋面を見せぬよう、フィル=ペドロフは頭を下げた。
「謹んでお受けいたします。ディア・プリンセス」
結局その日、フィルの捕縛は行われることなく、兵士たちは帰還し、貴族ゲデブは姿を消した。
* * *
獄中に囚われた犯罪者の財産はどうなるか?
財産は被害の補填に使われたり罰金などに充てられ、残ったら保管され、釈放時に返還されるのが常である。
では主が獄中にいる奴隷や家畜の場合はどうなるのか?
それらは日々、食事などの費用が必要となるし世話も必要だ。当然、捕らえた側がそうした手配などしてくれるはずもない。予め手配できていれば費用の続く限り世話がされるだろうが、一般的には早々に競売にかけられるのが常であった。
* * *
「旦那がもしあのまま捕縛されてたらきっと、ナカちゃんを取り上げられてただろうね。そんでどこぞの変態のもとに売られてきっとそのまま……」
マリアーヌの言葉はフィルを返す言葉もない。
「皆には迷惑をかけてしまったな。君にも」
「まったくだよ。もうちょっと賢いやり方があったろうに、まったく。思ったより気の短い男だね、あんた」
「面目ない」
でもさ、とマリアーヌは鋼のように引き締まった男の胸板に手を当てる。
「あんた、あたしのために怒ってくれたんだろ。それはうれしかったよ」
やり方はどうかと思うけどね、とケラケラ笑う女に、男はバツが悪そうにそっぽを向く。都合が悪くなったら目を背けて聞こえないふりをする、そんな幼稚な仕草を可愛いと思ってしまうぐらいには、マリアーヌはフィルという男に惚れていた。
男が夜の店に行っていることも、この街に自分以外にもそういう女がいるだろうことも、マリアーヌは察していた。察していたが何も言わずに男に抱かれていた。
都合のいい女だと自分を卑下するつもりは毛頭ない。女にとっても彼は都合のいい男なのだ。
「あんた、自分の真名を嫌ってるんだって? ギルクークって子に聞いたよ。思えば、昼間もそれを呼ばれてからアンタの様子はおかしくなった。単に嫌だとかそんなんじゃないみたいだった。まるで……」
男は女の言葉を遮るように行為を再開した。
「ん、アンタ、なにを、んあ、そんなに、あ、怖がってるんだい?」
男はまるで自分が責め苦を受けているかのような表情を浮かべながら女を責め立て続けた。
「……こわい、か。うん、その通りだ」
「うん」
「俺が俺でなくなるのが、正気を失って一線を踏み越え傷つけてしまうのが。だから、マリア。お前は、代わりだ。身代わりの生贄なんだ。軽蔑してくれ、俺は、最低な人間だ。でも、それでも……鬼、畜生にまではなりたくない」
意味が解らない。男の抱える苦悩も判らない。自分が便利な都合のいい女であること以外、なにも理解できない。だがそんなことはどうでもよかった。
自分の腹の上で怖いと震える男の頭を、女は愛おしく抱きしめた。
ほんの一時、男の苦しみを受け止められるなら、都合のいい女でいいと思えるぐらいには、女は男に惚れていた。
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