冒険者ギルド 1
■ 冒険者ギルド ■
扉の上に掲げられた剣と杖、そして花のエンブレム。それぞれ武力と魔法、そしてアイテムを意味する冒険者ギルドの紋章だ。
ひっきりなしに冒険者と依頼者が出入りし、カウンターでは獲物の買取金額で丁々発止のやりとりが繰り広げられ、子供が持ち込んだ薬草を前に採取の仕方を講義が始まっていた。
そんな賑わうギルドのホールに大柄な髭面の男が、二人と一匹のペットを連れて入ってきた。
「よう、おはよう、ペドロフさん」
昨晩、“夜明け鳥の止まり木亭”にいた冒険者の一人が気安く声をかけてきた。フィルの名は知らなかったが、【鑑定】を通してその真名を知っていたのだ。
「『フィル、です』」
即座に髭の男が否定する。
「ペド、フィルさん?」
「『その二つは絶対にセットにしてはいけません』」
「フィルさんは、真名はダメな人か。この辺じゃあ真名を得るとそっちを名乗る人が多いんだ。でも〝ペドロフ・チイチャイコスキー”ってなんか勇ましい感じがして、オレは好きだけどな」
気のいい笑顔を向ける若い冒険者に、真名をフルネームで呼ばれ、髭に覆われた顔が大げさに渋面を作る。
「『実は私の真名は……私の故郷では、とてもよくない意味なのです』」
「そうなのか。そりゃすまなかった。因みにどんな意味なんだ」
「口に出すのも憚られる、と言えば少しは判って貰えますか?』」
渋面すら消えた何かを我慢するような無表情と焦燥の浮かぶトパーズの瞳に、何かを感じ取った若い冒険者は、察したように口を噤んだ。
「……辛いことを思い出させたみたいですまなかった。」
若い冒険者は素直に頭を下げた。
「『気にしないでください。悪気はないのですし、それに当時の想いなどとうに忘れました。神経質すぎな私のせいで却って申し訳ない』」
真面目な青年の姿に、フィルの方が恐縮してしまい慌ててフォローするフィル。小市民である。
しかし、そんな何でもないことのようにフォローする言葉に、若い冒険者は昨夜のフィルの歌声を思い出していた。
忘れた、などと言っているが無くしたものを悼む彼の悲しい歌声が若者の脳裏に何度もリフレインし、思わず涙ぐむ。感受性の高い若者である。
「『その上、この真名にはある種の呪いがかけられており、その名を口にするたび呪いが強まっていくのです』」
「な、なんだってー!」
普通ならば与太話になりそうな髭面の吟遊詩人の言葉に律儀に驚く若者。素直である。
「あ、あの、いまの話、他の奴にしてもいいですか? フィルさんのことはフィルさんって呼べって」
「『……ありがとう。お願いしていいですか?』」
髭の中で口元が穏やかに微笑み、若者もまた彼の笑顔を嬉しく感じた。
「任せてくれ! あ、俺はギルクーク。ギルクーク・ラットリア。レベル7の【剣士】で3級の冒険者だ」
ギルクークは握手を求めて右手を差し出した。
「『ギルクークさん、こちらこそよろしく。吟遊詩人のフィルです。この国は初めてなので、位階はありません』」
「ギルでいいよ。親しい奴はみんなそう呼ぶ。それにさん付けはなんかこそばゆい」
明るい笑顔に思わずフィルの口元もほころび、気のいい青年と握手を交わした。
「あら、ギルクークさん。そちらの方は?」
通りかかった書類の束を持った女性が話しかけてきた。剣と杖と花の徽章を付けているので冒険者ギルドの職員なのだろう。
「ああ、リリアさん、ちょうど良かった。こちらフィルさん。昨日この街に来たばかりの人だ。フィルさん、彼女はギルド職員のリリアーヌさん。フィルさん、何か用事があったんだろ? リリアさん、フィルさんの対応をお願いできないかい?」
ギルの申し出に、一瞬手持ちの書類の束に意識が向いたリリアであったが、チラッとギルの表情を伺い、頬を染める。
「ん?」
ギルがそれに気づくより早く背を向け、これ見よがしな大きなため息を吐くリリア。
「はいはい、わかりました。ギルクークさんの頼みですから。あーあ、今日も残業かぁ」
「悪かったよ。今度飯でも奢るから、な?」
「しょーがないですねぇ」
頭を掻く気のいい青年と、にしし、と笑うギルド職員の女性。どちらも成人しているがまだ少年少女の殻が取れ切れていない二人の微笑ましい姿に、フィルの表情が優しくなる。
「おうおうおうおう、リリアちゃんよう。俺たちに対する態度とずいぶんちげーんじゃねーか。俺っちにもそーゆー笑顔見せろや。依怙贔屓してるってクレーム出すぞ、ごるぁ」
「まったくです。神聖なギルド内でイチャコラしてんじゃねーよ。爆発させんぞ」
冒険者というより、ゴロツキという呼び名の方が相応しそうな剣と杖を持った二人の中年冒険者が、ギルとリリアに難癖をつけてきた。
「イチャコラだって、私たち別にそんな関係じゃ」
「そうだ。オレなんかと美人のリリアさんとじゃ釣り合う訳ないだろ。そんな誤解、リリアさんに失礼だ」
「あ、私は別に、釣り合いって言うなら、特に優秀でもない私なんかと、若いのにもう3級で、数年以内には1級は確実と言われるギルクークさんとじゃ、私の方が釣り合わないし……」
「そんなことはないよ、リリアさん」
「ギルクークさん……」
「ギル、と呼んでほしい」
「……ギル……さん」
「……【爆発】しろ!」
杖を持ったゴロツキ魔法士が思わず魔法スキルを放つ。
無論、こんな街中で人に向けて攻撃魔法を用いれば罪に問われ、人でも殺そうものなら縛り首か、犯罪奴隷として危険な鉱山で一生を終えることになるだろう。
しかし、血走った目の冒険者は、怒りで我を忘れていた。
既に成長の限界が見え、引退も視野に入れなければならなくなった中年冒険者の前で繰り広げられる未来ある若者たちによる甘酸っぱい光景。その爆発を望むことに何の罪があろう。
もし彼の前に壁があったなら、それを殴るだけで事は済み、平穏な日常がこれからも続いたことだろう。
このゴロツキ魔法士にとって、そしてギルとリリアにとって不幸だったのは、彼の前に壁がなく、そしてまた、彼には【爆発】の魔法を唱える実力があることであった。
至近距離の攻撃魔法にリリアの身体が硬直し、ギルが身を挺して庇うが到底間に合うはずもない。
「リリア充、爆発しろ!」
担当してもらいたいギルド職員ナンバー1のリリアちゃん成分に充足しているギルに対する怒りの爆発魔法が放たれた。
が、ゴロツキ魔法士の杖の先端をフィルの手が覆った。
ぽすっ
気の抜ける音がしただけで、何も起きなかった。
「えっ?」
一番驚いているのは、爆発魔法を唱えたゴロツキ魔法士本人であった。そして次の瞬間、魔法士の顔面にフィルの裏拳がさく裂し、そのままゴロゴロと転がっていくゴロツキ魔法士。
「てめぇ、何しやがる」
もう一人のゴロツキが剣を抜き、フィルを威嚇する。
「吟遊詩人風情が、レベル8の剣士様に盾突くなんざ、命知らずだな、ああ」
既に鑑定を終え、フィルのレベルとスキルを把握しているゴロツキ剣士が余裕の表情を浮かべる。
「『おとーさん、おしごとまだぁ?』」
修羅場の緊張感など気づきもしない幼女が吟遊詩人の裾を引っ張った。そこで初めて幼女の存在に気が付いたゴロツキ剣士が、嫌らしく表情を歪める。
「子連れ冒険者かよ。俺が面倒見といてやるからお仕事行って慰謝料稼いで来いよ、おとう“ちゃーん”」
〝ちゃーん”という自分の発言に自分で受けて大笑いするゴロツキ剣士と、その様子を不思議そうに見つめる幼女ナカ。
その視線に気づいたゴロツキ剣士は幼女の目を合わせ、そして視線を逸らすことができなくなってしまった。
まるで、美しいものから目が離せないかのように。まるで、恐ろしいものから目が離せないかのように……まるで、魅入られたかのように。
そして幼女の桜色の唇が小さく囁いた。
「『まんねんいっきゅう』」
冒険者ギルドの位階はギルドへの貢献度によって決定される。特に大きな功績が無くても、そこそこの実力と時間があれば1級までは上がれる。
しかしそれ以上、初段に上がるためには、何か一つでも飛び抜けたものが必要となる。
それは能力でも、功績でも、名声でも、武勲でも、賄賂でさえも才覚とみなされる。
しかし、そんな“なにか”を持たず、ただ年月だけを重ね、位階が頭打ちになった者は嘲りを含めてこのように呼ばれていた。
【万年一級】
おぞましいほどに美しい幼女の淡々としたその言葉に、ゴロツキ剣士の頭は一瞬で冷たくなり、その視界は怒りで真っ赤に染まった。
「【千本針】!」
目にも止まらぬ速さで突き出される剣の雨が幼女に襲い掛かる。
「危ない!」
ギルド職員のリリアが幼女を庇い、二人の前に剣を抜いたギルが立つ。そして剣の雨の最初の一粒がギル達に襲い掛からんとした瞬間、ゴロツキ剣士の身体が吹き飛んだ。
「えっ?」
宙を舞い、きりもみ回転をしながらゴロツキ剣士は落ちていき、2、3度床でバウンドしてからその身体が止まった。
「いま、なにが」
ギルが呻く。
いや、何が起きたのかは判っている。見えていた。
フィルがメイスを振るい、それがゴロツキ剣士の顔面を直撃し、その身体が宙を舞った。それだけだ。しかし、解ってはいても理解ができない。
フィルが持つメイスは、長さ1mを超える両手持ちメイスで、モールとも呼ばれる武器だ。
それを片手で軽々と扱うフィルの膂力は並ではないが、何より驚かされたのがそのスピードだ。レベル8の剣士の剣術スキルが既には発せられていたのに、それよりも早く振るわれたのだ。
第一、フィルはモールなど持っていなかった。
相手の武装チェックはギルも冒険者の端くれとして怠っていない。あれだけ大きなものなら見逃すはずがない。
では、どこから取り出したのか? 混乱したギルの脳はまともに考えられず、その場で硬直した。
「た、たいへん。だれか、メディーック、ヒーラー」
パニックから先に脱したのはリリアであった。思い出したように癒し手を呼び求めるがすでに手遅れだろう。見るからに重そうなモールが目にも止まらぬ速さで振るわれ顔面に直撃したのだ。脳髄はひしゃげ、顔の原型が残っていればむしろ運が良いという状態だろう。
「『安心したまえ、ヤングレィディ』」
巨大なモールを肩に担いだ、髭面の吟遊詩人は涼し気な笑顔を若いギルド職員に向けた。
「え、どういうことですか?」
「『峰打ちです』」
「メイスの峰ってどこですか!」
思わず叫ぶリリアに、ギルを含め、ギャラリー一同が一斉に頷く。
しかし、ゴロツキ剣士の様子を見に行った者が、はぁ? と素っ頓狂な声を上げる。
「生きてる。っていうか吹っ飛ばされて床に転がったときの傷以外、無傷だ」
「え、なんで? どういうことなんですか?」
妖精にでも化かされたかのようなギルドホールの面々の疑問の視線が髭の男に集まった。皆の注目を一身に集めた吟遊詩人は、芝居がかった仕草でまるで興行を終えた後の舞台挨拶のように礼をしながら笑顔で答えた。
峰打ちです、と。
「話は聞かせてもらった!」
ギルドホールの外扉の前で腕を組み立つ一つの影。その足元では先ほどのゴロツキ魔法士が転がされていた。どうやらこっそり逃げ出そうとしていたようだ。
声の主はウェーブのかかった金髪に赤と金糸のチュニックに白いズボンという男装だが、その声や体形から、それが女性であるとわかる。そしてまるで舞台メイクのように化粧が濃い。
「『ヅカ……いや、ベルばらか?」
「そう、ボクの名はズカベル。この冒険者ギルドのギルドマスターさ。一目で見抜くとは君、やるね!」
自分の前髪をかき上げながら自称ギルドマスターは、もう一方の手でフィルに指を突き付けた。
「君、公国から来たそうじゃないか。そしてそれだけの戦闘力を持ちながらもメインスキルは吟遊詩人。即ち、それはアンダーカバー。加えて先ほどの【手加減】スキル。ズバリ、君の正体はガット公国の聖堂騎士。そうだね!?」
ビシィ、という効果音がしそうなスタイリッシュなポーズでズカベルは、再度フィルに指を突き付けた。
「『いえ、違います』」
「ああ、解っている、解っているとも。身分を隠しているのには理由があるのだろう。安心したまえ。冒険者ギルドは国家間の争いには建前では原則中立。このことはカルケーネン王国には秘密にしておこう。これは、貸しだよ」
魅力的なウィンクをしながら貸しの押し売りをするズカベル。
これだけギャラリーの多い衆人環視の中でペラペラと喋っておきながら、秘密もなにも何もないだろうが、かまわず喋り続ける。
「『ですから、そうではありません。ああ、リリアさん。彼女がギルドマスターというのは、間違いないのかね』」
「きみぃ、僕に失礼だよ」
思わず確認するフィルに抗議するズカベル。
「えっと、残念ながらこの方がうちのギルドのマスターです」
「きみぃ、次の査定を楽しみにしていたまえ」
「ひぃ、嘘です。つい本音が」
周囲の反応からこのズカベルがカルケーネン王国冒険者ギルドのギルドマスターであることは間違いないらしい。
フィルは諦めたように書面を、男装の麗人……のコスプレをしている変人にしか見えない……に手渡した。
「ガット公国の冒険者ギルド、ギルドマスターからの紹介状です。探し物の手掛かりを探しています」
■ ガジェットTIPS
メインスキルと熟練度
スキルは熟練度を上げることでランクを上げ、能力が増し、各種特殊能力が使用可能となる。熟練度は訓練などそのスキルに関連する行動をすることで上昇し、特に死を伴う戦闘によって上昇しやすい。
しかし熟練度は時間と共に低下する。
そのため、多くのスキルを伸ばすより、一つに絞って鍛えるのが一般的である。
メインスキルには一つのスキルを登録することができる。メインスキルに登録されたスキルの熟練度は下がりにくいと言うメリットがあるため、文字通り一つに絞ったスキルをメインに登録するのがセオリーである。
しかしメインスキルは最低ランクの【鑑定】でも読み取れてしまうため、暗殺者など対人戦特化型ビルドの場合には、敢えてフェイクのスキルをメインに登録するといった戦略も有効である。
1時間後に次話投稿いたします。