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【未完】ペドロフ・チイチャイコスキーは改名したい  作者: 弓原
第1話:ペドロフ・チイチャイコスキーとひみつのようじょ
3/30

吟遊詩人 3

 やんちゃな昼の精霊が遊び疲れ、唐突に眠りに落ちるように、黄昏時もそこそこに辺りは一気に夜の精霊の闇に包まれていった。

 ナカだけではなく、小悪魔妖精や大トカゲまで洗身場に連れ込み、水を魔術でぬるま湯程度に温め体を洗ってやるフィル。

 旅の汚れの染みついた旅装の洗濯は後回しにして、さっぱりとした服に着替えて、髭の男と三匹の“ペット”は宿に併設された酒場に姿を現した。


 マリアーヌが店主を務める宿の名は“夜明け鳥の止まり木亭”といい、一階が厨房と酒場、二階と三階が宿になっている。

 夜明けとともに動き出す冒険者達を主な客層としていることから名づけられた名であり、長逗留して、ほぼ居住状態になっている冒険者も多い。

 女将のマリアーヌは若い女中や料理人のケツを蹴とばすようにして働かせ、冒険者で賑わう店を切り盛りしていた。


「『なっかちゃんはね、なっかちゃんてゆーんだ、なっかちゃんだよ』」


 調子っぱずれの歌を歌いながら酒場にやってきた幼女に、周囲の客がざわめく。中には、血走った目を向ける者も少なくなく、何人かがステータスボードを広げようとするが、流石に【鑑定】や【撮影】などの盗撮行為は近くの者に止められていた。


 そんな注目に気づくことなく、少し濡れた細い髪をぺったりと頭に張り付かせた金色の幼女はご機嫌でどんどん歩を進め、気が付いた時にはとっくに席に着いたフィル(おとーさん)を見失って泣きそうな表情をする。


 と、首輪に繋がった紐が軽く引かれ、泣きそうな顔でそっちに向けて、タタタッ、と走り出す。


「『おとーさん、みつけた。おとーさん、まいご』」


「『迷子はお前だ。一人で勝手に行くなと何度言わせれば……と、言っても無駄だな』」


「無駄なんかじゃないさ。子供はそうやって色々憶えていくもんさ」


 娘を女手一つで育て上げたマリアーヌが、子育ての先輩としてアドバイスする。


「『いや、そういう一般論ではないのです。比喩でもなんでもなく、こいつは“むのう”ですから、“芸”を覚え込ませるのは無駄なのです』」


 フィルのその露悪的すぎる言い方にマリアーヌも鼻白(はなじろ)む。だが、かといって幼子の世話をしていないかと言えばそんなことはなく、寧ろそこいらの親よりよっぽど丁寧に子供の世話をしていた。


 マリアーヌのお勧めから幾つか選び、待つ間、幼女と妖精はあたりをチョロチョロしはじめ、たまに他のお客さんの料理をじっと見つめ、餌付けされていた。


「『こら! お行儀の悪い。それに他所のお客さんに迷惑だからやめなさい』」


 二人の奴隷?の首根っこを掴み、他のお客さんに頭を下げるフィル。

 首輪をつけた幼女奴隷を連れている割に、妙に所帯じみた叱り方に、距離感を図りかねた冒険者たちの間に、あいまいな笑いの波が広がる。


 やがてフィル達のテーブルにも料理が運ばれてきて、エールと共にそれを味わい、ナカと小悪魔妖精は同じ皿から競い合いように食べ、床に置かれた別皿を亀顔の大トカゲがゆっくりと食べていた。

 そうして腹もくち、店全体の酔いが回り始めたころ、マリアーヌに“お願い”したことの為にフィルは立ち上がった。


      *     *     *


 一仕事を終えた冒険者が定宿に戻ると、店はいつもと様子が異なっていた。

 冒険者などのならず者が多い店は、いつだって騒々しいが、その日の騒々しさは、いつもとはまた別種の騒々しさであった。


「らっしゃーい」


 女中が両手に持ったエールを運びながら新しい客に声をかける。随分と忙しそうである。そして店内で鳴り響く盛んな手拍子。

 見るまでもなくその中心は、人波の向こうによく見えた。

 テーブルの上に立ち、軽快な足さばきで踊りながらリュートでにぎやかな曲を弾く髭の男の姿が目に飛び込んできた。


 ジャーン


 賑やかな曲が一段落したとこで、ひときわ高くリュートをかき鳴らし、酔っ払いたちの注目を集めた吟遊詩人フィルが、今度は一転、静かな曲を奏でだした。

 やがて人の心に沁み込むような旋律に豊かなバリトンが合わさる。


 それはフィルが喋っていた言葉とも違う、まったく異国の言葉。そのせいか、歌詞の意味は理解できず、まるで異世界の言葉のように聞こえた。

 だが、意味は解らずとも、失われたものを悼むような男の声に、初めは先ほどまでの騒々しさを引きずっていた酔っ払いたちも、一人、また一人と席に着き、歌に耳を傾け、静かに盃をなめ、自分達が過去に失ったものを思い出し、静かに涙を流した。


 そして歌い終わったフィルは、静かにリュートによる演奏を続け、店内の誰もがその余韻に浸り、カチャカチャという食器が立てる音とリュートの調べだけが店を包み込んだ。

 だがその静かな調べはやがて、少しづつ曲のテンポを上げていき、それに沿って、酔っ払いたちの声も少しづつ大きくなっていった。


 そして一際リュートの調べが大きくなったところで、フィルが、


「Hey!」


 と掛け声をかけると、Hey、Hey、という合いの手と手拍子が始まり、“夜明け鳥の止まり木亭”は大音声に包まれ、再びテンションの上がった酔っ払いたちの注文が飛び交った。


 幼女と小悪魔妖精のダンスに歓声が上がり、厳つい冒険者と腕を組んで踊るフィルに大笑いする冒険者たち。女中たちはてんてこ舞いで働きながらも楽しそうであり、過去に例のない大繁盛にマリアーナがフィルの頬にキスをすると周囲の女冒険者たちから抗議の声が上がり、次々のフィルに抱き着いていった。


 こうして、吟遊詩人フィルのカルケーネン王国での最初の夜は過ぎていった。


      *     *     *


「ん、ん~ん」


 窓から入る朝の光に“夜明け鳥の止まり木亭”の主、マリアーヌは布団の中で大きく伸びをする。

 仕事に出る冒険者たちはもう既に起き出しているだろうが、お代は既にもらっているので、そのまま勝手に出発すればいい。鍵の回収のために早番を置いているので店主の自分がやることはない。


 “夜明け鳥の止まり木亭”に朝食はない。この辺の地元の者は、昨晩の残りで適当に済ますことが多いが、宿泊客や独り者は朝市周辺に出る屋台で済ませるのが一般的だ。

 だから、マリアーヌに早朝の仕事はない。いや、本当は朝から市場に行って今晩のための買い出しをしなければならない。何せ昨晩は盛り上がって注文が相次ぎ、厨房を空っぽにする勢いだったのだから。


 だが、マリアーヌは布団の中から動けずにいた。


「年甲斐もなく、ヤってしまった」


 自責の念から両手で顔を覆う。


「あああ」


 腰のあたりが少し重いが不快な感じではない。むしろ久しぶりのアレのおかげか、身体が妙に軽く感じる。

 だが、成人を迎えた娘もいる、いい歳した自分が、行きずりの吟遊詩人と一夜を共にしてしまった事実に、マリアーヌは、何とも言えない恥ずかしさを覚え、ずるずると布団から出られずにいた。

 今のマリアーヌは一人だ。目覚めたときには相手の男はとっくに姿を消していた。

 それに少し不満を感じるが、居たら居たで、狼狽えていたことだろう。

 だから、ノックをされたときには、飛び上がるほど驚き、だ、だれ? とひっくり返った声を上げていた。


「『私だ、フィルだ。入ってもいいかね?』」


 一夜を共にしながらも、こういう気遣いができる点に、普段マリアーヌが相手にしていた粗野な冒険者たちとの違いを感じ、ちょっと心がキュンとする。

 昨晩も博識且つ知的な様子にコロッといってしまったのだ。


「ど、どうぞ」


 言ってから自分が布団の中で何も着ていないことを思い出し、狼狽えるが、時すでに遅し、であった。


「『失礼する』」


 両手にお盆を持った不安定な状態ながら、器用に扉を開けて髭の男が入ってきた。マリアーヌは布団をたくし上げて胸を隠すが、男は気にした様子もなく自然に応対している。


「『朝食を作ったんだ。一緒にどうだい?』」


「なにそれ!」


 想いもよらぬ言葉に思わず叫びをあげる。


「『事後承諾ですまないが食器と調理器具、それに調味料とメガイモを少し使わせてもらった』」


「別にそのくらいいいけど」


 と、布団を胸元に巻いて半身を起こしたマリアーヌの膝の上にお盆が置かれる。同じものがフィルの手にもう一つあり、ベッドの脇の小椅子に腰かけ、やはり膝の上に置いた。


 若いころは友人と、最近はもっぱら女中たちと男女の仲にまつわる話はよくしたが、女のために朝食を作る男なんて聞いたことがない。それこそ吟遊詩人の語るお伽噺に出てくるようなエピソードであり、自分がその当事者になる状況に、マリアーヌは笑ってしまいそうになる。


「『サラダとオムレツだけの簡単なものだけど』」


「食べていい?」


「『どうぞ』」


 ……しかも美味しいし


 朝市で買ってきたらしい新鮮な野菜のサラダはメガイモ油の香ばしさが際立つドレッシングが掛けられ、酸味と塩味が朝の胃をやさしく刺激し、食欲を増大させる。

 一方のオムレツには、黄色い生地の上をマトマという野菜の赤いソースが飾っている。味見してみると少し甘めの味付けだ。

 ケチャップをイメージして調味してみたんだ、とのことだが、“ケチャップ”とは異国の料理の名前だろうか?


 そしてオムレツの中にはメガイモが入っていた。しかも下味が付けられているのでソースなしでも美味しいし、満腹感も得られる。

 その上、卵の中に伸びるものがあり、マリアーヌを更に驚かせた。


「これって、チーズ? こんな高級品、どうやって」


「『ああ、それは私のものです』」


 果物を絞った飲み物まであり、マリアーヌはフィルの作った食事を堪能した。


「こうして誰かに料理を作ってもらうなんて、いつ以来だろう?」


 娘が家を出て一人暮らしを始めて以来、店の料理とは違う、こういうプライベートな食事は随分と久しぶりな気がした。


「『お気に召したようで何よりです』」


 髭と髪に隠れたトパーズの瞳が優しい色を浮かべる。


「『少し出てきます。もう一泊しますので部屋はそのままでお願いします。宿代はここに置いていきますね』」


 食べ終えた食器をテキパキと片付けたフィルが、マリアーヌから要求するまでもなく支払いの話を出し、王国銀貨をテーブルに置いて出ていった。昨日の〝興行”の成果だ。


「お金のこともちゃんとしてるし、誠実、なのかな」


 自分の周囲にあまりいなかったタイプの男のことを想い、はぁ、と艶っぽいため息が漏れた。

 結局、女中たちから声を掛けられるまで、ベッドから出られずにいたマリアーヌであった。




■ガジェットTIPS

ステータスボード

 アーカーシャに接続し、アカシックレコードに記述された自分のステータス(能力やスキルなど)を閲覧できる板状の画面のこと。

 一度でもアーカーシャに接続すれば、いつでも自由に自分のステータスボードを閲覧することができる。

 ステータスボードの取得方法は多岐に渡るが、もっとも一般的なのが精霊の祠への祈りや洗礼などの宗教的な儀式によるものである。

 特に何らかの組織……宗教組織や国家、騎士団、各種ギルドなどの通過儀礼とされることが多く、取得には様々な制限が課されることが多い反面、特殊スキルが取得出来たり、特定の職業スキルに就くことができるなどの利点がある。

 そう言った組織に付随したステータスボードの中で例外的に取得条件が緩いのが冒険者ギルドカードである。

 冒険者ギルドカードには【鑑定】ランク1がオマケで付いているという利便性から、冒険をしない一般人も取得することが多い。その入会金、月会費は冒険者ギルドの大事な収入源にもなっている。


 1時間後に次話投稿いたします。

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