物語の終わりと…… 1
■ 物語の終わりと…… ■
気が付くと“姐さん”の顔が見えた。
意識がはっきりしないし、記憶も混沌としている。
ガッタスさん達と“冒険”に出て、そこで冒険のカラクリを聞かされ、更に襲われて……どうなったんだっけ?
“わたし”、冒険者のハティリアは、冒険者ギルド職員の“姐さん”からガッタスのパーティが全滅し、自分だけが救助された経緯を聞かされた。
「姐さん、わたしを助けた人ってどんな人?」
「あ、憶えていないのね。あんの屑ども……あ、こっちの話。大丈夫。大丈夫だから。旅人さんも証言してくれたしアカシックレコードにもキチンと記録されたから。でも憶えていないらその方がいいわ。ブラックドックにでも噛まれたと思って忘れた方がいいよ」
自分で言ったセリフにカラカラと姐さんが笑っているが、“わたし”は中で誰かが叫んでいる。
「わすれる、わすれる? わすれた方がいい?」
「……ハティ?」
「おじさんの……助けてくれた人の名前、教えて」
「フィルさんよ」
その名を聞いた途端、少女の瞳は見開かれた。
…………………………………………
ハティリアが目覚めるとテントの中だった。時刻はもう昼で、テント越しに荒野の熱が伝わってくる。
枕元には自身の装備……ショートソードや皮鎧やブーツが置かれていた。フィルに促されて着替えるが、フィルが作ってくれたヒートリザードの日除けやブーツを脱ぐのが、なんとなく惜しく感じられ、畳んでサックにしまった。
あの後どうなったのか尋ねると、全員死んだ、とフィルは短く答えた。
そして夜になってから一行は出発し、二日ほど北上すると遠くに街の灯が見えてきた。
「あと半日、と言ったところか」
フィルの言葉にハティリアはぐっと歯を食いしばる。フィル達とハティリアの旅もここまでだ。街に着けばこの関係も終わり、フィル達は旅を続け、ハティリアは街に残る。
「おじさん、わたし……」
連れて行って。そう言いたい気持ちをぐっと我慢する。ハティリアの持つ称号【不幸体質】は必ず同行者に迷惑をかける。
「も、もうすぐお別れだね」
「ああ、そうだな」
ハティリアの決死の言葉にもフィルはそっけない。わざとそうしているのかと思うぐらいにべもない。
「はてねちゃん。ばいばい?」
「ナカちゃん。そうね、もうすぐお別れね」
「ふーん」
「え、そんだけ?」
「そいつに人並みの反応を求めるな」
「ええぇ」
しょんぼりするハティリアと、そのオーバーアクションにケラケラと笑う幼女と小悪魔妖精。そんな二人を静かに見つめる亀頭のトカゲと髭の男。
「……おじさん、わたしの【称号】って幸せだと影響が小さくなるの?」
「ああ、おそらく」
「おじさん、わたしいま、幸せ。おじさんと、ナカちゃん達と一緒にこうして笑ってるのが嬉しいんだ。こんな気持ち、初めてかも」
「……なによりだ」
「……あのね」
一瞬口ごもるが、背中をパン、と叩かれた。振り合えると小悪魔妖精が親指を立てている。
その決まり過ぎなポーズに思わず笑い、サムズアップを返してからフィルに向き直る。
「わたし、おじさんたちの旅に連れて行ってほしい。本気でそう思うの。でも、だめ。そうしたら、わたしの称号の“呪い”でおじさん達に迷惑かける。だからできないの。だから、ね」
言いながら少女は服をはだける。
「わたしをおじさんの“もの”にして。わたしの“はじめて”は、おじさんがいいの」
「バカなことを言ってはいけない」
「アイツらにいいようにされたわたしは汚い?」
「バカなことを言うな!」
大人の男の本気の怒声に、思わず少女は首をすくめる。
「……すまない、声を荒げて」
大きく深呼吸して気を落ち着けたフィルが座り直し、ハティリアと目を合わせる。
「私にはいくつかの称号がある。そのうちの一つに【ちいちゃいこすき】というものがある」
遭難者と救護者、保護者と被保護者、指導するものとされるもの、大人と子供。そんな一方的なものではなく、フィルは初めてハティリアと対等に向き合った。
「私には、君のような“ちいちゃいこ”……子供に好意を抱く衝動が常に働いている。同時に子供もまた私に好意を抱く」
「じゃあ、相思相愛」
「だが、子供だ!」
ハティリアの喜色を、フィルの怒声がバッサリと絶つ。
「それは称号に制御された気持ちだ。たとえ世界が私を小児性愛者とレッテルを貼っても、私はそれを断固拒否する。それは私の残されたたった一つの意地だ。だからハティリア」
フィルはハティリアの頭をなでる。大人が子供にするように。
一瞬ハティリアの身体が震えるが、すぐにそれも収まり、撫でられるがままにしていた。
「君の今の気持ちは気の迷いだ。命の危機に際し助けてくれた相手に保護を求める本能と称号の影響を受けて、君の心が手懐けられているだけだ」
--判ってない。おじさんはわたしの気持ちを全然わかってない
頭を撫でられる気持ちよさと、心の中のざわめきとがない交ぜになって、自分でも気持ちが判らなくなる。
「大丈夫。責任は取る」
--どういうこと?
フィルはハティリアの頭をなでながら、小声で何事かつぶやいている。
「おじさん?」
「実は私には他にも称号を持っていてね。これは称号の力に志向性を与え、恣意的に使う技術……魔術だよ。大丈夫、大丈夫だから」
「いや!」
フィルの手を振り払おうとしたが、間に合わなかった。
「【忘却】」
小声の呪文を唱え終えた男の最後の言葉が、ハティリアの耳に響く。
「えっ? あ、あ、ああ!」
ハティリアの中から、髭の男と過ごした10日余りの記憶が、さらさらと砂の城のように崩れ去っていった。
「おじさん、おじさん。やだ、やだ、おじさん、いっちゃやだ! 忘れたくない。消さないで!」
「大丈夫、大丈夫だから」
「ぜんぜん大丈夫じゃない」
そうしている間にもどんどんとハティリアから記憶が失われていった。
「おじさん、おじさん……! 名前! 真名を教えて。全部なくなっても、消えても、今だけ、今だけでいいの、お願い、教えて!」
男との短くも幸せを感じた日々が次々消えていくなか、少女は必死に懇願した。
「……わかった。我が真名はペドロフ・チイチャイコスキー。呪いの称号【ちいちゃいこすき】に抗うものだ」
「ペドロフ、フィル、おじさん。あの鑑定の……チイチャイコスキー様。ペドおじさん。ペド……フィルさ、ま……」
「その呼び方は断固拒否する」
その憮然とした子供っぽい言い方にハティリアはクスリと笑った。自分でもなぜそれが可笑しかったのか、もう思い出せもしない。
「うん、もう真名では呼ばない。わたしの……フィル、おじさん」
崩れ落ちた少女を抱きとめ静かに横たえた男は、深く息を吐いた。
少女の手には固く、ヒートリザードの皮で作られたローブと靴が握られていた。大事な記憶を決して手放すまいとするかのように……
「おやすみ、ハティリア。お別れだ」
男は少女に静かに告げた。それは優しいとすら思える声音であったが、同時に突き放すような別れの言葉であった。
もし少女がそれを聞いたならばどれほどの絶望を感じていたことだろう。
当人が忘れてしまった不幸は、不幸ではないのだろうか?
当人が知らない不幸は、不幸ではないのだろうか?
それにはきっと、立場や多くの答えがあるのだろう。
だが、不幸が“あった”という“事実”だけは確かであった。
【判定にプラス補正が付きます】
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「フィルおじさん!」
その瞬間、少女は【忘却】に打ち勝ち、全てを思い出した。