道理と動機 3
「じゃあ、もしかして、妖精どもの悪戯に巻き込まれて、俺達が死にそうになってたのも、そのコイツのせいか?」
若い冒険者の呟きが、妙に大きく響いた。
冒険者たちはゆっくりと武器に手を伸ばしていくが、髭の男はまだ動く様子はない。
「……旦那。妖精の悪戯から救ってくれたことは感謝している。だからあんたは殺したくねぇ。だから、これからのことも見逃してくれや」
ガッタスが魔法の杖にゆっくりと手を掛けながら、髭の男と少女を油断なく見つめる。
「……そこまでする必要があるのかね? 大体さっきの称号のことも、私の法螺話かもしれないぞ。何分、吟遊詩人なモノでね」
「言われてみると、思い当たることが色々あるんだよ。それが全部、こいつの称号ってやつのせいなら、死ななくていい奴までたくさん死んだことになる」
本当の意味で仲間に裏切られるという不幸に直面したリディアは、零れそうになる涙を我慢し、やせ我慢の笑顔で冒険者たちを睨み付けた。
「すべてが全て、称号のせいではないだろう。例えそうでも、それは彼女の責任じゃない」
「責任とか、どうでもいいんですよ。世界がそう決めたんなら、そうなんでしょ? それに逆らったって意味がない。ただ危ないものは排除する。魔獣討伐と一緒ですよ」
「なるほど、よく判った。君の意見は理解したし、たった一つを除いて気持ちも判る。自分と自分が大事だと思う者が生き残るため、必要ならば他者を殺す。自然の営みだね。そこに善悪は存在しない」
「判ってくれますかい」
「ああ、判った。だから君も判ってくれるよね、ガッタス君」
言いざまフィルの腕が振るわれる。一瞬前まで持っていなかった両手持ちメイス……モールの一撃を、ガッタスは危うく避ける。
「残念。初太刀で決めたかったのだが、上手くいかないね」
モールを軽々と片手で扱い、肩に担ぐフィルと、臨戦態勢でそれを囲む冒険者たち。周囲では妖精たちがやんややんやと囃し立てている。
「たった二人で俺達に敵うつもりか。随分と舐められたものだ」
魔法の杖を向けるガッタスとそれを守るように立つ他の冒険者。ハティリアもショートソードを両手で構え、冒険者たちを威嚇している。
「ナカ、食え」
「ん~、ナカちゃんもうおねかいっぱーい」
フィルの言葉に幼女はあふぅ、と可愛らしくあくびをして、亀顔のトカゲに身体を預けてウトウトしだす。
「仕方がないですね」
フィルは虚空から取り出した薬を飲み干す。何かの魔法薬かと思ったが、見た目に変化はない。そしてその隙を見逃すほど冒険者たちも甘くはなかった。
「死ねや、こら!」
若い冒険者の剣がフィルに迫る。
「おじさん、あぶない!」
ハティリアが飛び出すが、別の冒険者に殴られ倒れる。当たり所が悪かったのかそのまま気を失う。
フィルはハティリアを庇うように立ち、自分を盾にしながら魔術を紡ぐ。
「終わりだ、おっさん!」
「解放」
フィルが一言唱えると、ぐらん、とガッタス達の視界が反転した。
何が起きたのか理解できないまま、天井を見つめることしかできないガッタス。指一本動かせなず、だが痛みも無い。酔いで火照った身体はやがて、耐えがたいほどの冷たさに変わって全身に広がっていく。
麻痺……毒か?
「『精霊! 力を貸せ! 解毒しろ!』」
呂律の回らない口で、辛うじてエーテルを震わす精霊語を紡ぎ出したガッタス。その身体を精霊が包み込み、体内の毒が取り除かれていく。
「げはっ、ごほ」
ガッタスが苦しそうに分離された毒を吐き出す。
「精霊使でしたか」
「……なにをしやがった」
周囲では仲間たちが麻痺毒で身動きが取れずにいた。精霊を使って解毒することもできるが、目の前の髭の男から注意を逸らすわけにはいかず、ガッタスは油断なく睨み付ける。
「土産として持ってきた食料には予め麻痺の魔術を仕込んでいたんですよ。本来ならそれで済むはずだったのですが、これは彼女の乱入で無駄になってしまった。なので窮余の策として麻痺毒を仕込んだ酒を飲んで見せたわけだ。麻痺の効果は魔術で停止してね。さっき私が飲んだのは麻痺毒の中和剤ですね」
「……随分の余裕の態度じゃねぇか。俺一人になら勝てるとでも思ってんのか。さっきの立ち回りで判るが、お前、戦闘は素人だろ」
「あ、ばれました? ええ、切った張ったは苦手です。ゆっくり時間をかけて狙える狙撃か、後は歌と踊りとこの口ぐらいですね」
「じゃあ、死んどけや」
ガッタスの杖の先に水の矢が生まれ、フィルに襲い掛かる。
パン!
フィルが柏手を打つと、水の矢が蒸発した。
「ん、だぁ」
「『我、ペドロフ・チイチャイコスキーの名において精霊に乞い願う』」
「てめえも精霊使か! 『精霊! 奴の力を押さえろ』。その隙に俺が」
精霊に命令しながらもう一度、水の魔法を唱えるが、その魔法もかき消された。それだけでなく、髭の男の周囲に炎の精霊が何体も現れる。
「『俺に力を貸せ!』」
「『精霊の皆様。私に御力をお貸しください』」
「『こっちの言うこと聞け、クソが!』」
「『伏してお願い申し上げる』」
長年、ガッタスと契約し、共にあった水の精霊さえも離れていく様に、ガッタスは目を剥く。
「『てめぇ、どういうつもりだ。誓いを破るのか。ああぁ!』」
恫喝するようなガッタスの胴間声に水の精霊が怯えるが、周囲の炎の精霊たちが間に入って水の精霊を隠す。水と火。精霊的には対立関係にあるはずだが、こういう時は一致団結するようだ。
「ちくしょう、どんな汚い手を使った。俺の精霊を奪いやがって」
「……それが解らないから精霊に見限られたんですよ。『先生、お願いします』」
フィルの“頼み”に精霊たちは応え、ガッタスを炎の輪で拘束していく。暴れると皮膚が焼かれるため、すぐに大人しくなった。
「へっ。で、これからどうするつもりだ。街に戻れば結局、そいつの称号の件は知れ渡る。俺達がやらなくなって、どっちにしろそいつの先は決まってるんだ」
ガッタスが悪態をつくが、幸いハティリアは気を失っている。
「冒険者ギルドを騙して報酬を詐取するような人の言うことをどれだけの人が聞いてくれますかね?」
「少なくとも、余所者よりもは多いだろうよ」
「なるほど。ただ一つ、貴方は思い違いをしています」
「……どういう意味だ?」
フィルが手に持っていたナイフを無造作に振り下ろし、麻痺している若い冒険者の命を絶った。
「な、は?」
「ガッタスさん。貴方の主張は、貴方方が生きて街に帰れることが前提ですよね? どうしてそんな甘い想定ができるのか、私は甚だ理解に苦しみますね」
言いながら年配の冒険者の命を無造作に断つフィル。
「な、待て。杖を向けたことは謝る。そいつ、ハティリアにも手は出さない。誓う。待ってくれ」
ガッタスが懇願するが、構わずフィルはナイフを振り下ろし、更に一つの命を刈り取る。
「ふっざけんな。この人殺し! 快楽殺人鬼かてめぇ。なんで俺たちが殺されなきゃならねぇんだ」
「なんで? それが解らないからですよ」
フィルの手により更に消える命。
拘束が燃え上がり、火傷するのも構わずガッタスが暴れるが、拘束は解けない。
「なんだってんだよ!」
最後の一人となったガッタスにナイフを持ったフィルが向き直る。
「貴方は、貴方方は、子供を傷つけた」
「はあ? そんなことで」
「“そんなこと”?」
「うわ、まて。待ってくれ。仕方ないじゃないか。妖精に一服盛られたんだ。俺のせいじゃない。そう、妖精のせいだ。だろ? だろ?」
「……なるほど、一理ありますね?」
「だろ? だろ?」
「つまり、子供が傷ついたのは貴方の責任ではない。妖精のせいだ。そういうことですね?」
「そうだ、その通りだ」
「“責任とか、どうでもいいんですよ”」
先ほどガッタス自身が言い放った言葉が、そのままの声音で返される。
「どうして、とか、なぜ、とかどうでもいいんですよ。媚薬の効果であれ、魔法による魅了であれ、称号による衝動であれ、他人から強要されたのであれ、貴方自身の意志であれ、貴方が彼女を傷つけたことに変わりはない。“ただ危ないものは排除する。魔獣討伐と一緒ですよ”。貴方の言うとおりね」
ガッタス自身の言葉を、口調や声音を似せて返すフィル。その言葉には確かな怒りがあった。
「まて、ほんと、そんなつもりじゃないんだ。俺のせいじゃない。妖精のせいだ、そいつの称号のせいだ、不幸を呼び、不幸を喜ぶそいつ自身のせいだ。そうさ、喜んでたんだ。そいつは俺に組み敷かれながら嗤ってやがった。合意があったんだ。だから、だから」
「合意? 子供相手にクソみたいな言い訳すんな。お前の道理も動機も経緯も、俺にはどうだっていい。大事なのはお前が何をしたかだけだ」
ガッタスが最期に見たのは、振り下ろされたナイフに映る子供の姿であった。
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