冒険少女 2
温かい感触と冷たい感触を同時に感じて、わずかに意識が覚醒した。
「い、き、てる?」
疑問を感じる余裕もなく、乾いた口に無理やり流し込まれる水を無心に飲み干す少女。甘くすら感じる水を思う存分むさぼり、ほっと息を吐くと少女の意識は再び遠のいていった。
次に意識が覚醒したのも、口に水が流し込まれた時であった。思う存分水を味わった後、温かい感触と共に、別のものが口に押し込まれた。
ほんのり温かいそれは、噛む必要もないほど柔らかい粥であった。喉の奥に押し込まれたそれは、体力の落ちた少女でも苦も無くのみ込むことができるほど柔らかった。
胃に食べ物が入ったことで、少女の身体も生きていることを思い出したように空腹を訴え、もっと食べたいという欲求が沸き上がった。
少女はその要求に応え、餌をねだる小鳥のように軽く口を開いた。
すると、その口を再び温かい感触が覆い、喉の奥に粥が押し込まれ、それを嚥下する。そして糸が切れたようにぷっつりと意識を失う。
そんなことがそれが何度か繰り返されるうち、水と栄養と休息を得た少女の生存本能は落ち着きを取り戻し、ようやく生存欲求という野生から、理性が肉体の支配を取り戻し、少女の意識は覚醒していった。
少女に今の状況に疑問を持つ余裕が生まれ、好奇心が瞼を開くことを命ずる。
すると、ぼんやりと霞んだ視界の向こうに、思いのほか近くにある男の瞳に気が付いた。
「きれい……」
少女はぼんやりと男の瞳を見つめ返したながら、乾いた口で呟いた。相手の男も少女が目を覚ましたことに気づきすっと身を引く。
あんなことがあったというのに、少女は男の瞳が離れたことを残念に感じてしまう。
「『食べられそうか?』」
抑えた感じの男の問いに、ぼんやりしながらも小さく頷く。身体はまだまだ水と栄養を欲しているが、極限状態を脱したことで普通に食欲を感じるようになっていた。
男は少女の背中に自然な感じで手を入れ、起き上がるのを補助してくれた。触れられた途端、痛みが全身を駆け抜けたが、我慢できないほどではなかった。むしろその痛みこそ生きていると少女に実感させ、思わず笑みが浮かぶ。
辺りは暗く夜のようだった。大きな岩を利用してテントが張られ、焚火の近くには小さな鍋が置かれている。
木でできた器に、鍋から粥をよそって渡してくれた。ほんのり温かく火傷する危険のない優しい温かさに、男の気遣いを感じる。
少女は粥を手ですくい食べ始めた。指に砂がついていたが気にしている余裕はない。
わずかな塩味だけの粥は、優しく少女の胃を満たし、食事という行為が身体に熱を与え、生きる活力を取り戻していく。
無心に3杯食べたところで、ようやく落ち着いた少女は、流石に食べ過ぎたかと恥ずかしそうに男に器を返した。
「『もういいのか?』」
「はい、助かったよ、あ、その、です。ありがとう、です。うまかった。じゃなくて、えっと、ごちそうさま、です」
冒険者たちに囲まれて育った少女は、丁寧な言葉遣いに慣れていない。うまいことが言えず、耳がぺたんとお辞儀し、尻尾も力なく垂れさがる。
「『どういたしまして』」
しかし男の柔らかい返答にほっとし、尻尾が大きく振れる。
顎髭と口髭に覆われてまるで熊のような男の顔立ちはよく判らないが、知っている冒険者のおじさんたちとは違う、慈しむような黄色っぽい瞳は、焚火の光に揺れて、まるで金の光を放っているかのようであった。それがとても綺麗で、男の瞳を思わずじっと見つめる。
「『早速で悪いが一つ尋ねたい。ここから近隣の町村までどのくらいかかる』」
見つめてくる少女の瞳から逃れるように視線をそらしながら男が問うてくる。その時初めて気が付いたが男の言葉は少女が使うそれと異なり、聞いたことのない言語であった。
「外国語? 外国人?」
そんな疑問が生じる。直感としてそれが正解だろうと感じるが、その意味が理解できないでいた。
ここから一番近いのは少女が住むダザムの街であり、そこに訪れる者は皆同じ言葉を話している。しかしこの男はダザムの街を知らない。つまり街を通らずにこの死の荒野を旅しているということだ。
ではいったい、どこからやってきたというのだ?
「もしかして、死の荒野の向こうからきた、とか?」
一瞬そう考えるが、そんなことはあるわけがない、と考え直す。
大体、荒野の向こう、なんてお伽噺か伝説の類だ。
「でも、もしそうなら……」
もし本当に荒野を越えてきたのなら、それは本当の冒険、それも伝説に謳われるような大冒険だ。そう考えると、言葉が違うことも、むしろ自然なことと思えてきた。
「ねえ、もしかして……ひゃあ!」
あれこれ考えこんでいた少女の背中に、何かが張り付き、少女は思わず悲鳴を上げた。日焼けによる痛みもあるが、それよりもくすぐったくて悲鳴を上げてしまったのだ。
「『こら。ステイ! ゴーホーム!』」
男の叱る声など聞こえぬげに少女の背中で誰かがもぞもぞと動く。その度に背中の日焼けが痛みを訴える。
「こら!」
再度男が叱りつつ立ち上がり、少女の背中に居た誰かを抱き上げ、元の位置に戻った。
「『火傷の痛みは平気か? うちのがすまんな』」
男の言葉に、何故か少女の胸の奥がキュウっと痛みを訴える。
元の場所に戻った男は、まるで猫のように摘まみ上げた子を膝の上に置いて座りなおす。
少女は男の膝の上の存在に目を奪われ、息を呑んだ。
「きれい……」
男の膝の上に座らされたソレもまた、少女を見つめ返してきた。
ソレは美しい、という言葉すら不十分であり、カワイイ、という言葉すら本質を見誤せる。
少女はソレから目を離すことができず、ソレもまた少女を見つめ返してきた。
男の膝の上に座らされたのは、まだ幼い女の子……幼女であった。
しかし、その幼女は目が離せないほど美しく、可愛く、蠱惑的ですらあった。
じっと見つめてくる金色の瞳は、希少な宝石のようであり、柔らかそうな髪は金糸のごとくキラキラと光を反射していた。
頑丈そうだが野暮ったい旅装を身にまとっているが、それすらも美しすぎる幼女の魅力を引き立てる小道具にすら思えた。
その可愛らしさは、この世の何物にも変えがたい絶対の正義にも感じられ、少女の心にむくむくと庇護欲が沸き上がり、彼女を守るためなら自分の命など惜しくないとすら思えた。
「『ふこーたいしつ』」
ゴツン!
幼女が意味不明なことをいい、その意味を少女が理解するより早く、硬い拳骨が幼女の頭に落ちて、幼女と少女の視線が外れた。
「『おとーさん、いたい』」
「『痛くしたんだから当然だ』」
幼女の抗議に男は拳骨に、はぁっ、と息を吐きかける。すると幼女は慌てて頭を手で庇い、男の拳もまた二発目が落ちることもなかった。
そんな二人……親子? のやり取りに、ほほえましい気持ちと、鈍い痛みが同時に少女の胸に広がっていく。
「『それで、近くに町はあるのか?』」
再度の男の問いに、少女は我に返った。
その時には先ほどの幼女に対する不思議な欲求は消えてしまい、思い出すことすらできなくなっていた。
「えっと、街ですよね? ここから三日ぐらい北に行けばダザムの街があります」
「『三日、か』」
そう言って男は思案しはじめた。
ここから、まっすぐ北に行けば。そう考えた途端、少女はあることに気が付き、体を震わせた。
ここから北上すれば、“彼ら”と遭遇する可能性が高い。
その時、彼らは自分を見逃さないだろう。そして彼らはこの親子をどうするだろうか? 見逃す? ……あり得ない。自分たちに都合の悪いことを知る身元も知れない外国人の命など、死の荒野で狩るヒートリザードの命より、どうでもいいことだろう。。
そこまで考えると、自分を助けてくれた男のことや、助かった自分の命や、あの夜の恐怖と不快感など、様々な思いが少女の中で渦巻き、ガタガタと体が震え出した。
その姿を男はじっと見つめる。
「『……無理に事情を聴く必要はないと思っていたがそうもいかないようだね。君にとっては辛いことかもしれないけど事情を聞かせてくれ……君はどうして行き倒れる羽目になったのだい?』」
彼女の着ていた薄い服では、三日どころか半日も荒野では居られないし、靴すら履いていなかったのだ。
しかし一番近い街まで三日かかるのならば、この近くまで少女は何らかの手段で来ていたはずだ。
そしてそこで、荒野を渡るに必要なものを失い行き倒れたのだ。
しかし魔獣に襲われたような目立った怪我はない。となれば考えられるのは……
「『仲間に裏切られたか?』」
男の言葉に少女の身体は激しく震えた。