エピローグ
■ エピローグ ■
フィルは焚火の周りに精霊石を配し、魔術による結界を張る。これで野生動物や普通の魔獣に気づかれることはなくなり、安全に夜を過ごすことができる。
亀のような顔の大トカゲ、左脳のヒダリコが大あくびをし、それにもたれ掛かる小悪魔妖精、右脳のミギコも釣られて欠伸をしている。
大量にエーテルを喰らったことで人化できるようになった二人 (二匹)であったが、力を温存するために以前の姿に戻っている。
「人化は必殺技。いつも使うのは負けフラグ」
「とーちゃんとイチャイチャするときだけバインバインのボインボインになればいい……メンドイし」
メイド少女と気だるげな残念美女はそう言って人化を解いていった。
水をポットに入れて火にかける。固いパンと燻製肉だけの食事だが、白湯があるだけでも随分の食べやすくなる。
ナカの分は、固いパンをお湯でふやかし柔らかくし、小さくちぎって食べさせてやるが、美味しくないのでグズりだす。
カシャー
スキルの発動音が響いた。
「はぁっ」
フィルは大げさにため息を吐き、暗闇の中に声をかけた。
「トータス君、居るのだろう。夜は冷えるから火に当たりにきなさい」
茂みがガサガサと音を立てる。さぞ狼狽していることだろう。
「とって食やしない。それに撮影するなら近い方がいいだろう」
撮影の許可を餌にしてやると、茂みの音は大きくなり、やがて一人の若者が姿を現した。
若者……ではあるが、無精ひげを生やし、着の身着のままのその姿はスラムの住人か浮浪者だ。
しかし、その目だけは爛々と血走り、金色の幼女を見つめていた。
その視線に気づいたのか、幼女が顔を上げ薄汚い若者をじっと見つめた。
「ぐはっ、天使!」
若者は心臓を押さえてうずくまった。唯でさえ食事も寝る間も惜しんでストーキングをして体力も限界な若者に、“推し”の笑顔は劇物であった。
「だいじょぶかい?」
「だ、だいじょうぶです」
全然大丈夫ではなさそうな若者に、白湯を渡す。
「な、ナカちゃん様と同じ白湯が飲めるなんて。これは、関節キッス!」
「重症だな、君は」
感涙にむせる若者をあきれたように見るフィル。
「で、こんなところまでついて来て、これからどうするつもりだい? 見たところ旅支度も何もしてないじゃないか。遠からず死ぬよ、君」
「……ナカちゃん様を置いてけ。お、俺がこの子のご主人様になってやる。い、命だけは勘弁してやる」
料理に使うような小さなナイフを手に、ガタガタ震えながらフィルを脅しつける若者。
「そんな小さなナイフじゃ人は殺せないよ。骨に当たったら刃の方が折れそうなちゃちなナイフだ。だから」
フィルの手が若者の手首を掴み、もう一方の手が横から刃を殴ると、ナイフの刃はぽっきりと折れてしまった。
その刃をさっとつまんで焚火の中に放り込む。
「え、あ?」
柄だけになったナイフを手に、がっくりと肩を落とす若者。
「お、おれ、変なんだ。ナカちゃんのことが頭から離れなくて。こんなのおかしいだろ。こんな小さな子に、その、興奮、するなんて、ありえない。なのに、なのに」
そんな若者をじっと見つめていた幼女が、桜色の唇を動かし呟く。ちんぴら、と。
そのつぶやきに若者は顔を上げ、幼女を見つめ、そして男に視線を向ける。
「あの時も言ってた……いったいどういう意味だ?」
「“チンピラ”が、かい?」
フィルの確認に力なく頷く若者。
「君の持つ【称号】だね。ナカはアーカーシャに記述された情報、アカシックレコードを直接読むことができる。いや、読んでいるわけではないのかもしれない。見えているのほうが近いのかもしれない。あの子が見ている世界は、もしかしたら私たちのそれとは全然別のものかもしれないけど、こればっかりは確認のしようもない」
「称号ってなんだ? 騎士叙勲とか従士とかのことか?」
「この辺ではあまり知られていないのかな。称号とは世界が君に貼ったレッテルのことさ。君の持つ称号【チンピラ】というのは、強い物におもねり、弱いものに居丈高。覚悟を決めて何かを為すことができず、逃げ道を塞がれねば必死になることもできない。そんな性質を表すものだ」
「なんだよそいつ。最悪なクソやろうじゃねぇか。まるで……俺のことだ」
フィルの言葉に、若者は絶望を見たように表情を歪める。
「……君の称号がどうして君に着いたのかは判らない。君がそういう行動を繰り返していたから、世界がその称号を与えたのかもしれない。その場合は自業自得と言えるだろうね。でも違うのかもしれない。もしかしたら君は生まれつきその称号を持っており、称号の強制力に引きずられてチンピラという枠に嵌められてしまったのかもしれない。原因と結果、どちらが先だったのかはもう判らない」
その言葉の意味をゆっくりと咀嚼し、理解する若者。
「なんだよ、それ」
理解と同時に怒りがこみ上げてくる。だがその怒りの矛先は目の前の吟遊詩人でも、幼い少女でもなく、目に見えない何かであり、自分自身に対してだ。
「本当のことは判らない。でもいま確かなのは、今の君はそれをクソやろうと呼び、忌避しているという事実だ。そしてその意思があればクソッタレな称号の強制力に抵抗することができる」
「抵抗?」
「そう。弱きを助け強きを挫き、いざという時に決断できる。そんな男になれる可能性はいつだってある。もちろん簡単なことではない。称号には強制力がある。一度決まった自分の性質という強制力に抗うのは確かに難しい。でもそれは決して抵抗できないほどではないのだよ」
自らの弱い心を顧みて、若者は視線を落とす。そして、無理だよ、と弱音を吐露した。
「いいえ。少なくとも君は称号の強制力に抵抗しているという一つの事実がある。抵抗に成功している。ならば同じことは称号【チンピラ】に対してもできるはずだよ」
「……意味わかんねぇ」
「この子……ナカにも称号がある。この子の持つ称号は【傾国】。誰も彼もがこの子を愛し、欲情し、手に入れたいという欲望に突き動かされる。その効果は人によって様々だが、君は強く称号の影響を受けている」
「ダメじゃんかよ。全然抵抗できてねぇ」
仕事を無断で休み、幼女にストーキングし続ける自分の異常性に若者は絶望の表情を浮かべる。
「それでも君は、この子を傷つけるようなことはしていない。最後の一線で踏みとどまっている。抵抗している」
「………………………」
「幼い子供に欲情することと、幼い子供を性の捌け口にすることは、似ているようで全く違うことだ。君は、踏みとどまれる人間だ」
「そんな風に思ってんなら、なんでアンタは……アンタは何でナカちゃんに優しくしてやんねぇんだよ。ペット呼ばわりして。あんなに懐いてるじゃないか。お父さん、お父さんって。なのに、まるでモノみたいに!」
「それは……」
フィルはもう一つの、ある称号の話を語って聞かせた。
フィルが持つ、フィルにとって呪いとも言える称号。
【ちいちゃいこすき】
ちいちゃいこがすきになる。ちいちゃいこがすきになる。
いちまんにんのちいちゃいこといっぱいいっぱいあいしあっていちまんにんのちいちゃいことえっちしてしあわせななきもちでしぬ
ぺどふぃる・ちいちゃいこすきーせんようすきる。
それを聞く内、若者は慄き、信じられないモノを見るように髭面の吟遊詩人を見つめた。
「私はナカコのような、小さな子供に欲情することが称号によって運命づけられている」
「アンタ、どんだけだよ。称号の強制力を二重に受けて……そこまでして、なんで」
「傷つけたくないからだ。そんなことは許すわけにはいかない。それが自分自身ならば尚更だ」
「……俺にはとてもマネできそうにねぇ」
そう言って若者は頭を振った。
「本当は、アンタらの旅に無理やりにでも着いてこうと思ってたんだ。でも俺には無理そうだ。着いてったらいつか我慢できなくなってナカちゃんを傷つけちまいそうだ。だから……国に帰るよ」
「それがいい。称号の影響も離れれば時間と共に軽減されていくはずです。今回のことは悪い夢と思って早めに忘れることをお勧めするよ」
トータスはその晩、野営地でそのまま休み、翌朝、少しの食料を分けてもらって吟遊詩人と幼女に別れを告げた。
「最後に記念写真でも撮っておくかい?」
「忘れたいのに記録を残してどうすんだよ」
「まあまあ、気にしないで。撮るよ、はいチーズ」
照れくさい表情を浮かべた青年の横に幼女が並び、その様をトータスの持つ魔道具で【撮影】した。
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数年後、その時に写真を見ても、兵士トータスの胸が焦がされることは無かった。
あったことは今でも覚えている。だが当時の熱に浮かされたような気持ちを思い出すことはもうできなかった。
トータスは夕方……逢魔が時に魔と出会い、魔に魅入られ、魔が差した。しかし、一線を踏み越えることなく、魔に抗い、魔を払い、普通に暮らしていた。
この後、閑話を一話投稿して本作はおしまいです。