解放 2
泣いている。子供が、泣いている。
子供の涙は、キライだ。何が悲しいのかも理解できていない子供がその全身全霊を以って悲しむ様はいたたまれない気持ちになり、自分でもどうしたらいいのかわからなくなる。
でも、このまま、消えてなくなるのも悪くはないのかもしれない。
泣き声がさらに強まるにつれ、心の痛みが増していく。
「ペドロフ……チイチャイコスキー」
やめろ、その名で呼ぶな。俺はそうじゃない。
忘れたくても忘れることができない記憶が甦っていく。
ロリコン、小児性愛者、小児性犯罪者のレッテルを張られ、全てを失った前世のことを……。
……忘れよう。忘れてしまえ。死という永遠の忘却に身を委ねて消えてしまえば、この心の痛みもきっと……
--しあわせにしてあける、あなた、へとふぃる
記憶の中の声が幻聴となって甦る。
--あなたぺとふぃる、ちいちゃいこすき、かくていてきみらい、あかしっくれこーと
--りゅうこうにひんかん、いせかいてんせい、いけてるあたし、あたし、めかみちゃん
--ぺどふぃるちいちゃいこすきーはいちまんにんのちいちゃいこといっぱいいっぱいあいしあっていちまんにんのちいちゃいことえっちしてしあわせななきもちでしぬ
--たから、またしなない
…………………………………………
「泣いているのですか。ディア・プリンセス」
エンドラ姫の涙を太い指が拭う。
「えぇ、ペド、ロフさま?」
「姫、私のことはどうかフィルと呼んでください。ペドロフの名は……辛いのです」
男の言葉に、少女は泣き笑いの表情を浮かべる。
「見返りはなんじゃ? タダで妾に頼み事とは図々しいのぉ」
爆発の衝撃をまともに受けてズタボロであったはずの腕が少女の頬や首元を優しくなでると、少女は気持ちよさそうに目を細め、声を上げる。
「フィル、と呼んでください」
「ん、それで、交渉のつもりか? あまり妾を甘く見るで、あっ」
首元を撫でていた指に力が入り抱き寄せられる。そして交わされる髭の男と少女姫の長い口づけ。
周囲で騎士や従者がうめく。エンドラ姫の侍女はとっくに気を失っているので悲鳴が上がらないだけまだましであった。
「……お主はずるい男じゃの……フィル」
頬を染め、顔を上げられない少女を胸に抱きながら男は自分の上にあった荷物をかき分けながら起き上がる。
「ご理解いただけて幸いです、ディア・プリンセス」
胸と腹を血で汚し、【爆発】魔法の直撃を受け、自らのストレージに入れていた荷物に押しつぶされた吟遊詩人は、涼やかに笑った。
しかし見た目に反して、フィルは内心に葛藤を抱え、苦悩していた。
沸き上がる欲望に任せるがまま“子供”を口説き、口づけした自分の行いに恥じ入る。しかしそれによってフィルの中の“欲望”が満足し、理性が主導権を取り戻した。
その時、地下全体に強い振動が伝わってきた。
「上で何かあったのか?」
混乱する騎士達を他所に、フィルは散乱した荷物をストレージに収納していく。割れた酒樽や水浸しになったチーズ、粉々になった磁器など経済的損失は大きく、フィルの気持ちを暗澹とさせるが、今はそれでどころではない。
「騎士殿。エンドラ姫を連れて城から離れてください。上はおそらく、戦場となってます」
フィルの言葉に懐疑的な視線が向く。
「ペ、……フィル殿にはなぜそれが判るのだ」
ペドロフと言いかけてエンドラ姫の視線を気にして言い直した騎士。
「上で暴れているのは封印されし龍。何者かがその封印を解いたのです」
「フィル様はどうなされるおつもりです」
頬を染め潤む瞳のエンドラ姫にフィルはまるで夜会のように礼をした。
「アレを止められるのは私だけです」
* * *
その部屋はまるで子供部屋のようであった。
カラフルな色彩に、ぬいぐるみやたくさんのオモチャ。そして、その壁に貼られた沢山の幼い子供たちの写真。
そして裸の幼女に迫る国王と、その場に踏み込んだ王妃カサンドラの視線が交錯する。
「お、おまえ」
狼狽える国王につかつかと近づき、カサンドラはその手元のステータスボードを奪い取り目を走らせた。
国王のステータスボードには幼女ナカの画像だけではなく、多くの幼い子供のあられもない姿が記録されていた。それだけでなく、その身体を貪る醜悪な姿も……
王妃がボードを投げ捨てた。
「おぞましい」
「だ、だまれ、薄汚い売女め。あの吟遊詩人に腰振って媚びてるメス豚のくせに。僕は、僕たちは愛し合ってるんだ。真実の愛さ。なあ、そうだろう、みんな!」
「「「「はい、そのとおりです、ごしゅじんさま」」」」
壁際で鎖でつながれた幼い子供たちが口をそろえて答えたのを見て、王妃はもう一度、同じことを口にする。
「おぞましい!」
嫌悪に震える王妃の目に、金色の光が映った。その眩しさに視線を巡らせると、そこには、服をはだけた金色の幼女が佇んでいた。
「おとうさん、おとうさん、おとうさん、おとうさん」
ブツブツと呟き続ける幼女が纏うは金色としか表現しようのない異次元の光であった。いや、光ではない、何かを照らし出すことなく、周囲を侵食し、全てを金色に塗り潰していく様はまるで闇のようなであった。
「あー、ナカちゃん、おもいだしたー」
幼女は突然、大きな声をあげた。
「な、なにが、いったいなにが?」
異常な事態に恐怖を覚え、部屋の入り口を窺うが、そこに新たな金色が現れ、部屋は更に金色に浸食されていった。
「あー、さっちゃーん」
ナカが手を上げると、亀顔の大トカゲがノソノソと近づいてきた。大トカゲにナカが抱き着くと、金色がより強くなっていく。
そこに小悪魔妖精もやってきた。
「みっちゃんもひさしぶりー。ナカちゃんわすれちゃってたぁ」
テヘヘェ、と笑うナカに、ニヤリと笑う小悪魔妖精とさらに広がる金色。
金色の闇は、子供部屋を満たし、そこに金色に揺らめく影を作り出した。
ゆらゆらと揺れる影と、大きく広がった金色の影。
「みんな、いっくよー」
ナカが掛け声をかけると三つの影が一つに混じり合い、巨大な金色の影が実体化していった。
「右脳のミギコ!」
小悪魔妖精が叫ぶ。
「左脳のヒダリコ!」
亀顔の大トカゲが吠える。
「無脳のナカちゃん!」
おぞましき美の化身が元気にお返事する。
「「「三人合わせて……超龍合体、キングギドコ~」」」
封じられし存在が解放され、翼持つ金色の三つ首龍が世界に顕現した。
■ ガジェットTIPS
竜と龍
この世界において竜と龍は明確に異なる存在である。
竜は魔獣の一種であり、肉体と命を持った生物であるのに対して、龍は精霊の一種である。
では竜が龍より劣った存在かというとそうではない。歳を経て力を蓄えた竜は精霊王をすら一蹴するとも言われている。
精霊と竜は互いに存在を疎む傾向にあるが、その理由については諸説ある。
曰く、世界の創造の際の主導権争いに精霊が勝利したが、いまだに竜は負けを認めていない、とか、龍の力は竜族から精霊が奪ったからだ、とか、極端なのになると世界は元々精霊のもので竜は外から来た新参者または侵略者だ、など精霊と竜、どちらに視点を置くかで多くの説が生まれている。
因みに作中でキングギドコは“龍”と表記されているが、これはその肉体 (?)が血肉を持った実態を持った存在 (竜)ではなく、魔力 (?)によって身体が構成された精霊に近い存在であるため、便宜的に“龍”と表記している。
1時間後に次話投稿予定