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豊玉記 土方歳三 早春譜 第一話 程久保小僧

作者: いやいやえん

空き地に紙芝居屋がきました

おじさんはいろんな話をしてくれて

水飴を売ってました


ビルが増えた頃、おじさんが亡くなったことを知りました

アパートに自転車がそのままになっていました


わたしの小説はそんな紙芝居のような話です

楽に楽しんでいただけると嬉しいです

『豊玉記』新選組土方歳三に関する私的小説論考


「多摩のバラガキ」


安政二年(1855)

江戸前にペルリの黒船が来やがった頃だ


俺は、奉公先を追ん出されて、日野に戻って、甲州街道を八王子あたりまで、ぶらぶらほっつき歩いている頃のことだよ

八王子では、女が買える

田町にゃ遊廓があるから、そういう気分で出かけて行くんだけどな、あんまり銭がねえから

まあ、気分だけ、

白粉の匂いだけ嗅げれば、それでよかったのかもしれねえ


俺は、どうも、そっちのことではたびたび問題が起きる星に生まれたんだろうな

奉公先を追ん出されたのも、店の新造と懇ろになったからだけど、まあ、俺が悪いっていやあ、悪いが

誘ったのはあいつの方だったんだぜ


俺は女に不自由したことはねえ、いつのまにか

どこかで女が俺に寄ってくる

虫が寄ってくる行燈みてえだよな 


歳三は、歌舞伎役者のような男前で何より、江戸に憧れたから粋であることを心情としていた

だから、次から次へと歳三の前に女は現れ、それを本人は嬉しくいただいていた。

そして、あんまり入れ込むこともないから、

特定の女と長く通じることもなかった。


己の内にある抑えきれない熱情、野心みてえもんが何か成すためには、あまり深入りするのはご法度だと本能的に思ってたんだろうな

俺は女をよく泣かせた。

だって、仕方ねえよな、できちまったら

俺は武州多摩で一生生きなきゃならねえ

なんだが、異人がやってきて、大騒ぎになっている

祭りのような時間に乗り遅れちまうような気がしてたんだよ


でも、俺は薬の行商、薬を売りに行けば、ねえさんから茶を飲んでけって、寝間にあげられるなんてことは

しょっちゅうだから

それも仕方ねえよ、おまけみてえなもんだとそれなりに楽しんでいた。


その頃、昔なじみの上石原の勝ちゃんは牛込のやっとう道場の跡取りになってたから、ずいぶん差をつけられれた気持ちにはなっていた。

勝ちゃんは、俺より歳が上なんだけど、俺から言わせりゃ世間に疎い、不器用な男なんだけど

でもさ、飾らねえ気質というか、勝ちゃんの素の武骨さは男として惹かれるもんがあったよ

俺は勝ちゃんに比べると細かいことが気が付きすぎるのかもしれねえ

大将の器の違いかもしれねえな

大将はあのくらい素直な方が人には好かれるかもしれねえ

勝ちゃんは、いつも俺より人から好かれた

どっちかというと俺は所在がいつもねえ、独りもんみたいなとこがあった。


洲崎勝五郎、いや?この頃は近藤を名乗っていたかな?

昔は宮川勝五郎というのがあいつの名前だった。

近藤周助先生に認められ天然理心流試衛館の跡を継いだ


周助先生の天然理心流は、甲州街道にそって門人を集めてたから

勝ちゃんは、理心流の同門に俺の姉さんの嫁ぎ先庄屋の佐藤彦五郎さんや漢学ができる小野路の小島鹿之介さんと仲が良かった。

三人は、義兄弟だよ、「三国志演義」に熱中してたから桃園の誓いにちなんで杯を交わしていたよ

三国志っていうのも、あの人たちらしいけどな、

それから八王子の千人同心の井上さんの息子に林太郎さんというのもいるが、林太郎さんは江戸づめ白河藩士沖田家の養子になり、沖田林太郎となったんだよ。

みつさんってのもらって、その弟が宗次郎、試衛館の塾頭 沖田総司だ。


白川藩っていうのも陸奥にありながら、あれは公方様の天領だから、この多摩と同じといや、同じなわけだ。

公方様の天領というのは、なぜか俺たちの誇りみたいにはなっていたんだ

徳川家が特別に恩情をかけてくれてる土地

まあ、それは多摩が江戸開府より古い歴史の武蔵国の本流だから、特別といや特別にしなきゃあならない理由はあんだけどね


白川藩士とはいえ、総司は生粋の江戸っ子で人懐っこいから俺や勝ちゃんに可愛がられていたよ。

いつの間に俺も総司を弟のように感じていたんだ。


俺はまだ、理心流に入ってはいなかった。

勝ちゃんや総司のようにやっとうに入れ込む素養が俺にはなかったのかもしれねえ


あの日、黒船が来たから

俺達の刻も激流になっていったんだ


女の寝床で夢を見てるだけでは、満足できなくなっていったのかもしれねえ


身体の奥にたぎる熱いもの、それがふつふつと湧きあがり俺はそれを御し兼ねて過ごしていた。


今日は、勝ちゃんと総司が佐藤さんのとこに稽古に来ている


稽古が明けたら、高幡へ花見に行くことになっている


そんなあの頃の春だったな








「生まれ変わりの勝五郎」


高幡不動尊山門

花曇りの夕刻


三人の若者が先刻まで続いた花見の酒宴の酔いを覚ましている。

一人は、がっしりとした体躯で、将棋盤を連想する強面な風貌、大きめの口をへの字に曲げ、どっかりと地面に腰を下ろしていた。

天衣無縫、のびのびとくつろいでいる

一見、隙だらけに見える姿勢であるが、もし、獲物を持って撃ちかかったら岩となって弾きかえされるような野太い強さを感じた。

ひときわ大きな拳骨が彼の腕力の強さを物語っていた。おそらく一番年長なのだろう?

座の中央に座り、足元にはまだ、先ほどの残りであろうか、五合徳利が転がっていた。


「へー珍しいな勝ちゃんが酒の残りをくすねてくるなんて、」


歌舞伎役者のような風貌の若者が笑った。

作務衣のようなくつろいだ着物を着ている。

まるで近所にふらりと散歩に出たような出立ちであった。彼らの脇を武家娘とおつきであろう老婆が会釈して通ると、若者はちらりと娘の方を見て、ニヤリと笑った。

それでも、この男の射抜くような鋭い眼光は笑っていなかった。張り詰めた空気がいつも歳三の周りを取り囲んでいた。

こちらは、もらってきたのか沢庵を握りしめていた。

歳三は沢庵が大好物だった。


「ああ、歳、

俺は相変わらず酒はあまり飲まない

おかげで、酒で道を迷うことなくこの頃は、良かったと思っているよ、英雄は酒に溺れずというからな

いや色に溺れずか?

まあ、そっちは嫌いではないがな


この酒はよ、周助先生への土産にいただいてきたもんだよ。」


二人は、酒をあまり飲まなかった。


身体に合わなかったとは思うが、「男子はいつも有事の覚悟!」などと意見しあったものだから

お互いに遠慮しあっていたのかもしれない。


カラカラ、風車が鳴った


稽古着姿の背の高い、青年が二人の会話を聞きながら笑った。


「近藤先生は、酒よりとろろ飯ですよね

この間はおどろいたな、ひとりで十七杯も麦とろを食っちゃうんだから」


若者らしい明るい気が広がった。

どこか、恐ろしげな獣のようなおっさんくさい二人の気とは明らかに違う。

やわらかな空気があった。

それは、少年のようでもあり、子どものようでもある。

でも、そんな無邪気な気こそ、一変すれば非情の気となり残忍な衝動を現すのかもしれない。

日常と非日常、ひだまりと影 どちらもこの青年が身にまとう気であった。

青年は懐に入れてあった草餅を取り出し、二人に手渡した。


はむ、

「甘くて滋養がつくと姉さんが言ってました」

春の息吹く香りが口いっぱいに広がった。


三人の話の多くは、天下国家を語ることもほとんどない。

そう、多摩にいる時はいつもそうだった。


「そういえば、土方さん

大窪百人町にまた、出たんですよ」


「なんでい、総司、大川でも溢れたのかい」


「違いますよ、出たんですよ、もののけですよ」


「鉄砲町にお化けが出たのか、総司?それはまことか?」


「ええ、聞いた話だと、百人町の権助という奴が雨の日にずぶ濡れの女と会ったのですって、

権助が傘に入るよう言うとね

振り向いた女の顔は、」


「口が耳まで裂けていたんです。

権助は腰を抜かしちまって正気になれば老人のようになって歯が抜けた顔になってしまったらしいです。

言葉も話せなくなって寝込んでしまったらしいですよ」


「狐の仕業じゃねえのか?」


「あはっ、土方さんなら振り向いた女の顔はどこかのご新造なんてことになるんじゃないですか?」


「歳、そりゃあ、化け物よりこええよな、そういや

俺もこっちは来る途中で

牛窪地蔵尊の話を聞いたぞ

内藤からすぐの幡ヶ谷の先あたりに庚申塔があるだろう?

あそこは牛裂きの刑をやってただろう?

極悪人の股を牛を使って引き裂くやつ?恐ろしいね、その祟りでコロリがでたそうだ」


「中野から甲州街道につきあたるあたりだよな

俺も見たぜ、女が引き裂かれるところを俺は見ちまったよ。こええのは人かもしれねえな。」


「近藤先生、あの世ってあるのでしょうか?」


「さあな、行ったことないからな、死んだら名が残る男になりたいものだな。」


二人の呟く声に反応して、歳三は続けた


「お二方は、全くご存知ないか?

藤蔵の話、聞いたことないかな?」


沖田と近藤は顔を見合わせ、首をふった、


「知らねえんだ、藤蔵の話を


藤蔵は、ここに高幡不動に祀ってあるんだぜ、

よし!藤蔵に会わせてやる

だから俺についてきな」


高幡不動の墓場に向かう斜面を近藤、土方、沖田は登っていった。


小さな石が積んである死者の土地

山桜が咲き誇っていた。


なぜか、時が止まったように見える山肌の一角

そこが藤蔵の墓地であった。


山桜が風に舞い、沖田総司の風車がカラカラと回った。


藤蔵のことを平田篤胤が書いている。


藤蔵という子どもが程久保にいた。

藤蔵は、6歳の時に疱瘡にかかり、急死した。

それから12年後、近郷の中野村に住んでいた勝五郎という8歳の少年が、兄弟に、「自分は、この家の子に生まれる前は、程久保村の藤蔵だった」と言い出した。

勝五郎の話に驚いた家族がさらに問いただしてみると、彼は、知るはずもない藤蔵やその両親についてを詳しく語り、死後の世界をのぞいてきた話まで詳しく語った。

勝五郎によると、息が絶える瞬間は何の苦しみもなく自分の体が棺桶に入れられるときに魂が飛び出し、棺桶が墓地に運ばれてゆく際は、その上に座っていたと言う。「其の桶を穴へおとし入れたるとき、其の音のひびきたること、心にこたへて今もよく覚えたり」(平田篤胤『勝五郎再生記聞』)


「思い出したぜ、歳、藤蔵の話は、江戸で大騒ぎになったもんな」


「本当に生まれかわるなんて、あるのですか?

信じられいな、生まれ変われるなら、人は、なんで疱瘡や肺を病んだりするんですか? いちいち死んだら面倒じゃないですか?」


「そうだよな、総司、人は天命ってのがあるはずだよ

人生が二度あればなんて、俺は思わねえよ、たぶん」


「ちげえねえ」勝五郎が笑った。


「どうだ、諸君、今宵は八王子遊廓に遊びに行こうじゃないか」

「多摩のうなぎでも食べて、精をつけてゆこうではないか?」


「意義なし」


「待ってくれ、鰻は得意でない、勘弁してくれ。」

土方歳三は苦笑した。


日野の一部の地域は、鰻を食べるのが信仰からご法度の土地もあった。

歳三はどうだったのだろうか。


ちなみに

藤蔵の生まれかわりの勝五郎であるが

当時、同じ時間を生きている人物であったから

勝五郎が藤蔵の墓参りに来て、歳三たちと出くわすなんてことは起こらないわけではなかった。


今宵は、たまたま、刻がそういう目を引かなかっただけである

試衛館に勝五郎、中野村に生まれ変わりの勝五郎がいた、それだけのことだった。


めぐる因果は糸車、風車






「祭りのあと」


東京都府中市に大國魂神社がある。

府中とは、字の如く国府が置かれていた武蔵国の中心である。江戸開府以前、鎌倉街道に則して群馬から埼玉、東京多摩地区、東京町田、横浜瀬谷あたりを通り鎌倉につながる往還、鎌倉街道上道が存在し、「いざ鎌倉!」の掛け声勇ましく、板東武者、鎌倉豪族と呼ばれた武士たちが騎馬で駆け巡る姿があった。

武蔵国府である府中、布を調べた調布、関所のあった関戸、国分寺などの地名にその痕跡が残されている。

鎌倉街道を駆け巡った剛の者、畠山重忠、平山景季、源平合戦のヒーローたちの勇姿、それはおそらく自らを新皇と呼ばせた軍神平将門の係累でもあるかもしれない。

そして、彼らに共通するのは、馬、そして生糸を生み出す蚕であった。

不思議なことに陸奥から武蔵にかけて馬と蚕にまつわるおしら様信仰が重なって存在している。

おしら様派、柳田國男遠野物語にも見られるように陸奥より生まれた神様であり、その成立に日本原住民族である蝦夷文化の影響も大きい、

蝦夷もまた、オホーツクより南下した人たちの末裔でもある。


徳川家康は三河武士であるが、その源流は蝦夷と異なる朝鮮半島を経た倭人の系譜なのであろうから

武蔵国のはずれの湿地帯に江戸幕府を開府した頃は蝦夷文化圏からすると外様であり、豊臣秀吉との小田原攻めによる八王子城などの大殺戮のあとは、出来るだけ懐柔による支配を行い政道の安定に勤めた。


新選組を輩出する武州多摩もまた、幕府天領となりその誇りを守られた。

土方歳三生家がある日野には、平山氏がいた。

強弓の武士として、「義経記」にも登場している。

おそらくは、多摩の武士たちの源流となった一人である。したがって、土方歳三にもその血や魂は受け継がれていったものと思われる。

土方家のある石田村、現在の交通ならば京王八王子線高幡不動駅からすぐに平山城址公園駅があることから土方家、佐藤家などとの縁戚関係はあるものと推察する。

土方歳三らの血がたぎるのは案外こうした歴史背景によるものなのではないだろうか?

奇しくも晩年の歳三は、北へと道を辿ることになる。

武蔵国、そのさらに昔からなるおおらかな性の文化を有する信仰コンセイサマを崇めた土地の人々

血縁が濃くなるのを防ぐこと、子孫繁栄を本能的に知っていた人たちは祭りの機会に男女の出会いを求めた。

大国魂神社が暗闇祭りと言われ、御神体の神聖を守るために灯りを消好きというねらいの半面には、祭りを通して出会う男女のまぐわいを夜の闇に隠す役割をしていたと思う。

現代解釈するならば、乱行の行われた奇祭となるのであるが、果たして土方歳三の時代はどうだったのだろうか?

出会いの少なかった時代である

若き男女の一人である歳三の心もときめく興奮がくらやみまつりにはあったのであろう。


武蔵国中から、江戸市中から

多くの男女が祭りのある府中へと向かった。


歳三のそのひとりであった。

その様子を司馬遼太郎「燃えよ剣」の冒頭においても見事に描かれている。

一部を引用するならば


「この夕、歳三は、村を出るとまっすぐに甲州街道に入り、

武蔵府中への二里半の道をいそいでいた。」


「今夜は府中の六社明神の祭礼であった。

俗に、くらやみ祭と呼ばれる。」


「歳三が府中についたのは戌ノ刻のすこし前であった。

府中の宿六百件の軒々には、地口行燈に蘇枋色の提灯がつるされ、参道二丁のけやき並木には高張提灯がびっしりと押しならんで、昼のように明るい。」

『燃えよ剣』上巻 新潮文庫

       司馬遼太郎より引用


祭りが始まっていた。高張り提灯に照らされて歳三の顔は赤々と野生味を帯びていた。

瞳がギラギラと血走り光っていた。

それは、一匹の獣のようでもあった。

股間が爆発しそうなくらい固くなっていた。


木陰から歳三は、今夜の獲物を物色していた。


迷うこともない、そのために甲州街道を駆けてきたのだ。

それは、斬ると決めた相手を物陰で待つ暗殺者の時間にも似ていた。

歳三は自分の鼓動が大きく聞こえてくるようでもあった。鼓動に合わせるように祭りの大太鼓が打ち鳴らされ府中の森に轟いていた。


「いい女とやってやる!」


歳三の目は通り過ぎていく女たちを物色していた。

顔が下品だ、好みではない

百姓娘すぎる、あれはかなりの年増だ

もっと、肉付きがいい女、俺を満たす女が欲しい


くらやみまつりにも約束はある

あくまで和姦でなければ原則はいけない

無理強いはご法度なのである

それが守られなければ、こんなに性にオープンな祭りが存続し続けることはなかった。

あくまで、建前でも両者が了解による交合でなければならないのだ。


その辺の微妙さは現代人の常識で判断できない。

事実、現代のくらやみまつりはその部分はすっかり消失させて開祭されているのだ。


歳三の目に鴇色の上掛けを羽織った良家の子女が映った。

参道を歩いて帰ろうとしている

歳三は、娘と並行するように林の中を歩いた。

角が切れる間際に引きずりこむつもりだ。

ミシ、ビシ、歳三の脚絆が足元の木立を踏み締める

娘がしなやかに提灯のあかりの道を泳ぐように滑っていく。


歳三は、その時、気がつかなかった


同じ娘を狙うもう一人の雄の影を

もう一匹の獣は、歳三と反対側を並行して歩いていた。

角に届いた瞬間、飛び出すつもりだ


曲角に差し掛かる瞬間、

歳三は、動いた!


しかし、もう一匹の獣の方がほんのわずかに早く飛び出していた。


三十代後半にさしかかっているのだろうか?

恰幅の良い庄屋風情の男が娘を歯がい締めに抱きしめ

真っ暗な林の中に引き摺り込もうとした。


娘が抵抗して、男を振り解き走り出した


男は娘を追った


歳三も同じ娘を追いかけた。


娘のひたひたという足音、

それを追う二匹の獣の足音が交差して

境内から側道へと重なりあい、夜の帷に消えていった。








「わるいやつら」


六所の杜より、品川道をひた走る影三つ

宵闇の半月の薄明かりが、ひたひたと駆ける足袋の白さと裾からはだける娘の白いふくらはぎを映し出した。

白兎が葦の原を駆け抜けていくように

脱兎の如きその娘は、ひたひたと必死に逃れていく

いつの間にか、娘の草履は脱げていたのか、娘は小石を踏む足の痛みを感じながら、ただ、必死で逃れようと霞の関の方角へ走っていた


白兎を追う二匹の荒ぶる獣


一匹は、ツキノワグマのような頑健な体躯

一匹は、ニホンオオカミの如き、疾風


熊を狼が追いかけるように多摩川へ繋がる古街道をひた走る、影が三つ 影踏み鬼をするように追いかけて行く


暗闇祭りで出逢った三人の男女

娘は、祭りがそうした男と女の出逢いの祭りであり

古からの交配の儀式であると知っていたのか?


それとも、単に興味本位で覗いてみたのであろうか?


正体のわからない男たちが自分を求め、追いかけてくる

その恐怖から、今は必死で逃れようとしていた。


傍らの藪の奥では、出逢いがうまく成立したのであろうか、幾人もの男女が身体を重ねあわせている吐息が聞こえた。


ここは、古戦場、

この辺りを分倍河原という。

歴史上、二度の戦いの舞台となる河原であるから

その葦の原は、広大であった。


葦の原を突き通すように、品川道は伸びていた。


ひたひた、娘の足袋の音だけが聞こえる


半月は、目の前に広がる多摩川の水面を輝かせていた。

川には、材木が束ねられびっしりと浮かべられていた。

品川道は、筏道とも言う。

材木を河川の流れに乗せ、運んでいた。


娘の足は、河原に行き着いた。

この先に道はない

多摩の流れに身を投じていくしか進む道はなかった。


立ち止まった白兎に二匹の狩人が追いついた。


「影、踏んだ」


半月が彼らの顔を照らした


郷士の娘か、白い頸が眩しい、口元がツンとした十三、十四の娘


走るのが、いくらか応えたのか、

はあ、はあと息をあげる、頑健な体格の庄屋風の男

歳は三十そこそこであろうか?

日焼けした土褐色の肌をして、少し窪んだ目が血走っていた。


少し遅れて、息も乱さず涼やかな顔で追いついた二十歳くらいの若者

歌舞伎役者の浮世絵画のようなへの字に曲げた口元が

ニヤリと笑った。


「お許しください、お許しください」


娘は泣きじゃっくった


庄屋風体が娘の側に立ち、肩に手をかけた


「悪いようにはしねえよ、俺は中野村の....」


クククック

笑い声が響いた


「わりいやつほど、悪いようにしねえっていうだぜ、

おっさん」


歳三である。


どこで失敬したのか樫の木の天秤棒を手にしていた。


それを目にした庄屋が振り返り歳三に告げた


「この女は、俺が見つけたんだ、けえんな

おめえこそ、何様のつもりでえ」

庄屋風の男が啖呵を切った。


ニンマリと歳三の口元が笑った


「喧嘩、やるってえのかよ

おっさんよ 俺はかまわねえぜ、それでも」


歳三は、なぜか、嬉しそうな顔になっている自分に気づいていなかった。


娘は月明かりに映し出された美丈夫に目を見張った。


緊張の空気が流れた。


庄屋風は、腰を下げ、相撲を取るような姿勢を取った。

ガブリ寄り、組み伏せるつもりのようであった。


「ますます、おもしれえ」

歳三は天秤棒をびゅんと横に薙いだ。


その時、正面から五、六人の男たちが三人を取り囲むように現れた


ふふふふ あははは、


「お取り込み中、失礼、

その女に我らの酒の酌を命じる、下がれ、百姓」


比留間道場の門弟たちなのであろうか、帯刀していた。


かなり、酒が入っているのがわかった


緊張が爆発する前の静寂


多摩川の瀬音が歳三の耳に聴こえた。





「祭りの喧嘩」


半月にまた、雲がかかった。

宵闇の分倍河原に生ぬるい風が流れていた。


葦の原を悪童が合戦ごっこをするように、わらわらと走り出していく影、そして、白刃が時折、多摩川の水面に煌めいていた。


多摩の男たちの気性は荒い


江戸っ子の粋とは異なり、いかに無頼、バラガキであることかを示すことも多摩っ子たちの己の存在意義になってるようである


多摩のがきは、わかりやすい


誰が一番、強えか?男がわかりあう、もっとも単純な方程式で彼らは生活していた。


畑の土の匂い、

どんなに息がって、武家の格好をしてみても

こればっかは、ぬぐいされねえ

畑の大根をかじって生きてきた若者たち


蕎麦しか取れねえような土地を守ってきた

鎌倉豪族、武蔵國武士、

もともと、荒々しき坂東武士の源流から派生した男たちなのである


グダグダ語るより、拳で語れ、

そんな気質が嫌んなるくらい先祖から染み付いている

それは、中には勉学に励むものもいる、俳句をひねるものもいる しかし、結局、答えの出し方はひとつしかないのだろう

やるかやられるか、

男たちの答え合わせが、喧嘩だった時代の生粋なのだ。


拳、刃が百の言葉よりわかりやすい


土方歳三も近藤勇も悩んだり、苦悶したりもする

しかし、答え合わせで一番簡単なことは、やっちゃあいけねえけど、

それしかねえであった。


ぶん殴れぶった斬れ!ということだ 

歳三にも勇にもそんな中で育てられたから

多摩の男の気質が嫌になるくらい染み付いていた。


歳三は、女の手を引きずるように河原から離れようとした。

女の目は恐怖に怯えていた。


「離して!」


「やだよ、俺はおめえとやることにしてっから

そりゃあよ、ここまできて無理ってもんだ、黙ってついてきなよ、」


大柄の庄屋風の男がその間に割ってはいり

ニヤリと笑った。


「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られ死んじめえってな、

おい、若けえの、とりあえず、後で話しをつけようじゃあねえか」


剣術道場の男たちは、抜刀して、歳三らをなますに切りにしようと取り囲んできた。


「死ねえ!」剣術道場のひとりが抜刀、白刃を上段に構えて打ち込んできた。


刃の先は、大柄の庄屋風体を袈裟斬りに両断したかのように見えた


ずしん、


打ち込んだ若者の動きが止まった


大柄の男が一瞬早く踏み込んで、斬撃が届く前に身体で若者を抱きとめ、そして、払い腰を放ったのだ


相撲の投げとも、違う、捕縛術?なのか?


あざやかなまでに若者は、跳ね上がり宙に足を伸ばしたまま、顔面から河原の大石に叩きつけられた。  


ギシャ!

苦悶の表情を一瞬見せたが若者は、すぐに動かなくなった、


その瞬間、歳三は女の手を引き走り出した。


「おっさん、たいしたもんだ、あとは任せたぜ!」


「てめ!ふざけんな

ぬけがけは汚ねえぞ、若造が!」


歳三は男の声を尻目に女を引きずり走りだした。

追手があとから二人、大柄の男の目の前を通りすぎていった。

そして、三人目が続こうとした時、


大柄の庄屋は、なんとも屈託ない笑みを浮かべ

三人目の追手の駆け足を遮るように、ちょこんと己の足を前に出した。


通り過ぎようとした追手は、庄屋の足に引っかかり

そして、もんどりうって倒れた。


「はあ、よっこらせ」

ボギっ


大柄の男は踵で倒れた男の頸椎を踏み砕いた。


大柄の男が歳三の走り去った方角を見据えた

もう、どこにも見えなかった。


かなり、先まで行ったのかな


「ちぇ、ガキにとられちまった」


初夏も近い、多摩川の水辺は生温く

水面からの白霧が辺りを包みはじめていた


歳三たちの足音だけが聞こえる


ミシっ


いきなり、頭部に熱さを感じた

サーっと幕が引かれるように

歳三たちの去った方角が真っ赤に染まった


「あれ? 」


大柄の男は、膝をつき、ゆっくりと前に倒れた。

鮮血が毛氈のように広がった。


背後には、比留間道場の食客か?


鞘に入ったままの刀身を無造作に打ち下ろしていた。


鞘がパラパラと砕け落ちていった。





「冗談じゃあねえぜ、チッ」

こんなはずじゃあなかった。

本当なら今頃は、適当な女をこまして

俺は、夜泣き蕎麦でもひっかけてるはずだったんじゃあねえか?


血が激るのは、この女との駆け引きだったはずで

こんな、男たちとの夜の追いかけっこじゃあねえかったはずだ。


歳三は女の細い腕を引っ張りながら、分倍河原の葦の原っぱを駆けていた。


後ろから追手の足音が響いている

ひとり、二人はいる


いや、さらに遅れて足音を立てねえで、迫ってくる

なんかとんでもねえ気の奴もいる


「冗談じゃあねえぜ、祭りの夜に、俺は命のやりとりに興じる喧嘩に巻き込まれたあよ」


ちらりと女を見る


息も荒く、ただ従うだけの娘の胸元が白く艶かしくはだけて見えた


こぼれそうな乳房の甘い匂いが、なぜか、嗅げたような気がした。


「へっ、この女をモノにするのに、ずいぶんえれえ

ことになっちまったもんだぜ、

命をかけるほどのこいつは、たまだったのか?」


「くだらねえ、こんな田舎娘のためによ」


「俺らしいっていや、俺らしい、

土方歳三、見ず知らずの女ひとりのために、武州多摩で果てるってわけか?」


「くだらねえよ、ハハっ、くだらねえ、」


(でもなんだ、このおかしなくらい血が激るのは、 

なんだ、なんだ、俺は喜んでのか?


へへ、命ってやつを俺は、賭けてみたかったのかもしんねえな、


本気ってやつを求めてたのかもしんねえ)


風が生暖かい、河原というのはかつては墓場でもあった。


(俺は、ここで切られんのかな?

怖えな、怖え)


歳三は、葦の原から土手に駆け上がり、傍らに見えた竹藪へと女を放り込むように飛び込んでいった


青竹の匂いがする

足元の剣先みたいな葉っぱが乾いた音を立てた


女を突き飛ばすように座らせ、歳三は手元の天秤棒を握りしめた。


(樫だな?いい感じの重さだ

こりゃあ、多分、蕎麦打ちに使うやつなんだろうか?

蕎麦食いてえや)


「仕方ねえな、」

なぜか、笑いが込み上げきた。


見ず知らずの女のために、この豊玉、ここに落ちるか?

それもまた、一興!


天秤棒を握る手に力が入った。


竹藪から見た空、半月の月が覗き込んでいた。


追いかけてきた比留間道場の手練れ二人が荒い息をさせながら、果たし会いの舞台にあがり、歳三を見据えた


さらに後から、静かに歩を進めてくる影を感じた。

こいつは、音もしない、

恐怖を連れて不気味に近づいてきていた


二人の追手が抜刀した。

ギラリと白刃が月に照らされて輝いた


歳三も見よう見まねで理心流の構えをしてみた。

冷たい汗が流れた


「天然理心流見習い、土方歳三、参る」


歯に噛んだようななんとも無骨な笑みをうかべ

歳三は名乗った。


初めて、男として、命を賭ける、そんな名乗りでもあった。


俺にはふさわしいかな?

真剣死合が生まれ育った多摩川の原っばというのも


それも仕方ねえか、悪くない、俺らしいや


深く息を吸い込んで溜めた


「祭りに喧嘩はつきもんだ」


武州多摩の風が竹藪の葉を揺らし、サラサラと音を立ている


行ってみたかったな、京というところに

都には、いい女がいるって聞いたことがある


やりてえな、京の女とも


ため息がこぼれたのと同時に追手の白刃が煌めいたのが見えた。




白刃が閃いた

歳三が後方へ飛んだのは、刃が打ち下ろされる

わずか前であった。


歳三の端麗な鼻先をかすめるように刃風が通り抜けた。

振り下ろされた大刀は、獲物をはずしたと知るや、地に落ちる前に跳ね上がり、

続けて歳三の腰から左肩を切り裂こうと駆け上がった。

 

ザッ


歳三は、右手に見えた道祖神の方向に身を低く沈めた。

片足を着き、天秤棒をしっかりと握りしめた。


ひゅん!駆け上がっていた相手の獲物が再び、宙空で転じて、歳三に降りかかる一瞬


はぁああー


歳三は、踏み込み、そして渾身の力で相手の喉笛を樫の木の天秤棒で突き上げた。


喉に獲物は、深く食らいつき、ミリリッと突き刺さった。


ぐはあ!


喉を破るような一撃に、相手の動きは止まった。

白目を剥き出し、苦悶の表情を浮かべている


まもなく大量の鮮血を吐き出した。


そして、片膝から崩れ落ちた


ああああ


仲間を失った追手のひとりは、取り乱し、乱雑に白刃を振り回しながら歳三に向かっていった。


恐怖が心に忍び込んだ

命をかけた緊張感に負けたのだ、


死への恐怖は、すっかり追手の平常心を奪い、

めったやたらに白刃を振り回すたびにふくらんでいた。


歳三の目が冷たく光った。


カコン! がさっ


追手の刃が、竹にからみとられた


歳三の口元が、残忍に笑ったように見えた。


電光石火!

ウグっ


天秤棒は、正確に溝落ちに突き刺った。

追手はうずくまった。


あと一人??


足音を消して追ってきた奴を倒せば、終わる

あと一人だ


ところが、

追手の姿はどこにも見えなかった。

たしかに竹藪へ誘い込んだはずなのに


よく見ると竹藪の入り口あたりにそいつはいた。

覗き込むように立ち、薮に入って来ないのである  


「タケヤブ ヤケタ」

そいつの声が聞こえた。


クスッ


そして、歳三を手招きした


「土方先生、こちらで一手、ご教授願いませんか?」


歳三は、苦笑した。


「仕方ねえよな」


こういう奴が一番こええや



分倍河原になまあたたかい風が吹いた

多摩川の瀬音が聞こえた


「いかがいたした?参られよ」


竹藪の入り口から声が響く

薄暗い藪の先で待つのは、死神だろうか?


どちらにしても、こいつとやり合わなければならない

余裕たっぷりの落ち着いた言葉使いから

こいつが只者ではないことが窺えた、


歳三は既に二人の無頼感を倒している

緊張は、限界を越え、幾分ほっとしている

あえて、ほっとさせる口ぶりで話しかけてきたこいつの落ち着きこそが既に術中であり、歳三の気を緩ませるには充分であった


気の落ち着きは、闘争本能を鎮静させたから、その分

これから始まる命のやりとりが恐怖になっていた


歳三は、まだ、闘争本能のまま、野犬の如く食いつくらいしかできないくらいの剣術の腕だった。

闘争心が維持できなければ、それなりの武芸者からすればたやすく切ることのできる輩なのである。


闘いにおいて、気は重要であり、気を組み

気を制することは闘いの主導権を握ることでもある。

気で圧倒することこそ、生死を分ける分かれ道となるいかに相手の気を呑み込む、場を制するか

もちろん、最後に生死を決めるのは、気を含む技量であることは間違いないが

技以前に覚悟の違いともいうべき境地はあるのである。


相手を殺し、その血潮を浴びることを構わず、どんな時も臨戦体制に自分を置けることができる境地

自分がいつ、野晒しになっても構わない境地、なのであろう。


よほど、人を切った経験が豊富なのか

それとも持って生まれた才能ともいえる気質なのか

がなければ辿り着けない境地


いつも闘いを想定して生きる研ぎ澄まされた時間と修練によりはじめて可能となる境地なのである、


これから、人を殺す、その気が

二人の追手を倒した安堵感のあと、再び高揚するのには、竹藪の向こうの男が放つ穏やかな空気は生じづらかった。


このままでは、冷静で穏やかな仮面を被り、死地に引っ張りこもうとするこの男に斬られるのは自分だと

歳三は恐怖を感じた。

冷たい汗が一筋、背中に流れた。


歳三は、藪の外から視線をはずした。

そして、勝利者賞となる女の姿を改めて見た。


女は真っ白になった顔で、ひたすら震えていた

着物がすっかり乱れて、艶かしい太ももがむっちりと裾からあらわになっていた


助けを求める草食動物のような弱々しい瞳で歳三を見ていた。


あああ、この程度の女のためにやらなければならないなんてな

逃げちまおうか?

でも、逃げるのは恥、ちい、やるしかないかな


歳三は女側に歩をすすめた。


「立ちなよねえさん」


女は立ち上がると、乱れた胸元をなおした

白い乳房がやわらかく揺れた


「ねえさん、男の祭りってのはな

命がけなんだよ、なー

これが、くらやみまつりってんだぜ」


ごくっ、喉が鳴った


そして、ぐいと女を引き寄せると

おもむろに唇を吸った


「・・・・・」


唇を離すと、歳三の目は藪の外にふたたび、向いた


「あとでつづきな、これは結納がわりだ」


そう言い残すと歳三は、藪の外で待つ男の方へと歩きだした。


気が再び、みなぎってきていた


樫の天秤棒をぎゅっと握りなおした


藪の中を覗き、手招きする男が


ニヤリと笑ったような気がした。


雌雄を決する刻は来た


半月にかかった雲が流れ、外で待つ男の顔が映し出された


なんか、俺に似てねえか?


俺は俺を斬りに行くのかも知れねえな


藪の外の男は、大刀を傍にそっと置いた

鞘には、無数のひび割れが入っていた

先程、庄屋風の男を殴打した時に生じたものであろう


そして片膝をつき、脇差を握り構えなおした

居合??なのか?


「比留間道場、食客

無双英信流  大江慎之助

お相手いたす」


薮を抜けた瞬間にこいつは、仕掛けてくる


歳三の気もまた膨れあがった


見ず知らずの男同士が


今宵初めて会った女のために命を賭けていた


男と女の出会いなんてそんなもんかも知れない

その一瞬にこそ、刹那な恋は萌えいずるのかもしれない




(居合との喧嘩)


月明かりに照らされて

無双英信流 大江慎之助の姿が浮かび上がった。

大江は、立ち膝を突き、瞑目して構えていた。

静かなる、一点の隙がない構えである


不用意に飛び込んだら、斬られる。

歳三は天秤棒を構え大江慎之助の周りをぐるぐると回った。


大きな円を描く歳三に対して、慎之助はその中心を歳三の動く気配に合わせて僅かに体勢をずらしていく。

片膝立ちの姿勢を崩すことなく、静かに不動の岩がぎしりと動くかのように転じていくのは慎之助の下半身がいかに強靭に鍛え込まれているかがわかる

居合道における立ち合いの姿勢はそれだけ不動であるのだ


歳三にも、慎之助にも必殺の間合いがある

どちらがその間合いに入った瞬間、そして、体勢が崩れた瞬間が勝機となる


すべては、その一瞬にお互いの命がかかっていた


歳三の額に脂汗が湧き上がる


季節は初夏の丑三すぎ、今夜は少し蒸し暑い


両者から湧き上がるなんとも気怠いような暗い殺気が空気をよりねっとりと重くしていた。


歳三の耳のまわりでは、虫が煩わしくまとわりついていた。

そろそろ蚊蜻蛉が湧いて出る頃なのである

虫の羽音と歳三の息づかい


瞑目したままの大江慎之助


蚊蜻蛉の一匹が歳三の鼻先にとまった


ちっ

歳三が手で蚊を払い除けようとした瞬間


慎之助が目を開いた、その瞬間


慎之助の体から突然、閃光が放たれたようにみえた。

稲妻がごとしその剣風は眼にもとまらなかった。


歳三は、からくりの箱が突然開いて人形が飛び出したのに、仰天したように背後に飛んだ。


慎之助の脇差の刃はまるで手と同化している鞭のようにしなやかでその一撃は歳三の胸部を跳ね上がった。

そして、刃先が歳三の肉をわずかに剥ぎ取った


慎之助は抜くと同時に立ち上がり、返す刀で歳三を両断せんと動いた。


ひゅん!


歳三も数歩飛び退いたが、十歩退けば十歩迫り、五歩躱せば五歩寄ってくる。


歳三は相手から跳び開く間髪ごとに、慎之助への打撃を試みようかと思ったがそれは非常な危険を感じて己の天秤棒の一撃を放つことができなかった。


ひゅん!


慎之介の剣が舞った

その動きは一定の法則があり

彼の踏む足といい、五体のどこといい、立派な金剛不壊の体をなしていた。


林崎甚助が編み出し抜刀術

別名は抜かずの剣

すなわち、抜かせてはならない剣なのだろう


居合は抜いたあと、続く斬撃が実は疾い

波のように打ち掛かってきた。


分倍河原の葦の原は、ところどころぬかるんでいる


歳三の足が泥沼にはまった


ぬるり、歳三は体勢を崩した


慎之助の剣がとどめの一撃を浴びせた


ぐげっ!


歳三は、腑が裂かれる、なんとも不快な感触を感じた。そして、大きく海老のように反り返った


歳三の足は、宙に跳ね上がり、踏んでいた泥の塊を

蹴り上げ、周囲に撒き散らした


慎之助が勝利を確信した瞬間だった


びしゃあ、真っ黄色な生臭いはらわたが慎之助の顔に張り付いた


歳三から飛び散ったものの一部だった


慎之助は、嫌な臭気を放つ、それを手で払い除けようとした。


その瞬間


倒したはずの歳三がまるで蛙のように跳ねた。そして、慎之助の懐に跳びこんできた


それはまさに、蛙のような跳躍力、あっという間に慎之助の懐に歳三は


ターン、タン!と飛び込んでいった


慎之助の水月に強い痛みを感じた、くっきりと


水月には歳三の天秤棒がめり込んでいた


ウグっ、


「ハハ、は、俺の勝ちだ、居合抜き!ざまあみやがれ」


大江慎之助は、ぬかるみに顔から倒れこんだ


目の前が白くなり、しだいに沈んでいく日の入りのように闇に包まれていった


慎之助は、最後の映像の中で己の顔にへばりついたものの正体を見た


それは、慎之助と同じように腹を潰されたガマガエルだった。


歳三は、ぬかるみの中に踏み込んだ時

このガマを踏み

それを、泥と一緒に慎之助へ向けて蹴り上げていたのだろう。


「ふふ、天然理心流、いや

石田豊玉流、奥義 蛙飛びとでも称しましょうかね」


ガサガサ、ガサ、

額を出血で真っ赤にして

庄屋風の男が近づいてきた。


「やっちまったのかい?」


「さあな、少なくとも俺は、こいつに斬られそうだった。 そして、この蛙のおかげで命拾いしたよ」


竹藪から、女が出てきた。


「お楽しみはこれからだぜ、どうすんだ、おっさん」


「わけえの、おめえ、大物になるよ、

まだ、女がほしいのか?」


「さあな、俺は女よりも、この頃は、もっと大きな大儀があるんじゃあねえかと思ってところだ」


提灯がひとつ、近づいてきた


「....! ...!」


娘の名を呼ぶ声がした

どうやら、家のものが迎えに来たのだろう


灯りは娘を連れ、遠ざかっていった。


「行っちまったな」

「ああ」


「おっさん、大丈夫かい」

「ああ、たんこぶができたくらいなもんだ」


「たんこぶ?

おっさん、血だらけじゃねえか」


二人は土手にあがった。


多摩の風が心地よく感じた


雲が切れて満月がその姿を表した。

月を見ながら、なんともいえない気だるさを引きずり

空を眺める二人の男

女を求めてきたはずが、酒宴のあとに残ったのは

なんだか、情け無い

ガキ大将のような野風僧二人が月を見て腰掛けていた。


祭りのあとの興醒めは、なんだか、悪い酒に酔ったあとの拍子抜けした気分のようで、

ただ、取り留めなく、さりとて、すぐに帰るわけでもなくそこに居残っている


もともとは、一人の行きずりの女を巡り、拳を交わすはずだった二人なのであるが、

女は迎えのものがやってきて、すでにそこにはおらず

結局は、一人の女を巡って、また、別の輩たちと争ったと言う不可思議な戦友のような刻を共有したおかしな出会いの二人だった。


「喧嘩っていうのは、笑っちまうような

繋がりができんだよな

こいつとだって、本当はやりあうはずだったのによ

なんだか、昔からの友がきのようにここにいる

話す言葉が、多摩だから、同じといや、同じだけどな

こいつと次に会う時は、味方だってことは、わかりゃあしねえ

まあ、大抵は、俺とやりあう立場でご登場なさるのが

俺たち多摩の常といえば常だ


いつかな、俺のまあ、がきのガキみてえなのが

この多摩川の河原でさ

憎しみあってたような奴のガキのガキとだな

手を取りあって歩いてんなってこたあ

刻という川の流れが重なれば、そんなこともあんのかもしれねえな

それも喧嘩のおかしさというもんだな」


「きのふの怨は けふの味方 あら心安や嬉しやな」


「浄瑠璃義経千本桜にそんな台詞があったよな


昔からそういうもんなんだろ?

男ってやつはよ」


歳三は、そんなことを漠然と思っていた。


見上げた月は、確かにこれからも変わらず、自分が滅したのちもこの多摩の河原を照らしていくのだろうと

そんなことが不思議に思えた。


歳三の側の庄屋風体は、割れた額の傷を手拭いで押さえ、ずきん、ずきんとする傷の痛みの鼓動を感じていた。


「いけねえな、こいつは

家のもんになんていやあ、いいんだ

いい年をして、また喧嘩、どのツラ下げて帰れんだろ

また、かかあに責められんだろうな

なんで、こんな若造と同じような気分で、俺はやっちまうだろうな、笑っちまう、

何度も繰り返す後悔、

本当、後悔あとをたたずというのが、俺なんだよな

何度も繰り返し、何度も刻は同じように繰り返すんだよ、きっと、

生まれて死んで、また、生まれ

人間は繰り返すんだろうな、やっぱりな」


歳三は、立ち上がると裾の埃をはらった

そして、庄屋風体の背後に立つと


「貸してみな」


ぶっきらぼうにそう言うと男の手ぬぐいを半分に裂き

鉢巻のように傷口に締め付けてやった


「ありがてえな、うめえもんだ」


男は礼を言った。


「なあに、おれんちは薬屋やってからよ


ほら、この薬、

武州多摩に音に聞こえしこれは妙薬


石田散薬、

打身、くじき、腹痛、頭痛

何でもござれの秘伝名薬


石田散薬って、知ってんだろ?


ほら、これ、やるよ

頭傷に効くと思うぜ」


「効くと思うぜてっか?ハハハ


そりゃあ妙薬だな、

これが音に聞こえし、迷薬、石田散薬というわけだ


ありがたく、いただくぜ」


「おっと、勘定はいるのかい?

いらねえって、?ありがとよ


それじゃあ、俺もこれをやろう」


南蛮渡来の品だろうか、ギヤマンの小壺を男は取り出した。


「なんでい、そりゃあ、抜け荷品かい?」


「はは、これも天下の妙薬、四海の果て蓬莱から取り寄せし妙薬

こいつを飲むとな、ふふふ

飲むとな


人生が倍くれえ楽しくなる薬だよ」


「へえ、綺麗なギヤマンだな」


歳三が手に取ったギヤマンの小瓶は月明かりに照らされキラキラと輝いていた。


今度、女にでもやろう


歳三はギヤマンの小瓶を懐にしまった。

そして、大きくのびをした。


「さて、けえるかな?」


「おい、わかいのおめえ、名前はなんてんだ」

庄屋風体が声をかけた 


「あああ、俺は石田の歳三、


おっさんは何て、名だい?」


「俺か?」


一呼吸して、庄屋風体は砕けた顔で言った


「中野の勝五郎、人呼んで程久保小僧藤蔵


生まれかわりの勝五郎たあ、俺のことだ」


歳三は、なんだかとても可笑しくなった


だって、生まれ変わりの藤蔵といえば

先日、総司たちを案内したばかりの高橋不動にある

あの墓のことだからである


世の中、そんなことはありゃあしねえもんだとおかしかった


...................刻は流れた..................,


明治2年(1869年)5月11日、

新政府軍の箱館総攻撃が開始された。


弁天台場が新政府軍に包囲され孤立した。

土方歳三は、五稜郭から弁天台場救出のためわずかな兵を率いて出陣した。


箱館港、

「蟠竜丸」が新政府軍艦「朝陽丸」を撃沈した。


「この機失するべからず」

土方は大喝したという。

箱館一本木関門にて陸軍奉行添役大野右仲に命じて敗走してくる味方を押し出し

「我この柵にありて、退く者を斬らん」と宣告した。


歳三は一本木関門を守備し、七重浜より攻め来る新政府軍に応戦。馬上で指揮を執ったとされる


歳三は乱戦の最中に腹部に被弾、

落馬したと伝えられる。


.......痛ってえ、じゃねえか


どこの馬鹿が、撃ったんだ、腹から血が止まらねえよ


なんだあら、、おらあ、....


立ち塞がり銃剣で串刺しにしようとしたひとりを歳三は容赦なく頭から両断した。

血飛沫があがった。


新政府軍の兵がたじろいだ。


白刃が人を真っ二つにしたのだ

銃火器の近代戦闘に移りかわる時代においては稀にみる惨劇であり


それは血も凍る思いがしたのであろう


すさまじき、剣豪の時代の終焉か


歳三は、背後から突きかかる敵を振り向きざまに斬った。まるで、舞を舞うように滑らかな無駄のない動きでスラリと斬った。


美しき、日本刀の時代の残像か

鮮血の花を咲かしてまた、敵が倒れた。


......うぐあっ! なんで、...


一発の銃声が響いた。

それは、歳三の味方であるはずの一本木関門の方から聞こえた


歳三は、そのきれいな顔から地面に叩きつけられた


北の大地がとっても冷たかった。


這いずりながら

突き刺されながら


歳三は、進んだ。


....俺は、多摩にけえる、

...多摩にけえりてえ


歳三は、軍服のポケットから何かを探した

煙草がほしかったのか?

何を探したかはわからない


そこで息途絶えた。


乱戦後

発見された土方歳三の血塗られた手にはしっかりと

ギヤマンの小壺を握りしめられていた。



土方歳三が逝った一月前 生まれ変わりの勝五郎もこの世を去ったという。


ご拝読ありがとう

またの講釈でお会いしましょう

木戸銭かわりにご感想をいただけますと嬉しいです

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