芍薬の謳(うた)
ダイニングに降りてゆくと、餃子の焼ける香ばしい匂いがした。
「ほ~ら蒼音、美味しそうに焼けてるやろ~
今日は、引越し祝いやから、冷凍やなく手作り餃子やで」
母は得意げにビールをグラスに注いで父と乾杯していた。
「うちって週四回はホットプレート料理だよねお母さん。
昨日は焼きうどん、その前は焼肉、その前は鮭のチャンチャン焼きだったね。
それ以外の日はたいていカレーかおでんが定番だよね」
「あ、それもしかして皮肉?
仕方ないやん、ホットプレートと煮込み料理は、働く主婦の味方なんやで」
「ま、僕は美味しいから、別にいいんだけどね」
蒼音は、ほろ酔い加減の母をきづかい、日々の家事労働を讃えることを忘れなかった。
両親が共働きなのは一軒家を購入するためであったことを理解しているのだ。
「本当にお母さんはがんばり屋だな。な蒼音。
新しい土地でもすぐに仕事をみつけて働きに出るんだからな~
感心するよお父さんは」
父も、ビールと餃子と新築マイホーム効果なのか、いつになく上機嫌で妻を賛辞していた。
「へへ~ん。まあね。
お母さんの仕事は介護関係やから、どこに越してもわりと早く働けるんやわ。
それより蒼音、今日学校どうやった?
うまくやっていけそう?」
「うんまあね。心配しないで大丈夫、なんとか自分でやってみるよ。
それよりお父さん達は住宅ローンのために頑張って働いてよ」
今夜は久しぶりに家族がそろう、一家団欒の夕食風景だ。
テーブルの上のホットプレートでは餃子がじゅうじゅう音をたてていて、そのテーブルの下には小町が気持ちよく寝そべっていた。
リビングの大きな窓から見える空には夕焼け雲がたなびき、絵の具を散らしたように辺り一面を茜色に染めていた。
真っ赤に染まる夕焼けを反射して、庭の花壇に咲く真っ白な芍薬の花は、ほんのり朱色に照らされている。
そして、蒼音の隣に一つ空いている椅子では、茜がちょこんと陣取り、にこにこしながらその様子を見守っていた。
会話に参加することは出来ないけれど、家族の一員のように、なんだか、とても楽しそうに微笑んでいた。
茜が嬉しそうにしていると蒼音も不思議と嬉しかった。
その光景にはまるで違和感などなかった。
庭の片隅に植えられた芍薬の葉が茂り、さわさわと風をうけて揺れている・・・
蒼音の母が、時バアから株分けしてもらった芍薬の若木。
この地に終の棲家を建てると決まった時・・・・
母は庭の一角に、木を植えにやってきた。
地鎮祭を終えたこの敷地に、郷里から大事に大事に抱えて持ってきた芍薬を植えた・・・・
何故この花を選んだのだろう?
真っ白な花弁が純真だから?
穢れない天使のようだから?
母の願い通り・・・芍薬はこの地で根付き再生したのだ。
かぐわしい香りを解き放ち・・・
たわわなまでの見事な姿を開花させ、今を盛りと繚乱している。
この世の生を謳歌している。
《・・・・ねえ?・・・・・・
聞こえる?
聞こえている?
よかったね。
本当によかったね・・・
ひとりじゃないよ・・・
きっと大丈夫・・
いい方向に向かっているよ・・・
よかったね・・もうこれで安心だね・・・・・・》
ふと耳を澄ませば・・・・花たちのささやき声が風に乗って輪唱しているかのようだ。
葉ずれのささやきに同化しながら、花たちの歌声が木霊している。
もうずっと前からこうしてこの家族の輪にいたかのように、茜は話に耳を傾けて会話を楽しんでいた。
蒼音はふと考えていた。
(もしかすると僕が今日まで気がつかなかっただけで、茜はもうずっと前から僕達の傍にいたのかもしれない。
でも・・・・どうしてなんだろう?
どうして茜は僕達の傍にいるのだろう?
本当に行き場所がないだけなの・・・・?
だとしても・・・・溶け込んでいる・・・
僕達に馴染んでいる・・・・
あ・・・この感覚、さっきも感じたけど・・・・
なんだろう?
この感覚・・・僕・・・・・覚えているような気がする・・・・)
うまく表現できない不確かな記憶だけれど、蒼音は頭で考えるよりも何よりも・・・
もっと身体の奥底から感じとるように、おぼろげな記憶を手繰り寄せようとした。
ただ今はまだ、その感覚を正確に思い起こすことは叶わなかった。
何故ってそれは、今日一日でいろいろなことが蒼音の身の上に起こったからだ。
引越、転校、そして、二人もの女の子に声をかけられたのだから。
一人は童女の幽霊だったとしても、吉事と呼ぶべきなのだろうか?
蒼音にとってこれはかつてない位の出来事であった。