おむすび
とうとう三人は山頂に到達することは叶わなかった。
琴音を救出する頃にはもう午後を回っていたからだ。
学年の子達は、山頂でお弁当を食べ終え、記念撮影をし、そろそろ下山する時刻だった。
お弁当も食べ損ねてしょんぼりする三人を不憫に思い、五十嵐先生は機転をきかせ、彼らを山頂ではないが、下山途中の五合目付近にある小さな展望台へと連れて行ってくれた。
ひとまずは、琴音は急を要する容態でもないということで、昼食を摂ることを優先してくれた。
麓で待機する先生方に携帯電話で、三人が無事に見つかったことを報告してくれた。
琴音が怪我をしているので、自分達は乗ってきたバスでなく、タクシーで帰る話しもつけてくれたようだ。
展望台からの眺望はそれなりに快適で、下界の町並みが一望できた。
一時雲が出ていたが、今は再び晴れ間にかわり、心地よい風も吹いていた。
額に流れる汗が幾分乾いた気がした。
展望台の小さなあずま屋の下で、先生も含めた一行はさっそくお弁当を広げた。
滑落したおかげでお弁当はいびつに寄って、おかずは混ざり合っていた。
「ああっ・・・
せっかくの特大おむすびが、ぺちゃんこになってる・・・・」
蒼音は、大好きなおむすびの変わり果てた形を見て嘆いた。
他の二人のお弁当も、似たりよったりの悲惨な結果になっていた。
それでも余程空腹だったのだろう、三人はおのおの夢中でおむすびにかぶりついた。
蒼音は米の一粒一粒をも噛み締めた。
美味しい。本当に美味しかった。
これほどまでに、お腹を空かせてご飯を食べたのは久しぶりのことだ。
五臓六腑に沁み渡る、とはこういうことを言うのだろうか?
時バアがかつて教えてくれた・・・
《お米一粒の中には七人の神様がいてはるんよ。
だから一粒も食べ残したらあかんのよ》
お米が出来るまでには八十八回も手入れと手間がかかるという。
その意味が今なら蒼音にもよくわかる。
だってこんなにも滋味に溢れて美味しいんだもの。
徐に、おかずの入った弁当箱を開けると、小さく丸めた手紙がラップに包まれ中に添えられていた。
(何だろう?)
蒼音はそっと開いて読んでみた。
《蒼音、今頃は山頂かな。がんばって登ったね。
たくさん食べて元気に下山するんよ。
山の話いっぱい聞かせてや。お母さんより》
それは、母から息子への小さなエールだった。
(・・・お母さん、僕・・・
今日失敗したんだよ。
ものすごく失敗して迷惑かけたんだよ・・・・)
母から手紙をもらうなど初めてのことだ。
それもたった三行の短い言葉。
余計なことは何も書いていなかった。
だけど、それが余計に蒼音の琴線に触れた。
今日の事件、母の気遣い、小さな頃からこれまでの、寂しくて不安だった小学校生活。
全てが心の中で、ごちゃごちゃに混ざりあった絵の具のように混同していた。
蒼音はおむすびを頬張りながら、涙が頬を伝うのを止めることが出来なかった。
もう泣くまいと誓ったはずなのに、意思とはかかわりなく、涙腺から熱いものがほとばしった。
(お母さん、僕、強くなりたい。
もっと強くなりたい。
こんな僕でも強くなれるのかな?)
どうして涙がこぼれるのか、蒼音にもわからなかった。
悔しいから?
悲しいから?
痛かったから?
ほっとしたから?
わかったことは、泣きながら食べるおむすびは、やっぱりとても塩っぱいということ。
塩加減が濃いめの母のおむすびは、涙味でさらに塩っぱく、そして・・・・何故かじんわりほろ甘かった。
泣き出す蒼音をどう慰めたらよいのか?茜音はおろおろと彼の周囲に漂い困り果てていた。
「あ、こいつ泣いてる!?
おい園田君どうしたんだよ。なんで泣いてるんだよ」
「園田君?どうしたの?・・・
もしかして今日のこと気にしてるの?あたしだったらもう大丈夫なのよ。
捻挫したくらい平気よ。
転がったおかげで御神木に会えたんだから、むしろ・・・結果的によかったのよ」
「おいおい園田どうした?
おむすびがそんなに美味しいのか?ん?
素直なやつだな~」
先生も皆も、誰も蒼音を責めはしなかった。
涙が枯れて落ち着くまで、静かに黙って見守っていてくれた。
(おむすび美味しかったって、帰ったらお母さんに伝えなきゃ。
それから茜音にも、いつかこのおむすびを食べさせてやりたいな)
泣きながらおむすびをほおばる蒼音の後ろ姿を、茜音は優しく見守っていてくれた。
すっかりおむすびを食べ終えた一行は、それからゆっくりと下山して帰路についた。
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前編~中編へ続く




