夢
夕方、母が帰宅すると蒼音は時バアから電話があったことを伝えた。
「時バア何って?」
「うん、みんな元気にしてるか?って。
あと・・・夏休みは遊びに来れるのか?って聞いてた」
「夏休みか・・・
職場が変わったばっかりやから、いきなり長く休暇はとられへんしな・・・・
そや、蒼音、秋の連休に三泊くらいやけど、その時に時バアのとこ行こうか?
あんた再来月にはとうとう十歳やもんな。
時バアんちで誕生日祝いしよっか。
そうやな・・・・・・もう十歳か・・・・
早いもんやな月日の経つのは・・・・
九つ。じゃなくて十歳か・・・・
ほんま早いわ、あっという間やった。この十年。
うん・・・・
あっという間やったわ・・・・・・
夢中で仕事してきて、後ろを振り返ることも少なかったな、あかんなそれじゃ。
でも、ほんま早いな、月日が経つのは。
お母さんも歳とるわけか・・・」
母はいつになくしんみりしていた。
ダイニングテーブルに腰掛け、肩肘をついてしばし物思いに耽っていた。
子供の成長を嬉しく思う反面、寂しくもあったのだろうか。
どこか遠くを見るように、ふと憂いを帯びた表情を見せていた。
そんな切ない母の横顔をみるのは、蒼音にとっては初めてのことだった。
蒼音はそれ以上、その話を続けることさえ憚られた。
「お、お母さん・・・・・
あのさ・・・・」
蒼音は母の意識を確かめるように、遠慮がちに声をかけた。
「ん?何?何かゆった?」
ふりむいた母は、いつもの表情に戻っていた。
「あ・・・あのさ、来週登山遠足があるんだ。
はいこれお便り。
だから、忙しいだろうけどお弁当よろしくね。
それから僕、絆創膏係になったから買っておいてね」
「ふむふむ・・・
へ~面白い遠足やな。頑張らんとな。
お弁当任しといて、お母さんも頑張って作るわ!」
いつもの母に安心した蒼音は、再び宿題にとりかかることができた。
その夜。
澄み切った夜空を見上げると、大きな月がぽっかりと浮かんでいた。
仰ぎ見ると、幾千幾万の星がそこかしこに瞬いている。
銀河の遥か彼方では、今この瞬間にも星が誕生し・・・
同時に、散りゆく星もある。
だとしても、自分を取り巻く世界は、緩やかに過ぎてゆく。
劇的な変化はなくとも、この世界は確実に変化している。
未来に向かって旅をしている。
何処を目指し、何を求めているのか?
行き着く果てには何があるのか?
誰にもわからない。
わからないまま、時は刻む。
月は満ち欠けを繰り返し・・・・
花は咲き乱れ・・・
朽ち果て枯れ落ち・・・・
そして種が眠り・・・再び芽吹き出す。
繰り返される生命の輝き。生死の条理。
与えられたほんのちっぽけな時間の中に、語り尽くせぬほどの想いが交差していた。
同じ夜、蒼音は夢を見た。
月日を重ね大人になった蒼音が夢の中に在った。
そしてその横に茜音の姿も在った。
けれども、茜音の時間は止まっていた。
幼女の幻影を汝の魂に宿したまま・・・
過去も未来もなく、時空の狭間に独り取り残されて、虚空を掴むような眼差しで蒼音を見上げていた。
・・・あの夢はどういう意味だったのだろう?
何かを暗示しているのかな?
それともただの夢?
夢から醒めた時、蒼音の中で変化が起きていた。
本人さえも自覚できぬ発露。
小さな小さな心の戸惑い。
けれども、夢の意味が掴めないまま、消化しきれぬ思いを胸に隠し、蒼音は数日をやり過ごした。