8.フィーニス家の日常
体験した、い…いいえ…体験したというよりは、目撃した、と言った方が正確な表現でしょうか…まったく理解を超えていたのですけど……あ、ありのまま、今、起こった事をお話します。
何を言っているのか、解らないと思いますが、私にも、何故こうなったのかよく分からなかったのですが、見たまま、ありのままを、お話しますね……
まず基本情報として、この辺境の地は魔物と戦う人が多い場所です。だからかどうかは判りませんが、大柄な人が多いと思うのです。その関係か、屋敷や家具も私から見たら全て大きな作りになっています。当然、この辺境伯家のサロンの天井も(私からすれば)遥かに高い所にありまして。
その高い天井に向けて、メイド服を着た女性がひらり…と舞いました。とても高く美しい飛翔を見せたかと思ったら、彼女は空中でくるりと華麗に前転を決めて…
その回転する勢いのままに、その長い脚から、踵を、イザークさまの頭に落としまして(もの凄い破壊音と共に)
それも、右足、左足の連続コンボで(とても、美しく決まりました……)
当然ながら、背後からその攻撃を受けたイザークさまは、為す術なく床に沈みまして(彼が倒れ込んだ時、屋敷がズゥゥゥゥンと揺れました)
その、倒れ込んだイザークさまの後方に、しゅたっ…と軽く着陸したメイド服姿の女性…ピアでした……遅れてふわりとスカートが下りて来て、その長く美しい脚を隠しまして……
「ピア、ご苦労。特別褒賞を確約します」
そう言ったのは後ろから現れたハンナ。
「有難く」
ピアはその言葉に恭しくお辞儀をしました……。
えーと……
私はいったい、何を見たのでしょう?
「ギル」
ハンナが彼女の後方に向けて声を掛けると、家令のギルベルトがやってきました。彼は無言のまま私に美しく一礼すると、倒れたイザークさまの足首をむんずっと掴み、ズルズルと彼を引きずって退室しました。
もう一度、言います。
私は、いったい、何を見たのでしょうか?
「ハンナ。いつも面倒をかけますね」
ゆったりと微笑みながらお義母さまがハンナに語りかけます。
「いいえ、奥様。私の仕事の範疇でございますので」
優雅に穏やかに、ハンナがお義母さまに軽く頭を下げました。ピアもその隣で黙って一礼しています。
お義父さまもこの状況を笑顔で見守っています。弟君二人も、ヤレヤレといった感じで動じていません。
……なんなの、これ。
私の記憶が確かならば、イザークさまは、ここフィーニス家の当主のはずですが。ですが、今、私が見た彼の扱いは、その、とても当主への扱いではなかったような気が、します。
しかし、フィーニス家の人たちも、侍女のハンナもピアも至極当然という顔をしています。何より私の前にいる精霊王さまも平然としています。“守護”精霊だったのでは?!?! もしや普通のこと? これは日常茶飯事だということ?! 焦っている私の方が異端?!
「アリスさん」
お義父さまが私に向き直りました。
「当主夫人と火の精霊の王との顔合わせが済んだ今、本当の意味で当主引継ぎが済んだと見做される。我々は別邸に引き上げるよ」
「え? 引き上げる?」
「ふふ。いわゆる“隠居生活”ね。前当主夫妻がいつまでも本邸宅にいたら、示しが付きませんものね」
お義母さまがそう言ってお義父さまの隣に並び、そっとその腕に触れにっこりと微笑みました。
「んー? もしかして、俺たちも独立した方がいいってこと?」
シュテファンさまとカミルさまがお義父さまに伺うと、
「そんな事は5年も前から言っているだろう」
と、呆れた顔で応えるお義父さま。
「本当なら結婚式翌日の朝に済ませる話だったのだけど、肝心の当主がヘタレて逃走していたから、ねぇ」
やれやれといった風情で肩をすくめるお義母さま。そして私の両手を取って、優しく握りました。
「新たな辺境伯夫人としての活躍、期待してるわ。そしてあの子の事、頼みます。我が息子ながら、戦闘狂で魔物討伐にしか能のない無骨者だけど、根は優しくていい子なのよ、本当よ? だから、見捨てないでやってね」
……お義母さま。妙な念押しは裏を疑いたくなるのですがもにょもにょもにょ。
「後のことはハンナやギルベルトに聞いておくれ。彼らは信頼できるし有能だ」
……お義父さま。確かに、先程のハンナとギルベルトの連携プレイは見事でした。心強いことです。
『我もおる。嫁御はなんの憂いも必要ない』
笑顔の精霊王さま。はい、頼りにしてます。
……さきほどお義母さまが仰っていた“辺境伯夫人としての活躍”とは、やはり子造りのことなのでしょうか? 今の私には難しい命題ですが、が、頑張ります!!
……肝心の当主さまが、あの扱いなのは……全力で見なかった事に致します! (キリッ)
ピアさんは戦うメイド
南〇白鷺拳の使い手かもしれない