25.身内が被害を受けていたのに黙って許すフィーニスは居ない
「俺、商談であちこち行くだろ? そのときお前の魔法学校時代の先輩とか同級生が、結構話しかけてくれるんだぞ? お前が学生時代、モテてたって話も聞いたぞ?」
兄さま、なんてこと言うのですか? 私の隣に座っている旦那さまからざっと殺気が溢れましたよ⁈
「は? わたし、モテたりしてませんよ?」
事実は正しく伝えなければなりません。だというのに、兄さまは呆れたとでも言いたい顔で私を見ます。
「どうしてお前は、そう自己評価が低いんだ? ……あぁ、姉上のせいか。確かにあの派手な美人と比べれば、お前は大人しめだが、ちゃんと可愛い部類に入るぞ? だからこそ、いじめられていたとも聞いた」
兄さまの言葉に、それまでにやにやと聞いていた、他のフィーニス家の方々の雰囲気も変わりました。……ん? 使用人たちまで、動きを止めて聞き耳を立てているような……?
「よく上級生の女子学生に絡まれて困ってたって聞いた。お前なぁ、そういうことはちゃんと先生方や、せめて家族には相談しろよ。騎士科の男子学生によく誘われていただろう?」
そういえば、そんなこともありました。
「あぁ、確かに。騎士科の男子学生からはよく声をかけられましたね。でもそれは、私がフィーニス辺境伯家当主の婚約者だったから、だと思いますよ? 私に顔を売って、将来の就職先へのアプローチにしようとしていただけです」
「アリスちゃん、セドリック様」
それまで黙って私たち兄妹の話を聞いていたお義母さまが、突然話に割り込んできました。
「うふふ。さすがアリスちゃんね! 魔法学校時代、騎士科の男子学生に誘われていたなんて! マドンナだったのかしら? わたくし達世代では、モテる女子学生をそう呼んだものよ?」
マドンナ? なんていたかしら?
「いえいえ! そんなんじゃないですよ! モテていた訳ではなく、フィーニスの口利きにしたいという思惑のうえで彼らは声を掛けてきたんですよ」
真実をありのままに話さねばなりませんね。先程から暑苦しくも剣呑な雰囲気を醸し出した旦那さまの為にも。
「んー? でもぉ貴女から、そんな口利きして欲しいなんてお手紙、貰ったことないわよぉ?」
お義母さまは頬に手を当てて考える素振りを見せますが、どことなくわざとらしい仕草ですねぇ……。
「そりゃあ、婚約者如きにそんな権利ありませんもの。そんな手紙、私も書いたことありませんよ」
誰一人、名前なんて憶えてないし。私、人の顔は覚えられても名前を覚えるのは苦手なんですよねぇ。
「で? 騎士科の男子学生に声を掛けられるから、女子学生からやっかまれた? と言ったかしら? セドリック様」
お義母さまは兄に話しかけます。
「えぇ。裏庭に呼び出されて囲まれ、上級生の集団に口汚く罵られていたと聞きましてね。――本当のことなんだろう? アリス?」
この次兄の怖い顔って、久しぶりです。
あぁ、はいはい。そういった上級生のお姉さま方、いましたねぇ……。今となっては懐かしいくらい。
そんな過去のことより、私としては隣に座っている旦那さまが先程から出し続けている剣呑な気配の方が気になるのですが。
旦那さまのお顔を見てはいないけれど、途轍もなく不機嫌になっているのが判りますもの。
「貴女に粉かけた野郎は誰か、覚えている範囲で教えて? ついでにぃ、というかコッチが主ね、不届きな女子学生とやらも」
と、お義母さま。
何故かニッコリ笑顔なのに、怖い雰囲気を纏っています。……あら? もしかしてお義母さまも不機嫌でいらっしゃる?
「本当にそんな奴が、フィーニスに来たがってたの? もしかして警備隊に新規入団した奴ってそれ? まじで? 本当に力を誇示したくてフィーニスを選んだのか、それとも他意があったのか、確認した方がいいよね、兄貴」
と、シュテファンさま。
唇の片方だけを上げて笑っていると、なんだか悪人顔に見えるから不思議ですねぇ。
「さんせーい。邪な思惑を持った奴を一門と呼びたくないでーす。それに他力で来ようとしてたのなら、それはそれでうざい。そんな輩ここにはいらない」
と、カミルさま。
お義母さまそっくりなお顔で笑顔を消すと、怜悧な美貌が際立って薄ら寒くなります……。
「義娘をイジメていたとかいうフザケタ上級生の家名、ちゃんと聞きたいなぁ」
と、お義父さま。
お髭を撫でながら、とってもダンディなご様子。なのにこめかみに青筋が見えます……。静かにお怒りモードに入ってらっしゃる?
隣からひしひしと伝わる暑苦しい怒りの波動に、恐る恐る旦那さまを見上げると。
あら、いつの間にか火の精霊の王が側にいます。なにやらお二人でぼそぼそとお話をしていますが、何を相談しているのかしら。
と、思ったら精霊王さまが私の顔を見て、ニッコリと微笑みました。
『うむ。とりあえず、アリスを罵り謂れなき誹謗中傷をし、妙な価値観を植え付けたとかいう女子学生の顔を思い浮かべよ』
そう言いながら精霊王さまが私の額に手を伸ばしました。優しく温かい手がそっと触れて……意図せず、脳内を次々に映像が駆け巡ります……校舎の裏手に呼び出されて、上級生のお姉さま方に囲まれた日……口汚く罵られたこと……ワザと髪を引っ張られたり、足をかけられ転ばされたりしたこと、……庇ってくれた同級生……懐かしい日々です………。
『うむ、こいつらか。覚えたぞ。――イザーク、時間はかかるかもしれないが、特定は可能だろう。火を使わぬ家はないからのぅ』
私の額から手を離しながら、精霊王さまがそんなことを言う。なんというか、にやにやと、とても人の悪い笑顔で。(精霊の王さまに対して“人の悪い”という表現はどうかと思うけれど、そうとしか表現できないのよねぇ)
「おやおや。サラマンダーの王たる者が、自ら出陣か?」
お義父さままでニヤニヤと悪そうなお顔で笑ってます。
……というか、先程からみなさま、なぜそんなに悪人のような笑顔でお話してますの? なにか悪巧みしている悪の巣窟みたいな雰囲気をビシバシと感じますよ⁈
『まさか! なぜ我が出向かねばならぬ? 生まれたばかりのちび精霊に至るまで火の精霊を引きあげさせる。それだけの話よ。まぁ、今後、火は使えぬがな。それだけで、人の子は死にはしない』
「あぁ、確かに!」と、お義父さま。
「まぁ、それはとても楽しいお話ですこと!」と、お義母さま。
「本当に!」
「はっはっはっは」
シュテファンさまもカミルさまも、楽しそうです。
えぇと……私の理解力が正しければ、火が使えないって割と死活問題になりませんか?
煮炊きが出来ないと美味しいご飯が食べられません。お湯も沸かせなければ入浴も出来ませんし。夜はランプも灯せないという状況になるのでは?
これから冬になれば暖炉に火をいれる日々になるはずですが、それも出来ないとなると……冬でも暖炉を使わない温かい地方への避難が必要になりますねぇ……水の精霊の加護があれば、死にはしないでしょうけど、生活に支障はバリバリ出るでしょう……。
「……あのぅ……」
私が恐る恐る旦那さまに話しかければ
「大丈夫、アリスが気に病む必要などない」
にっこり笑顔ではっきりと返答がありました。
『アリス。我の眷属が、いま全力をあげて探しておる故、何も憂う必要はないぞ』
うわぁ……。
精霊王さまもいい笑顔。こちらには負の気配は微塵も感じません。うん、楽しんでいらっしゃるようで、何よりですね! ……って、いいのかしら。
ポン ポン
旦那さまの頭ぽんぽんが来ました。
お顔を拝見すれば、にっこり笑顔。これは止め立てする方が無粋だと言われそう……。
「ほどほどで、許してあげてください、ね?」
今となっては、私にとってはどうでもいい人たちなので。
◇ ◇ ◇
この後の話は、この時の私は本来知り得ないのですが。
私を目の敵にしていた上級生のお姉さま方は5名ほどいたのですが、その内の1名に、火の下級精霊の加護がついていたお嬢様がいたそうで。
その下級精霊がある日、“精霊王の怒りを買ったお前とはこれ以上一緒にいられない”と告げ、彼女の元を去ったのだとか。それとほぼ同時に家ではありとあらゆる火が使えなくなり、彼女と行動を共にしていた他のお友だち4名の家でも同様の目に合い。他の家では原因も解らず、突然火が使えなくなった怪事件に右往左往していたそうです。
夜はランプも使えず、厨房の竈に火を入れる事も叶わず。離れた場所で湯を沸かす事に成功しても、件の彼女の元に持っていけば、即座に冷水となってしまう現実。
慌てて神殿へ駆け込み、火の精霊王を呼び出すよう依頼しても、火の精霊王はフィーニスに常駐していて王都に顕現する気は皆無だという返事に絶望したのだとか。
同時に火の精霊王からの伝言は『フィーニス辺境伯の嫁に謝罪に出向けば考えてやらないことも無い』というもので、精霊王の怒りの根源が周知のものとなり、アリス・アンジュに対してなされた嫌がらせの数々も明らかになったらしく。皆様それぞれお嫁入り先だったり、実家だったり、立場は様々でしたが、辺境伯家の婚約者(当時)になんてことを仕出かしたんだとお叱りを受けたのだとか。
2名程、謝罪に訪れたので知り得た情報です。
謝る気のなかったらしい3名は、孤独な生活を強いられているのだとか。えぇ、同じ家で生活しなければ、他の家族や使用人は火を使えるのです。隔離してしまえ、となるのもむべなるかな。
と、同時に私を庇ってくれていた同級生の友だち2名からは、火の精霊の加護が付いた! という喜びのお手紙が届きました。冷え性からの脱却おめでとう、と返事を書いたのは私です。




