21.話をしよう
温かな日差しが私を照らす。ぽかぽかする。
のどかな風がゆるく吹く。遠くに森の木々がさざめく音が聞こえる。鳥の鳴き声も微かに聞こえる。
そして放置される私。
え? え?
つまり、なに?
これってば今、私は花畑の中心にブランケットを敷いてお昼寝しているような状態、なのでは?
あれぇ?
さっき旦那さま、私の側に来たわよ、ね? 頭をぽんぽんって撫でてくれたよ、ね?
私あれ、ちょっとドキってしたのよ? 胸が高鳴るっていうの? 嬉しかったのよ?
でも。
でも、今は……放置。
ブランケット敷いて、私をその上に寝かせてからどこかへ行っちゃった。
なんということでしょう。
呆然としてしまった。
これは、いつもの私なら寝て忘れるパターンよね。睡眠に逃げて、取り合えず目の前の問題から目を逸らす。時間を置いて冷静になってから、棚上げした問題に取り組むか、或いはそのまま無視して無かったことにするか、考える。
うん、体勢も体勢だし、寝ちゃおうかな。
雲が出てきたのか、日が陰った。
ポカポカ陽気が遮られ、涼しい風を感じる。
眠気は来なかった。
……うん、……ちょっと冷静になった。
旦那さまは、私が言った“来ないで(欲しい)”という意見を尊重してくれているのだ、と思う。だから、今、私は一人で放置されている。そう私が願ったのだから。
でも、旦那さまの意見としては、地面に寝転んだ状態のままで居て欲しくなかった。だから、温かいブランケットを敷いた。
じゃぁ、あの“頭ぽんぽん”は、何だったのかしら。
……もしかして。
……本当に、もしかして万が一、だけど。
……旦那さまは、私を慰めたかった? だから、“頭ぽんぽん”? してくれたの?
もし、私の考えが正しいなら。
旦那さまは……もしかして、すっごく優しい方、なの、かも、しれない……。
私は、何をしているのだろう。
旦那さまが花畑に連れて来てくれた。
ちゃんと私と向き合って、真摯にお話してくれた。
それなのに、ひとりで勝手に怒って、勝手にショックを受けてがっかりして、勝手に泣いて、勝手に放置を願ったくせにその事実に失望して。
馬鹿じゃない? いや、馬鹿だ。間違いなく、馬鹿だわ私。
旦那さまは、私の意見を尊重してくれる。
ちゃんと、私の言葉を聞き入れてくれる。
私、無意識に旦那さまに甘えていたみたい。
母親が昔してくれたみたいに、泣いている子どもを起こして、涙を拭いて。優しく抱きしめて慰めてくれる事を、期待していたんだ。
でも。
こちらがそういった要求をしてないのに、してくれないと落胆するのは間違いよね。
旦那さまが私を放置するのも、私を尊重しての事。
……こんな形の優しさもあるのね。
ゆっくり、もそもそと身体を起こす。まだブランケットの上にへたり込んだままだけど、寝転んでいるより、マシよね。
あーぁ、真っ白いエプロンドレスが泥で汚れちゃったな。両手の平も泥に塗れてる。
ちょっと、擦り剝いちゃったかな……。ふふっ。ハンナたち、まさか私が転ぶことを見越してこのお衣装を用意した訳じゃないよね? もし、見越していたなら凄いなぁ、預言者レベルよ。辺境伯家のメイドさん達は有能だって思ってたけど、有能にもほどがある。
「治療する」
はい?
ふいに至近距離で旦那さまのお声が。
私の側にしゃがみこんだ旦那さまが、私の手をとって、痛ましそうな表情で見ている。
え?
いつの間に、側に来たの?
小振りの革袋(飲み口付き)から水をちょろちょろと出して、私の泥だらけの手を洗う旦那さま。タオルで水分を拭うと、腰に付けたベルトにぶら下がっていた小箱から貝を出した。……貝? ぱっかりと開けると、そこには貝の中身……ではなく、軟膏が入っていた。へぇ……貝の軟膏入れ、初めて見ました。
マジマジと見ていたら、「ハンナが調合したものだから、効き目は確か」と、旦那さまが仰った。そして
「すまない。エリクサー持ってくればよかった」
と、暗い顔で仰った。
イヤイヤイヤイヤ、こんな掠り傷でエリクサーは無いわ!
「ポーションも常備してなくて……すまない」
イヤイヤイヤイヤ、こんな掠り傷で(以下略)。
旦那さまは、私の両掌に軟膏を塗りこんだ後、包帯を出してぐるぐる巻きにした。そして痛ましそうな表情で私の手を見詰める。
ふと、上を見て驚いた。
タープがそこに。
雲が陰ったのではなく、タープが私の上に移動したから日陰になったのね。
斜め後ろを見ると、簡易椅子と簡易テーブル。テーブルの上には茶器。
え。
いつの間に?
イヤイヤイヤイヤ、私、だいぶ走りましたよ? 最初にタープを張ったのは、もっと森の近くでしたよね? こんな花畑のド真ん中ではなかった……。
移動させたのですね、旦那さま。
何時の間に? 物音、全然、しませんでしたよ?
私の為に。
私の為だけに、辺境伯家当主に、ここまで労力を払わせるなんて、なんて贅沢な事でしょう! 日が陰ったなぁと思った後も、私は随分長い事うつ伏せの侭、あれやこれやと物思いに耽っていたのだけど。
その間、もしかして、旦那さまは私から離れた、気配の感じないくらいの距離に、ずっと居てくださったの?
ずっと、見守ってくださったの?
私が泣き止むまで。
物思いから納得するまで。
私が起き上がったから、もういいかなって思ってすぐ側に来てくださったの? もしかしてもしかすると、もっと早く怪我の手当をしたかったの? だから、そんな痛ましい物を見る目で私の手をご覧になっているの?
「旦那さま」
私が呼べば、顔を上げて私の目をちゃんと見て、何? というように首を傾げる旦那さま。
「お茶が、飲みたいです」
そう、我儘を言えば。
やわらかく目を緩めた旦那さまが無言のまま立ち上がった。私をお姫様抱っこで抱き上げて。簡易椅子の上にそっと下ろされ、頭をぽんぽんって、撫でて。
お茶の支度をしてくれました。
これは――。
妻に対する扱いなのでしょうか? それとも子ども扱いなのでしょうか?なんとも面映ゆいのだけど。
大切に扱われている事だけは理解できるので、どちらかなんて言及しなくてもいいかな、なんて思ってしまう。
旦那さまは竈の用意をしながら問う。
「アリスは、先程の話の中で、何に一番ショックを受けた?」
「え?」
「ちゃんと、話を、しよう? そうだろう?」
旦那さまは、何日か前に私が送った手紙の中身の事を言っているのでしょう。あの手紙で私は“お話をしたい”と訴えたから。ちゃんと、読んでくれたのですね……。
呆気なく小枝に火が着く(またしても小さな火の精霊が視えました)のを横目に、私は泣いたショックからでしょうか、洗いざらい、話してしまいました。何に一番ショックだったのか、自分でもよく判らなくなってしまったせいもありますね。
ずっと泣くのを我慢してきた事。
学園では上級生に私たちの婚約を非難された事。
家族には迷惑かけないようにって思ってた事。
付与魔法を習得する為に、すっごく努力した事。
でも却ってご迷惑をおかけしたようで、ごめんなさい、という事。
そう言えば、ハンナ達が旦那さまのシャツ、売りに出せるって言ってた事。
旦那さまに会えないままの婚約期間が不安で仕方なかった事。
私の話は要領を得ない上に、右往左往するし、時系列はバラバラだしで、聞きづらかったと思うのに、旦那さまは根気強く付き合ってくれました。旦那さまからの質問もあって、話が弾みました。
私が思っていたあれやこれやを話し終えた時には、お茶は二杯目を飲み切るまでに時間が経っていました。お腹も空いたのでバゲットも頂きました。とても美味しかったです。厚みのあるビスケットもとても美味しいです。ビスケットに添えられたクリームは、フィーニスに来てから知った味です。お気に入りです。美味しい物を食べると、人は元気になりますね!
美味しい物を食べて、美味しいお茶を頂いて、いっぱいお話をして。
気候は良いし、景色は良いし、旦那さまは美丈夫だし、私の拙い話をきちんと聞いて下さるし。
なんでしょう、概ね満足です。いえ、寧ろ大満足です。すっきりしています。
お話をしながらも、旦那さまが時々、遠くへと殺気を飛ばしている事とか。
恐らく、結界を何重にも張り直している事とか。
その点は言及すべきなのか、甚だ疑問ではありましたが、なんだか訊いて欲しくはないようだったので、私は言葉を飲み込みました。
訊きたい事は別にあったので。
「旦那さまの叔父上さまに、お会いする事は叶いますか?」
どうして私との縁談を結んだのか、叔父上様ご本人にお会いして確認したかったのです。こんな事に拘るなんて心の狭い女だとは思うけれど、政略結婚にしても、その理由が知りたいなって。納得したいなって。
旦那さまは帰ったら、すぐに会えるよう手配すると約束して下さいました。
「アリス、これを」
旦那さまが、水に浸した小さなタオルを私に手渡しました。受け取ると、あら冷たい。何の為のタオル? と思って旦那さまを見ると、ジェスチャーで目に当てろ、と。
あぁ、泣いたから目が腫れているのかもしれません。
椅子の背もたれに寄り掛かり、顔を上に向けて冷たいタオルを目の上に乗せます。冷たいタオルなんて、どうやって用意したのでしょう。不思議に思って訊くと、熱に関する事は高くても低くても扱う事が出来る、とのお返事でした。火の精霊のご加護のお陰だとか。本当に、旦那さまは有能で優秀ですねぇ。
……ホント、私の付与魔法なんて……。
「……アリス、誤解、しているみたいだから、言うが……、その、今まで、俺は、自分の嗅覚で、毒物を避ける事が、可能だった。だが、その、毒性を帯びた物は、美食な物も、多くて……今まで、本能的に避けて食べなかったのだが……アリスのお陰で、美食に挑戦、出来る、と思って……嬉しかったんだ……」
思わず、タオルを外して旦那さまのお顔をまじまじと拝見してしまいました。
美食に挑戦、してみたかったのですね……。そこはかとなく、嬉しさが伝わるお顔、してます、ねぇ……。
「フィーニスの野郎どもは、わりと無鉄砲な輩が多くて……美味いモノなら多少の毒があっても平気で喰らうような猛者ばかりで……俺は、匂いを嗅いだ時点で、駄目なものは駄目だと忌避してきたのを、よく、嗤われてきたんだ……」
なるほど。それは見返すチャンス! って事になりますね!
「それに、フレイから、魅了を中心に君が付与魔法をかけていたと、聞いて、なんだか、その、アリスに、嫉妬、して貰えたようで、その、……嬉しくて……言い方が悪くて、アリスの気に障ったようで、……申し訳なかったが、俺は、本当に、嬉しかったんだ……」
旦那さま……。どうしましょう、私、きっと顔が赤くなってるわ。
頬が熱くて、体温が高い気がする……。恥ずかしい……。
そうですよ、だって私、ずっとイザーク・ヴァルク・フィーニスという人に憧れていたのだもの! その人を夫に出来るって、嬉しかったんだもの! 独占、したかったんだもんっ!
その醜い嫉妬心を、まさか嬉しいだなんて……。そんな風に言って頂けるなんて……。
恥ずかしいのに嬉しいって、いったいどういう感情なんでしょう……。はぁ、顔が火照って暑いくらいです。
森の方を見詰めていた旦那さまが、一つ、溜息をついて「そろそろ引き上げ時か」と仰りました。
見上げればだいぶ風も強く、雲が出ています。もしかしたら雨が降る前触れかもしれません。
「屋敷で、皆がアリスの為に準備している」
てきぱきと茶器やらテーブルやらを片付けながら旦那さまが仰いましたが、私の為に、何の準備をしていると言うのでしょう。
首を傾げていると、旦那さまが優しいお顔で私に言いました。
「誕生日、だろう?……アリス、18歳、おめでとう」
え?
――あ。
そうでした!
今日、私の誕生日でした!
すっかり忘れていました……嫁いだ日に、“来月には18歳になる”ってちゃんと覚えていたのに、旦那さまがあれやこれやで二週間も行方不明になっていたから、月を跨いだ事もすっかり失念していました!
自分の失念に驚いていると、旦那さまは悪戯が成功した時の甥っ子みたいなヤンチャな笑顔をしていました。
あれ?
「もしかして、……だから、この花畑に、連れて来てくれたの、ですか?」
私の誕生日だから




