18.愛の詩はうたえない
「あの、言葉?」
旦那さまからは純粋な疑問の気持ちが伝わってきました。
「『俺の愛は期待するな』という言葉です」
私も疑問だったのですもの。訊かずにはいられません。
「……そのまま、の意味だ」
「それはつまり、私を愛することは出来ないという宣誓ですか?」
私が再度言葉を替えて問いかければ、旦那さまの雰囲気が焦りの気配を纏いました。
「! 違う! そうじゃない! ……あぁ、そうか、そういう意味に取られる、のか……そうじゃない、」
声が、オロオロと慌てふためいているようです。旦那さま……声だけだと言うのに、何故か嘘を言ってるようには感じません。
「……俺は、口下手で。その、王都では、愛の詩を、妻に捧げると、聞いていたんだ。だから、夫婦になったら、まず、それを捧げなければならないのか、と……俺にはそんなマネ、生まれ変わっても無理だ、と思って、その……そんな言い方をして、しまった。誤解を与えた、すまなかった」
??? 全然まったくちっとも意味がわかりません。
「“愛の詩”を、妻に捧げる、のですか?」
そう言えば、先程もそんな事をちらりと仰ってましたね。でも私、初めて聞きましたよ? なんですか、愛の詩って。
「――違う、のか?」
旦那さまも私と同じように疑問を覚えたようです。なんだか、その雰囲気が、ちょっとだけ可愛い、なんて思ってしまいました。
「それが、初夜にするお作法なのでしょうか。申し訳ありません、私、勉強不足で、詩を即興で作るなんて、とても無理です」
「あ、いや、女性側はやらなくてもいい、と思うのだが……そうか、そういう期待を、もともと君はしていなかったんだな……」
なんだか、ほっとしたようなお声です。
「だから、そうだな、俺は最初から間違えていたんだな……アリスに最初に言うべき言葉は……アリス。初めて、見た時から、君が来てくれて、嬉しかった。この辺境に、フィーニスに嫁いでくれて、ありがとう。
一目、見た時から、好きだ。アリス。君の全てが、愛しいと、思う。本当に、天使が来てくれたと、思ったんだ。
俺は無骨者で、不甲斐なくて、口下手で、魔物を屠るくらいしか能のない詰まらん男の上に、君よりだいぶ、年上で……、その、君には、なんだこいつ、としか思われていないかも、しれないが……あの手紙、も、嬉しかった。50年、一緒にいたい、そう思った。……アリス、」
朴訥に言葉を繋げる旦那さまのお声を聞きながら、なんだか堪らない気持ちになってしまった私はいきなり天蓋のカーテンを開けた。
果たして、そこにいたのは少し離れた床の上に、あぐらをかいて座っている旦那さまでした。急にカーテンを開けた私に、驚いたような表情を向けています。
だって
なんだか、居てもたってもいられない気持ちになってしまったのですもの!
身体が、意図せず動きました。ベッドから飛び出して、向かうは旦那さまですっ!
「アリスっ?!」
私が抱き着いても、案の定、旦那さまの身体は倒れたりしません。私の身体をしっかり抱き留めてくれました。
「あ、あ、あ、あ、ありす?!」
旦那さまのお声が引っくり返っているけど。
それには構わず、首にしがみ付いてお膝の上に乗り上げて。
あぁ、旦那さまの髪って、固い直毛なんですね。私の柔らかいくせ毛と触り心地が全然違います。それに肩幅の広いことったら! 身体もがっしりして安心感がありますね。それにとても温かい。頬に頬をつけると、少しチクチクしています。……お髭かしら。ふふっ。
「ありす……アーリース!」
「はい?」
「あー、少しは、警戒心を、持った方がいい。君は、いま、酷く危険な状態にいることを自覚してくれ」
お顔を覗き込めば、眉間に皺を寄せた、とても困った表情の旦那さま。幾分、お顔が赤いかしら。
「この世で旦那さまのお側が一番安全なのでしょう?」
「――は?」
今度は目を丸くなさっている。意外と表情豊かな方なのかも? いいえ、気持ちが瞳に表れる方なのだわ。
「お祖母さまが仰っていましたわ。“フィーニスの当主の側が一番の安全圏だ”って」
「オバアサマ?」
「はい。私の母方の祖母です。旦那さまはご存じでしょうか。ナスルの前女当主ミハエラと言えばご記憶にございます?」
私の説明を聞いた旦那さまは思い当たることがあったのでしょう。納得の表情になりました。
「あぁ、“魔戦場のミハエラ”様か。あの生きる伝説の。お若い頃スタンピードの最中、魔物に囲まれて昼寝をしていたという逸話は圧巻だと思うぞ」
「……お祖母さま、そんなことなさったの? 私、そのお話存じませんわ」
逆に、私の知らない話が出てきてびっくりです。
“魔戦場のミハエラ”だなんて、随分勇ましい二つ名です。お祖母さまったら、ご自分の武勇伝、なぜ孫に教えて下さらなかったのかしら。
「父上の世代では当然のように語られている逸話だが……そのミハエラ様が、仰っていたのか? フィーニス当主の側が一番安全だと」
「はいっ」
「……そうか」
余り表情の変化がないようですが、旦那さま、いま、とっても喜んでいらっしゃるでしょう? 嬉しそうです。琥珀色の瞳がとっても柔らかく輝いていますもの。
「アリス、君を、抱き締めても、……いいか?」
何故か、段々と声量が落ちて、最後は囁くように言う旦那さま。
「はいっ! 喜んで!」
そう言って、私から抱き着きます。
旦那さまは私が急に抱き着いたから苦しかったのかしら、喉の奥の方で「……んぐっ!」って何かを堪えているようでしたが。ゆっくりと私の背に、腰に、旦那さまの腕が巻き付いてきました。
後頭部を大きな手がゆっくり撫でてくれます。
良かった。ちゃんと話せて良かったです。
「……アリス、君は、臭くなんか、ないからな」
旦那さまの優しい声が耳元で囁きます。
「寧ろ、俺には……」
あ。
旦那さまが私の耳元の匂いを嗅いでます。そしてそのまま、リップ音が……。
え?
もしかして、私の首筋に、顎に、耳の裏に、……キス、されてる……の?
あ。
旦那さま、私の匂いで勃〇するって言ってましたね。これはもしかしたらチャンスってやつなのでは⁈
「あの、旦那さま? 私、このまま、お役目を果たせますでしょうか?」
「は? “お役目”?」
旦那さまの動きがピタリと止まり、恐る恐るといった体で顔を覗き込まれます。
「私のお役目です。子どもを産む事です」
私が再度説明すれば、しばらく旦那さまの動きが止まってしまいました。
どうなさったのかしらと、しばらく待ったあと。
「や、いずれ、それは、でも、………“お役目”?」
恐る恐る、といった体で旦那さまが私に聞きます。
「はい。だって私は多産家系の娘だから、ここに呼ばれたのでしょう?」
「――誰が、そんな事を言った?」
?? どうしたのでしょう。旦那さまの纏う雰囲気が、何やら剣呑なものに変わってきました。闘気? かしら。それとも覇気? ……というか、不機嫌全開になってしまった、ということ?
「? 家族以外の皆が。言ってましたよ? 魔法学校でもよくそう言われました。多産を見込まれての縁談で、私自身には何の価値もないと」
だって、本当に私には戦闘能力も攻撃魔法の力もない、平凡な娘ですもの。この魔物溢れる地域がすぐ傍にある辺境地で、お役に立てる事なんてないのですから。
「――なるほど」
なにやら納得されたような旦那さまは、私を抱いたまま立ち上がるとスタスタと歩いて私をベッドの上に優しくそっと下ろしました。
私を見降ろす瞳がとても優しくて。
「今日は、ダメだ」
そう言って、私の頬に軽く唇を落として。
「この続きは、また後日」
そう言って、部屋を出て行き……いえ、行く手前で振り返りました。
「明日、出かけよう。用意しててくれ。――おやすみ」
そう言って、部屋を出て行ってしまったのだけど。
扉の外から何やらギルベルトの叫び声が聞こえたのだけど、気のせいかしら……“だんなさまっ! はなぢっ!”って……
いざーくハ、トテモ、頑張ッタ
理性、仕事、シタ




