11.イザークと乳母ハンナ
※イザーク視点
つらい。
「そもそも、臨月で路頭に迷う寸前だったハンナを救ってくださった奥様に、何一つご恩返し出来ていない現状なのに! そんな私に坊っちゃまを預けて下さいましたのに!」
乳母に泣かれるのは、地味につらい。
「私は、残念ながら死産で、子どもを失いました。同時に自分も死んでしまおうと思っていた私を救ってくださったのは、奥様であり、貴方様の存在だったのですよ!」
うん、知ってる。ハンナがどういった経緯で俺の乳母になったのか。この話は幼い頃から聞き飽きている。ハンナの機嫌が良ければ、この辺境の地で夫と出会えたという惚気話に分岐するが……
「大恩ある奥様からお預りした 、大切な大切な貴方様が! 失った私の子同然に慈しみ、お育てした貴方様が! 討伐連合軍の総指揮官までお務めなさる、ご立派な貴方様が! まさか、ご自分の奥様にこんなにも非道な振る舞いをするなんて!」
その乳母から涙ながらに訴えられるのは、地味に、かつ的確に、つらい。そしてハンナの機嫌が悪いのも知れたから余計にキツい。
「夢にも思っていませんでした! こんな、情けない思いをするとは! 聞いてらっしゃいますか?!」
聞いてる。
「これも全て、ハンナの責任で御座います。私の育て方が悪かったせいです」
「それは、違う。俺が、不甲斐ないだけで───」
「その通りです!! 解っていらっしゃるのに、何故逃走を計りましたか?! ハンナを頼って若奥様をお預けになったのは、正しかったと思いますよ? このハンナ、腐っても治癒の腕前は落ちていないと自負しております! ですが! だからと言って! 貴方様が逐電するとは! ハンナは……ハンナは………情けのう御座いますぅぅぅっ!!」
泣き崩れないで欲しい。つらい。そして───
「あぁ、なんて健気な若奥様。あんな目に遭わされたのに! 毎日、貴方様の安否を気遣い、お手紙を認められ、魔の森へ向かい祈りを捧げられ………あんな目に遭わされたのにっ」
………繰り返さないで欲しい、そして胸に抱きしめているその手紙をいい加減、渡して欲しい。
「聞いてらっしゃいますか?! 坊っちゃま!」
うん、聞いてる。だから、手紙………
「精霊様がご一緒ですから、私共は貴方様の身の安全は疑ってはいません。でも若奥様にはそんな事情はお分かりではないのですよ? 貴方様がご説明するべきなのですから!!」
………手紙………
「しかも、何ですか! 自分の愛は期待するなと申し伝えたそうですね?! どういった了見でそんな下衆な発言に至ったのですか?!」
………………………………………
「聞いてらっしゃいますか?! 坊っちゃま!」
うん。聞いてる。
『相も変わらず、そなたは愛されておるな』
また最初から繰り返されるだろうハンナの説教(愚痴込み?)を止めたのは、俺の守護精霊の出現だった。フレイ………俺と同じ顔でニヤニヤするな。
「まぁ! 精霊王さま、ご無礼を」
いきなり出現したフレイに畏まるハンナ。
『乳母よ。アリスが昏倒したから部屋に寝かせた。診てやれ』
「「昏倒?!」」
『魔力が空になるまで付与魔法を使った』
「「付与魔法?」」
『アリスの得意技らしい。イザークの衣服に何やら付与していたぞ。鑑定させて売りに出したらそれなりの金と交換できるだろう』
「俺の衣服に?」
『アリスは健気よのぅ。そなたを守りたいと言うておった。幻術系の魔法にかからぬよう』
「若奥様の元へ参ります! あ、このお手紙は精霊王さまにお預けしますので、焦らしに焦らしてからイザーク様に渡して下さいませ!」
え? ハンナ、今なんと言った?………って、走り去ったハンナに俺の困惑は届かない。伸ばした手が虚しい。
『乳母に絞られたな』
ニヤニヤと楽しそうにするな。業腹だ。
誰かに殴られ……いや、蹴られ?、ギルに水風呂に放り込まれた挙句雷を落とされ、ハンナにネチネチと説教を喰らった。立派に成長した30男の俺に、ここまで怒ってくれる存在は有難いが、いい加減、へこむ。……それだけの事をしたのは確かだから、何も言い訳は出来ないのだが。
『ちと、飴でも与えようかのぉ』
笑いながらそう言ったフレイが、その手で俺の額を覆った。
『目を瞑れ。我の見た景色をそなたに視せてやろう』
フレイが俺の脳に直接送り込んできた映像は、……俺のシャツを羽織った、大層愛らしい様子のアリスだった。
なんと……。シャツの袖の先から指先しか出ていない……
俺のシャツ、ブカブカではないか……
ちいさい……愛らしい……。
………おぉ…………眼福だ…………。
『して? 我に話せ。そなたの真意を』




