江ノ島ツーリング
ツーリングにいくときはとりあえず一つ目的を決めて後は流れに任せる派だ。
というか綿密な計画をたて休憩や給油スポットを確認するような性分ではないからだとは思う。
さて今回の目的は「江ノ島で生しらす丼を食う」というもの。そのほかは何も決めていない。ネットで調べたところ4月はちょうど春しらすのシーズンらしい。ご飯のお供しらす。生では食べたことがないためわりと楽しみだ。
自宅から江ノ島までは三〇キロもない。ただあのあたりは休日となると地獄渋滞が発生するから早めに出ておいて損はない。というかバイク乗りはすいている道路以外走りたくないから基本早朝出発が多いと友人が言っていた。そいつは三時起きして日帰りで福島までいくそうだが、さすがにそこは一泊しろよと思う。
早朝のやや冷える空気のなか、俺は薄手の防風ジャケットを羽織り駐輪場でヤフーナビをセットする。
バイクは当然エアコンも何もないのでその日の気温を考えて装備を決める。昼になればやや暑いくらいだろう。
免許を取って一年、バイクを買って三ヶ月。ようやく乗り方にも慣れ、そういったことにも気が回る用になってきた。ライダーとして着実にレベルアップしている。
いずれは憧れの大型へチャレンジする日も近いかもしれないとひとりほくそ笑む。
そしていつか穂波主任をタンデムシートに乗せたい。
もちろん付き合うだとかそんなおこがましいことは考えていない。一生に一度でいいから好きな女性をタンデムシートに乗せて走ってみたいというのは男の憧れではないのか。
さて、さっさと行って134号線が混む前に移動しちまうか。
こういうときソロライダーというのは面倒が無くていい。いや別に複数人でわいわい楽しげに走るマスツーライダーたちがうらやましいわけでは決してない。たぶん。
グローブの留め具を締めてバイクを道路まで移動させる。
取り回しも慣れてきたな。
走り始めて思う。Vストは街中でまったりと流していても気持ちいい。ほかのバイクは教習車しか乗ってないが、やはりこいつは最高だ。
旅がしたい。ロンツーがしたいと思いアドヴェンチャーツアラーを買ったわけだが、これは本当に正解だった。町乗りも低速トルクのおかげで乗りやすく、高速も登坂車線であれば特にパワー不足を感じることもない。
そんなことを考えているうち、すぐ国道246号線に入った。ほとんどの時間渋滞している(ようなイメージがある)道路だが休日のこの時間帯はそうでもない。
車がいないわけではないがスムーズだ。信号でちょこちょこ止まる以外は快適に進むことができた。
246から129へ入ると田園風景とでも言うのかのどかな景色が広がる。
ほどなく海沿いの国道134号線へ到着した。
磯の香りだ。
湘南大橋に出る。真下を通る相模川の先に広大な相模湾が一望できた。
先ほどから結構バイク乗りを見かける。そりゃそうか。今日走らなきゃいつ走るってんだ。
しばらくすると右手に青い海そして江ノ島の特徴的な灯台が見えてきた。
ヘルメットの中で思わず歓声をあげる。我ながら恥ずかしいやつだ。しかし心の奥からわき上がる気持ちを抑えることはできない。ほかのライダーも結構やっているのではないかと思う。
江ノ島大橋をゆっくり渡る。正面にそびえる江ノ島の上空をトンビたちが遊覧飛行していた。いやあれは獲物を探しているのかもしれない。ひとが食べてるソフトクリームとかも容赦なくとってくからなあいつら。
思わずシートから立ち上がって深呼吸する。青天の向こうに富士山すら見えた。もしかしたらこの前のヤビツの菜の花展望台も見えているのかもしれない。
バイクで江ノ島に来るのは初めてだが駐輪場の場所はすぐにわかった。すでに数台バイクが止まっていたからだ。駐輪場は土がむき出しになっているため取り回しに若干苦労した。やはりまだまだだ。
バイクから降りると大きく伸びをする。まあVストローム250の楽なポジションのおかげでたいした疲れはないのだが。
フルフェイスを脱ぐと、しまうためにトップケースを開けた。
「……………………そういやそうだったな」
そう、俺はこの前買ったジェットヘルメットを入れっぱなしにしていたのだった。いや、走行中そんな気はしていたのだが。
タンデマー不在でヘルメットのみとか誰にも見られる訳にはいかない。俺はそっとトップケースを閉じるとしっかりと鍵をかけた。幸いキジマのヘルメットロックを取り付けているためヘルメットはそこにつけておけばいい。
時刻は九時前。まだ店は閉まっている時間だが観光客はそれなりに多い。
さて江ノ島のてっぺんまで上ってみるか。そんなことを考えながら商店街に向かって歩いていた矢先――――――――。
「先輩…………?」
耳慣れたというかあまり聞きたくない声が聞こえた気がする。
「………………………………?」
しかしそこに立っていたのは見慣れない女…………いや、こいつは知っている。そう、そこには会社の後輩で三木静香が立っていた。
気づかなかったのは強烈な違和感のせいだ。三木はばっちり化粧をきめていて髪の毛もなんかふわっとしていた。だがそんなことよりも。
三木はいつになく思いつめたような顔をしていた。よく似ている別人と言われてもそうかと思ってしまうほどに。
「あー…………」
三木はめずらしく黙考していたかと思うと、切り替えたのかすぐにいつもの調子に戻った。
「何ですかそのいかにもな…………パワードスーツ?」
そう俺はいかにもなコミネのジャケットを着ている。肩と胸にプロテクターが入っているためガタイがごつく見えるのだ。バイク乗りであればひと目で同じ趣味の人間だとわかってしまう格好だ。それでも三木にはわからなかったらしい。
「お前こそその格好」
「あれ、わかります? 結構気合い入れてみたんですけど」
「ああそういやこのまえ男と出かけるとか言ってたな」
「デートですよデート。デリカシーないなあ。っていうか先輩こそ何で江ノ島にいるんですか? まさか私をつけてきたとか? ちょっとキモいです」
この女はにやにやと。格好を変えようとも相変わらず先輩をノーリスペクトだ。
「うるせーよ。ほっとけ」
「あはは。そうだ聞いてくださいよ。彼の車ポルシェですよポルシェ。超イケてません? 乗せてもらったんですけど、もう内装とかめっちゃおしゃれで。そういえば先輩は車なに買ったんでしたっけ? スズキの車ですよね。今日はひとりでドライブですか? それとも実は先輩にも彼女がいたりして」
ひとりだよ。っつーか車ですらないよ。バイクだよ。と反論しようとしたが、ここでバイクだという話になれば穂波主任とのドライブの話が台無しになる。いやいやドライブに行きたいのかタンデムしたいのかどっちなんだ俺は。トップケースのヘルメットを思い出しため息をつく。
「ため息なんてついて、わかりますよ。ひとり寂しい休日を過ごしているんですね。でもこっち見かけても声はかけないでくださいね」
「ひとりが寂しいなんて誰がきめたんだ。俺は好きでひとりでいるんだよ」
「う、うわあ本物だ」
「なにが本物だ」
「三木さん…………? そっちの人は?」
そのとき三木の背後から聞き慣れない男の声がする。春らしいカジュアルな格好をした長身のイケメンだ。どうやらこのイケメンが三木の彼氏らしい。全身からさわやかオーラがにじみ出てやがる。
「あ、すみません。会社の先輩で――――」
振り返った三木の表情と声質があきらかに変わった。なんつーかぎこちない。会社ではあまり見ない顔だ。緊張してんだな。まあそらこんなイケメン前にしたらそうなるか。
「どーも、日吉って言います。三木の同僚です。邪魔してすいません」
イケメンは「ああ、そうでしたか」と興味が失せたのか俺から視線を外した。
「じゃあな」
俺は三木にひと声かけその場を後にした。自分で言うのもなんだが小物感が凄い。まあ後輩の晴れ舞台に水を差しても仕方ないしな。
バイクのことがバレず良かったと思う反面、いつまでごまかし続けるのかという気持ちがあった。俺自身それをやっていていいのか。
しかしうちの薄給じゃひとり暮らしに車とバイクはだいぶ無理があるしな。いずれ選択の時がくるかもしれない。
俺はぶらぶらと江ノ島観光を始めた。
通りは開店準備している店と観光客でそれなりににぎわっているように見える。昼までまだ時間もある。
商店街を抜け鳥居をくぐるとすぐ先にド派手な瑞心門がそびえ立つ。山というほどきつくない斜面を登った先は階段が続く。
RPGをやったことがあるやつならわかると思うが何とも言えない高揚感があるな。
階段を上りきったところがひらけていて奥には神社があった。振り返ると木々の隙間から江ノ島大橋から藤沢市街が一望できた。
なにげにこの景色すげーな。とりあえずスマホで写真を撮っておく。
バイクと写真は趣味の相性が良いらしい。俺もいつかは一眼レフなどにも手を出してみたいと思っていたりする。ちなみに写真の知識とかは一切無い。
先へ進むと花壇に春らしい色の花が咲いていた。さらに少し歩くとエスカー乗り場がある。エスカーというのはようはエスカレーターである。江ノ島の急勾配がつらい人向けらしいが、俺は料金を見てすぐに自力で上る決意をした。
江ノ島で一番高い位置にあるベンチで一休みする。遠くの海原に浮かぶタンカーを見ながら缶コーヒーを楽しむ。コーヒーが好きというわけでもないが雰囲気だ。周りにもライダーがちらほらと見えた。
贅沢な時間だと思う。
ただ座って海を眺めているだけで至福というか達成感がある。やはりツーリングは良い。誰がなんと言おうと。車では味わえないものがある…………はずだ。
しばらくしてからやや下った場所にある海鮮定食屋に入った。
生しらすは少量を楽しむものだと思った。
なんというか大量に食べられるものではなかった。俺だけかもしれないが。まあこういう経験もツーリングの醍醐味だろう。次きたときは釜揚げしらす丼にしよう。
腹もふくれたところで駐輪場へ戻ることにした。この後はどうしようか。江ノ島から海沿いを抜けて三浦方面に出るも良し西湘バイパスを抜け小田原に行くも良しと思ったが…………。
「帰るか」
乗り始めたばかりの頃は街中を走っただけで気疲れしていたが、もはや二〇キロ強くらいの道のりだと物足りなさを感じるまでになった。しかし腹がふくれたことと目標達成で眠さもある。ちょっとしたツーリングとしての満足感は高いし今日はこれくらいだろう。
商店街まで戻ってくると人でごった返していた。休日はいつもこうなのだろう。これならもうあいつと顔を合わすこともないだろう。とりあえずホッとした。別に苦手とかそういうわけではないが、バイクのことがバレるのはよろしくないだろう。
せっかくのデートを邪魔するのも悪いしな。
我ながら後輩相手に気遣いのできる先輩の鏡である。そんなことを言ってもあいつはまた小馬鹿にしてくるだけだろうが。まったく、本当に配属されたばかりのころは大人しく後輩としてかわいげがあったというのに。そんなことをつらつら考えながら商店街の出口まで戻る。
「………………げっ」
思わず声が出てしまった。そりゃそうだ。なんせ当の三木がベンチにちょこんと座っていたからだ。
三木は商店街とは反対、出口の江の島大橋側をぼーっと見ていた。なんだかいつもと様子が違う。というかさっき会っていなければ気づかなかったかもしれない。それほどに三木はうつろ気な顔をしていた。彼氏の姿は見えない。別行動中かトイレにでも行っているのだろうか。俺は気づかれないよう視線を外し自然な感じでその場を後にした。何があったか知らないが大人の対応というやつだ。
少し。
駐輪場まで歩きながら思う。そう、あれは確かあいつが配属から三ヶ月くらいしてめずらしく仕事でミスをしたときと同じに見えた。いやまあぶっちゃけ俺のチェック漏れだったのだが。
いつになく殊勝な顔。それ以降あんな顔は見ていない。三木は俺と違い同じミスを繰り返さない。いやこの言い方だと俺がミスしまくりのようになってしまうが、まあそんな感じのやつだ。陰で努力をしている小生意気なやつだ。だから少しだけ心に引っかかった。
何をしくじったんだろう、と。
歩道から向こうの駐輪場にあるVストローム250を見る。やっぱいいわこのバイク。
納車から三ヶ月以上経過した今でもそのタフな外観ににやけてしまう。
さて早めに帰って今日はチェーン清掃してやろう。自分でできるメンテは自分でやらないとな。
「………………………………ん?」
そんなことを考えながら向こう側の歩道へ渡ろうとしていたとき目の前を一台のSUVが通り過ぎた。あの丸みを帯びた外観や独特のヘッドライトはあまり詳しくない俺でもわかる。ポルシェだ。はっきりとではないが、運転をしていた男は先ほど見た覚えがある。たぶんあいつの彼氏だ。ロータリーで三木を拾うつもりだろうか。だとしてもあいつがいるベンチは道路から離れている。先ほどの三木の顔が脳裏をよぎる。
なんとなく察する。
喧嘩でもしたか、もしくは――――――――フラれたか。
または彼氏によほどの緊急事態が発生したか。でなければ初デートで彼女を放置して帰るとかしねーよな。つーか俺はしない。勝手な推測をしながら。
ま、俺には関係ねぇな。
笑うつもりはない。だがおせっかいを焼くつもりもない。三木も大人だ。それに人一倍ちゃっかりしている。たとえ何があっても自分でなんとかできるだろ。
ま、せめてこのことは黙っておいてやろう。
俺はそこまで考えヘルメットをかぶりVストロームを駐輪場の出口まで取りまわした。またがってエンジンをかけると心地よいサウンドが耳を刺激する。
本当に関係ないのか。
頭に妙な考えが浮かんだ。それはVストローム250が俺に語りかけているかのようだった。
同じ職場の同僚だろう? それも同じ班の後輩だ。理由は知らないが落ち込んだまま明日の仕事に支障でもきたしたらどうする? 三木のことだ休みはしないだろうがパフォーマンスに影響が出る。
「いや、なに考えてんだ」
俺は頭をゆるく振って考えを振り払う。あいつのことだもし声をかけたら嫌そうな顔で「声かけないでくださいって言いましたよね。今は業務時間外なんで先輩の相手をしてる暇なんてないんですよ」とでも言いそうだし、買ったのが車でなくバイクだとバレるリスクも上がる。
――――それに、ひとりになりたいときもあるだろう。
ここは大人しく帰るべきだ。
「どうかしたんですか?」
突然声をかけられ俺は我に返る。
駐輪場から出ようとしているほかのライダーが俺が出口から動かないため様子を見に来てくれたらしい。40後半くらいの優し気なおじさんだった。申し訳ない。
「あ、大丈夫です。すみません。邪魔っすよね」
「いえいえ。何かあったのかと思って。大丈夫ならいいんです。お互いさまですから」
お互いヘルメット越しにやや大きめの声で話す。
「ところで、大きいバイクですね………………………ちなみに何CCですか?」
おじさんはなんと、ナンシーおじさんだった。
都市伝説だと思っていたが、まさか本当に存在するとは………ちょっと感動した。
おじさんとの会話もひと段落し出口を譲った後ようやく俺は出発する。江の島の出口までは十秒くらいでつくほど狭い。しかしロータリー手前には横断歩道があるためこの時間帯人の行き来で停まることが多い。そしてそのとき左手の商店街入り口をつい見てしまった。
居た。
かなり遠いがかろうじてわかる。あれから一〇分以上経過しているというのに三木はまだ同じ姿勢でベンチに座っていた。
歩道の人通りはまだ途切れない。
脳裏をよぎるのはさっきのナンシーおじさんの言葉。
――――大丈夫ならいいんです。お互いさまですから――――。
そうだ。
そうだよな。お互いさまだ。
もし三木が仕事でミスした場合迷惑を被るのは主任だ。先輩としてそれは見逃せない。最近は会社も従業員のメンタルケアに力を入れている。社外カウンセラーの無料相談窓口もある。先輩である俺が後輩の調子を気遣うのは当然のことだ。
俺は道の端にVストロームを停車するとハザードランプを点灯させた。
まだ続きます。