第5話
久しぶりに目覚めの良い朝です。そういえば昨日の夜もすぐに眠ることができた気がします。
それもやはり子供の姿になっているからでしょうか。大人になるといつの間にか、夜はあまり眠れずに朝の目覚めは最悪。疲れはいつまでも体に残っているようなそんな生活でした。
本当に姿に依るものだとしたら思わぬ僥倖です。
昨日は晩御飯を食べていないのにそれほどお腹が減っていません。女の子の体は何とも不思議なものです。
ベッドの上で大きく伸びをし、ベッドから降りて洗面台で身支度を整えます。
これだけ大きな街であれば銭湯のような施設があるかもしれません。
湯船に浸かるのは日本だけの文化、と思えばそんなことはないようで、こちらの世界でも一日の終わりにはお風呂で汗を流して湯船に浸かるみたいです。
浴室のある家はめずらしくこの宿にもありませんが、銭湯でも十分です。
身支度を整える、と言っても服は今着ている一着しかありません。そのまま眠ったのでドレスのしわを伸ばして、髪を整えるくらいです。
「これは……どうにかした方が良いですわね」
ドレスは砂埃で汚れ、所々にグルフロウの血がついています。
想像もしていなかったトラブルです。
この調子だとずっとこのドレスを着回すはめになりますが、それでは汚れていきます。魔物と戦ったり野山を巡れば、それはなおさらでしょう。
しかし新しい服を買おうにも、このドレスと釣り合うような服でなければ、ドレスを着ている時と着ていない時とで違和感が大きいのです。しかしこれと釣り合うドレスとなるとそれなりの値段になるでしょう。
さらに宿屋暮らしだと服の置き場所も考えないといけません。
「……そういえば」
どうしたものかと頭を悩ませますが、こういう時には神様を頼れば良いのです。
右手を出して念じれば、そこに巻物が現れます。
ターゲットの情報やポイントで交換できる景品のリストはいつの間にか消えていましたが、念じれば出せるようになったみたいです。
そして今回見るのは交換できる景品。
今回のターゲットが一ポイントなのはもう一度確認する必要もありません。
もう一度交換できる景品のリストを見ていきますが、使えそうな物からまったく役に立たなさそうな物まで様々です。
「……ありましたわ」
目的に沿っていそうなのは『マイホーム』と『新しいドレス』の二つ。
マイホームの方は二五〇ポイントも必要なので今は諦めますが、ドレスの方は一ポイントです。今回のターゲットを倒せばそれで交換できます。
となればやるべきことは一つ。
景品リストを消して今度はターゲットが載っている巻物を出します。
ターゲットに関する情報は人相書きと名前だけですか。これだけで見つけるのは大変骨が折れそうです。
ワックスで立たせたようなツンツンの短髪。目つきは悪く、明らかな悪人顔です。他に特徴的なのは頬から鎖骨辺りまでにある大きな火傷の痕でしょうか。ボリス・ウッド。彼が最初のターゲットです。
さてどうしましょうか。一ヵ月はこの休む所に困らないとはいえ食事の問題もあります。
神様からの仕事とこの世界での生活のどちらを取るか。
「難しいことはお風呂に入って考えますか」
熱いお湯に浸かって全身をリラックスさせると、脳みそのしわまで引き延ばされるような心地良さがあります。そんな時には大抵、妙案が思い浮かぶものです。
部屋を出て鍵をかけ、階下へ向かいます。
武器や防具の類は置いたままです。これから向かうのは銭湯なので装備する必要はありません。
大切な魔剣ムスニアは部屋の隅にあった金庫に入れて保管します。蓋を締める時に魔力を登録し、同じ魔力を使わなければならない、仕組みとしてはギルドカードと変わらない安心の金庫です。
部屋に置いていくのは心配でしたが、まさか湯船に浸かる時まで持って行くわけにもいきません。脱衣所に放置するくらいなら部屋の金庫の方が安全でしょう。
「あら、おはよう」
「おはようございます」
部屋の窓から見た限り、まだ日が昇ってそれほど時間は経っていないはず。
朝早くからカウンターに座る女将には頭が下がる思いです。
「朝早くから精が出るね」
「いえ女将さんこそ。そういえばこの街に公衆浴場はありますか? 朝早くから開いていると良いんですけど……」
「ああ、それなら広場の方にあるね。ここを出て左にずっと行けば広場だからすぐにわかると思うよ」
「そうですか。ありがとうございます」
すっかり湯に浸かる気になっていたので。これで銭湯はない、開いていないなんて言われたら絶望してしまいます。
小さな鼻歌を歌いながら進みます。かわいらしい声だと鼻歌までかわいらしく聞こえます。
「きゃっ!」
浮かれていたからでしょうか。通りから飛び出して来た人とぶつかってしまいました。
尻もちをついたワタクシですが、ちゃんと女の子の声で反応できたのは我ながらお嬢様としての自覚が出てきたからでしょうか。
しかしちょっとぶつかっただけで尻もちをついてしまうとは、どんなに強くて戦えても女の子、ということでしょうか。
「ぶつかっちまって悪かったなお嬢ちゃん。急いでいたもんでな」
「こちらこそ前をちゃんと見ないで――」
立ち上がるために差し出された手を取ろうとして固まります。
ツンツンに立たせた針のような短髪。犯罪者のような目つきの悪さ。そして頬から鎖骨の辺りまでを覆う火傷の痕。
ターゲットであるボリス・ウッドその人でした。
「どうした? せっかくの洋服が汚れるぞ」
手を取る寸前で固まったワタクシを訝しんだ様子もなく、途中まで伸ばされた手を掴んで無理矢理立たせます。
どうしましょう、ここでやるべきでしょうか。しかし手元には魔剣がありません。武器もありません。しかしワタクシの実力があれば素手でも大人に負けるとは思えません。しかし相手は神様が直々にターゲットに選んだ人物。昨日絡んできた冒険者達のようにいくでしょうか。
「じゃあ俺は急ぐからな」
悩んでいる内にターゲットのボリスは去って行きます。出て来た路地のように薄暗いまた別の路地に入って行くのです。
「しまった、ですわ」
ワタクシも急いでその後を追います。
戦わないまでも寝泊りしている場所がわかれば上々。まさか同じ街に居るとは思いませんでしたが、このチャンスを逃す理由はありません。
助走をつけてボリスの消えた路地を形成する建物の屋根に跳び上がります。そして気づかれないように上から様子を伺います。
時折、うしろを振り返りつつも、違和感のない速足でボリスは進んで行きます。
後方を見てみても追手のような存在はありません。ボリスはいったい何から逃げているのでしょうか。それとも誰かと落ち合うつもりなのでしょうか。
やがてボリスは街の外れまでやって来ました。
高い城壁の陰になっていて朝だというのに暗いままです。空気も重たく感じるのは決して光の関係だけではないでしょう。
通りは汚れ、ゴミが散乱しています。随所で人々がうずくまっており、どこかから鼻をつく饐えたような臭いまで漂っていました。いわゆる貧民街でしょう。
そんな中をボリスは我が物顔で闊歩しています。
そしてボリスは一つの建物に入って行きました。
周囲よりも一回りほど大きく、その代わりにいくらかボロく見える建物です。良く観察してみると、古ぼけて汚れた十字架がありました。きっと古くなった教会でしょうか。
しばらく待っていると、少し嬉しそうな表情を浮かべたボリスが出て来ました。
追っても良かったのですが、それよりもこの建物が気になります。悪人面のボリスが嬉しそうな表情を浮かべる場所。
傍に降りて窓から中の様子を伺います。
「相変わらずアイツの持って来る物は良い物ばっかりだな」
「価値は俺にはわからんがな」
「俺にもわからんが魔道具っちゅう物はそういうもんだ。わかるやつが大金を出して買ってくれりゃそれで良い」
知能が高いようには思えない会話が聞こえてきました。
話をしているのは、ボサボサ頭の男とハゲの男。どちらも悪そうな顔です。
きっとここは盗品を扱う質屋、みたいな場所でしょうか。男達の口ぶりからすると、ボリスは何度もここに売りに来ているようです。
先ほど急いでいるように見えたのも、何かを盗んだ後だったからでしょう。追手が居なかったということは気づかれていない、ということでしょう。
流石に被害者のことまでは気にかけていられませんが、せめてこれ以上の被害を出さないようにすることにします。流石にボリスも毎日盗みを働いているとは思えませんので、次の仕事の時までに終わらせるとしましょう。
「まずは情報収集ですわね」
準備運動がてらに体を軽く伸ばします。