村人の話
始まりは一人の少女だった。
少女に両親はいなかった。
生まれたときに捨てられたのか、それとも不幸の事故で亡くしたかは分からない。
しかし、少女は一人ではなかった。少女には小さな弟がいた。
少女は弟と毎日、草や虫など食べられる物を探しては、飢えをしのいでいた。
そんな生活を続け、日に日に確実に二人の体は衰弱していった。
ある日、弟が倒れた。
少女はどうにか弟を助けようと思った。
なにか自分にできることはないか。
せめて弟にまともな食事を摂らせてあげたい。
そう思った少女は、自分より少しだけ豊かな家に盗みに入った。
全ては弟のためだった。
その家は少女ほどでないにしろ、とても貧しい家庭だった。
数日に一度、かろうじて飯と言えるものが出てくる程度。
腹は膨れないが、その家の子供は大いに食事を喜んだ。
その飯が盗まれた。
家族にとっては一大事だった。
その家の主の男は思った。
自分は構わないが、せめて子供達には食事を摂らせたい。
そう思った男は自分より少し豊かな家に盗みに入った。
全ては子供のためだった。
その家は前の家庭ほどではないが、十分貧しい家だった。
毎日僅かばかりの飯しか食べられない。
その飯が盗まれた。
年老いて病気の母を看病しているその家の青年は思った。
せめて寝込んでいる母にはなにか食べさせてあげたい。
そう思った青年は自分より少し豊かな家に盗みに入った。
全ては母のためだった。
盗みが盗みを生み、あっという間に村中に泥棒が広がった。
誰が盗んだ。隣の男が盗んだのか。それとも向かいの女が盗んだのか。
村中に疑念が渦巻いた。
隣人が泥棒かもしれない。自分が泥棒なのがバレるかもしれない。
不安はどんどん大きくなり、誰も信用できなくなる。
お前が盗んだんだろ。俺じゃない。そういうお前はどうなんだ。私は違う。
村人が村人を疑う。疑われた者も自分が泥棒であるとバレるのを恐れ、別の村人を疑う。
怖い。周りの人間が全て怪しく見えてくる。誰も信用できない。
怖い。自分が盗んだのがバレるかもしれない。もしかして、もうバレているのではないか。
みんな怪しい。誰も信用できない。そんな恐怖から村人の言い争いはしだいに攻撃的なものへとなっていった。
そんな事態に村長は頭を悩ませていた。
このままでは村人同士の争いが起こってしまう。
そんなことになれば、この村は崩壊する。
村長として、それは避けなければならない。
村長は考えた。この騒ぎを収束する方法を。
やはり泥棒をはっきりさせて、処罰するべきだろうか。
いや、駄目だ。
もはや、村人の大半が泥棒の状態。泥棒を処罰すれば、それは大半の村人を失うことと同義であった。
泥棒を処罰はできないが、犯人を見つけないと、この騒ぎは収まらないだろう。
どうしたものか。
村長は考えた。
考えて、考えて、考えて、考えて……思いついた。
泥棒の村人を処罰することなく、かつ、この騒ぎの犯人を見つける方法。誰も傷つかない、誰も犠牲にしない方法。
村長は思い至った策を、話を、嘘を、村人達に言い放った。
「この村で起こる悪いことは全て『鬼』のせいだ!」
それは架空の悪者を作り上げることだった。
誰が泥棒か分からない恐怖から、明確な分かりやすい化け物へと恐怖を移す。
内側にではなく、外側に敵を作ることで、仲間割れから村人達が協力する形を作る。
村人達の中には、村長は嘘を言っていると気づいた者もいた。
しかし、自分が泥棒だとバレる可能性がなくなる『鬼』という存在に村人は協力した。
そうだ。鬼のせいだ。みんな鬼のせいだ。
村長は盗みだけでなく、不作や災害も鬼のせいにした。
そうすることで鬼の存在を強大にし、村人達の協調性を高めようとしたのだ。
村長の思い通り、泥棒の犯人が分かったことと強大な敵の出現に村人達は争いを止め、皆で協力し合った。村は崩壊を免れたのだった。
以降、この村では人災も天災も全て『鬼』の仕業にする風習ができた。