表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

お話し好きなお客

 彼女は不思議そうな顔をこちらに向けた。

 色素の薄い大きな目。艶やかな黒髪。本当にきれいな人だと思った。


 「あの、おかわりは、無料なので……」


 彼女はフニャっと顔を綻ばせ、


 「いただきますわ」

 

 と言った。

 俺は思わずドキリとしてしまった。


 カウンターに戻ると、電気ケトルをセットした。

 ガラス瓶から、大匙二杯の茶葉をすくい上げ、急須にいれた。

 そう。急須なのだ。あの緑茶に使う、

 設備にしても、収納スペースにしても限りがあるので、こういう横着をしているわけだ。

 言い訳のようだが、ここは図書カフェをうたっておきながら、俺の認識では、あくまでも私設図書館なのだ。

 読書をする場所、というのが主な用途で、喫茶はおまけのようなものだ。

 お湯が沸いたので、急須に注いだ。それから二分ほど蒸らす。

 ケトルに残ったお湯で、ティーカップを温めておく。

 カップのお湯をしっかりと切り、ゆっくりと紅茶を回しいれる。

 最後の一滴まで、丁寧にだ。これは学生時代、喫茶店でアルバイトをしている時に学んだ。


 「お待たせいたしました」


 俺が紅茶のおかわりを持ってい行くと、彼女は上目使いに俺の顔を見上げ、


 「ありがとうございます」


 と柔らかい笑顔を俺に向けてくれた。

 俺は、少しためらったが、思い切って、


 「ラノベ、お好きなんですか?」


 「らのべ?」


 彼女は可愛らしく首を傾げた。


 「え?、あの、知りませんか? ……ライト・ノベルです。その、そういうやつ」


 俺はテーブルに重ねられたそれらを顎で示した。ちょっと失礼だっただろうか。


 「ああ、そういう流派なのですね? これらは」


 流派?

 なんだか、妙なことを言う。

 あれ? こんなことが、前にもあったような……。


 「流派というか……、まあ、そんなところです!」


 「そうですか。ええ、これは非常に面白いです。勉強になります」


 「え? 勉強ですか?」


 「あ、ええ。そう。実は、私、……文を書いてる者で……」


 「ええ?! じゃあ、作家さんなんですか?!」


 俺は思わず大きな声を上げてしまった。

 もう他のお客さんはいないので、問題はなかった。


 「ええ、はい……。一応、そこそこそれで稼いでいるんですよ。自慢ではないですが」


 「へぇ! うらやましいなー。……実は、俺も、その……、一時期、小説家を目指していまして……」


 言った後で思った、なんでそんなことを言ってしまったんだろう。と……。


 「まあ、そうなんですの?! ご主人はどういう流派のものを?」


 ご主人、という呼ばれ方をしたのは、これが二度目だ。そんなことをぼんやり思った。


 「そうですね。一応、純文学を……。あと、正直、ラノベも、それっぽいモノを書いてみたこともあります……」


 正直、”黒歴史”というヤツだ。


 「へぇー! まあ! 読んでみたいわぁ! その原稿は、今はないのですか?」


 原稿?

 ああ、いやまあ。あるにはある。

 カウンターの中に置かれているノートパソコンの中に、探せばあるだろう。

 しかし、


 「いえ。もう多分……、ないと思います」


 嘘をついた。


 「そうですか。残念……。読んでみたかったですわ」


 彼女は本当に残念そうな顔をするものだから、やっぱりありました。と言って読んでもらいたい気もした。

 しかし、やはりプロに読んでもらうようなモノではない。と、考え直した。


 「あの、ラノベを読んだの、今日が初めてなんですか?」


 「そうです。凄く綺麗な壮丁だったから、気になって読んでみたんです。そしたら、そうしたらもう本当に面白くて! この軽快な文体、荒唐無稽な舞台設定、溌剌とした登場人物。これはまったく新しい流派です」


 「そうですか。でも、結構前からあったものですよ。元々は中学生とか高校生向けのモノだったんでしょうね。あまり、硬い文章に馴染みのない子供向けの小説なんですよ」


 「まあ! では、これは児童文学ですの?」


 「児童文学というわけではないんでしょうけど、もちろん大人だって読んでいる人は沢山いますよ。単純に好き好きの問題かと」


 「私は好きですわ! 私も書いてみたい! ……まずは、異世界に転生するという設定ですわね。これは非常に面白いですわ。その異世界という場所がどのような国なのか、歴史、文化、人種、そういう背景を一から書き手が創造しなければならない。こんなにも面白いことがありましょうか?」


 「ああ、でも。元になる設定は、割と決まりきっていますね。いわゆる、ファンタジーというジャンルになるんですが、北欧神話を元に書かれたものに端を発するのかと……」


 「まあ! 北欧! それは興味深いですわ! もしかして、ここにもそういう古典がおありで?」


 「古典というほどでもないのですが……。ええ。あるにはありますよ」


 「まあ!」


 彼女は歓喜の声を上げた。

 俺は意気揚々と、ちょっと得意げに本棚へ向かった。

 常連の学生たちに言われるまま、ラノベを仕入れてよかったと、少々感謝した。

 俺は目当ての本を持って、彼女の元へ戻った。


 「お待たせしました。『指輪物語』です」


 それは、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の原作として有名な作品だ。

 

 「まあ、これが」


 彼女は、恐る恐るといった様子でページを捲った。

 そして、

 

 「まあ! これは、日本の方が書いたのですか?」


 「いいえ。確か、イギリス人だったはずですよ」


 「ええ? でも、日本語で書かれてますわ」


 「それは……、そう。翻訳されて、出版されたモノなので……」


 「そんな……、そんな貴重なものを……」


 「ああ、いいえ。……そんな貴重ではありません。普通に、貸し出しもしていますし」


 「貸し出し?! これをですか?! まさかそんな……、あ。でも……。私、次はいつここに来れるかは……」


 ああ、似たような台詞を聞いたことがあった。と、思ったときだった。

 ボーンと古時計がなった。

 久々の外出に機嫌がよいのか、閉じ込められていた木で作られた鳥が、カッコー! と威勢よく飛び出した。

 あるはずのない、秒針の音が、カチ、カチ、と店内に響きだす。


 「あの……」


 俺は、わかってしまった。

 あの夜のことを思い出す。

 たぶん、彼女も、

 そうなのだろう。


 「あの、……こんなことをお願いするのは、すごく失礼こもしれませんが。もしよければ、あなたのことを、……話してはくれませんか?」


 俺の顔は、少し紅潮していたのかもしれない。

 

 「あらやだ! 口説かれちゃったかしら? 私、これでも子持ちよ」


 悪戯っぽく笑うその顔に、少しがっかりしてしまうことは否定できない。しかし、


 「いいえ。他意はありません。単純に、興味があります。あなたが、どこから来て、そしてどこへ行くのか……」


 彼女は少し黙った後、


 「……今まで聞いてきた、どの口説き文句より。魅力的だけど……。口説くなら、もっと若い子がいいわよ」


 そう言った彼女の顔は、

 自分の母親ほどの年の女性に見えた。



 「私はねえ、作家になるつもりなんて、なかったの……」


 彼女は、意外なことを語りだした。


 「兄が死んだの。外国を旅行中だったそうです……。そして、私が風邪で寝込んでいる時でした、両親が兄の法要を営むお金がないと、話しているのを聞いてしまったんです。

 私は思いつきました。本を書いてお金を得ようと。

 私にできることといえば、それくらいでしたから。

 きっと、運がよかったんですね。いろんな縁にも恵まれて、その本は多くの人に買ってもらえました。

 そして、無事に兄の法要を済ませることができたのです」


 彼女は静かにティーカップに口をつけた。

 小さなため息を一つ吐くと、話の続きを語りだした。


 「私は、比較的裕福な家庭に生まれました。学生の時分には、洋装を着て、洋書を読み、舞踏会へ通うような、人々から羨まれるような生活をしていたのです。

 今思うと、兄の法要を営むお金すらなかったというのが、なんだか不思議なんです。

 もしかしたら、両親は、どちらかといえば愚痴っぽく、お金がない。と、話していただけなのかもしれませんね。

 でも、私は、切実に思ったのです。

 この生活を失いたくないと……。

 そうです。……困っている両親を助けたいとか、法要すらしてもらえない兄が不憫だとか、そういう気持ちではなく、ただただ自分の為でした。

 綺麗な洋服を着て、華やかな世界にいたいと願う、浅ましい心が、私にペンをとらせたのです。

 よいご縁に恵まれて、私は結婚をしました。

 幾人かの殿方と交際したこともある私を、まるで使い古した布巾を見るような眼で見る古風な男も多い時代だったにも関わらず、彼は私自身をしっかりと見てくれました。

 それは本当に幸せなことだと思います。

 結婚した後も、私は書き続けました。

 子供が生まれてからも、書き続けました。

 なぜ書き続けたのか、正直、よくわからないんです。

 家族のため? それもあります。本を売りたい人にそそのかされて? それもあります。

 でも、やっぱり、一番大きな動機は自分の為に書いていたんだと、この頃思うようになったんです。

 主人の浮気に悩まされて、その鬱憤をはらす為にペンを取り、やんちゃ盛りの子供たちの悪さに辟易しては、またペンを取り。

 一種の、精神安定剤だったのかもしれません。

 至極、私はわがままな作家なのです。

 私の個人的な感情を、まるで排泄をするように文に込めた。なんだか、ひどく作家というものが品のない稼業だと感じたこともあります。

 私と夫の間には、五人の子供がいました。

 そりゃあもう、その生活は毎日バタバタで、わけもわからず一日一日が過ぎていきます。

 本当に、大変でした。それでも。私は書かずにはいられなかった」 


 俺は、本の角で頭をガンと叩かれたような気分だった。

 ただ、本が好きというだけで作家にあこがれていた自分の、覚悟の足りなさ、浅はかさを思い知らされた。


 「すごいですね。……やっぱり、才能がある人は違うんですね」


 なんだか、語彙力の乏しい台詞だったなあ、と、言ってみて少し後悔した。


 「才能、ですか? それはわかりません。ただ、書き続ける忍耐と、根性があったことは自負していますよ。忍耐と根性なんて、まあ、女らしくないわね!」

 

 そう言って、彼女はくすくすと笑った。


 「……紅茶の、おかわりはいかがですか?」


 俺は、彼女の手元にあるカップを見ながら言った。


 「あら。そうねえ……。あの、さっきメニューを見て気づいたのだけど、ここはお酒も置いているのね?」


 「ああ、はい。あまり種類は多くありませんが、一応あります」


 昨今の流行のカフェなどはアルコールを置いているところも多いから、という理由で一応メニューには載せているが、注文する人は少ない。

 田舎なので車で来館する人も多いし、日中に来る主婦の皆さんや、夕方以降に来る学生たち、そういった常連たちが大半なので仕方がない。

 個人的には、ほろ酔い気分での読書は好きなのだが。


 「じゃあ、一杯だけ、いただこうかしら?」


 彼女は、少し恥ずかしそうにビールを注文した。

 うちが提供しているのは、地元のクラフトビールだ。

 俺はカウンターの中に小さな冷蔵庫から、冷やしておいたグラスを取り出した。


 「もしよければ……。ご主人も一緒にどうですか?」


 彼女はうれしい誘いをしてくれた。

 俺はポケットから古びた懐中時計を取り出した。いつのまにか閉館時間を過ぎていた。


 「はい。よろこんで」


 帰りはバイクを置いて、歩いて帰ることにした。少々時間はかかるが、歩けない距離ではない。

 俺は、自分用のグラスも用意した。


 その夜、彼女と取り止めのない話を沢山した。一杯のビールを飲み終えるまでの間だったが、なんだか凄く楽しかった。

 俺はゆっくりと一杯のビールを飲んだ。彼女もゆっくりと飲んでいた。グラスの琥珀色が減っていくごとに、名残惜しさが募っていった。

 本の話、恋愛の話、人生についての話。

 彼女の表情はころころとよく変わり、俺はその度にドキリとしたり、ハッとしたりした。

 時に、少女の様でもあり、時に母のような眼差しであったり、時に、優しそうな老婆のようでもあった。

 最後の一口を飲み終えると、俺は、なぜか、


 「俺、……また、書いてみたいなと、思いました。小説……」


 そんなことを言ってしまった。

 彼女は、きりっとした微笑みを俺に向け。


 「つらいわよ。苦しいことも沢山あるわよ。うまく書けなくてもどかしくて堪らないこともあるわよ」


 「知ってます……」


 「そう。……もし、書けたら。私、読んでみたいな。ご主人のラノベ」


 俺は思わず吹き出してしまった。


 「どうしてラノベなんですか?!」


 「ええ? ちがうのー」


 「純文学とか、ミステリーとか、色々あるじゃないですか?」


 「ええ? 私はラノベが読みたーい」


 そんなやり取りで、ひとしきり笑いあったあと。

 彼女は、


 「じゃあね、そろそろ。……ごちそうさまでした……」


 と、呟いた。


 「はい。またのお越しを、お待ちしております」


 「この本、いつになるかわからないけど。かならず返しにくるから」

  

 それは、『指輪物語』だった。

 ラノベを書いてみるために、ファンタジーの基本設定を勉強したいと彼女は言っていた。


 「では、それまでに、俺も一本、書き上げてみせますよ」

 

 「楽しみにしているわ。ご主人の、ラノベ」


 「だから、どうしてラノベなんですか?」


 「うふふふ……。じゃあね! また」

 

 そう言って、彼女は扉に向かう。

 ドアノブに手をかけた時、何かを思い出したように振り返った。


 「ご主人! いいお店ね。ここ」


 そう言ってくれた。


 「ありがとうございます」


 俺は丁寧にお辞儀をした。

 顔を上げると、もう彼女の後ろ姿はドアの向こう。

 ドアが閉まる直前に見えた、彼女がいる場所は、見慣れた砂利の駐車場と、その向こうに見える国道の稲架木並木はさぎなみきではなく。

 荒涼とした砂の大地が広がるばかりの風景が見えた気がした。

 俺は何故かふと、ああ、彼女の名前を聞き忘れたことを思い出した。

 あわてて、俺はドアをあけ外に飛び出した。

 もう。彼女の姿はどこにもなかった。

 一陣の風が吹きぬけ、さらさらと枯葉が流れる音がした。

 俺の手に、『指輪物語』の貸出票が残されていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ