閉館を忘れた日 ②
彼の話は、とても不思議なものだった。
「俺の国は、最初はごく普通の国だった。
王である父が、そのまま俺に譲ってくれた国だ。
俺は、ある日、その国をもっと大きくしたいと思った。誰一人として飢えることのない、豊かな国にしたいと願った」
俺は、彼はどこかの会社の元社長とかで、そんな例えを使っているのだと思った。
しかし、彼はとにかく真剣に話すものだから、俺はなんの不思議もなく、その話を聞いていた。
「まずは、隣の国の領土を奪うことにした。曾祖父の時代には、我が領土であった場所だと聞いていたからだ。それを取り返すことには、揺るぎようのない正義だと俺は思っていた。
幸運なことに、また不幸なことに、俺の軍隊は強かった。誰もが、自らの命を顧みずに戦った」
俺は、時計の音が気になって仕方がなかった。
時計?
その時、ボーンと。古時計がなった。
そして、鳩が飛び出してきて、カッコーと鳴いた。
ああ。もしかして、あれは鳩ではなく、カッコーだったのだろうか? と、妙なことに気がついた。
あるはずのない秒針の音が響き続ける。
「次々に領土を奪っていった。多くの人間を殺した。自分の家臣も……。必要だと思ったからだ。
とにかく、途方もなく領土を広げることができた。
この世でもっとも大きく、最も強い国となった。どこまでもゆけると信じた。
しかし、最後は、自分の家臣に毒を盛られた。そう。……そこですべて終わったんだ……。
そして、その国もなくなってしまったらしい。
俺は、俺は……、ただただ豊かな国にしたかったんだ。永遠に、誰も苦しまず、飢えず、幸せな国に……」
「それは、無理でしょう」
俺は、なぜかわからないがそう言ってしまった。
彼は、俺に睨むような視線を投げつける。
「……なぜ、そう言い切る?」
しまった、怒らせてしまっただろうか?
「なぜって、……そういうものだからです……。正直、よくわかりませんが」
なぜ、俺はこんなことを言ってしまったんだろう。
「……そうだな。そうかもしれない。だが、わからない。だから、俺もその答えを探している……。だからこうして旅を続けている」
彼はコーヒーをゆっくりと飲み、カップが空になると、
「主人、世話になった。わがままな注文を聞いてくれてありがとう」
と言って席を立った。
会計を言うと、そんなに安くていいのか? と、首をかしげていた。
ドリンクとホットサンドのセット、それにデザートで八百五十円。割と普通だと思うのだが。
俺は、彼を見送ることにした。
彼は玄関前のスタンド付き灰皿を見つけると。
「店主、わがままついでに、紙巻煙草をわけてもらえるか?」
と聞いてきた、
いちいち大げさな人だなぁ、と思いながら、ポケットからエコーの箱を取り出し、一本差し出した。
二人で黙ってタバコを吸った。
もう、空は白んでいる。いつのまにか雨は上がっている。そして、息苦しいほどの霧が立ち込めている。
「次は、どこへ行くんですか?」
俺はそう尋ねた。
「ここも寒くなってきた。暖かい方へ行こうかと思う」
「それはいいですね」
「でも、暖かいと、つまらないことが一つある」
「え?」
「……寒いほうが、コーヒーが美味い」
俺は思わず笑ってしまった。
「なあ、ご主人……」
彼は最後に、とてつもなくカッコイイことを俺に言ってくれた。
「人生はどうしたってわからないことばかりなんだ。だから、それを知ろうとする。知ろうとするから、進む。進めば迷う。だけど、迷わなければ、俺はここに辿り着いてないし、あんなにも美味いメシとコーヒーにありつけなかった」
俺は、とにかく盛大に笑ってしまった。
なんだ、この旅人は道に迷っていたのか。
「お気をつけて。またのご来店、お待ちしております」
「……主人。本の礼だ。これを……」
彼が差し出してきたのは、古い懐中時計だった。
高そうな物なので断ろうとしたが、押し付けるように彼は俺の手にそれを握らせた。
「これは?」
「ただの時調だ。ずっと遠い世界の……」
「なるほど。世界は広いんですね」
「ああ。存外広いぞ。我が軍でもそのすべてを征服はできなかった」
俺は、また笑うことにした。
彼は、またあの大きなバイクに跨り、去っていった。
去り際に、ナンバープレートがチラリと見えたが、それは見慣れた文字ではなかった。
エンジンが低く唸り声をあげ、ヘッドライトが霧に浮かび上がり、稲架木並木の向こうへ向かってゆく。
彼はどこからきて、そしてどこへゆくのだろうか。