妖鬼転生~蛙侍・彰三郎の妖犯科帳 誕生篇~
「いいかの? 善良なる妖たる者、人間を喰うてはならん。旨そうに見えるがな、喰えば必ず人間に復讐され狩られてしまう。それにな、人間を喰い尽くせば、妖とて生きてはいけんのじゃ」
そう諭すのは、夜須藩の妖界隈で長老を務める、一つ目の玄太夫である。
狩衣に立烏帽子。顔には大きな目玉が一つだけあり、顎には山羊のような髭を蓄えている。
夜。夜須城天守閣の屋根の上である。夜空には、大きな十五夜の月が輝いていた。
「何を喰えばいいのですか?」
俺は訊いた。
俺は、妖になったばかりの新米だった。元は夜須藩士で江戸でも名を馳せた剣客であったが、コロリに罹患し呆気なく死んでしまった。
(畜生。もっと生きたかったな)
と、そう思った矢先、パッと目の前に光が差し、俺は森にある沼に浮いていた。
慌てて沼から這い出たが、その姿を見て、俺は驚愕した。緑色で粘膜に覆われた肌を持つ、気持ち悪い蛙に生まれ変わっていたのだ。
蛙と言っても、ただの蛙ではない。まるで人間のような身体つきをした、蛙男だ。俺は、すぐに自分の境遇を理解した。一度死に、妖に転生したのだと。
妖になった俺は、人間から拝借した褌だけを締め、夜須城に棲む玄太夫を訪ねた。
まずは、その藩の長老に挨拶をする。それが妖の掟であり、これからの事を色々と教えてくれると、森にいた人魂に聞いたからだ。だから今、こうして話を聞いている。
「何でも喰えるぞよ」
「何でも?」
「そうじゃ。人の食い物でも、獣でもな。低級の妖を喰う者もおるが、お勧めはせぬの」
「はぁ」
「だが、それでは腹は満ちても妖力が無くなって、いずれ干からびる」
「では、どうしたらいいので?」
「人の生気を吸うのじゃ。お前さん、人間時代に風邪をひいた事はあるかのう?」
「ええ、まぁ」
「数日寝れば、熱は下がり元気になったじゃろ?」
俺は頷いた。
「それは、妖が人間に憑いて生気を吸っているからじゃ。妖に憑かれた人間は、熱が出るのじゃよ。理屈はわからんが、そういう事になっておる。そして、妖が立ち去ると熱は下がる。あと、熱が出る前の悪寒は、妖気に当てられたからじゃ」
「へぇ」
俺は驚いた。風邪の裏側にそんなからくりがあるのだと思いもしなかった。
「ほら、あれを見よ」
と、玄太夫が二の丸の方を指をさした。
天守からは、かなり遠い。しかも月があるとはいえ、夜である。しかし、妖の目を持つ俺には、それがはっきり見えた。
指の先には、夜警の番士がいた。大きな嚏を連発しながら歩いている。
「男の後ろを見てみい?」
その言葉に従い目を移すと、俺は目を見開いた。
髪の長い女が、蜥蜴のように四足で男の後を追っていたのだ。
「あの侍は、明日にでも風邪を引くだろうのう」
「玄太夫殿。人間の中には風邪をこじらせて命を落とす者もおります。それも妖の仕業になるのですか?」
「まぁ、中には本当の病もある。しかし、ついつい生気を吸い過ぎて重篤化させたり、ひいては死なせてしまう妖もおるのは確かじゃ。だが、それは、この夜須では御法度よ」
「腹八分目で収めろという事ですか」
すると、玄太夫が深く頷いた。
「今日は話を聞かせてもらい、ありがとうございました。また何かあれば聞きに来ると思います」
俺は深々と平伏した。こうした所作は、武士だった頃の名残だ。もはや必要も無い事であるが、長年染み付いたそれは、すぐには払拭出来そうにはない。
「構わぬよ。これも長老の務めじゃ。してお前さん、これからどうする?」
俺はその質問に答えられず、苦笑いを浮かべた。如何せん蛙なので、苦笑いになっているかはわからないが。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
悲鳴が聞こえた。
多聞櫓の方からだ。目を向けると、俺に似た蛙の妖が大蛇に襲われていた。
「玄太夫殿」
「妖が妖を喰うておるわ」
「止めなくてもいいのですか?」
「ふむ。一応、禁忌ではある」
胴体を締め上げられた蛙の妖が、甲高い悲鳴を挙げて助けを求めている。俺は反射的に立ち上がっていた。すると玄太夫がそれを見越していたかのように、
「持って行け」
と、一振りの刀を手渡した。
「得意じゃろう? 〔やっとう〕が」
俺はそれを手に取り、勢いよく天守閣から跳んだ。
流石は、蛙。その跳躍力は凄まじく、三歩で、多聞櫓に到達した。
「うぬは誰ぞ」
俺に気付いた大蛇が、牙を剥いた。
「俺は新米の妖で、朽木彰三郎という。そこの蛙を離せ」
「くくく。妾にとって、蛙は大の好物。今夜は二匹。思わぬ僥倖よ」
大蛇は、捕まえていた蛙を弾き飛ばすと、こちらに突進してきた。
俺はそれを跳躍して躱し、刀を抜き払った。
そして、すれ違いざまに一閃。更に突進して来た隙を突いて、その首を刎ね飛ばした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「見事な手並みよ、彰三郎」
玄太夫が、宙から舞い降りながら言った。
「流石は江戸で名を売った剣客よな」
「いえ。しかし、この者は」
俺は、襲われていた蛙を抱き起こした。その蛙は、何と小袖を纏い、胸には隆起してた二つの山があった。どうやら女の蛙らしい。
「おお。この娘は、郁子じゃ。なぁに気を失っておるだけじゃて。そもそも妖は簡単に死なんもんじゃ」
「それなら良いのですが」
俺は郁子という蛙女をゆっくり寝かせると、刀を玄太夫に差し出した。
「お返しします」
「いらんよ。儂は」
「ですが」
「そいつは、骨皮葵丸。中々無い代物じゃ」
確かに反りの強い刀身は、洗練された美しさがある。大蛇を斬った時も、まるで豆腐を切るように滑らかだった。
「お前さんに差し上げる。その代わりと言っちゃなんだが、儂の頼みを聞いて欲しい」
「頼み? 何でしょう」
「法度を破る妖を成敗して欲しいのだ。人や妖を襲う妖を。でなければ、我々が人間に狩られてしまう。人間は善い妖も悪い妖も見境なく狩ってしまうからの」
「……」
「なぁに、報酬も用意している。ただ働きをしろとは言わんよ」
俺は、余り考えずに頷いていた。どうせ何もする事が無いのだ。それに、新米過ぎて右も左もわからない。ならば、玄太夫の下で働いていれば、少なくとも不自由はしなさそうだ。
「よし、決まりじゃの。よろしく頼むぞ、蛙侍・朽木彰三郎よ」