(第壱話 助けた狐のあやかし様
「名前は狐塚菊理、年齢は十六歳です。二週間前の大雨の日、両親を交通事故で亡くしております。少ない保険金のため東鷹高等学校を五月半ばに中退、確認しましたが借り屋住まいの家は大家と相談し今日付けで出ております」
「見てみよ銀狐、菊理の狐色の髪は綺麗だ。手触りがよい、女特有の柔らかさがある。癖っ毛もよいな……、鼻は小さく頬は桜色……、ああ、瞳も狐色であった。くっきりな二重でな、丸い目に――」
「ぶわぁ~あ。おい銀狐、喜雨麿さま聞いてねえぞ自分の世界だ」
「……煩いですよ金狐」
銀髪でストレートな髪質が羨ましい銀狐と呼ばれた男は若干ムッとし、隣で大きな欠伸をする金髪ライオンヘアーの男、恐らくは金狐を一瞥した。二人はスーツ、ネクタイ、ベルト、手袋、すべて黒一色で身を包んでいる。
唯一、違う部分はシャツだ。金狐は金シャツ、銀狐は銀シャツ、仲の良い双子だろうか?
しかし目顔は似ていない。
二重瞼で金色の瞳をした金狐は厳つい印象だ。眉尻はつり上がり、鋭い目つきに意地悪な口元をしている。逆に二重瞼で銀色の瞳をした銀狐はやや慎ましやかな印象を受けた。動かない眉に真っ直ぐな目、一文字型の唇は感情が読み取り難い。されど二人共、酷く端整な顔立ちで美系だ。
(……って観察はいいの、何で私はココで寝ているの?)
自分にツッコミ、細目で辺りを見回す。状況が飲み込めない、気づけば銀狐と言う男が私の身の上をぺらぺら喋っているところだった。
(広い和室……温泉旅館、じゃないよね)
始発バスに乗った覚えはない。最後の記憶を――糸を辿るが『あの狐』で途切れてしまう。確か狐を助け、別れ、声がしたのだ。
(誰だっけ……?)
頭を捻る私は視線を横にずらした。するとパチリ、目が合う。薄い紫の瞳をした男と、だ。
「おはよう菊理、身体は平気かい?」
「……え、と?」
「怪我はない?」
「あ、多分、はい……」
「良かった」
頷く私に男が微笑した。量の多い睫毛から覗く二重瞼の目は妖艶で美しい。
(外人、さん? 変わった髪色……)
毛先が紫のふわふわな長い白髪は、髪先を鈴で縛ってある。細い首に絡みつく首紐は小菊柄だ、単衣の上前と下前――袖と裾にも同様の模様が描かれていた。加え肌蹴ている衿は紫色、腰紐も同色で上に狐らしき剥製が巻かれてある。
「……眉目秀麗、人間と思えない」
「ああ、私は人間じゃないからね」
「……え?」
ポロリ出た心の声を、男が素早く拾い返してきた。恥ずかしい台詞を肯定され、一瞬からかわれているのかと思いきや、彼が「私は狐だよ」と自分の耳を触り微笑んだ。
「ミッ、耳が……!? あ、あっちの二人も……っ」
「私は喜雨麿、善狐の九尾で妖狐一族の長だ。あれらは私に仕えている、名を金狐と銀狐、金狐が弟で銀狐が兄だよ。彼らもまた善狐だ安心なさい」
「金狐だ」
「銀狐です」
喜雨麿に紹介された二人、金狐が軽く手を上げ銀狐が軽く頭を下げてくる。名前は把握したが、内容がまったく理解できない。
「すみません……、お手数ですが日本語でお願いします」
「……ふむ、人間と話すなぞ久しい。銀狐、私の言霊は」
「通じております、喜雨麿さま」
喜雨麿の語尾を銀狐が遮った。継いで一息置き、告げてくる。
「人間の貴女が困惑するのも無理はありません。ですが、感受しご理解下さい。喜雨麿さまの仰る通り私共は狐火山――九百鳥居を潜った先に住まう、善良とされる善狐の妖狐でございます」
淡々とした口調に偽りは滲んでいない。ふと私は地元人ならば、一度は耳にする怪奇を思い出した。
「……本当に、……いた、の……?」
狐火山の奥深くには、あやかしの世界に繋がる九百鳥居が存在する。そこは御狐様の棲み処で近づいてはならない。これは私が幼い頃、母に聞かされたお伽噺だった。まさか本当に――信じられない――驚きだ。
唖然とする私を意に介さず銀狐は続けて言った。金狐は口を挟んでこない。
「この度は妖狐一族の長であらせられます喜雨麿さまを麓で助けて頂き、厚くお礼申しあげます。徳を重んじる善狐は助けて頂いた人間に恩返しするのが掟、ですので喜雨麿さまは貴女を屋敷に招いた次第でございます」
「……私が助けた狐さん?」
銀狐の言葉に私は上半身を起こしつつ、喜雨麿を見据えて訊ねる。喜雨麿は私の背をそっと支え、苦い笑みを浮かべ答えてきた。
「礼を言う菊理、トラバサミは流石に堪えたよ」
(トラバサミ……)
やはり、本人らしい。もう、妖狐の実在を認めざるを得ない。
「足は……、大丈夫ですか?」
「堅苦しい辞遣いはいい。足は菊理のお陰で大丈夫だよ、妖狐の自然治癒力は人間の数千倍だからね」
「……成程」
人間と異なる妖狐の治癒力、不思議だ。あんなに血塗れだった喜雨麿の左足は、びっくりなことに傷跡さえ残っていなかった。未だちょっぴり現実か疑ってしまう。
「して菊理、お前は帰る家が無く職探しで隣町へ行く途中と言っていたな?」
「……う、うん」
唐突に質問され、咄嗟に首肯した。そんな私の頭を撫で、喜雨麿が優しい声音で言う。和らぐ表情は至極嬉しそうだ。
「歓迎しよう私の屋敷に」
「え――」
思わずきょとんとした。だけど私だけではない。
「……あ゛!?」
「喜雨麿さま!?」
金狐と銀狐が驚愕する。喜雨麿は二人の反応を問題にせず、楽しげに手を打ち鳴らした。
「よし! 菊理の部屋は一緒に決めよう。私の屋敷だ、私が案内しよう。好きな部屋を選ぶといい」
「なりません喜雨麿さま! 彼女は人間! 屋敷に住まわせるなど! 恩返しをし今日中に」
「――慎め銀狐、恩返しに“時間”は関係なかろう」
「……ッ」
強い語調で制された銀狐は黙り込んだ。金狐は「だあー……」と諦めた様子で唸る。
私はおずおずと口を開いた。
「喜雨麿さま……」
「喜雨麿でいいよ。何かな菊理」
「……恩返しはいらな」
「ならん」
間髪を容れず却下される。プン、と顔を逸らす喜雨麿はまるで子供だ。
「……私が屋敷に住めば、喜雨麿の恩返しになるの?」
「いや、それは私が菊理を気に入り傍に置きたいが故だよ。恩返しは後程、考えるとしよう。金狐、銀狐、今日を以て家族が増えた。必要な品物を揃えよ」
「はい」
「さあ喜べ菊理、新しい我が家だ」
「…………」
一件落着の雰囲気が半端ない。本人の意見を放ってトントン拍子で決定する、身勝手な恩返し狐と忠実な子分たちに眩暈がしたのだった。