*第陸和 あやかし様とおでかけ
「おはよう菊理、今日は菊理の日用品を買いに行く日だよ」
スパン! と勢いよく襖を開けられた。犯人は喜雨麿だ。何度「声をかけて入って」と訴えても守ってくれない、絶対に覚える気がない。
「……ん、んん? 『行く日だよ』ってまた勝手に……、いま何時……お店開いてないよ」
虚ろな目で枕元の時計を確認した。針は四時を指している。出発には早い時間だ。
「銀狐、支度を」
「御意」
「あ、ちょ、や、銀狐!? きゃああああ!」
喜雨麿の指示で銀狐が突如現れ、布団を捲り、「準備しますよ」と言い放った。こうして私の一日が幕を開ける。
* * *
「ふあ~あ、土産よろしくな」
「お気をつけて」
「行こうか菊理」
「行ってきます!」
東の空が赤く染まる時刻、留守番組の銀狐と金狐に手を振り、私は喜雨麿と一緒に屋敷を出た。今日は二人でおでかけだ。
(勝手に喜雨麿が決めてた予定だったケド、久々のショッピングは楽しみだな)
気持ちと連動して、カラン、コロン、と下駄が鳴る。これは今朝、銀狐が着つけてくれた浴衣とお揃いの下駄だ。浴衣は暗闇でも映える淡い紫色の菊模様でカゴ付き巾着も同様、朱色の半幅帯は品のある華やかな変わり結びがされていて可愛い。
「浴衣、異界の呉服屋で拵えさせたんだ。素敵だね似合ってるよ、銀狐に任せて正解だった」
「ありがとう喜雨麿、銀狐は本当に多才だなあ……。祭り以外で浴衣着たの初めてだよ私」
柔らかい表情で言われ、頬がちょっぴり熱を帯びた。私は照れながら礼を告げ、手を繋いでいないほうの浴衣の袖を軽く上げる。
「何れ着物も拵えさせるよ」
取り敢えず二十着は必要だね、とにっこり細めた喜雨麿の目は本気で恐ろしい。私は慌てて断り、ふと頭に一つの単語が浮かんだ。
「にっ、二十!? い、いいっ! 要らない!! 着物って高価そ……あっ、まさか恩が――」
「恩返しじゃない」
「う……ッ」
被り気味で否定される。私は的が外れ押し黙った。
喜雨麿の笑う気配がする。絡ませてきた指先は冷たい。
「私が好きでやっているんだよ、菊理」
「……野狐の件で助けてもらったし、他にも色々……、充分、恩返しされてると思うよ?」
仮だけど居場所をくれた、危ない場面で護ってくれた、甘えさせてくれた、喜雨麿を妖狸から助けたことは事実だけど見返りが多すぎだ。
「恩返しは別だよ」
「……じゃ、じゃあ考えてくれたの?」
私が屋敷に半ば強引な形で迎えられた当初、喜雨麿は「恩返しは後程、考えるとしよう」と言っていた。それを思い出し聞き返してみる。
「焦る必要はないだろう? 菊理は身寄りがおらず家がない。ならば私の屋敷でゆっくり先行きを見据えればいい」
「…………」
つまり答えは「NO」だ。しかも痛いところを突かれた。反論ができない。
会話が途切れる。が、一瞬で沈黙は終わった。
「――さあ、着いたよ」
喜雨麿が到着を知らせる。同時に霧が晴れ、突如、目の前に眩しい光景が広がった。色彩豊かな提灯が灯す世界は幻想的だ。
「わああ! 山車だすごい! 私てっきり狐火山を下りて、街のお店に行くんだとばかり!」
「私は妖狐だ、忘れていたかい?」
「……そ、そうでした」
喜雨麿の言葉に納得する。思えば喜雨麿は狐火山の妖狐、人間の前に姿は晒せない。
「ここは年中、祭り雰囲気でね。四百店はあるかな、店の種類も様々で面白いよ」
確かに屋台の看板は多種多様だ。祭りでお馴染みの金魚掬いや面売りはもちろん、民芸品や絵画、家具や衣服まで立ち並んでいる。
「早く回ろう! あっちがいい!」
「はいはい」
私は喜雨麿の手を引き、近場の“くるくる風車”に入った。看板の名前通りではない、自分好みの服屋だ。
「動きやすい服、欲しかったの!」
「ふうん?」
「あっ、カーゴパンツ!」
きょろきょろ視線を巡らせ、黒いリボンベルトのカーゴパンツを発見する。カジュアルなデザインで普段着に丁度いい。
けれど、喜雨麿は反対だった。
「ダメ、菊理はこっちがいいよ」
「……動き難い服だよ、それ」
意に沿わない、フラワーシフォンワンピースを差し出される。ふわふわした裾は膝上丈だ。
「こっちになさい」
喜雨麿は不満がる私に、再度、やや命令口調ですすめてきた。「ね?」と長い爪で鼻をつんつんされる。
「……はあ」
諦めざるを得ない。私はため息を吐きつつ、カーゴパンツと交換で受け取った。
「あとはうーん。こっちとこっち、よし決まりだ」
「ああ! 一人で決めないで! 喜雨麿!」
喜雨麿は私の意見を聞かず、カットフレアスカートやバルースカート、数枚の無地Tシャツカットソーを選び支払いに向かう。躊躇いのない背中が何とも男らしい。
(っていやいや!)
私はバックを探り財布を手に掴んだ。そして急いで追い、勘定場にいた喜雨麿に訊ねる。
「いくら!?」
「――ん? ああ菊理、あやかしの世で人間界のお金は使えないよ」
「つ、使えないの!?」
「使えないね」
けろり、爆弾を投下された。唖然とする私に喜雨麿は微笑んだ。
「今日は私に甘えなさい。品物は後日、屋敷に届くよ」
「う、ん……。どうも……、ありがとうございます」
(今日は、って)
いつも、な気がする。そうは思うものの、私は遠慮がちに有難く厚意に甘えた。
(だって払えないんじゃ甘える他……、参ったな。お金使えないんだ……)
この先、狐火山にいる限りずっとだ。募る金銭面の不安は如何ともし難い。
「菊理、おいで」
「あ、うん!」
(帰ったら銀狐に相談しよう)
一人での解決は無理だ。私は自分を呼ぶ喜雨麿の元へ駆け、次の店に足を進めたのだった。