*第伍話 客人のあやかし様
麗らかな午後、屋敷に一人の青年が訪ねてきた。もちろん人間ではない、狐火山に住む妖狐だ。
彼は黒の甚平で身を包み、一本歯下駄を履いている。腰に引っかけた黒い狐面は両サイドに三連の赤い吉祥結び房飾りがあり、赤化粧を施す目や口端は恐怖を煽った作りで厭に恐ろしい。
「お久しぶりですね」
「おっす」
銀狐と挨拶を交す彼は、どうやら見知り合いらしい。私は内玄関をこっそり覗き、二人の会話に耳を澄ました。
「お野菜ですか?」
「喜雨麿さまにお裾分けだ」
「いっぱいありますね、ありがとうございます」
銀狐は彼の後ろを見やる。野菜の入った箱が積まれていた。結構な数だ。
「おう、俺の自信作だかんな。絶対に美味いぞ、保証する」
「うっげ! オイオイオイッ、お前また野菜持ってきたのかよ!? ふざけんな! 嫌がらせかよ持って帰れ!」
そこにヒョイッと、前触れなく現れた金狐が乱入してくる。大嫌いな野菜を見てお怒りだ、いつも以上に声が荒々しい。
「相変わらず煩いヤツだな金狐、お前に持ってきたんじゃねえし」
「バアカ! 俺がとばっちりを食うんだよっ!」
「バカはどっちだ。野菜嫌いも大概にしろよ、餓鬼」
「うっぜえ! 野菜星人が!」
金狐は宛らライオンの如く吠えた。彼も銀狐同様、青年を知っているようだ。
(友達かな……)
二人と友好的な感じがする。
青年はマロ眉に二重瞼の黒い目で鼻筋は細く口元はへの字、加え、毛先の黒い狐耳に髪型は黒髪のツーブロックショートだ。全体的に印象は――可愛い。
(マロ眉に困り顔ってずるいな)
視線を逸らさず彼を凝視した。刹那、背中がズシリ重くなる。犯人は喜雨麿だ。
「菊理、探したよ。何の遊びだい?」
「……かくれんぼ」
「ふうん?」
「イッタ、イタタタタ! やめて! ハゲちゃう!」
顎を頭に乗せられ、ぐりぐりされる。地味に痛い。
「おや」
「あん?」
「喜雨麿さま!」
(ひわああ!)
――最悪だ。喜雨麿のせいで金狐と銀狐、彼がこちらに気づいた。
「墨芥子か久しいな」
「御無沙汰を致しました。今日は野菜を収穫したのでお届けに参り……、ってそちらの人間は?」
すべてを言い終わる前に、喜雨麿から私に視点が移る。訝しげな眼差しだ。
「ああ、……おいで菊理」
「――っ!」
突如、喜雨麿に手首を握られた。そのままぐいぐい引っ張られ、三人の元へ連れられる。
「いたんですね菊理」
「こそこそしやがって」
「あ、はははは! ……ごめんなさい」
尤もな反応で決まりが悪い。私は銀狐と金狐に苦笑しつつ謝った。
そして彼に向き直る。若干、驚いた様子だ。
「彼の名は墨芥子、人間が“平和の象徴”と扱う善狐の黒狐だよ。墨芥子、私の恩人で菊理だ」
「墨芥子さん初めまして狐塚菊理と言います。事情がありまして、ここの御屋敷でお世話になっています」
喜雨麿の言葉に続き、私は短く自己紹介をした。間近で目線が合う。
「あ――と……! す、み、墨芥子だ」
けれど墨芥子はすぐ俯いた。名乗ってくれるが素気ない。
(盗み見しちゃって嫌われたかな……)
明らかに私を避けた態度だ。内心でしょんぼり気を落とすと、表情に出てしまっていたのか銀狐が告げてくる。
「菊理、墨芥子は女性が苦手なんです」
「むっつりスケベ」
「なっ!? 誰がむっつりスケベだ!」
「――ッテ!」
揶揄した金狐を殴る墨芥子の顔は真っ赤だ。
「彼は私と同年齢で、私たち兄弟の幼馴染なんですよ」
「へえ! 道理で仲が良いんだね! 三人は!」
銀狐の説明に納得の声を上げた。しかし間髪を容れず、金狐に訂正される。金色の眼光は鋭い。
「仲良くねえよ!」
「……腐れ縁に過ぎねえし」
(ええっ)
墨芥子も首を振り否定的だ。一方で銀狐は野菜箱の中身を確認していた。
「状態がよく美味しそうですね」
「チッ」
銀狐の拍子抜けな一言に金狐が舌打ちする。だが、お陰で二人の険悪な空気が和らいだ。
(地雷だったのかな。でも、助かったあ)
一先ずほっと安堵し、私も野菜箱に視線を投げた。トマト、キューリ、カリフラワー、ナス、ほうれん草、キャベツ、タマネギ、アスパラガス、色鮮やかで新鮮な野菜が並んでいる。
「あ、本当だ! 美味しそう!」
「墨芥子が育てたものですよ」
「すごい! 狐火山にも畑あるんだね! 行ってみたいな」
青田の広がった、心休まる風景が懐かしい。
「……行くか?」
すると、墨芥子にか細い声音で聞かれた。「え、いいんですか?」と訊ね返せば、墨芥子は肯定に口を噤んだ。
「ありがとうございます、墨芥子さん!」
「心配だね、私も同行しよう。金狐、銀狐、留守を頼んだよ」
「了解、ヘマすんじゃねえぞ菊理」
「はい。行ってらっしゃいませ、くれぐれも余計な行動は慎んで下さいね菊理」
「……もう、わかってるよ」
苦言を呈される。私は金狐と銀狐に手荒く見送られ、喜雨麿と先行く墨芥子の背中を追ったのだった。