酒は飲んでも飲まれるな
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アナライズ情報を頼りに平原を踏みしめる。
ブーツで土を蹴り土壌の状態を確認すると大まかな状況を書き留める。
開拓村の周辺を散策して分かった事だが、かなり塩害が酷いようだ。
なんでもこの塩の濃度は南東に進むほど悪化するらしく共和国が征伐に二の足を踏む、要因の一つとなっている。
(近くに川もないから洗浄も出来ないな、石灰を撒いて……)
いっそのこと宅地や工場用の敷地として割り切るのもいいかもしれない。
共和国に近い遺跡周辺は兎も角、高い草木もないので視界が広いようなので魔物を迎撃するのには容易だ。
手帳から顔を上げると遠くでミュレーが手を振っているのが視界に入った。
鷹の目とアーバレストは広大な平地と相性抜群だな。
「しかし随分と暇そうですが大丈夫なんですか、サイモンさん?」
「大丈夫って何がっすか?」
隠れることすら諦めてしまった間者のサイモンが地面に胡坐を掻いた体勢で頬杖を突きながら、俺の質問に対して気だるそうに返答する。
スパイって案外緩い仕事なんだなと思わず笑みが零れると、サイモンは眉を上げて不快な表情を隠さない。
「上司に包み隠さず報告しても、真面目にやれだのせっつかれるだけでしてね」
「それはまた大変なお仕事ですね」
「馬鹿にしてます? 馬鹿にしてますよね!?」
(遂には被害妄想まで……)
これ以上彼を弄るとストレスで依願退職してしまう恐れがあるので程々にしておこう。
やらないとは言ってない。
手を振っていたミュレーの方へ歩みを進めると、目印に地面に書いた記号が目に付いた。
「これで一周、ミュレー魔物の生息域は?」
「ハウンド系が多いみたい。行動半径も広いみたいで馬の足でも逃げ切れないから厄介ね」
「軍部でもこの周辺の交易被害は相当な物だって聞きますね。資材を運ぶだけでも命懸けっすよ」
ちゃっかり情報を漏らす間者を尻目に俺は顎に手を添えると熟考する。
軍もまるっきりやる気がない訳ではないのか。
サイモンはミュレーの持っているクロスボウが気になるのか、先程からちらちらを視線を移しては溜息を吐いている。
(多少の危険性は割り切るか)
「よろしければクロスボウの設計図を差し上げましょうか?」
「へっ!?」
俺からの思いもよらない提案にサイモンは素っ頓狂な声を上げて驚愕しタ表情を見せた。
ミュレーも心配そうな表情でこちらを見つめている
。
とはいえアーバレストの設計図を渡す訳じゃない、そもそもこのクロスボウは金属部品を大量に用いるので量産には向かない。
プッシュレバー方式なら大半の部品は木製なので問題はないだろう、性能もロングボウと変わらないしね。
俺は懐から設計図を取り出すとサイモンの見える位置で左右に振った。
「まぁ、交換条件ですが……」
「えっ、それはその、カネっすか? 俺、薄給なんでちょっとそういうのは……」
(時代劇の悪徳商人じゃないんだから)
何故俺の身の回りには残念な人達が集結するのだろうか……俺は数度咳払いをすると、誤解を訂正する。
俺が欲しいのは帝国の戦争準備の進捗とそれに対応する共和国軍の動きだ。
狙いが商業都市だという事も把握済みだろうしな。
「諜報部の方なら近々戦争が始まるのは御存知でしょう? それに対応する軍部の姿勢を、それとなく教えて下さるだけで結構です」
「それでこんな荒野に……でも、俺が嘘を吐く事も有り得ますよ?」
「ここに書かれている部品を製造する工作機械はルース商会にしか現存しません。嘘なら嘘でも問題はありません」
サイモンが重い口を開くと特に戦闘参加はしないとの返答が帰ってきた。
成る程、帝国と商業都市が二虎共食。
疲弊した所で共和国が戦争特需で漁夫の利を得るパターンか、だがどちらかが勝利する事は考えられない。
どちらか一方が勝利する場合、共和国に匹敵する国土を得る事になる。
よって講和狙いで商業都市を支援すると考えた方が妥当だ。
そうくると今回の不可解な征伐の理由も氷解する。
帝国勝利を仮定して軍の実績を得て徴兵に弾みを付ける為の作戦行動。
「良く分かりました。 諜報員殿、どうぞこちらをお納めください」
「ひひひ、アンタも結構なワルっすねぇ」
(様式美、様式美)
若干時空に歪みが生じた所で開拓村まで歩いて帰還する。
クロスボウは農閑期の農民達が好んで使用していた兵器。
習熟が容易で命中率も高い、これで多少は魔物との戦闘被害が抑えられればいいのだが……
開拓村に辿り着く頃には何時の間にかサイモンが姿を消していた。
こういう所はスパイっぽいな。
「大丈夫なのタウ? 戦争に使われるんじゃない?」
「実を言うと、商業都市では既に流通していた技術なんです。彼我技術差がなくなっただけですよ」
「まぁ!? 悪い人ね!」
(有り難う御座います!)
ミュレー様に罵られる度に新しい性癖に目覚めそうで不安な今日この頃です。
それはさておき飯でも食うか。
とは言ってもこの村では外食できる施設が一ヶ所しかない、ミュレーは足早に俺に並ぶと肩を預け腕を組む。
何だか浮気現場みたいだな。
「ちょっと早いですがお昼にしましょうか?」
「えぇ、でもあの食堂はちょっと……」
「そうですか? 結構いい店だと思いますけど」
眉間に皺を寄せて不満を述べるミュレーにフォローを加えると食堂の敷居を跨いだ。
扉がないんだよね、この店。
カウンターに3銅貨を置き、学校給食にあるようなトレーと木べらを受け取る。
食堂のおばちゃんが複数の鍋の前で待機していてお玉で掬い上げたポテト? のような物体をトレーに叩きつける。
そう洋画の刑務所でよく見る光景……刑務所飯である。
(ポテトが極彩色でないのが若干不満だが)
「あっ、私は小食なので少しでいいです」
「ガハハ、あに言ってんだい! もっと腰回りに肉つけて、旦那に元気な子供産んでやんな!」
怒声にも似た声を張り上げてトレーにポテトをどっさりと載せられる。
お次は廃棄する骨肉から削ぎ落としたと思われるミートパテ。
そして胡瓜と人参のピクルスにベーグル。
たった3銅貨で刑務所に体験入所できるなんてリーズナブルですね。
(この組み合わせをバラバラで食うのも新鮮だな)
「タウ、私……ミートパテ苦手なの」
「ではこちらに移しましょうか?」
ミュレーからミートパテを受け取って食事開始だ。
まずはポテトからいってみるか、木べらで適量掬い上げ口に放り込む。
うむ、疑いようもなく芋の味だ……塩がかかってないんだよなぁ、懐から調味料セットを取り出しテーブルに並べる。
塩を振りかけてもう一度トライ。
(土の香りが凄いなこれ)
塩害土壌でもジャガイモやトマトは良く育つと言われている。
仮に開拓村を農地にするならこの2つが中心になるだろう。
次は瓶入りマヨネーズをかけベーグルと共に戴いてみる、ちょっと酸味が強いな。
これ入れ替えたの何時だったっけ? このジャガイモは旨みがあって中々質がいい。
(ミートパテの前に……)
「すいません、エール1杯お願いします」
「あ、私も1杯貰えますか?」
「あいよ!」
ミュレーが恐る恐ると手を挙げ酒を注文する。
ん? 貴女お酒飲めましたっけ? 実は酒乱とかベタな展開はやめて下さいよ。
ベーグルにパテを塗りつけながら一齧り、ちょっと塩をかけすぎたな。
「はいよ! エール2杯お待ち!」
(丁度良い所に来た)
エールを大急ぎで呷ると塩辛さを洗い流し一息吐く、ミートパテは最後に片付けてしまおう。
胡瓜のピクルスを拾い上げ口に放り込み噛み締める。
酸味はいいがちょっと歯応えがぐにゃぐにゃだな、もう少し浅めに漬けてある方が好みだ。
ミュレーの方へ視線を移すとエールを両手で抱え込んで水飲み鳥のように、ちびちびと口元へ運んでいた。
「お酒平気なんですか?」
「タウがいつも飲んでるから少し気になって……」
まぁ、この世界では飲酒が禁止されてる訳じゃないし構わないか。
ナイフを取り出しベーグルを真横から二つに切り分けミートパテを塗り、ピクルスを挟むと徐に口に咥える。
やっぱり焼いてないと駄目か……材料自体は同じ物なのにな。
食事を終えると両手を叩きトレーを前の場所へ戻す。
ミュレーもエールを飲みきっているが、特に酔った様子もないようだ。
「それでは厩舎の方へ向かいましょうか?」
「……はい」
食堂から表へ出るとそのまま厩舎へと足を運んだ。
どうやらダリアは居ないようだ。
二頭立てになって世話が忙しくなるとも思ったが、そうでもないのか?
畜舎の中を覗いてもちゃんと飼葉も与えてあるようだ。
俺がその場で振り返ると不意にミュレーが俺のズボンに手を回して、体を押し付けてきた。
「ねぇ……タウ」
「はい、なんでしょう?」
「貴方ついてるんですか!? 女の子に恥ばかり掻かせて!」
(遺憾、目が据わっている……)
誰だよ、酔ってないとか言ってた奴は……俺か。
そうしている間にもミュレーはしゃっくりをしながらぎこちない手つきで俺のベルトをカチャカチャと取り外し始める。
酔ってる割には緊張しているのかベルトを取り外すのに苦戦しているようだ。
若干半泣きになりながらベルトと格闘しつつ、こちらの顔を見上げてくる。
「これどうやって外すんですか!?」
「ミュレー、貴女酔ってます?」
「酔ってなんかいません! ちゃんとついてるかどうか確認するだけでふ!」
ミュレーがベルトを外し終えると俺はその場で転倒、ズボンを摺り下げられてしまった。
ミュレー様落ち着いて!
「ぴゅいぃ……もう一枚」
(逃げるっきゃねぇ!)
「あっ、待ちなさい!」
ミュレーの静止命令も聞かずに俺はその場から全速力で逃亡する。
ズボンを摺り下ろされた俺は畜舎の庭にいた鶏と併走するとヒヨコ走りで何とか魔の手から逃げ遂せる。
やがてリマとダリアが厩舎へ帰ってくるなり、俺の姿を見て素朴な疑問を浴びせた。
「タウ様、何してるんですか?」
「新しい遊び?」
「説明はしたいのは山々ですが……上手く言葉に出来ない」
無言でズボンを上げながら茫然自失で佇む俺の横を擦れ違いざまに牛がモーと鳴き声を上げた。
それは俺の台詞だよ。
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