重農主義
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「お巡りさん話を聞いてください!!」
「うわぁっ!? 大丈夫ですかタウさん?」
夢から飛び起きた先で周囲を見渡す、どうやらここは馬車の中のようだ。
馬車には大量の積荷が積まれ傍らにはルース君がこちらの様子を窺いながら頭を掻いている。
おぉ……天の助けとはまさにこのことか。
「あの、タウさんひょっとして怒ってます?」
「とんでもない、ルースさんは私の命の恩人といって差し支えない程ですよ。社外相談役という役職に関しては、多少詰問したい感情がわいてきますが」
「やっ、やっぱ怒ってるじゃないですか!」
ルース君とは絡み易くていいな、俺と同じダウナー系だし。
腹に一物持ってそうなところも親近感湧くよね。
彼がここにいるということは商業都市へ向かう途中と言ったところか、幌から顔を出すと海岸線に並ぶ街と海に浮かぶ島々が見える。
「成る程、あれがイザークですか?」
「はい、17の島嶼から成る、商業都市連合体ですね。とは言っても、海岸線に見える都市を管轄しているイザーク商会が実権を握ってます」
(海洋国家が中央アジアなら、こちらは欧州に似ているな)
商業都市イザーク、大陸西部に広がる一大連合国家だ。
島ごとの分割統治体制を取り、それぞれの島で政治体制や産業にも開きがある。
それを取り纏めるのがルース君の話にも出たイザーク商会。
元は王政だったこの国だったが、商人達が王侯貴族に金を貸し付けている内に立場が逆転。
国庫のほとんどを借金で賄うようになった。
貸し手の商人達は数度、弾圧の危機に晒されながらも苛烈に抵抗。
最終的に独立を果たしたが周りは全て商売敵、利益を巡るいざこざから国土は分裂し内紛状態に陥ったが豊富な資金力を持って、その騒乱を鎮めたのがイザーク商会だった。
(帝国から狙われるとすればこちらだろうな)
「あの、それで早速で申し訳ないのですが、ビジネスの話を……」
「構いませんよ、しばらくは手紙だけのやり取りばかりで正確な情報を知る機会がありませんでしたからね」
「それで縁談の話が舞い込んで来ていまして」
あれ? これ夢の続きじゃない?
いやいや何かの聞き間違いだろう、面談を縁談を聞き間違えたみたいな。
「縁談ですか?」
「はい、イザーク商会の御息女とその、恥ずかしながら……私が」
普通にめでたい話だったよ。
しかしルース君、それはビジネスの話ではなくプライベートではないかね……ふむ、イザーク商会の娘と結婚という事はこの時代では合併の話になるのか?
「それはルース商会とイザーク商会の合併話ということですか?」
「合併なんて生易しい話ではないんです! 吸収ですよ吸収! なんたって相手は一国を仕切るイザーク商会。縁談を断ろうものなら、船の一隻だって浮かべられなくなるんですから!」
「それほどの有力者との縁談なら断るべくもないのでは?」
「経営方針が違うんです、私はタウさんから経済学を学んで色々と勉強させて頂きましたが……」
所謂巨大資本という奴か、金儲けと経済学は真逆の存在だからな。
アダム・スミスの国富論で言えば商業都市の経済体制は重商主義、片や俺達の目指す経済体制は重農主義。
「イザーク商会はこうして商会の吸収合併を繰り返して、経営内容を塗り替えてしまうんです」
「しかし経営の舵取りについては、部外者の私の一存では決められませんし」
「そ……そんなぁ」
かといって、ここで引いては俺の計画にも悪影響がでる可能性も高い。
とりあえず相手の情報を集め相手の出方を見てから、臨機応変に対応していくのが上策だな。
「気楽に行きましょうルースさん、船を止められてもいざとなれば蒸気機関車でも出せばいいんですから」
「えっ? い、良いんですか?」
「こちらが下だと思っているから尻込みするんです。伏せてる手札の数はこちらの方が圧倒しているのですから、相手方の情報収集と対話を通して慎重に事を進めるべきかと」
「……それもそうですね」
ルース君も落ち着いたのか顎に手を置き長考に入る。
我々にあって彼らにない物、それは明確な“ビジョン”。
資本というものは巨大化するほど思考が官僚的性質を帯びる。
現状維持という名の停滞で満足してしまうのだ。
例えるなら、ルース商会が今だ旅半ばにいる青年とすれば、イザーク商会は老成して棺桶に片足を突っ込んでいる老人。
(伸び代を失った相手に、こちらが負ける道理はない)
「それと大変申し上げにくいんですが、両社の役員が集って会合を開く事になりまして一応我が社の役員としてタウさんにも参加願えたら……」
「それは是非ともお受けしなければ!」
「やっ、やっぱりダメ……え? 引き受けて下さるんですか!?」
水臭いじゃないかルース君出来れば毎日会合を催したいぐらいさ、やがて馬車の歩みが緩やかになり停止する。
おっとどうやら商会の支社に到着したようだ……さて、走るか……。
「それでは私は急用を思い出したのでこれで!」
「あっ! タウが逃げるわっ! ルースさん止めてっ!」
「えっ!? えっ?」
(三十六計逃げるに如かず!)
生体補助アプリケーションを起動し身体能力を走力に全振りする。
今の俺はオートトレーシング機能によってオリンピッククラスのトップアスリートに匹敵する走りを可能とするのだ。
「タウ様どこに行かれるんですか?」
(あっ、やっぱり?)
リマがきょとんとした顔で俺と並んで併走している。
いやいや、おかしいだろ体格差とか色々と……足が痺れる……これが農家で鍛えられた足腰と現代人との差か?
「えぇ、少し童心に返って駆けっこがしたくなりまして」
「ふふっ、おかしなタウ様」
俺はその場で立ち止まると両手を腰にあてその場を笑って取り繕う。
後ろを振り返ると他の娘達も満面の笑顔でこちらに近付いてくる。
最近この子達の微笑に激しい違和感を感じる。
俺はパティ達と腕を組み、もとい鈴なりにぶら下げながらも元来た道を戻る。
ルース君は穏やかな顔でそんな俺を見守っている、どうやら双方に誤解が生じたようですね。
「それじゃルースさん! 部屋の案内お願いね」
「はい大部屋はこちらになります、VIPルームはかなりの広さがありますから。5人連れでもゆったりすごせますよ」
(ルースにまで裏切られた……俺は……俺は一体誰を信じればいいんだ。教えてくれ、アマガエルよ……)
道端のアマガエルは何も答えてはくれなかった。
当たり前だが。
娘達が取れないので頭から外套を被り商会内に入る。
周囲からの奇異の視線が痛い、まぁ、歳の近い娘が4人出来たと思えば楽なものだ。
「い、いらっしゃいませ」
「いやぁ、申し訳ありません。 私の娘達がご迷惑をお掛けします。どうもこの歳になっても甘え癖が抜けないようで……」
「はぁ……」
(この設定では駄目か)
カウンターを通り部屋へと通されると、俺は腕に着いた娘を1人ずつ毟った。
背中にくっついたパティだけはどうやっても剥がれないので諦める事にする。
「中々良い部屋ね! ベッドも大きいし!」
「私は床で寝ますけどね」
「あれあれぇ? タウったら何をソーゾーしちゃったのかなぁ?」
後ろからパティの鼻息が耳に掛かる。
腕にかける力が篭り、背中に彼女の胸が当たっている、
しかし悲しいかなパティの胸囲は最下位、どちらかといえば幼児特有の寸胴体型である。
(パティ、可哀想に……貧乳を拗らせて)
「……今何か失礼な事考えてるでしょ?」
猫の尾を踏むような真似はすまい。
この場合防具袋をどこにしまうべきか。
なんというかどの家具も容量が大き過ぎて、こんな小汚い袋をしまうには申し訳ない気分になってくる。
靴箱があるな……ここにしよう。
「ちょっ! どこにしまってんのよ! 箪笥があるんだから、ちゃんと箪笥に入れなさい」
「パティ! タウに甘えたいのはわかるけど、自分の分の荷物はちゃんと片付けなさい」
「さっきからずっとくっついて、ずるっこですよ!」
ダリアが無言でパティを掴み引き剥がしにかかる、もしかして今まで大部屋ではずっとこの調子だったのか?
これはとてもではないが気力が持たないぞ。
「タウは私とくっつくのは、イヤ?」
引き剥がされたパティがあひる座りの体勢で目を潤ませながら猫撫で声で甘えてくる。
どうやら発情期に入ってしまったようだな、
だが、その程度の事では俺の鋼の精神は揺るがない。
「別に構いませんが、少々体臭……ごほっ、いえ、構いませんよ?」
「に゛っ!?」
パティが総毛立ち。
慌てた様子で服を臭いを確認すると、浴場へ向かってダッシュで退避して行った。
効果覿面ですね。
ミュレー達もお互いの臭いを嗅ぎ、いそいそと浴場へと消えていった。
思わぬ副次効果もあるようだ。
(好機!)
手早く扉を開け紙を挟みながらゆっくりと扉を閉める。
音を殺し扉が閉まったのを確認すると、俺は足音を消しながらそそくさと宿の外へと飛び出した。
あぁ自由とは素晴らしい!
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