無知と貧困は人類の罪悪
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次第に肌寒さを感じるようになってきた9月下旬。
周辺地域の討伐も順調に進んでいる。
というより、馬車からバリスタを乱射しては逃げる、ヒットアンドウェイ戦法が存外うまく嵌まってしまったのでかなり時間的な余裕も出てきた。
それに反比例するかのようにフラストレーションを貯めているのが、パティだ。
(今日もそろそろ来る時間だな)
ドスドスと床板を鳴らす音が聞こえる。
俺は少々早く起床して馬の毛ブラシを口に咥えながら身支度を整えていた。
廊下の足音が俺の部屋の前に止まると扉の殴打音に近いノック音が響き、俺は生返事で返答する。
「タウ、準備できた? いくわよ!」
「はいはい、只今」
女のストレス解消法といえば、井戸端会議か、飲み会か、買い物だと古代から相場が決まっている。
俺は扉を開けると、そこには大人びた衣装に身を包んだパティの姿があった。
堪えるんだ俺よ……これは出オチじゃない。
ここで笑ったら死ぬぞ!
「ど、どうせ似合ってないって思ってるんでしょ」
(読心術!?)
「健康的でよくお似合いですよ」
俺がそう言うとパティは目を逸らし、恥ずかしそうにくねくねと体を捩る。
他の娘だと可愛く見えるがパティがやると獲物に飛び掛る前の予備動作にしか見えんな。
俺は思わず条件反射的に体を斜に構えた。
他愛のない会話を交わしながら宿を出て厩舎に向かおうとした時、背後からパティに呼び止められる。
「今日は近くを見て回るだけだから、足で回るわよ。ダリアも折角の休日なんだし」
「そうですか? 後で疲れたからおぶって等とダダを捏ねないでくださいよ」
「子供扱いしないっ!」
(……と子供が申しております)
リマは今朝方からミュレーを伴って射撃の講習、ジャック君もここに来る時は俺と共に修練場で対ポールウェポンの講習。
つまるところ、最近暇してるのはパティだけなのだ。
ルース商会の支店は商業区の中央に位置するので、買い物をする分には気軽だ。
(品揃えが共和国と見比べると見劣りするんだよな)
店頭に並べられた商品を一通り見て回る。
物価は五分の一程度でほとんどの商品は輸入品に頼っているようだ。
市場に出回るのは麻製品ぐらいで、綿花の栽培は高温多湿な熱帯地方でなければ不向きだしな。
「何で食料品は安いのに、衣料品だけこんなにバカ高いのかしら?」
「贅沢品はほとんど共和国からの輸入品ですから」
通貨の需要に供給が追いついていないというのもあるだろう。
帝国内の経済は深刻なデフレ状態にある。
こうして物を買いにくる分には安く見えるが年間所得が30銀貨もない帝国の領民からすれば、どれも割高な商品だ。
「どうこれ……似合ってる?」
リトル・ブラック・ドレスに袖を通したパティがその場でくるりとターンしてみせる。
こっちに聞かれてもデザインの良し悪しなど分からんよ。
俺は適当に相槌を打つとパティに向かって答える。
「色のお陰で、普段より体が細く見えますね」
「なっ!? もういいわよ!」
はい減点1。
店内を見渡すと一際目立つ白いドレスが飾られているのが目に入ったので、近付いて値段を確認する。
18銀貨。
1オーガ単位。
パティも俺の後ろから顔を出し興味津々にドレスを眺める。
「タウはこんな子供っぽいのが好きなの?……そういえば、ダリアにも白い服買ったわよね」
「まぁ、無難な色ですからね」
俺に対してロリコン疑惑を抱きつつもパティは白い服を手に取り、いそいそと試着室へと入っていく。
カーテンが開くと恥ずかしそうに俯くだぼだぼのドレスを着たパティが現れた。
何でこの娘はいちいち笑いを取りにくるの?
「いや、これはよくお似合……」
「ストォープッ!」
結局、何品かの小物を買うだけで店での買い物は終了する。
荷物持ちとしては荷物が増えなくて助かった。
しばらく歩道を歩くと珍しい物が目に留まった、肉屋にぶら下げられていた豚の腸だ。
(ソーセージに使うんだろうな)
ソーセージ・ハンバーグ・ジャーマンポテト・グーテンモルゲン。
遺憾、考えてたら無性に食いたくなったぞ。
店先へいくと どうやら完成品のソーセージはないらしい。
よかろう、これは俺に対する挑戦と受け取った。
「パティ今夜はこれを使っても構いませんよね?」
「あっ……は、はい」
俺が豚の腸を手に取り、今夜の献立についてパティに意見を求める。
すると彼女の顔は湯気が出るほど真っ赤に染まり、
しどろもどろながらも敬語で返答した。
なんだ? そんなにソーセージが好物なのか? あぁそうか、豚の腸だし不潔感があるか。
「まぁ、嫌なら止めますが」
「あ、タ、タウがしたいなら、あたしは……嫌じゃないよ」
(何だ、この反応)
なんだか不穏な空気を感じるが、大人しくなったのならよしとしよう。
その後商会に戻るなりパティは走って階段を駆け上がり、部屋へと戻っていった。
お行儀の悪い。
俺は厨房を借りると、早速ソーセージ作りに取り掛かる。
豚肉をチョッパーで挽肉にして塩と香辛料に漬け、2日ほど置きます。
(……ってダメじゃん)
仕方ないソーセージは厨房にもある。
予定を変更してこっちをハンバーグにするか、牛肉を若干足して合い挽き肉を作る。
お次は玉葱を微塵切りにしてフライパンで色合いが透明になるまで炒める。
(スパイスはクローブとナツメグでいいな)
材料をボウルに投入すると塩胡椒でベースの味付け、繋ぎにパン粉と溶き卵を入れる。
さて混ぜるか……。
しかし、男が素手でこういうのを混ぜるのはちょっと抵抗感があるな、厨房にいたメイドさんに混ぜるのを手伝って貰うとデミグラスソースの製作にかかる。
(こっちの方が面倒なんだよな)
まずは寸胴鍋にバターを入れ熱した後に小麦粉を投入。
色がついた所でワインを入れるブラウンソースはこれで完成。
もう一つの鍋に油を敷き大蒜を潰し、続いて玉葱と人参をしなるまで炒める。
ここで徐に骨肉。
「あの……ソースですよね?」
「えぇ、ソースですよ」
厨房のシェフが心配そうな顔でこちらの工程を覗き込んでくる。
ブラウンソースに水を足し、トマトと炒めた材料もぶち込む。
ローリエがあるから入れておくか、後は煮詰めて灰汁を取る反復作業が始まる。
合間にシェフが味を見ながらカラメルソースを継ぎ足す。
しばらくすると厨房にミュレーとリマが顔を出した。
「あらっ? 今日はタウの手料理?」
「いい匂いがします」
「煮込みハンバーグとソーセージに付け合わせのジャーマンポテトです。パティは一緒ではないんですか?」
ちなみにジャーマンポテトはシェフに丸投げである。
俺は鍋から取り上げたソースを布で濾しながら2人を応対する。
「それがさっきから部屋で鏡を見つめて髪を弄っては溜息ばかりで部屋から出ようとしないの……」
「そろそろ完成しますので、ダリアも一緒に呼んでおいて下さい」
料理を食堂に並べ終わると早速席に着く。
パティは食堂の扉を潜るとこちらの顔を見るなり、内股になるとこちらに手を振りつつ着席した。
何かがおかしい……いや、パティがおかしいのは何時もの事だが。
(とりあえず考えるのは飯の後だ)
これだけあると何から手を付けるか迷うな……出来を見る意味でもハンバーグからいくか。
ナイフで一欠けら切り取ると、口に入れ放り込む。
香辛料が強めだったかな、だが悪い味じゃない。
短い時間しか煮込めなかったが、デミグラスソースの出来も中々だ。
(うろ覚えでも何とかなるもんだ)
テーブルの上のパンを取るとデミグラスソースに浸し、口に入れてみる。
ソース単体でもかなりのコクがあってこれもいける。
しかしこうなるとライスが欲しくなってくるね。
(ジャーマンポテトの具合はどうかな?)
シェフには作り方の説明だけはしたが見た目はジャーマンポテトそのものだ。
ベーコンがカリカリに焼けて実に俺好みだ。
海洋国家から持ち込んだペッパーの香りが鼻腔まで漂ってくる。
こっちでは香辛料の類も贅沢品らしい。
ポテトを口に含むとブラックペーパーの辛味が舌全体に広がる。
(あの国に居たのは数ヶ月前だってのに、妙に懐かしく感じる)
「タウ、ハンバーグにおかわりはないの?」
ダリアがこちらに向かっておかわりを要求する。
残念ながら今回におかわり分はない。
俺が手を左右に振るとダリアは露骨に残念そうに眉を下げた。
今回の料理も意外に好評のようだな。
(ソーセージの色が違う……硝石等の発色剤が入ってないからか)
おもむろにソーセージに齧り付く、うむ色が違うだけで味は普通のソーセージだな。
いやいや噛んでいるとハーブの香りが漂ってきた。
タイムか、セージか……おっと、エール、エール。
俺は一息にエールを呷る……。
(文句なし!)
「これって豚さんの腸なんですか?」
「そうよ、他には避妊具でも使われるの」
「ごふッ!」
ミュレーの言葉に思わず噎せ返る。
あわやエールをぶちまけずには済んだがエールが気道に入った!
炭酸でなくて助かった……いや、全く助かってないぞ俺!
「えほっ! けほっ! ふぅ……物知りなんですねミュレー。私は全くこれっぽちも知りませんでしたよ」
「あら、ごめんねタウ。食事中にはしたない」
「ヒニングってなんですか?」
リマ様本当に勘弁してください。
パティにちらりと視線を向けると、顔全体が真っ赤に茹で上がりながら目に涙を溜め痙攣している。
拙い、あちらの方は瀕死だ……まぁいいか。
だってパティだし。
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