パンツドロの称号
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扉の鍵が開く音で目を覚ます。
窓の外を見るとまだ夜中のようだ。ということはリマか?
ポスポスと軽快な足音が響いて、何かが足元から布団に襲撃してくる。
布団から顔が出すとやはり足音の主はリマだった。
彼女の顔は目と鼻の先にある。だから近いって。
「タウ様。起こしてしまいました? 御免なさい」
「そりゃ起きるさ……」
布団を上げて上半身を起こす。
しかしどうしたものか、俺はカウンセラーじゃないんだぞ。
続いて上半身を起こす彼女の方に視線を移すと、リマは慌てて目を逸らした。
よく見ると顔が真っ赤だな……恥ずかしいならやらなきゃいいのに。
「あの、さっきは申し訳ありませんでした」
「いや、あんな経験をしていれば無理もないよ。村に帰ってからもそうだったんですか?」
「はい、両親は大丈夫だったんですけど、その、触れられると、あの時の事を思い出してしまって」
リマの頭に右手を置くとポンポンと頭を撫でる。
別に平気に見えるがな。
リマは目を閉じながら俺の腕に身を委ねると頭を預け、大きく息を吸い込んだ。
(そこはしっかりと嗅ぐのね)
「心配はいらない。ちょっとしたはしかみたいなものだよ。私は向こうの部屋の様子は知らないですが、みんなとは上手くやってるかい?」
「はい、パティさんもミュレーさんもダリアさんも、姉妹みたいに良くして頂いて」
「それでいい……よっと」
俺はリマを両脇から抱えると胡坐をかいた膝の上に乗せた。
リマの心臓の鼓動が彼女の背中越しに伝わってくる。
動悸が激しいな。
もっと塩分は控えるべきですね。
「辛い思い出があっても無理に忘れる必要はないんだ。こうやってみんなで馬鹿やって大騒ぎして、楽しい思い出で全部塗り潰せばいい。そうすれば、ほら。最後には楽しい思い出だけ残るだろう?」
「はい……はい……」
「あの時亡くなった友達との楽しい思い出もその一つになる」
「ふっ、ふぁぁぁっ!」
リマがこちらに向き直ると、俺の胸に顔を埋め泣きじゃくり始める。
友達との思い出、そういえば俺達も馬鹿ばっかやってたな。あの頃は未来には希望があって、みんな。
「ぐすっ……タウ様」
「構わないよ、今日はここで眠るといい。明日はパティにこっぴどく叱られるかもしれないので、弁護をお願いしますね」
「はい!」
リマは明るい笑顔で答えると目を閉じ、やがて寝息を立てて眠り始めた。
早い所、離別させないとな。
俺の後ろを着いてきても危険なだけだ。
解決すれば両親の元へ返すのが一番良い。
パティとミュレーは仇を取れれば冒険者も辞める。
家でも建ててダリアはそこに住まわせて管理させよう。
それで俺は……俺は……。
胸元に風を受けて目覚める。
昨夜其処にいた筈のリマは既にいなかった。
俺より早く起きて元の部屋に戻ったのか? なんにせよパティの制裁を回避できるのなら助かった。
ゆっくりとした足取りで立ち上がると、何かがするりと俺の足元に落ちた。
(何だこれ、ハンカチか?)
「おはよー! タ……ウ!?」
ってこれ、パンツじゃん。パンツじゃん。
え……なんで? 何故このタイミングでこんなものが?
ひょっとしてリマのパンツか? いや落ち着け俺、今重要なのはそんなことじゃない。
「ちょっとあんた、とうとうそこまで……!」
「落ち着いてパトリシア、これは何者かの罠です!」
(リマはやく来てくれ!!)
「タウ様、おはよう御座いま……」
リマは俺が手に持ったパンツを視認して挙動不振に陥ると、赤面しながら服の上から下半身をまさぐる。
そうだよ! 君のパンツだよ! さぁ、昨日約束したとおり援護してくれ、リマ!!
「あんたそれ誰のパンツよ! 何だかリマの履いてた物に似てるけど……」
(よしっここだっ! 言ってやれっ!)
「し、しりゃないれひゅ……」
(リマァァァッー!)
……宿の厨房、小鉢に並べたスパイス群を眺める。
こうして並べると壮観だ。
パティ達が討伐に出ている間は暇だからな、せっかく謹慎処分を受けたのだからエンジョイしてしまおう。
まぁ、現物そのものはヤミンに既にあったのだがやはり食べ慣れた物の方が良い。
(確かターメリックがメインだよな?)
ターメリックを大鉢の中に入れる。
レッドペッパー・ブラックペッパー・ガーリック・ジンジャー・コリアンダー・クローブ・シナモン・ナツメグ・クミン・ローレル・カルダモン。
まるでポケモンみたいだな。
(見た目は似てきたが……)
「これだけスパイスを使う料理は始めてみますね」
厨房のシェフがスプーンで掬い香りと味を確認すると、スパイスを足し味を調整していく。
続いて俺も確認、かなり現物に近くなってきたな。
だが、もう少しお子様の味覚に合わせて辛味を抑えておくか。
「少し辛味を抑えたいですね」
「うん? ではターメリックを少々、如何でしょう?」
(これだ。この味。 メモを取っておこう)
フライパンで玉葱を炒めしんなりした所で寸胴鍋に投入。
牛肉をサイコロ状に切り塩胡椒で下味をつけ投入。
更に水を追加して灰汁を取りながら牛肉が柔らかくなるよう小1時間ほど煮込む。
さて別のフライパンを用意して……
(必要な分量がわからんから、多めに作っておくか)
フライパンにバターを塗り小麦粉を炒める。
良い具合に色がついたところで胴鍋に投げ込み続いてスパイスも投入だ。
分量がわからんのがネックだな、少しずつ足しながら仕上がりを確認。
後は地獄の掻き混ぜタイムだ。
「あの……混ぜるだけでしたら私が変わりにやりましょうか」
「いえいえ、御心配なく」
5人分とはいえ少々作り過ぎたな、掻き混ぜるおたまが重い。
そしてこれを10分ほど混ぜるのだ。
料理は憎情というしな、おのれパティ!
むっ、そろそろ10分経つか、火を止め蓋をして全体を蒸らす。
しばらくシェフとの雑談に興じると、2つの小皿にカレーを入れ味見する。
「完成ですね」
「おぉ、これは素晴らしい! 他の料理にも合いそうですね!」
(後は帰るのを待つばかりか……)
ふと調理場のドアに目を移すとダリアがこちらを覗き見ていた。
何時から見てたんだ……というか声ぐらいかけなさい。
ダリアと目が合うとドアの向こうへと隠れ何事もなかったように歩いて入ってくる。
いや、今さっき目が合ったから。
「只今帰りました」
「お疲れ様です、食事はこちらで用意しましたので皆さんを食堂へ集めてください」
「はい」
と言いつつも、ダリアの目は寸胴鍋のカレーに釘付けだ。
その場をすたすたと無言で立ち去り扉の向こうへと消えると、再びドアからこちらの様子を覗き込む。
(天丼はいいから)
テーブルにライス・カレールゥ・コーンスープを並べていく、そして中央にバケット。
メンバーがぞろぞろと食堂へ入ってくると、余り楽しくはない晩餐が始まった。
大通りのドネルケバブが食いたい。
チリソースの辛さに慣れてしまうと、この程度の刺激では物足りなく感じる。
「大人しくしてたでしょうね?」
(タウ信用銘柄暴落中)
「えぇ、大変有意義な時間でした」
「今度からタウの服と私達の服は別々に洗うよう、フロントに言っておいたから……」
リマが上手い具合に言い訳を考えてくれたようだ。
お父さんの服とは一緒に洗わないでってやつですか?
たしかにこれは地味にショック……ということもないな。
ダリアは何時の間にか無言で着席している。
そんなに早く食いたいか。
「もうパティったら、それよりこの料理。タウが用意されたんですか?」
「えぇ、暇だった物で」
「タウ様の手料理! ありがたくいただきます!」
(作ったのはカレーだけという事実は伏せておこう)
着席すると早速食事が始まる。
この世界では神への祈り等の風習がないので手早い物である。
ライスとバケットどちらでも食べられるように分けておいたが、俺は断然カレーライス!
カレールゥを全てライスに投入。
うーむ懐かしいな。
早速肉を一口。
(うん、少々肉の柔らかさが物足りないが、良い感じだ)
煮込む時間を長く掛けたがとろけるほどの柔らかさではない。
ビーフカレーの出来としては中の上ぐらいだな、つまりは平凡な味だ。
俺としてはもう少しレッドペッパーが追加で欲しい所だ。
(ライスを単品でいってみるか)
ライスは中粒種、カルローズという品種に近い。
粘りが少ないのでこれがカレーによく合う。
噛んでも甘みは余りでないな、このへんは品種改良でどうにかなるか? 中粒種があるなら短粒種もどこかにある筈だ。
お次はライスと共にカレーを掬い口に含む。
(これこれ、この味だ)
ライスにカレーの味がよく染みている。
スパイシーな味がライスで中和されて舌に少々辛味を感じる程度だ。
大きめに刻んだ玉葱の甘みも良いアクセントになっている。
もう少し量が多くても良かったかもな。
すいすいと腹に収まる、これがカレーの魔力だ。
「……」
(いつもは騒がしいのに今日は静かだな……)
「おかわり」
ダリアがおかわりを要求すると給仕が、寸胴鍋からカレーを注ぎ足す。
食堂にカツカツと響き渡っていたスプーンの音がにわかにスピードを上げる……まさかこいつら。
(全部食う気なんじゃ?)
「おかわり!」
パティが給仕にカレーを要求する。
ライスとカレーを別々にほとんどカレーを単品で食っている。
邪道食いに負けてなるものか、にわかにカレーを口に運ぶペースも速まる。
流石に連続で食うと辛いな。
コーンスープで口内の辛味を洗い流す。
(そういえば共和国ではコーンの種蒔きの時期か)
全粒は入っていないが、良い味が出ている。
牛乳のまろやかな味もあいまって辛さをごまかすには良い具合だな。
個人的にはもう少し冷まして欲しかったが、俺がもたついている間にミュレーとリマもおかわりを終える。
「おかわり」
(おいおい、まだ食うのか!?)
再びダリアのおかわり宣言。
寸胴鍋から底を打つ金属音が聞こえてくる。
残りは僅かのようだ。
結構な量を作った筈なのに、これでは間に合わないな……諦めた俺はバケットを取ると皿に残ったカレーを綺麗に吸い取り、口に放り込む。
(エールが欲しいね)
「おかわりお願い!」
パティのおかわりコールが飛んだところで、カレーの在庫が尽きたようだ。
メンバーは食事を終えるとジュースを片手に歓談を始める。
物凄く居辛いです、まぁ一応聞いておくか。
「パティ、今日の討伐はどうでした?」
「ヘルハウンドが2匹にゴブリン4匹ね。ダリアにも協力してもらったから余裕だったわよ」
「ダリアさんの投げナイフカッコよかったです!」
(あぁ、俺への評価がますます下がっていく……)
銀貨16枚なら4で割って1人頭4枚か・
ダリアの方にチラリと目を移すと、空っぽになった皿をボーッと見つめている。
まだ食い足りないのか? そんなことないよな。
3杯も食ったし。
「それと明日は中型を狩りに行くわよ。グリフォンが出るらしいの」
(俺の知ってる魔物と同じなら……)
「空を飛ぶ魔物ですか?」
「えぇ、明日はミュレーに任せっきりになるかもだけど、宜しくね」
ファンタジーに出てくるようなあの図体で、現実に飛べるのか? 実際には翼竜のように滑空するのがやっとだろうな。
とすると、色々と準備をしていた方がいいかもしれない。
「タウ、クロスボウの調整をお願いします」
「えぇ、当日はおそらく長丁場になりますのでミュレーは早めに体を休めておいてください」
「はい」
俺は部屋でアーバレストの照準や歪みを微調整するとナップサックから材料を取り出し小道具の製作に掛かる。
くっさいなこれ。
換気の為に窓を開けた際にふいに厩舎を見やると、帽子を被ったダリアが微笑みながら馬の体をブラシで洗っているのが遠巻きに見えた。
へぇ、あぁいう顔で笑うのか。
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