第五話 機関銃分隊の二人
「おい、ここが俺らの営舎だって?」
ぶっきらぼうに軍曹の階級章を付けた髭面の兵士が、営舎と思われる建物を見て問う。
小学校を思わせる木造に二階建ての兵舎が三つ、訓練をコの字に囲むように建っていて、訓練場の隅に炊事場二棟と浴場、日当たりのよさそうな場所に洗濯場と物干し場が置かれている。本土や満州と同じ、一般的な営舎だった。
「そのようですね。気に入りませんか?」
すぐ後ろを歩いていた、頭に包帯を巻いた上等兵が即座に答えた。
「いや、十分だ。もっとも船と大海原に比べたらな」
「そりゃそうですね」
髭面の軍曹、北沢が後ろへ振り返ってざっと兵士の隊列を見やった後、顔を前に戻して、こうつぶやいた。
「だいぶ減ったな」
頭に包帯を巻いた上等兵、大井が苦い顔をして言葉をつなぐ
「船がやられたんです。どうしようもないですよ。拾われただけでもめっけもんです……」
普段は陽気な二人もさすがに普段のようにはいかなかった。
搭乗していた輸送船、はあぶる丸が撃沈7されたとき、彼ら二人は自分隊員と共に甲板への階段を駆け上がっていた最中だった。すでに一発目の魚雷により、船は左へ傾斜し、船内はいたるところに物が散乱し、かすかに重油の臭いがしていた。通路と階段は外へ脱出しようとする兵士でひしめき合い、息をするのも苦しいほど酸素が不足していた。。そこへ、とどめとなる二発目の魚雷が襲い掛かった。
激しい衝撃が一同を駆け抜けたと思ったとたん、一瞬にして周りが炎で包まれた。バックドラフトと呼ばれる、不完全燃焼で発生した一酸化炭素に、酸が急速に結びつくことにより爆発する火災現象だった。
階段の出口付近まで迫っていた北沢と大井ほか、数名の隊員は被弾の衝撃で運よく甲板へ放り出されたが、残りの隊員は軒並み生きたまま、焼き殺された。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
船内は炎と悲鳴が占領し、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
甲板への昇降口には出よう出ようとする兵士が将棋倒しになり、幾重にも積み重なった状態になったところを炎が包み込んだ。その様はまるで、冬にストーブを焚いたようにも見えた。
火だるまになりながらも脱出した兵士も、転げまわりながら、船の傾斜に沿って船外へ次々と放り出されていった。
北沢らは、目の前で展開される地獄を、ただただ柵に掴まりながら見ているだけしかでいなかった。
やがて船の沈没とほぼ同時に海へ投げ出され、近くに浮いていた大きな板切れを付近の生存者と共にしがみついて、励ましあいながら漂流し、駆潜艇に救助されたのだった。
蓋を開けてみれば、所属していた第一一八連隊は六割以上の兵士が海の藻屑と消え、連隊長も戦死。生存者も負傷している者が半数以上、さらには装備のほぼ全てを失い、肝心の陸上戦闘が始まる前に壊滅状態となってしまった。北沢の商売道具こと、軽機関銃ももれなくマリアナ海溝の底だ。
「とりあえず、もうすぐ営舎に着きますから。装備の問題は明日以降、上が考えてくれるでしょう。さすがに、徒手空拳でアメ公を倒せなんて命令は出んでしょうから」
多いが後ろから生気のない声で言った。
「そうだな。生き残っただけでも幸運か」
北沢も自分に言い聞かせるように同意した。輸送船の沈没時に、北沢の分隊員は、十一名中、四名が戦死、二名が重傷を負って、軍病院へ入院。北沢機関銃分隊はほとんど機能を喪失してしまっていた。
しかし、この様な事例は彼の分隊だけではない。どの分隊、小隊も戦死や負傷による欠員が少なからず発生し、ひどいもので、分隊生存者一名とか、分隊全滅も珍しくはなかった。
営舎に着いた一一八連隊の面々はそれぞれの兵営へ入り、入浴や夕飯を済ませた兵士は、就寝ラッパも早々に寝込んでしまう者ばかりだった。、
「おい、大井。見ろよ、あいつら門の前で”びんた”食らってるぜ」
北沢が面白そうにニヤニヤしながら外を見ていた。”びんた”とは当時、軍内で横行していた私的制裁の一種である。
大井が窓をのぞいてみると、二人のうちの一人のがどうやら憲兵に張り倒される瞬間だった。もう一人は済んだのか、直立不動で動かない。
「おぉ……ほんとだ。到着早々やられるとは、どこの小隊か知りませんが元気な奴らですね」
二人はびんたを見届けると兵舎へ入っていった。早々兵舎の中から、大きないびきが聞こえてきたのは言うまでもない。
こうして夜は深けて行った。”びんた”を受けた二人の伍長を除いて……




