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第二十一話 続く戦闘

「押しとどめろ!」

「撃ち殺せ!」

 銃声、砲声に交じって各所で怒号が飛ぶ。杉野伍長とその部下たちもその渦中にいた。

 タッポーチョ山を護り始めて一週間、ついに山頂が占領されてしまい、山全体の陥落も時間の問題となった。杉野らは、後方のタナパク地区に退却する他部隊の援護を行っていた。

「装填完了! 点射始め!」

 後ろで北沢軍曹が扱う軽機関銃が、銃弾の再装填を終えて弾幕に加わる。

 杉野らの防衛線到着とほぼ同時に、北沢は部下三人を引き連れて到着した。彼は再編された小隊の長となって、杉野を含めた二十数人を指揮している。新しく受領した九六式軽機関銃による支援射撃は実に頼もしかった。

「迫撃砲だ! 伏せろ!」

 バッと兵士が一斉に身を屈める。敵の放った迫撃砲は岩山の一角に命中し、頭上に無数の石の破片を降らした。

「杉野! 後退命令はまだか?」

 北沢が、焦りを隠さず言った。

「まだ来ません!」

 後退命令には、伝令をよこすと司令部には言われた。後退命令が来るまではその場を死守せよ、という脅迫めいた命令と共に。

「こっちだって、そうそう持たないぞ」

 杉野は命令を伝えた司令部付きの中尉の顔を思い出して歯ぎしりした。部下たちは物怖じすることなくよく戦ってくれてはいるが、消耗は無視できる範囲をはるかに超えている。彼らの中に、いまだ無傷で戦っている者は一人もいない。装備も鹵獲した武器や、戦死した戦友から拝借したりした武器がほとんどだ。

「上からシコルスキーが来ます!」

 堀江一等兵が、上を見上げて絶叫する。

 バリバリバリ!

 上空からプロペラ音を響かせたF4U戦闘機が、機銃掃射を容赦なく加える。さらにはロケット弾、航空爆弾も降ってくる始末だ。

「ぎゃっ!」

 上を見上げていた堀江が小さなうめき声をあげて蒸発した。戦闘機から放たれた二十ミリ機関砲が彼を直撃したのだった。戦闘機は、我が物顔で空を飛び続ける。そして、時折思い出したように銃撃を加えてくる。

「おい杉野。昨日、退却する部隊の兵士から聞いたんだがよ」

 小銃と補給のための弾薬入れを持った北沢が、杉野の横に並んで射撃を始めた。軽機関銃は代わりの兵士が撃っている。

「ありがとうございます。それで、なんですか?」

 礼を言って北沢から弾薬を受け取った杉野は聞き返した。

「アメ公どもはここら辺の事……なんて言ってたかな? ああ、”です・ばれい”だ」

 北沢は記憶の淵からある英熟語を取り出した。

「英語ですか?」

「おう。奴らはここら辺の事を”です・ばれい”死の谷と呼んでるらしいぜ。おっと!」

 迫撃砲だ! と叫ぶ声が聞こえ、二人は条件反射で身を屈める。またもや迫撃砲は岩山の一角に着弾して破片をばらまく。破片が兵士たちの鉄兜に降りかかって、金属音を響かせる。

「それはまた、愉快ですね」

 杉野と北沢は射撃を再開した。杉野の放った一弾が米兵の左腕を捉えた。

「損害はこっちの方がでかいのにな」

 北沢も米兵を狙い撃つが、こちらは岩に阻まれて当たらなかった。

「アメ公ってのは、ずいぶん弱々しい連中ですね」

 杉野は目に映っている事実とはまったく真逆の事を言った。目の前の米軍は弱々しくなどない、むしろこちらよりも強力だ。

「冗談言えや。俺らが強すぎるんだろうよ」

 北沢は杉野の顔を見てニヤリと笑った。杉野も同じくニヤリと笑って射撃し、米兵の頭部を打ち抜き彼を天国へ送った。

「お見事!」

 北沢は素直に関心して、自らも射撃に精を出した。




 陽が西に傾き出した頃、米軍の勢いが急に強くなり始めた。

「シャーマンが来ましたぁ!」

 上ずった声で河田一等兵が報告する。三十メートルほど先に、随伴歩兵に周りを固められたシャーマン戦車が一両、ゆっくりと近づいてくる。

「落ち着け! どうせここらまでは入ってこれん。破甲爆雷持ってこい!」

 北沢は辺りの地形をよく見ていた。そして、この岩の多い場所には戦車が入ってこれないことも見抜いていた。部下にそのことを伝え、冷静に対処するよう指示を下す。笹川一等兵が破甲爆雷を取りに、一旦後方の弾薬庫へ走る。

「持ってきましたぁ!」

 数分して、荒い息をしながら笹川が破甲爆雷を三つ抱えて戻ってきた。

「なんでぇ。これだけか?」

 北沢は不満そうに笹川に確認した。

「はぁ……。弾薬庫にはこれだけしかありませんでした」

「文句は言えんか」

 北沢は笹川から爆雷を一個受け取ると、安全栓を抜いた。さらに残り二つも受け取って安全栓を抜き、三つを一束に連結した。破甲爆雷は磁石が取り付けられてあり、爆雷同士を重ねて連結させて破壊力を増幅させる使い方もできた。

「私が、決死隊となって突撃します」

 片野上等兵が、破甲爆雷を抱えて飛び出した。

「全員援護しろ! 撃ち方はじめ!」

 杉野の号令で、その場の皆が一斉に戦車に向けて小銃、機関銃の猛射を浴びせた。随伴歩兵たちがたまらず戦車の影や、付近の岩陰に隠れるのが見える。

「片野今だっ!」

 杉野は思わず半身を乗り出して叫んでいた。半身を乗り出した杉野を狙って、いくつかの銃弾が襲ってくる。驚いた河田が、杉野の身体を押し倒して地面に伏せさせる。だが、杉野のこの行為は無駄ではなかった。杉野へ一瞬だけだが、米兵の殆どの視線が集まったからだ。片野は、その隙を逃さなかった。

「おおおおおおお!」

 起爆筒を叩きつけた破甲爆雷を、戦車の全面に片野は磁石で貼り付けた。パチン! 張り付いたのを確認すると片野は急いで戦車から離れた。しかし、戦車は離脱する片野を捉えていた。上部機関銃が火を噴き、片野は全身から血を吹きだして地面に倒れ伏した。

「よくやったぞ」

 涙を溜めた杉野は、片野の遺体に向かって賛辞を贈る。

 戦車は爆薬を張り付かせてから十秒後、爆発して擱座した。脱出する戦車兵を援護するためか、今度は米軍が猛射を浴びせかけてくる。

「手一つ出せやしねぇ」

 北沢が忌々しそうに毒づく。しかし、猛射はすぐに終わった。米兵は脱出者を確保した様で、壊れた戦車をその場に残して後退していった。上空の戦闘機もいつしか消えていた。



 夜半、笹川は射殺した米兵の持ち物の中から食料らしきものを見つけた。配給される食料はわずかな乾パンと、これまたわずかな飲料水のみで、とうてい満足できる量ではなかった。それで、米兵の持ち物を漁ることにしたのだ。

「横井。たしかお前は英語が読めたな?」

「はい。なんでしょうか?」

 笹川の隣に、米兵から奪った水筒から水分補給をしつつ横井がやってきた。

「食べ物らしいが……」

 笹川は横井に、英語の書かれた紙箱をよこした。横井は書かれている英語を読み上げる。

「”けー・らーしょん”いや、”けー・れーしょん”です」

 横井は一度間違えて表記を読んだが、すぐに言い直して笹川に伝えた。

「食料か?」

「ええ。そのようです」

 笹川の目が輝く。

「よし、よこしてみろ」

 横井から返された紙箱を笹川は嬉々として開けた。中からはさらに三つの色分けされた紙箱が出てきた。これもまた表面に英語が印刷されてある。

「”でぃなー”、夕食と書かれてますよ、それ」

 覗き込んだ横井が青い色の箱を指して言った。

「おお! 夕飯かぁ!」

「こっちは朝食。そっちは昼食と書かれてあります」

 さらに、それぞれ茶色の箱と緑色の箱を指して横井が言う。

「これはいい! 伍長殿! メリケンの飯を見つけましたー!」

 笹川は夕食の箱を掲げて杉野に報告した。杉野も同じような箱を漁っていた米兵の持ち物から見つけて取り出した。

「こいつか……うまいのか?」

「食えるなら味には文句は言わん」

 隣で北沢が箱を覗き込んで言った。片手にはちゃっかりと紙箱が握られている。

「早く食おうぜ」

 北沢はニヤニヤして言った。



 暗闇の中、タコツボの一つに集まって、十数人の兵士によるささやかな夕食会が開かれている。日に日に人数は減っていくが、その悲しみを吹き飛ばすかのように兵士の顔は皆明るい。

「なんだこれは」

 杉野は、レーションの中から、妙な物を発見して口に入れ、とたんに苦い顔をした。

「ゴムに味が付いてるぞ」

 たまらず杉野は地面に吐き出す。

「これですか? どれどれ」

 笹川が同じ物を取り出し、同じように口に入れた。

「うへぇ……駄目だこりゃ」 

 そして、同じように地面に吐き出した。

 この食べ物の正体はガムである。当時、一応ガムは日本国内でも生産、販売がされていたものの馴染みは非常に薄かった。彼らはこの様な食べ物の存在をたった今、知ったのだ。

「アメリカのビスケットは甘くないですね。おいしいですけど」

 笹川の隣では河田が、ビスケットを食べている。そのまた隣では横井が、牛肉の缶詰を貪り食っている。

「この牛肉の缶詰は結構、食べれますよ」

「口にソースが付いてるぞ」

 杉野は笑って自分の口を指し、横井に付いている場所を教えてやる。横井はすいません、と言って袖で口を拭った。

「タバコだぜ、これ」

 上等兵の一人が、タバコの入った小箱とマッチ箱を見つけて、火をつけた。

「俺にも吸わせろよ」

 北沢は上等兵から一本、タバコを貰って吸い出した。

「なかなかうまいな」

 たっぷり吸い込んだ煙を口から吐き出して北沢が言った。上等兵の方も、うんうんと頷いている。

「ふぅー。明日も頑張りますか!」

 北沢はまた煙を盛大に吐き出して伸びをした。今日という日は終わりを迎えたが、戦闘はまだ終わりを見せようとはしなかった……。

 ところで、彼らが食べた”けー・れーしょん”ことKレーションだが、本来の持ち主の米兵たちからは軒並み不評を買っていた。タバコとマッチ以外は使えないだの、恐怖のKレーションだのとかなりの言われようだった。原因は、味が単調でバリエーションも少ないためだったのだが、そのようなKレーションをうまいうまいと食べていたあたり、日本兵がいかに苦境に立たされていたのかがうかがえる。

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