第十六話 狙撃手の戦い
米軍上陸二日目の十六日、米海兵隊はサイパン島南部のアスリート飛行場付近に迫った。同飛行場を防衛する、独立歩兵第三一七大隊がこれを迎え撃つ。ジャングルの中で、激しい戦闘が行われていた。
「あれは、通信兵だな」
三一七大隊の今野伍長は、愛用の九九式狙撃銃の用途通りの狙撃を行っていた。
狙うのは分隊長や小隊長といった指揮官や、無線機を背負った通信兵を主に標的としていた。つい十数分前にも、敵の分隊長らしき伍長の腹部に風穴を開けたところで、今は第二の主標的として、通信兵に狙いを定めたところだった。
パン! シャキン!
引き金を引き、素早くボルトを操作して次弾を装填する。発射された弾丸は見事、通信兵の背負っていた無線機のど真ん中に当たり、無線機は白い煙をあげて壊れた。これで支援要請は出来まい。
「通信兵、潰しました」
少し前方で小銃を撃っている分隊長の軍曹に報告する。軍曹はそうか、と嬉しそうに返し、右手を振り下ろして指示を叫ぶ。
「擲弾筒、攻撃はじめ! アメ公を押し返すぞ!!」
軍曹の一声で攻撃の手が一気に強まる。今野も一人、二人と次々と敵兵を射抜いていく。十分ほどの攻勢で、海兵隊は不利を悟ってか負傷者を引きずりながら後退していった。
「敵さん、次はいつ来ますかね?」
「わからんが、今日中にあと二、三は仕掛けてくるだろうな」
岩陰に身を隠している今野の質問に、隣の岩陰に身を隠している軍曹が小銃の点検をしながら答えた。少しの小休止の間も銃の点検は欠かさず、先ほどの戦闘の際にどこか故障していないかと入念に調べる。今野の狙撃銃には異常はなく、この後も満足に作動してくれるだろう。軍曹の小銃はというと、どこかでぶつけたのか、銃剣差しが破損していて、着剣ができなくなっていた。
「なんてこったい。白兵戦の時には相手を撲殺しなきゃならんじゃないか」
軍曹は苦笑いして着剣装置を眺めた。軍曹の腰には軍刀が差してあるが、咄嗟の白兵戦時には、いちいち小銃を置いて刀を抜く暇などないため、銃剣や銃本体の銃床が頼りになるのである。撲殺といったのは銃剣が使えないので、銃床で相手を殴って倒さなくてはいけないからだ。
「軍曹殿は白兵戦が得意ではないですか」
「ありゃ、銃剣術の話だ。そいつが先ほど使えなくなっちまったんだ」
軍曹は悔しそうに軽く唸った。彼は銃剣術に優れており、部隊内で行われた銃剣術の大会で、準優勝を取ったこともあった。
「嘆いてもしゃあない。できるだけ白兵戦前に撃ち殺すようにするさ」
軍曹は白兵戦時の不安を飛ばすように、自己解決の弁を述べた。今野は、いきなり敵が飛び出てきたらどうするんだと一瞬思ったが、その時には俺が敵を撃ち殺してやればいいや、とこちらも簡単に自己解決した。
いくつもの銃声が突然響く。敵の第二波のお出ましだった。
「ちっ……数が多いな。当然か」
敵は一度撃退されている。数を揃えてくることは常識の範疇だ。
分隊の陣地から少し奥に外した位置で、今野は岩を盾にして狙撃を行う。岩の影からほんの僅かに顔と銃を出して、できるだけ敵に見つからないように務めた。
カキン!
狙撃のため、岩陰から顔を出した今野の目元ギリギリに銃弾が当たった。銃弾を受けた岩が破片を散らす。
「見つかったか!」
危険を察知した今野は素早く身を屈めて岩から遠のき、近くの木の根元に身を伏せた。居所を突き止められれば、そぐにその場を離れるのが狙撃手の鉄則だ。
「なんとか巻いたか?」
今野は膝立ちになって少しだけ顔を出した。すかさず銃弾が襲い掛かってきた。ここも特定されていた。
「どこだ? どこにいる?」
今野はまたもや身を屈めながら場所を変え、今度は立ち枯れた木の影に潜んだ。
飛んできた銃弾は一発。ということは集団に狙われているのではなく、敵の狙撃手に狙われているということかな……? 今野は頭を回して、状況を整理した。
岩陰から木までの移動を見られていたということは、それなりに開けた場所に身を隠している。ジャングル内のそんな場所は限られているが、相手の姿を見ていないので、特定まではできない。では、どうするか? 隙を見せて誘ってみよう。発砲炎さえ見逃さなければ発見できる。
今野は腰の銃剣差しから銃剣を抜いて、左手で持って木からそっと出した。右手はすぐに射撃できるよう、引き金に指を掛けて銃を持っている。
銃剣を何度か上下に振って太陽光をあえて反射させ、見つけやすいように誘ってみる。
バキッ!
目論見通り、敵は出した銃剣めがけて銃弾を放ってきた。弾はわずかに銃剣を逸れ、枯木に穴を空ける。
「そこだな!」
今野は見えた発砲炎に向かって、素早く銃を構えて銃弾を放った。
銃弾は惜しくも外れ、敵狙撃兵の盾にされていた木をかすめた。木の影から人影が去るのが見える。
走る人影に狙いを定めてすかさず二発目を放つ。しかし、二発目も仕留めるには至らず、空しく木に当たって破片を散らした。
「外した!」
今野も銃剣を閉まって枯木から飛び出し、場所を変える。走る間も決して敵の狙撃手からは目を離さない。今野は先ほどとは別の岩陰に身を隠すと、素早く銃口を出して狙撃手を狙った。
パン!
銃弾は見事に移動中の敵の鉄兜を捉え、血しぶきをあげて相手は草むらに倒れ込み、姿を見せることはなくなった。
「ふぃー。腕が落ちたかな」
独り言をいいながら今野は、銃撃戦で空になった弾倉に、弾薬クリップに入った五発実包を込めて、弾薬を銃に装填した。
「一度、分隊陣地に戻るか」
今野は乾パンを一つだけ口に入れると、離れていた分隊陣地に向かって移動し始めた。
今野が陣地に戻り、軍曹の背後から狙撃手の射殺を報告すると、軍曹はよくやったと言って振り向いた。軍曹の左頬には止血用のガーゼが張られており、そこから血が少し滲んでいる。
今野がそれを見つめていると、視線に気が付いたのか軍曹はガーゼをさすりながら言った。
「これはさっき白兵戦になったんだよ。 ほらあれだ」
軍曹はすぐ脇を指差す。その先には心臓に刺し傷があり、白目をむいた海兵隊員が横たわっていた。
「やっぱ銃床ではだめだな」
軍曹曰く、射撃中にいきなり草陰から飛び出してきたこの海兵隊員と格闘戦となり、頬をナイフで切られたものの銃床で殴って昏倒させ、腰の銃剣で心臓を突いてとどめを刺した。ということらしい。
「やっぱり白兵戦、得意じゃないですか」
「頬を切られたんだ。白兵戦は銃剣術に限るぜ」
二人はニヤリと笑ってで軽口を言い合う。そこへ分隊員の一等兵が青い顔で駆け込んできて
「シャーマンです。敵戦車が来ました!」
と報告した。軍曹も今野も笑顔を真剣な顔へと変えた。木々を押し倒す戦車の走行音も聞こえだした。
歩兵にとって戦車は非常に脅威だ。特に火砲が頼りない物しか持っていないような歩兵隊では、逃げるのが先決だ。
「全員、装備まとめろ! 一旦後退だ、急げ!」
軍曹は手早く装備をまとめる。隣の今野は狙撃銃の照準眼鏡(狙撃スコープのこと)を覗いて、戦車を見た。
戦車は内部からでは視界がとてつもなく狭い。なので、通常は戦車長が顔を出して、あたりを偵察しつつ行動するのだ。この時もジャーマンの戦車長は顔を出していた。それを認めた今野は軍曹に提案した。
「軍曹殿。自分があの戦車長を狙撃しますから、その隙に後退を」
軍曹は今野の提案を理解し、全員に聞こえるよう、大声で指示を出した。
「今野が今から戦車長を撃ち殺すから、その間に全員後退するぞ! それまで今野を援護しろ!」
各所で了解! という声が応え、銃撃が強まる。そんな短いやり取りも、すでに集中し始めた今野の耳には右から左へと通り抜ける。敵の戦車長を撃ち殺すことだけを今野は考えていた。
もし、一発目の狙撃を外せば戦車長は警戒して中に引っ込んでしまい、二回目の狙撃の機会は失われるだろう。そうなれば追ってくる敵戦車の前を、背を見せて後退することになる。何人かは機銃に捉まって死傷するだろう。そうならないために、なんとしても初弾で仕留めなければ!
(よーし。そのまま前進して来い)
戦車は今野の思惑通りにゆっくりと木々を押し倒しながら前進してきた。
(今だ!)
今野が渾身の一発を放つ。銃弾は木々の間をすり抜けて、戦車長の首を吹き飛ばした。シャーマン戦車の動きが止まる。
「やりました!」
「よくやった! 全員、後退!」
今野の報告が終わるや否や、軍曹は叫んで自らも一気に後ろへ走った。今野や分隊員もそれに続く。狙撃が効いたのか、戦車や敵歩兵は追ってこなかった。
十六日、飛行場に迫った海兵隊を第三一七大隊は辛うじて抑え込むことができたが、これ以降はシャーマン戦車の出現と大兵力に屈し、じりじりと損害を重ねながら後退していくことになる。