第十五話 陸戦隊VS海兵隊
「で、陸軍の連中はまだ来ないのか?」
狭い九五式軽戦車、通称ハ号の中の車長席で、宮中上等兵曹はいらだちを隠せないでいた。
「そう怒らんでください。そりゃ、この砲撃じゃ満足には動けませんよ」
操縦手の椎名上等兵は、乾パンをかじりながらやれやれと言った感じで宮中をいさめる。
彼ら、海軍陸戦隊の面々は敵軍上陸初日の夜、反撃の夜襲のために集結した。しかし、彼らに連動して夜襲をかける手はずの陸軍部隊の集結が遅れていた。その原因は、海上からの米艦隊による砲撃にあったのだが、宮中の不満は陸軍に向けられていた。このような状況下では見えない敵よりも、見える味方に不満の矛先が向くのは、ある程度仕方ない心理ではあるのだが……。
宮中はそっと眼を閉じる。脳裏にふっと両親の顔、軍艦乗りの兄の顔が浮かぶ。
宮中は、小さな料理店の次男坊として生まれた。店はよい食材と、板前である父の腕も相まってよく繁盛していた。兄は店の手伝いなどはよくすっぽかしたりしていたが、宮中自身は一回たりともすっぽかしたりなどはしなかった。
そんなだからか、両親はてっきり店を継いでくれると思い込んでいたのだろう。彼が、兄を追いかけて海軍へ入る、と言ったときの両親の一瞬唖然とした顔は、今でも目に焼き付いている。
「お前はなにを言っとるんだ! お前が継がにゃ、誰が店を守っていくんじゃ!」
そういって父には頬を殴られた。本来、店を継ぐはずの兄が家出同然で入隊してしまったので、父は何としても宮中に継いで欲しかったのだろう。だが、宮中はそんな父の願望を押し切って入隊した。入隊を聞いた父は勘当だ! と怒鳴ってまた頬を殴った。思えばあれが、唯一親に反抗した例だった。
それでも父は最後には笑って送り出してくれた。
「長門の厨房で包丁を握るお前を期待してるぞー!」
走り出す汽車の窓から見えた、ホームの一番端でそう叫びながら、大きく旭日旗を振る父の姿はいつまでも忘れないだろう。
まぁ、長門の厨房はおろか、包丁の代わりに軍刀を握る陸戦隊で働くことになってしまったのだが……。
海兵団への入隊から四ヶ月が過ぎ、満期までもう少しとなった頃、兄と面会する機会があった。
海兵団というのは、新兵が艦隊に配属されるまでの基礎訓練を行う組織で、ここで海軍軍人の”いろは”を叩きこまれるのだ。五か月間、陸上での海兵団で厳しい基礎訓練を積んだのち、晴れて艦隊勤務となり、大海原へと出れるのである。
その頃の兄は、駆逐艦の対空機銃の機銃手をやっていて、勤務でのいろいろな体験を聞いた。加熱した砲身に誤って触れて腕を火傷したこと、厨房から銀蝿(食料などを盗んでつまみ食いすること)がばれて腕立て伏せをやらされたこと、艦の煙突掃除でススまみれになったことなど、実に楽しそうに兄は語った。
話を聞いていた宮中は、無意識に兄に対抗心を抱き、同時に憧れていたことを実感した。そして思う、俺は、兄さんと一緒の艦に乗って頑張りたいと。
「俺も兄さんの艦に乗りたい」
宮中がそう自らの希望を言うと、兄は笑いながら言った。
「じゃあ、うちの艦の名物料理長になってくれよ」
なんだかな、と宮中は思う。陸戦隊に配属された当初は正直に言うと嫌だった。憧れの兄と同じ職業に就いたのに、任務と言えば基地の陸上防衛で、軍艦に乗って海に出ることは叶わなかったからだ。
それでも性格からか腐ることはなく、訓練も必死にこなした。やがて昇進を重ね、戦車の扱いも覚え、教官に任命される頃には、この軍艦乗りとも陸兵とも一味違う、陸戦隊という兵科に誇りを持つようになっていた。
戦車内に別の車両のエンジン音が響き、宮中は閉じていた眼を開き、思い出の中から現在へと意識を戻した。
「よし やっと来たか!」
自、の前に陣取っている隊長車がゆっくりと動き出した。隊長車が動き出したということは、陸軍の部隊が到着して、出撃の命令が下ったということだろう。宮中は待ってましたとばかりに椎名に前進を命じた。
「さぁ! 行くぞぉ!!」
戦車は勢いよく斜面を駆け下り、ジャングルを突き進み、一路米軍キャンプを目指す。後ろからは歩兵が、戦車の速度について来ようと全速力で追ってくる。
「椎名! 決して速度を緩めるなよ! 石川! 機銃射撃、いつでもいいな!」
「はい!」
「はい!」
宮中は、エンジン音と走行音に負けないように声を張り上げて、最終確認を行う。部下の二人も負けじと大声で返事をする。
やがて、戦車がジャングルを突き破って海岸戦へ到達したとき、急に空が昼間のように明るく輝いた。
パシュゥゥゥゥゥゥ……。
手持ち花火のような発火音が耳に張り付く。
「照明弾だ!」
宮中は思わずハッチを開けて上を見上げた。
空には四発の照明弾がまばゆく輝き、ゆっくりと落下しながら辺りを照らしている。この照明弾は、海兵隊からの要請を受けて、近くに停泊していた駆逐艦から発射されたものだった。
照明弾の光は、暗闇の中で夜襲を待ち受けていた海兵隊の姿を照らし出した。
「ぐぅ……!」
照らし出された海兵隊の姿を見て、宮中は少し呻いた。その姿は、海兵隊の兵士全員が小銃、機関銃、対戦車砲など種類問わず全ての火器の砲口を、一斉にずらりとこちらに向けていたからだ。
突進する陸戦隊の周囲に、迫撃砲の砲弾がいくつも着弾し、派手に砂が飛び散る。赤い尾を引いた銃弾が車体に当たり、弾かれる瞬間に火花を散らす。左前方を走行していた隊長車が、対戦車砲を正面に食らって擱座した。搭乗員が脱出する間もなく火を吹きあげる。
「石川、撃て! 歩兵を撃ち殺せ!」
すかさず機銃が海兵隊に向けて乱射される。宮中も、主砲の三十七ミリ砲を操作して敵陣に砲弾を撃ち込む。
「踏み潰せぇっ!!」
宮中の叫びとともに、彼の戦車は敵陣の中央に突入することに成功した。
戦車は生身の海兵隊員を踏み潰しながら激走する。後方を走っていた歩兵部隊も敵陣に斬り込みはじめ、敵味方入り乱れる乱戦となった。
各所で爆発音と発砲音、砲撃音が鳴り響き、絶叫と怒声も加わって海岸を音で溢れ返させる。
ドスン!
突然、宮中の戦車に衝撃が走った。砲弾が車両のギリギリに撃ち込まれたのだ。至近弾のために、一瞬だけ動きの鈍ったところへ、さらに二発目が襲い掛かった。
二発目の砲弾は戦車の履帯部分に直撃し、履帯の部品が飛び散る。装甲を突き抜けた砲弾や戦車の破片が、狭い車内を所せましと跳ねまる。宮中の右腕に破片が突き刺さり、顔に生暖かい液体が飛び散った。
「ぐあっ!」
宮中は右腕に走る激痛に呻きながらも、無事な左腕で顔に着いた液体を拭った。血がべっとりと手に着いていた。
「椎名上等兵! 椎名さん! 椎名さん!!」
機銃手の石川一等兵が、しきりに操縦席に突っ伏している椎名上等兵を抱き付くように揺さぶっている。揺さぶられている椎名の身体にはいくつもの金属片が突き刺さり、深紅の血がドクドクと流れ出ていた。
「石川! 降りるぞ! 椎名上等兵はもうダメだ!」
宮中は椎名の身体から石川を引きはがし、腕を抱えて引っ張った。
「椎名さん……ちくしょうっ!」
石川は椎名の形見にと、彼の腰に付けていたホルスターから拳銃を抜き取った。宮中も左手で右腰に付けていた拳銃を引き抜き、軋む右手で安全装置を解除した。
「降りるぞ! 着いて来い!」
宮中はハッチを開き、上半身を乗り出した。そのとき、銃声が一斉に響き渡り、無数の銃弾が宮中に突き刺さった。
上半身が穴だらけとなって宮中は即死した。車両も直後に砲弾を浴び、まだ車内にいた石川もろとも爆発、炎上した。すでに多数の海兵隊員が、彼らが脱出してくる瞬間に狙いを定めており、さらには迎撃のために出撃したM4シャーマン戦車も付近に停車し、車両にとどめを刺したのであった。
日本軍の夜襲は、海上からの支援と絶大な火力を持つ米軍の前に失敗し、参加した海軍陸戦隊と陸軍二個大隊が壊滅する大損害を日本軍は被ってしまった。