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第十二話 艦砲射撃

 十三日、この日も早朝四時頃から空襲が始まり、サイパン島守備隊はすでに臨戦態勢を取っていた。連日続けられた激しい空襲のため、高射砲陣地の殆どは沈黙し、上空は敵機が我が物顔で飛び回っている。

「伍長殿、朝飯です」

 洞窟から半身を出し、双眼鏡で敵機の動きを警戒している杉野に、河田一等兵がおにぎりを持ってきてくれる。

「おぉ、すまん」

 あと何回、米の飯を食べれるやら。

 空襲により営舎は破壊され、杉野ら第一一八連隊の将兵は実戦配置についている。民間人はすでに島北部へと避難しており、市街地には部隊が展開している。

 杉野ら、三井小隊はヒナシス山の麓近くの洞窟陣地に配備された。小隊員全員が入ることができる洞窟の周囲に機関銃座を設け、各所にタコツボをこしらえた。適度に生い茂った木々が敵機からの発見をいい具合に妨害してくれている一方で、こちらは海岸が一望できる絶妙な位置にあった。

「空襲がやむな。帰っていく」

 すぐ後ろで同じように警戒をしていた三井がつぶやく。九時を回った頃に敵機は引き上げていった。

「全員、異状ないか?」

 三井が一旦、洞窟内に全員を集めて各分隊へ報告させる。

「西山分隊、異状なし」

「飯田分隊、異状なし」

「杉野分隊、異状なし」

「酒田分隊、軽傷一名。豊島一等兵がビビッて岩に頭をぶつけました。」

 酒田の報告に幾人かが噴き出す。奥からは負傷した豊島一等兵が謝罪する声が聞こえる。

「あはははは。しっかり鉄兜被っておけよ」

 三井も笑いながら豊島へ注意する。

「おし、今のうちに陣地に異状がないか、確認。異状があり次第報告して手直ししろ」

 三井の指示で隊員たちがぞろぞろと洞窟を出ていく。三井自身も背負っているスコップを手に、再び洞窟を出た。

「少尉殿、ちょっとあれを見てください」

 洞窟を出て早々、飯田に声を掛けられた。

「どうした?」

「あの海の向こうです。何隻か船が見えるようですが」

 飯田が指差した方向を双眼鏡で覗く。確かにいくつかの船の影が見える、さすがに艦種の特定とまではいかないが、こんな時に航行できるのは軍艦か徴用船以外考えられない。

「海軍の艦隊ですかね?」

 飯田が少し期待を込めた口調で言った。それに反して三井は少し不機嫌そうに返した。

「だろうな。どうせならもっと早く来ればよかったのに」

 もう少し早くに来てくれれば敵の空襲だってされなかったかもしれないのに。いつも海軍はそうだ、なにかが起こってから、やっと重い腰を上げる。事態が起こってからでは遅いというのに。

 そんな三井の内心とは関係なく、どんどん船の影は増えていく。すでに船の数は十を越えている。

「連合艦隊のお出まし……ですか?」

 飯田が呆気にとられたようにつぶやく。空襲があったとはいえ、ここはまだ日本の領域だ。連合艦隊もとい、海軍の艦隊が現れたってなんら不思議ではない。むしろ来てくれた方がどこか頼もしい感覚さえ覚えるほどだ。しかし、なにか妙な気がする。そう、三井が顎を右手でさすりながら考えていた時だった。

 見えていた船の内の一隻が一瞬、ほんの一瞬だけまばゆく光った。



 ドオオォンン!!

 地の底から突き上げるような衝撃が、耳をつんざく雷鳴と共に襲ってきた。

 前原憲兵少尉はその時、チャランカノアの憲兵詰所にて書類の整理を行っていた。報告書や申告書の類の書類を重要なものとそうでないものに大別し、さして重要でない書類は燃やして処理をしようかというところだった。ちなみに処理予定の書類のなかには、二人の伍長が営倉に一晩入った記録も含まれていた。

「また空襲が来たか」

 前原は軽く舌打ちをしてから、重要書類を雑嚢に素早く詰め込み、詰所を飛び出した。

「少尉殿! 敵からの艦砲射撃です! 早く豪へ!」

 詰所を飛び出てすぐに、こちらへ向かって息を切らせながら走ってきた憲兵上等兵と対面した。鉄兜を深く被った彼の顔は、落ち着きの色を完全に失っていた。まさか艦砲射撃まで受けるとは思ってもみなかったのだろう。

「落ち着け! 敵は直接狙いを付けているんじゃない。流れ弾にさえ当たらなければ大丈夫だ」

 前原は憲兵上等兵の肩を軽く叩いて、早く行くぞと諭した。この間にも次々と砲弾は特有の飛翔音を発しながら、周りの地面に突き刺さっている。ここから海は見えないが、かなりの数の敵艦が砲撃しているのはたやすく想像できた。

 流れ弾にさえ当たらなければと言ったものの、前原にもこの中を平然と突っ立ていて生き残れるとは到底思っていない。早く豪へ入らなければ……と、頭に豪への最短の道を浮かべた時だ。

「プロペラ音……!」

 爆発音の中にわずかにプロペラ音が混じって聞こえる。前原はかすかなプロペラ音を発する正体を彼方に認めて戦慄を覚えた。

 水上機……。

 キスカ島で見飽きた姿がそこにはあった。まずい、そう体と頭が同時に告げていた。

「流れ弾どころじゃない! 急げ! 砲撃が来るぞ!」

 前原は憲兵上等兵の背を思いっきり押して走らせた。自らも雑嚢を背負い直し、深く鉄兜をかぶって走り出した。今度は前原の方が、落ち着きを無くしている。

 水上機。艦砲射撃の弾着観測を主任務とする、下駄ばきの艦載機だ。キスカ島ではあれが見えると、付近は恐ろしく正確な砲撃にさらされた。あの恐怖が前原には今も染みついている。

「うわぁ!」

 憲兵詰所に砲弾が直撃し、詰所は粉微塵に粉砕された。二人は爆風を背に受けて思わず倒れこむ。

「立て! 構わず走れ!」

 前原は素早く立ち上がり、まだ地面を這っている憲兵上等兵の左腕を掴んで無理やり引き上げた。彼は腰を抜かして、恐怖に喘いでいる。前原はそんな姿を気にも留めず、なかば彼を引きずりながら走り出した。

 一分ほど両名は夢中で走り続け、遠目に豪の入り口が見えてきた。入り口には数名の兵士が半身を乗り出して大きく手招きをしているのが見える。かすかに安堵の表情を浮かべる憲兵上等兵。前原もあと一っ走りだとばかりに両足に力を込める、しかし、大きな砲弾の飛翔音が耳に張り付いた。

 走りながらわずかに振り返った前原の両目が最期に捉えたものは、自らに向かって一直線に飛んでくる砲弾の姿だった。



「奴ら、夜になってもやめないのか」

 爆発音が小さく響く洞窟内で普段静かな酒田伍長が珍しく毒づいた。

 もうすっかり陽は落ちて辺りは暗闇に包まれている。いつもと違うのは、いつもは一緒に付いてくるはずの静寂という単語が今日は付いてこないことだ。敵艦隊は朝からずっと休むことなく砲撃を続けている。今日一日、彼らは洞窟からほとんど一歩も出ることができなかった。排泄すら使い古されたバケツの中で行ったほどだ。

「これも狙いなんでしょうね」

 杉野がどうぞ、と水で満たされた飯盒の蓋を渡しながら酒田の言葉に答えを出した。すまん、と受け取って西山は水を一口で飲み干した。

「ああ。嫌がらせだな」

 殻になった蓋を返しながら酒田、は杉野の言葉を理解して同意した。

「ええ。南方では我が軍が砲撃する側だったのですが、今度はこっちがやられる番とは」

 杉野は思い出すようにしみじみと言った。

「さすが、戦地経験者は慣れてるな」

「冗談言わないでください。そもそも酒田伍長殿だって中国で実戦経験済みですよね」

「そうだな」

 酒田が杉野よりも入隊が一年上であったが、同じ伍長、同じ分隊長と、階級と役職こそ同じなのでよく会話を交わす仲だった。

「こういう時は暗い話はしたくない。よし杉野、嫁さんの写真見せろよ」

「何を言い出すんですか」

 そう返しつつ、杉野は酒田に写真を渡した。

「綺麗な嫁さんじゃないか。でも、俺のには負けるな」

「ほう。言いますね。では見せていただきましょうか」

 杉野はちょっとムッとして酒田に言った。自分にはもったいないくらいの自慢の妻であったし、一番だと思っていた。それは誰にも否定されたくはなかった。

「愛妻家だな。そんなに怒るなよ。ホラ、負けてるだろ?」

 酒田は杉野をたしなめながら、自身の軍服の右胸ポケットから一枚の黒く薄汚れた写真をよこして写真の左端に指を指した。写真が汚れているのは、重油の漂う海を彼も漂流したからだろう。

「これは……参りました」

 写真には二人の人物が映っていた。一人は綺麗な女性、もう一人はその女性に抱かれた幼児だった。酒田が指を指したのは後者の方だ。これには杉野も負けを認めざるを得なかった。

「そうだろう? 俺の娘だが、まだ両手で数えるほどしか抱いたことがないんだ」

 酒田は手の感覚を思い出すように手を握ったり開いたりした。きっと彼の頭の中には娘を抱き上げた時の光景が何回も流れていることだろう。

「必ず、また会えますよ」

 杉野は酒田に写真を返しながら言った。

「そうだな」

 両目を閉じて写真を胸ポケットにしまう酒田。再び開けられた目の色を見て、杉野は悟った。

 この人も俺と同じか。

 もはや生きて帰ることができないことは杉野同様、酒田も承知していた。近いうちに強制的な死が訪れようとも、戦い抜くべく自らを奮い立たせている勇士を、杉野は酒田に垣間見た。

 砲撃は朝日が木々の間に差し込む頃まで、延々と続けられた。

 


 

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