第十一話 空襲
「どうだ? 九九式小銃は反動が違うだろう」
十一日、正午を少し回った頃、演習場にて杉野は九九式小銃を初めて扱う分隊員たちに感想を問うた。
横一列になって膝撃ち射撃の訓練をしている分隊員たちは、口々に反動が大きい、思うように弾が当たらない、と予想通りの反応を示した。杉野分隊の両脇で、同じく訓練中の西山分隊、飯田分隊の隊員も同じような反応をそれぞれの分隊長に訴えているようだ。
「そうだ! 反動は三八よりも大きい! 訓練のうちに一発でも多く撃ってその反動に慣れろ!!」
「はい!」
杉野の叱咤に分隊員の面々は大きな返事を返す。
「よし。射撃を続けろ!」
杉野は声を張り上げ、自らも射撃訓練を始める。
一発撃つだけで十分体感できる。重量も三八より銃の長さが短いくせに少し重い。射撃するごとに腕全体に響く七、七ミリ弾の反動は頼もしく感じられた。
この日の朝、第一一八連隊の将兵に武器弾薬や鉄棒、弾薬盒、医薬品といった歩兵装備一式の支給が行われた。この装備は、独混第四七旅団の部隊から予備を特別に回してもらったものである。
四七旅団はすでに武器の更新を行っていたため、本土を出発するときに支給されていた三八式歩兵銃は九九式小銃へ、九六式軽機関銃は九九式軽機関銃へと、連隊の武器も同じく更新された。
「へへへ。大井! 俺らの武器が新しくなったな!」
北沢はピカピカの九九式軽機関銃の手触りに酔いしれながらニンマリと笑った。
「軍曹殿。気色悪い笑顔をしてないで、さっさと訓練しましょう。早くこっちになれませんと、実戦では通用しませんよ」
大井が北沢を演習場へと急かす。冷静を装っているが、大井も射撃をしたいとみえる。
「そうだそうだ! さっさと七、七ミリの感触を染みつけないとな。おし行くぞ!」
おぉー! と分隊員たちが元気よく答える。
九九式軽機も小銃と同じように口径が大きくなり、もちろんそれに合わせて反動も増加している。北沢はこの機関銃を扱うのは初めてだ。たとえ熟練兵でも武器が変わったならそれなりの慣れが必要になる。
北沢たちは意気揚々と演習場へ向かっていった。
間もなく午後一時を回ると言ったところか、演習場に急にけたたましくサイレンが鳴り響いた。
「なんだ……?」
杉野は続けていた射撃をやめ、空を見上げた。
雲の少ない綺麗な青い空だったが、それはほんの少しの間だけだった。西の彼方に、急速に黒い点が増え始める。
その黒点が敵機であると認識するのに、そう長くはかからなかった。
「敵機だ! 訓練中止! 全員、手近な豪へ飛び込め!」
杉野は素早く立ち上がって指示を飛ばした。長時間続けた膝撃ちのため、折り曲げていた右足がジーンと痛い。しかし、それごときに気を取られているヒマなど微塵もない。敵機が迫っていた。
グウゥゥゥゥゥゥ-ン……!!
迎撃のため、海軍の零戦が次々と勢いよく飛行場から飛び立っていく。その様を今野は避難のために飛び込んだ重機関銃陣地から見つめていた。
上空では味方の高射砲から撃ち出される対空砲弾が炸裂し、青空に黒い花を咲かせている。その間を縫うように敵機はやってきて、急降下爆撃や機銃掃射を繰り返している。
駐機している陸攻に爆弾が直撃し、大爆発を起こす。滑走中の零戦に敵機が機銃掃射を仕掛け、零戦は離陸すること叶わずに燃え上がった。
「ちくしょう!」
機関銃手の兵士が、空に砲口を向けて射撃を始めた。特有の重い射撃音が響く。
日本軍では、重機関銃はもちろん、軽機関銃や小銃、果ては拳銃までも対空兵器として運用するよう戦訓に記されていた。さすがに、これらは撃墜を狙うものではなく、貧弱な火力を束ねて敵機の正面に集中させ、搭乗員に恐怖感を与えて攻撃を妨害するという心理的効果を狙ったものだ。
「二時半から敵が来たぞ! 伏せろ!」
すぐ隣で小銃を構えていた分隊長が接近してくる敵機を認めて叫んだ。
バッとその場の全員が頭を地面に埋める様に伏せる。今野も右手で鉄兜を押さえつけながらかがみこんだ。ビシッ! ビシッ! ビシッ! 放たれた機銃弾がすぐ脇の地面に突き刺さる。
すでに飛行場は相当の攻撃を受けている。滑走路の奥に見えている格納庫は爆撃され、黒い煙を各所から吹きあげている。滑走路には破壊された零戦や陸攻が無残に屍を晒している。今野の所属する、第三一七大隊は、飛行場の防衛が任務なのだが、肝心の飛行場は敵が上陸する前にその機能を喪失してしまった。
「また来るぞ! 一時の方向!」
誰かの絶叫に、その場の全員は条件反射の様に再度、身体を土にうずめた。
「ガラパンの市街地も派手にやられているな……」
九五式軽戦車のハッチから上半身を出した宮中は、双眼鏡を覗きながら忌々しそうにつぶやいた。戦車の周囲には、同じ陸戦隊の歩兵十数名が集まって同じように周りを警戒したり空で暴れまわる敵機を睨んでいる。
「上等兵曹長、何とかアメ公に一泡吹かせてやらんと気が済みません」
操縦手を務める上等兵が悔しそうに言った。
「堪えろ。ここで戦車がやられては何にもならん」
宮中は敵機に応戦しようとはしなかった。空襲警報が鳴ってからすぐに宮中は戦車を走らせ、タッポーチョ山の麓、山道から少し外したジャングル内に戦車を停め、敵機の目をくらましている。他の車両も同じようにしてどこかに潜んでいるだろう。元々、陸戦隊は戦車の配備数が少ないため、貴重な機甲戦力を空襲で失いたくなかったのだ。
「この上にも敵機が飛び始めた、もう少し中に入るぞ。微速後退」
「はい。微速後退」
戦車のエンジンに火が入る。
「すいません。少し戦車下がります。後ろ空けてください」
宮中の指示で戦車に近い歩兵数名が離れる。戦車はジャングルのさらに奥へ入って行く、少し距離を置いて歩兵が続いた。
一方の杉野は演習場の隅にある防空壕内でじっと空襲に耐えていた。かれこれ三時間班は豪内にいるだろう。腕時計で時間を確認する。豪内には同じ小隊の西山分隊と、近くで訓練していたらしい北沢の分隊が避難している。行動が早かったのが幸いして三名の分隊員に死傷者が出ることはなかった。演習場は爆撃こそ受けなかったものの機銃掃射を何度も浴びてひどい有様になっている。
様子見のため、豪から半身で顔を出した北沢が拍子抜けした声をあげた。
「おお……敵さん帰っていくぜ」
北沢の報告に豪内の全員が恐る恐る豪を出て空を見上げる。北沢の言う通り、敵機は地上には目もくれず海の方へ飛び去っていく最中だった。それを逃がすまいと一部の対空陣地が追いすがるように攻撃を続けている。
「ちっ……今度来てみろ、機体ごと搭乗員を穴だらけにしてやる」
北沢が握りこぶしを作って心底悔しそうにつぶやいた。
この日、サイパン島に来襲した敵機の数はおよそ百五十機、そのほかにグアム島やテニアン島も空襲を受け、マリアナ諸島に展開していた海軍航空隊が壊滅する痛手を負った。しかし、これはまだ始発点に過ぎず、日を追うごとに空襲は激しさを増していくのだった。