蝶4
商店入口の脇に設置された冷蔵庫を気にも留めず、タカジは奥へと突き進んでいくので私も急いで後を追った。
しかし、私は中に入ると急激な明暗の差に目が眩み、慣れるまでさっきの冷蔵庫のウンウン唸るような機械音に思考を占領された。夏の日射しが照りかえす外と違い、店内は薄暗く、この時間は照明など点けている感じは無かった。一見涼しいような気持ちになったが、クーラーが効いているでもなく、日影なぶんましという具合だった。
タカジはというと、そんな私に気にかける様子もなく、一心不乱に店奥の冷蔵棚にへばりついていた。透明で冷たそうなそのガラス戸に顔と手をひっつかせてまで中を覗き込んでいるが、目当ての物が無いらしく後姿からも焦りが見える。人目さえ無ければ私も一緒になってガラス戸に全身密着させて涼みたいなどとのぼせた頭が訴えてくるので、我満できずタカジを呼びつけた。
「もうジュースでもいいからさ、早くおごってよ。私、暑くて限界……」
「今おじさん呼ぶから。もうちょっとだけ待て」
そういうと、タカジは大きな声でカウンター越しに店主を呼んだ。真っ昼間だというのに店番もなく無人で物騒だが、それがこの町では当り前なのだ。
私のように他所から移住してきた人間は初めここがゴーストタウンかなにかと勘違いする。行く店行く店、誰も居ない。大概小さな店は住居と兼用で、奥の部屋に人がいるということを後で知らされる。そうした経験を積んだ後でも、初めて訪れた所が耳の遠い店主だったりすると厄介である。呼べども人が出てこないので困り果てていると、後から来た地元客は爆竹でも鳴らしたかのような大声を張りあげる。すると、ようやく奥から腰の曲がったおばあちゃんがにこやかに現れるのである。私はその光景をただ驚愕して見ていることしかできなかったのだ。
「いねぇのかな?」ぽそりとタカジが呟く。たまに急の用事で本当に店をほっぽり出す主人がいるので困る。この町で万引きという言葉を聞いたためしがない。
「おータカちゃんか。わりぃわりぃ」
申し訳なさそうにやってきたのが仲原商店の三代目・仲原マコトさんだ。図体がでかく腕や体も毛深い、まさに熊みたいな人だ。見た目とは裏腹におとなしくて優しいおじさんである。
「ちゃん付け止めてよマコトさん」
「赤ん坊の頃からの付き合いだからな。つい癖でよ」
「それよりさ。砂糖水って売り切れちゃった? 見当らないんだけど」
タカジはサイダーひとつにとても心配そうである。
「ああ、アレか。実はなエ場のラインが故障だかなんだかで出荷が遅れててな。しばらくかかるそうだぞ」
「マジで……。次、いつ入るの?」
「んーそうだな。機械の業者がどこも休みでほうぼう当っているらしいけど。名波の社長さんのことだから、意地でも来週か再来週中には……」
「そんなこと言ってたら夏が終っちゃうよ!」
タカジにしては珍しい動揺っぷりに私とマコトさんは目を合わせるしかなかった。
しばらくして気持ちが落ち着いたのか、ようやくタカジが飲み物をおごってくれた。
「何でも好きなのを選べ」というので私が名波酒造で出しているオレンジジュースを指定したら、名波はダメ――とあえなく却下された。何でもではないではないか。もちろんサイダーやラムネの類もいけないということで仕方なくどこでも売られている大手のオレンジジュースに決めた。抵抗して〝コーラ〟という選択肢もあったが、彼の心情を察してひっそりと取り下げた。
その晩、私は天井から吊った蚊帳を寝床の中で見上げながら、物思いに耽っていた。
仲原商店を出たあと、タカジは無言のまま私を家まで送ってくれた。去り際、タカジに飲物のお礼を言ったのだが、「ん」と愛想なくうなずきさっさと帰ってしまった。意地っぱりな所は弟君そっくりである。そんなに砂糖水をおごれなかったことが、気に病んだのだろうか。今日のタカジは本当に変である。と、一日を振り返りつつもずぶずぶと深い眠りに落ちていった。
あれから二週間が経つ。しばらく友達とも顔を合わせていない。カナたちは何しているだろうか。ぼーっとした頭で考えていた。
私は今日も天井を見つめ、布団の中で動けずにいた。夏バテの上に風邪をこじらせ、この有様に至る。何が嬉しくて夏休みも終りというのに寝ていなければならないのか。数人見舞いに訪れてくれたそうだが、私の症状があまりに重かったため母は部屋にあげるのを断るしかなかったそうだ。
「ああ最悪だ」
ぼんやりと眼に写る掛け時計の針が無常に音を刻む。
お日様は沈んでもまた昇ってくれるが、今日という一日はどうやっても帰ってはこないのだ――などと風邪を引いた自分を悔やみ、ネガティブ思考で悶々とするしかやることがなかった。
そう、超絶に暇なのだ。熱も下がり、大分良くなったとはいえ、食事も喉を通らずにいたこの身体で今すぐ飛んで歩くという訳にはいかない。けれど、外に出たい。遊びまくりたい。と私の心は叫んでいた。
「なにか、面白いことが空から降ってこないかな?」
唯一外界へつながる窓を通して、四角くく切り取られた景色を眺めていた。いつしか明るかった空も、日が落ち、何も見えなくなる。無性に切なくなり、瞼を閉じた。
……ツン。コ……ン。
不意に目が覚めた。可笑しな物音に起こされたのだとようやく気づき、私は音のする方へと目をやった。しかし、時刻は真夜中。家中静まりかえっている。やれやれ、気のせいだったのかと布団に潜り直す。
「おい、寝るな。ここを開けろ」
私は驚いた、窓の外からタカジの声がするのだ。しかも、ここは二階である。
登場人物
仲原マコト
仲原商店を切り盛りする三代目。とはいえ、初代である祖父もいまだ健在で、交代で店番をしている。二代目の父は農業が本職であり、非番の日にはその手伝いもしている。商店に並べられている惣菜パンはマコトの手作りであり、何でもできる器用な人物だ。
偶然タカジが産まれた時に立ち会っており、歳の離れた弟のように思っている。