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八月の砂糖水  作者: 猫介
3/6

蝶2

 二人が先に帰った後も、私はまだ校舎に残り、一階の廊下や教室を出たり入ったりしながら、ぶらぶらとほっつき歩いていた。

 夏休みの学校なんてこんな用事もなければ来る機会もなかったわけで、いつもと違う雰囲気が物珍しくて、無駄に長居したくなったのだ。

 今日も校内にいろんな人が出入りしている。とはいえ、普段の学校と比べればとても静かだ。がらんとした教室が並び、突き抜ける廊下は小さな足音でもよく響く。

 おもわず一人で「わっ」と叫びたくなるほどだ。この場にタカジたちがいれば必ずその「行為」に及ぶだろう。容易に想像できて笑えた。

 瞬時に周囲に人の気配がないことを確認し、叫んでみようと思ったが、またカナにいじられる口実を与えるだけなので、私はやりたい衝動をぐっとこらえた。

「わっ!」

 突然、ぱぁんという衝撃音に不意を突かれ、私は思わず叫んでしまった。悪い意味で最高のタイミングだったために、私の心臓は跳びあがり、いまも胸の中で異様なドリブル運動をしている。

 ゆっくり深呼吸をしながら気持ちを整え、音が鳴った隣の教室に向かうと、誰かが蹴り入れたのか薄汚れたサッカーボールが床に転がっていた。窓の方は元から開いていたのか、奇跡的にボールが通り、割れずに済んだようだ。しかし、ロッカー上に飾られた作品(紙粘土?)の一つが粉々になっていた。こちらは運悪くボールに当たったのだろう、壁に球の跡が付いているのが証拠だ。

「あっちゃー。だめだなこりゃ」

 背後からひょこっとタカジが現れて、私はまたまた驚いた。

「わ……、私がやったんじゃないよ!」

「ん? ああ、この様子を見ればわかるよ。校庭でサッカーをしていた誰かが、蹴り間違えて教室に入れちゃったってところだな」

「なんで教室の外からボールが飛んできたって思うの? 私は偶然隣の教室にいて、近くに人の気配がなかったからわかるけど……」

「よく見てみ、ボールに付いてんの校庭の砂なんだよ。校庭で遊ぶと、どうしてもこんなふうに汚れる。それに学校で借りたボールはきれいにして返却しないと後ですんごく先生に怒られる。だから校舎内で遊ぶ馬鹿がいたとしても、絶対に汚れたボールを持ち込んだりしない。たとえ自前のボールでもね」

「へぇ~。じゃあ私がやってないって何でわかったの? 私がやった可能性はなくもないよね?」

「その可能性もないな。まずはじめに、これは遠くから『蹴る』スポーツじゃないとだめだ。植え込みが邪魔だし、当然、窓ガラスを割る危険があるから、校舎のそばじゃ誰も遊ばない」

「なるほど」

「それに覚えてるか? 前にミナコと一緒にサッカーやろうぜっていったら、おまえバスケットボールとかラグビーボール間違って持って来ただろう。そのときは正直、そんなん蹴れるか! と心の中で叫んだね」

「私だってサッカーボールぐらいわかるもん! そりゃ、たまに間違えることはあるけど……」

「じゃあ、おまえがハンニン?」

 タカジが茶化すように言う。

「違うってば! 仮にだよ、間違って手で投げ入れたかもしれないじゃん」

「もしおまえが『投げた』として、手が滑ったぐらいの勢いじゃ球をぶつけても粘土がぐちゃぐちゃにはならない。本気で狙わないとな」

「私はそんな極悪人じゃないです!」

「だよな」

 タカジはふくれっ面の私を見て、けらけらと腹を抱えて笑いだした。

 なにはともあれ、タカジの名推理? によって私の無実は証明された。さりげに、けなされたような、ほめられたような複雑な心境だが、とりあえずよしとしよう。

 いや、というか最初から私がやってないのは明らかなわけで。タカジとこのまま絡んでいると、私は変な女の子という烙印を押されそうで怖い。カナの心配もまんざらではなくなってきた。

「あ……」

 誰かが呟いた。

 声のほうを辿ると、開いていた窓の外に見慣れない男子生徒が立っているのに気がついた。男子生徒は窓縁に手をかけ、中の様子を怖ず怖ずと覗いている。彼もさっきの騒音を聞きつけて、校庭から駆けてきたのだろう。

 見た感じ、その男子生徒は同学年であるが、顔も名前も覚えがない。転校生の私はこういう状況によく陥るので困る。

「ショーゴおまえ汗すごいぞ。大丈夫か?」

「やっべぇ……どうしよタカジ?」

 話しっぷりから察するにタカジの知り合いでホッとしたが、いつの間にやら騒ぎを聞きつけたギャラリーで教室は囲まれていた。生徒に呼ばれてきたのか先生まで現れ、事故現場は大騒ぎだ。

 先生の登場にショーゴ君の顔は青ざめてきたところで、私にも事の真相がつかめてきた。しかしこの雰囲気の中、私に成す術もなく、ただ成り行きを見守っていると、タカジが何か呟いた。

「……しょうがないなぁ」

 タカジは近寄ってきた先生に事の次第を説明すると、ぺこぺこと頭を下げ始めた。先生はというと、あきれた顔でタカジを指差しながら一言二言注意をすると、さっさと教室を出て行ってしまった。

「――――だぞ、おまえたちもわかったな!」

「はーい……」

 今度は廊下で、野次馬生徒たちに向けた先生の説教が聞こえる。先生が話し終わると、みなクモの子を散らすようにいなくなった。どうやら先生はほかの生徒たちにも同じような事故を起こさないよう、注意していたようだった。

 それにしても、期待していたとまでは言わないが、もっと大事になるんじゃないかと私は思っていた。タカジはこっぴどく叱られ、職員室に連れて行かれる――そんなイメージを。なにより、なぜやってもいないタカジが名乗り出たのだろう。私の頭の中は疑問だらけである。

 静けさを取り戻した教室で、タカジとショーゴの話し声が聞こえてきた。

「俺は後日改めて職員室に呼ばれるけど、たいしたお咎めはなさそうだから一件落着だな」

「ありがとうタカジ……」

「泣いてる場合じゃないぞ。先生に言われたとおり、粘土の作者に謝りに行かなきゃならない。本当の犯人はおまえなんだから、それは自分でやれよ」

「う、うん」

「それと、俺が謝りにいったってことにするよう相手に伝えるのも忘れるなよ? 口裏あわせしとかないと変なことになるからな」

「わかった。早速いってくるよ」

「じゃあがんばれよ! 俺たちも帰るぜ、ミナコ」

「え、あ、そだね……」

 言われるまま、私はなぜかタカジと帰ることになった。

 道中、私はさっきの疑問をタカジにぶつけた。

「ねぇ、なんでタカジはショーゴ君をかばったの? やってもいないこと先生に怒られるのはおかしいよ」

「まーな。でもあの状況でショーゴが『犯人は僕です、僕がやりましたっ』なんて名乗り出るのは、あいつの性格じゃ無理だろうなと思ってさ」

「私なら友達のためとはいえ、身代わりなんて行為真似できないよ」

「ショーゴ? 一度同じクラスになったことがあるだけで、あいつとはそんな仲じゃないよ」

 笑い飛ばして言い放つタカジ。

 タカジの言動は私の理解を超えていた。そんな私を察してかタカジは続ける。

「別に理由なんてないよ。ただ不思議なことに俺がやったって言うと、面白いように誰もが納得する。みんなの中で、何か起きれば諸悪の根源はたいがい俺ってイメージがついてるみたいなんだ。そんなこと一度もしでかしたことないのにさ。このことに最初気づいたときはちょっと悲しかったけど、慣れてみればどうってことないよ」

「…………」

「そんな顔するなよ。俺は俺でこのポジション気に入ってるんだから。それよか、時間ある? ちょっと寄り道したいんだけど」

「うん、まだ大丈夫だけど」

 返事を聞くと、タカジはうれしそうに走り始めた。私も仕方なく後を追う。

 私はタカジの話を聞いていてちょっと恥ずかしくなった。私もタカジの言う『みんな』と同じ行動を取っていたかもしれない、そう思ったからだ。

 タカジはいつも馬鹿みたいに遊んで、ふざけたことを言って、少し騒がしいときもあるけれど、本当にそれだけなのだ。だから私たちが勝手に作り出した印象でタカジを傷つけていたことを謝らなければならない。少なくとも、そのことに気づけた私だけでも。

「タカジ、ごめんね。私……」

「またさっきの話か? 気にしなくていいって。それに自分だって言ってたじゃないか。やってもいないことを怒られるのはおかしいって」

「違うよ。本当は私もみんなと変らないんだ」

「そうかな。俺は違うと思うけど。……まだミナコが転校してきて間もない頃に、俺のことかばってくれたことあったろ?」

「あったっけそんなこと?」

「教室で俺はミナコに話しかけただけなのに、酒倉のやつがすごい剣幕で『転校生いじめてんじゃないわよー!』って怒鳴り込んできたんだよ。俺なんにもしてねえっつうの」

「それは覚えてるよ」

「その時、ミナコがちゃんとフォローしてくれたから、さすがの酒倉もおとなしく引っ込んでったよ」

「……思い出せないけど、たぶんその時は無意識に言ったんだと思う」

「俺のことかばってくれただけで十分だよ。クラスの女子の中に俺の味方になってくれるやつなんていないからさ。まあ、酒倉あいつにかなう男子もそうはいないと思うけど」

(チョウ)2 つづく


登場人物

ショーゴ サッカーボール事件の犯人。同学年だが、ミナコたちとは別のクラス。タカジとは以前同じクラスメイトだったため面識がある。

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