2 目覚めても夢の中ってレアケースもいいところ。
とんでもなく早寝したから、当たり前のように夜明け前に目が覚めた。
少しだけ薄明るい部屋を眺めて、携帯で時間を確認。四時半か。たっぷり八時間睡眠。
トランクから着替えを出す。露出を押さえて動きやすいもの。Tシャツ、デニム、パーカー。スニーカーも履いて、掃き出し窓を開けて、バルコニーに出た。
高台に建っている城からは、塀越しに周囲の街が見えた。低い屋根、石造りの壁、煙突からたなびく煙は、既に起きている人がいて、パンでも焼いているのかな。
遠くには畑、草原、さらに山並み。おとぎ話の世界に迷い込んだみたいに思える。起きているのに夢の続き。
どうしちゃったんだろうな、わたし。
確かに、空港ロビーに向かっていた。そこから意識が無いのなら、例えば、銃乱射事件に巻き込まれたとか。
それで意識不明、実は病院のICUのベッドの上。保険、は、留学する前に加入したヤツでカバー出来るかな。親あたりが付き添ってたりして。数えるほどしか会ってないけど、身内だから呼ばれて、立場上インタビューなんかで悲しみと怒りの演技を全世界に垂れ流されてるかも。ご苦労なことだ。
そう考えると、目覚めるのが面倒になってきた。後遺症も心配だ。しばらくは、この、夢と妄想の世界で遊ぶのも良いかもしれない。
つらつらと考えてるうちに、山並みの向こうから朝日が昇り始めた。 紫の空が、次第に明るくなり、暖かみのある光が差してくる。こんな美しい光景が想像できるなんて、わたしの想像力も捨てたもんじゃない。
『どうでもいいや』独り言は日本語に聞こえた。歌ってみたら何語になるかな。口から出たのは、ラジオ体操の前に流される、朝と希望の歌。
自分の唇から小さく漏れる歌は、酷く気だるく、夢も希望も諦めた様だ。他にも、俗に言う元気ソングとやらを口ずさんでみたが、ダラダラと歌うと元気とは程遠い。
なんだかな、と自嘲したとき、眼下に広がる庭園に、動く金茶を見つけた。昨日のインパクト一等賞。獅子顔の王子さまだ。
朝日に鬣が照らされて、キラキラ光っている。 真っ直ぐ前を見て、ピンと背筋を伸ばし、無駄のない足取りで進む姿。おとぎ話感の極みだな。
ふと、獅子顔がこちらに視線を向けた。反射的に手を上げて笑顔を作ったが、ニコリともせず、立ち止まりもせず去っていった。
笑ってくれたって良いじゃないかと思ったが、ライオンが笑うのも変な話だなとも気づく。
自分が意識を取り戻して、世界を取り戻すまで、こちらの世界を堪能するのも悪くないかな、と考え始めた時にようやく、朝を告げる鐘が鳴った。
起きているかを確認してから雪崩れ込んできた侍女たちに、洗顔のあと、またフリフリドレスを着せられ、朝食。丁寧に作られたパンやスープは、文句無しに美味しい。
ご馳走様、作ってくださった方に美味しかったと伝えて欲しいと話すと、侍女の目が大きく見開かれた。 のちに女官長から、使用人にお礼は不要と言われたが、ここは自分の世界の流儀を貫きたいと思う。
だってお世話してくれる人とくらいマトモな会話したいし。
午前中に、宰相との面会があった。本人は四十がらみの渋いオジサマだが、よく似た顔の白髪の老人を伴っている。
「よくお休みになられましたかサクラさま。これは私の父で、先の宰相です。この国を知らないサクラさまに、必要な知識をお伝えするため、これから暫く通いますので」
前宰相が教育係とは、完全VIP待遇だ。 さっそく世界地図を見せてもらった。大陸が真ん中にどかんとひとつ。大小合わせて二十余りの国があり、この国シャトルリューズは、大きい方から数えて五番目くらいの規模らしい。
先の宰相シュヴァイツ・フルツ・ラジル公爵の話は、簡潔明瞭で信頼が持てた。息子に仕事を譲る傍ら、王子たちの教育もしていたらしい。
ちなみに、読み書きに不自由はなかった。シャトルリューズの言葉で書こうと思うだけで書けるし、本もすらすら読める。日本語を試しに書いてみると、複雑過ぎて解読不能と言われた。
何よりも驚かれたのは、文房具だ。シャープペンシルに腰を抜かし、滑らかな紙だとノートを撫でまわす。
「あの箱の中に入っていたのですか?他には何が」と興味津々だったが、他に予定があるため、次の講義の時に他の物を見せて、と約束させられた。それまで不用意に人に見せるなと、念を押される。
「トランクは鍵がかかりますし、持ち出せないようにしてはいます」
「そうですか。荷物にも護衛をつけたいくらいです」
午後からは、女官長より、マナーと立ち居振舞いの指導。スカートを摘まんで腰を屈める礼の他は、現代日本と違いは少なく、飲み込みが早いと褒められた。祖父母に仕込まれた、茶道と日本舞踊のお陰かも知れない。あ、小さい頃バレエもかじってました。 食事マナーもあまり違和感がない。と、いうわけで国王主催の晩餐会とやらに出るのは決定だそうです。はあ。