14 【閑話】不遇の王子と神からの娘 2
神官が近付いたのを機に、国王はじめ貴族達までが駆け寄り、王子とその子どもを取り囲んだ。
神からの贈り物は有史以前から今に至るまで、ダガイルの聖剣ただひとつ。
対して今、我が国にもたらされたのは、生身の子。しかも神と同じ黒髪だ。神官だけではなく、そこにいる全ての者が歓喜した。
興奮のあまりに周りが勝手に語り出すさまを、子どもは呆然と眺めている。訊かれるままに名と年齢、『ガクセイ』であると話す。
…………二十歳だと口にされ、誰もが絶句した。成人して久しいとは。ならば脛を晒したこの姿は、あられもない。
騒がしかった室内が、しん、と静まり返る。
その中心で困惑する娘に、突然黒い布が掛けられた。軍の式服であるマント。 掛けた本人は、するりと人々の輪から脱け出し、去って行く。後ろ姿を娘は目で追うが、空いた隙間が貴族の誰かに塞がれて、すぐに見えなくなったようだ。
再び騒ぎ始めた周囲に混乱している娘を貴族や神官たちから引き離し、客室で休ませることを提案したのはシュヴァイツだ。傍らに放り出された荷物が、見たことも無いものだということに気付いた故である。
娘本人も荷物も、これ以上人目に触れさせぬ方が良い。その判断が正しいことは後々に実感した。
とりあえず女官長に世話を任せ、国王と、シュヴァイツの実子である現宰相も交え、対応を協議した。
王族同様に遇し、常に近衛に護らせ、最上のもてなしと快適な環境を整え、早く王宮に馴染ませる。これは言うまでもない。
「賓客として扱うのはやぶさかではないが、立場としては危ういのう。他国に拐われると、取り返せぬ」
国王が溜め息を吐く。
「歳からいっても最適なのは、立妃でしょう。王太子妃ともなれば、他国が迂闊に拐うことも出来ません」
宰相の言葉を受け、国王はまた長い息を吐き、首を捻る。
「リオネル……は無理な話かのう」
国王が望み、また逡巡するのも無理はない。三人の王子のうち、資質的にはリオネルが最も王に相応しいのだ。
但し、十年前から続く問題を省いた上での話ではあるが。
「年頃の娘なら、大抵はフィリップに惹かれるだろうの。だがあれは貴族たちを御し切れるかどうか」
「王妃が神の遣わす娘であれば、お立場は強固になります。さすればフィリップ殿下も、言いなりになど。元来は聡い方にありますれば」
現宰相である我が息子が、国王に意見する。次期国王が誰であれ、支えるのがこの宰相であることに変わりはない。よって日頃から王子達のことは、シュヴァイツと共に目を配っていた。
「成る程。……イザベラはエドモントを推してくるだろうが」「エドモント殿下も御成長とともに、身体がお健やかになられている御様子。軍を率いるのは別の方にお任せしてしまえば、然したる憂いはございません」
正直なところ、弟王子達が国王として不適格、というわけでも無いのだ。リオネル王子より見劣りはしてしまうものの、合格点には達している。
「誰を王太子とするかは、神からの娘に委ねるしかあるまい」
「御意」
国王の意向で、シュヴァイツは娘の教育係となる。国のことを教えながら、娘の持つ、未知の知識や技術について国外に洩らさぬよう、細心の注意を払いながら引き出す為に。
「貴族や神官たちは娘の髪にばかり注目して、他を気に留めている風ではなかったがな。だが不思議が多すぎる。特にあの、トランクと呼んでいた箱」
国王の言葉に宰相が頷く。
「ああ、あれにはわたしも驚きました」
小柄な娘には手に余るであろう、大きな箱が二つ。
シュヴァイツが案内したとき、娘は当然のように自らそれを手にして歩き出した。箱には小さな車輪と、持ち手が着いていたが、床石にすぐ引っ掛かり、近衛に運ぶよう命じたのだが。
「持ち上げたら、嘘のように軽かったと申していましたな」
金属とは思えぬ軽さ、横にも持ち手がついていて、運ぶのは信じられないくらい容易だったらしい。開け方も想像がつかない、艶やかな赤と紺の、二つの箱。もうひとつ娘が手にしていた、素材も解らぬ袋と共に、寝室に運ばれたと報せを受けている。
「部屋にも常に、監視を付けて、限られた者しか通さぬよう」
「手配いたしましょう」
ある程度話が進んだところで、側近が部屋に入ってきた。娘が今宵の晩餐を遠慮したと知らされる。
「では晩餐は明日、極々内輪に。そして明後日に民への顔出しと貴族への披露目を」
「畏まりました」
我が国が、神からの娘を迎えたという事実は、隠すより広めた方が良いと判断したうえで、公表を急ぐこととした。
軟禁したら娘が逃げ出すかも知れぬ。隠していたなら、他国に拐われ、その国が神事で賜ったと主張したらそれまでだ。 民へ姿を晒してしまえば、誰がどう言おうと、娘は我が国が神から賜ったことを覆せぬ。
すぐに他国へも招待状を送るべく手配する。
遠い国なら往復に一月余りかかるので、他国の王族や外交官への披露は、二ヶ月後に日にちを決めた。
その頃には、娘が王子のうち、何れかと仲睦まじくなってくれれば、言うことがない。国王も、僅かに躊躇う様子を見せたが、概ねその方針だ。
不安なのはただひとつ。娘本人が我々に従うか。王子たちから、伴侶を選んでくれるのか、だ。
それを探るべく翌朝、宰相とともに娘の元へ足を運んだ。
貴族令嬢の如く装った娘、サクラは、我が国の作法も未だ知らぬのに、典雅な仕草で我々を出迎えた。礼も挨拶の口上も、どの国のものでもないが、滑らかで卒がない。
ドレスは、成人前の少女の物だ。
直ぐに誂えることが出来ずに、キャロリーヌ王女の子ども服を最低限手直ししたと聞いている。昨日のみすぼらしい小僧のごとき姿からは想像がつかないほど愛らしくなったとシュヴァイツは思うのだが、サクラは気に入っていないらしい。口には出さずとも、微かな不満が見て取れる
髪と瞳にばかり注目が集まっていたが、改めて見ると顔立ちも珍しい。
まず顔全体の凹凸が少ない。眼窩の窪みは浅く、鼻は筋が通ってはいても稜線はなだらかだ。僅かに黄味がかったクリームの様に滑らかな肌や、何も着けずとも薄紅の、ぽちりと小さな唇も、この国の女性とは大きく違う。
珍しいが醜いとは思わない。調和のとれた愛らしい印象を受ける。 ただ、華やかな美貌を誇るキャロリーヌ王女の衣装では、この慎ましやかな顔がフリルに埋もれているようで気の毒だなとは思った。
何もわからないという娘に、最優先される事のみ伝える。我が国と昨日の神事について話すと、真剣に聞き入り始め、少しして話を中断させると、寝室から何かを持ってきた。
「それは?」
「紙と筆記具です。教えて頂いた内容を書き留めようと思いまして」
卓上に載せられたのは、水色の薄い本のようなもの。開くと眩しいほど白い紙に、薄く線が引かれている。ノートという、学んだ事を書き留める為の物らしい。
小さな包みに入っていた筆記具にも目を見張る。
サクラが手にしたのは端を押すと反対から針のような芯が出てくる筆だ。あれなら細かい字が書けそうだ。
「シャー、プ、ペ、ン、シ、ル」と、話しながらノートに書いて軽く驚いている。
「宰相様、これは何と読みますか?」
「シャープ、ペンシル」
宰相の言葉にサクラは目を見開き、小声で何事か呟いた。
「サクラ殿?」
「あ、シャープペンシルとは、これのことで。……あの、わたし、この国の文字も読み書き出来るようです」
ノートに書かれた文字をサクラは少しの間眺め、白く四角いものを擦り付けると、字が消えた。
「これは何か?」
「こちらは消しゴム、シャープペンシルや鉛筆で書いた文字を消す為のものです」
目の前の物についてだけでも、訊きたい事は山の如くある。切りがないので次の機会にとし、サクラの荷物を寝室から出さぬよう、女官長に耳打ちした。そしてサクラに向き直る。
「サクラ様の持ち物は、厳重に管理しなくてはなりませんな。我が国、いや、この大陸に無い叡智に溢れています。いずれゆっくり拝見させていただかねば」
常に薄く微笑んでいたサクラの表情が僅かに強ばった。
「わたしの衣服や小物ばかりで、役に立つとも思えませんが、近いうちに」
警戒しながらもそれを隠そうとするさまは、子どものような外見とはそぐわないものだった。
その後、宰相と二人がかりで神事や王族を中心に説明をした。サクラはそれに頷きながら、要点を書き留める。ただし、誰にも判読出来ぬ言葉で。生国の文字らしいが、複雑過ぎて全くわからない。法則すら見出だせぬ。
そして伏し目がちにノートを見詰め、淡々と文字を紡ぐさまはサクラの顔を大人びて見せる。
しかし、問いかけの前に身構えるさまは、道の端で目が合った仔猫のようだとも思う。
シュヴァイツは、昨日からの疑問をふと口にした。
「サクラ様はいったい、何処から御出なされたのか」
サクラは虚空をしばし眺め、独り言のように答えた。
「わたくしには、ここが何処かもわかりません。だから、元居たところが此処から見て、何処にあるかもわからないのです」
海の向こうか空の彼方かと呟きながら、サクラはうっすらと笑みを浮かべようとした。
その時だけは、神の遣わした賢き娘が、迷子の幼子のように酷く頼り無さ気に見えた。