13 【閑話】不遇の王子と神からの娘 1
シュヴァイツさん視点。
十年待った神事が、漸く始まる。
陣を前に神官が、朗々と古代より受け継がれた唄を詠っている。白一色の室内は希少な石を張り巡らせたもので、たった一人が紡ぐ唄を、何人もの聖者がいるかの如く響き渡らせる。
シュヴァイツは、国王に並び立つ、獣の顔を持つ男に目を遣る。
ちょうど十年前の今からだ。この国が混迷を始めたのは。
神官が唄を紡ぐ最中に、突然王子が苦しみだし、顔を掻きむしるように悶えながら陣の中央へ歩き出した。その様子は、今でもまざまざと目に浮かぶ。
倒れた王子を、白く眩しい光が包み、それが消えると、あの顔に変貌していたのだ。
翌春には妃を迎え、立太子して次期国王となるべく励んでいた王子。まだ青さは残るものの剣にも優れ、思慮深く、賢き王になるであろうとシュヴァイツも確信していた。
だが、あの神事を境に、王子を取り巻く環境は一変した。
まず王妃が、神が王子を見限ったのだと言い出した。
元々、先妻の子と後妻という、微妙な関係だ。しかも王妃が嫁いできた時、既に王子は次期国王としての教育が始まっていた。
男児を成しても、後継ぎとして偶されない。積年の悔しさが噴出するのも仕方がない、とも言える。
それに慌てたのが、貴族達だ。
王妃は隣国の先王の第一王女であった。その子どもが王位に着くと、同腹の兄である隣国の王が、血筋を理由に陰に日向に干渉してくる可能性が生まれる。しかも王妃の産んだ子は、病弱で、行く末も危ぶまれた。
ならば、母の身分は低くても、いっそ第三王子に将来をと企む一派も現れた。
王妃との婚礼を前に、離宮に移された側室とその子ども達。側室の死で再び王宮に戻って来たが、寄る辺無き立場である。
ラジル家と同格の公爵家が、第二王子の病弱さを理由に、第三王子こそ相応しいと声をあげ、多くの貴族が賛同した。
未来の国王に恩を売って、自らの地位を磐石に、そしてあわよくば自分の意のままに、という目算が透けて見える。
国王は頭を抱えた。
反論しようにも、当の王子があの形なので、説得力が無い。そして王子は、自らの顔を恥じて、自室から出て来なくなった。
そんな中、動いたのは軍を率いる王弟、ディマリオ元帥だった。
渋る王子を引きずり出し、兵士達と共に鍛練させた。
兵士達は初め、王子の異形に驚いたが、元々実力主義の世界。王子の力と人格に感銘し、また貴族たちの悪口に反感を覚えて、心からの信頼と尊敬を示す者が、少しずつ現れる。
そして、先の王妃の母国にダガイルが攻め込んだことが、王子自身に大きな変化を与えた。
かつての王妃の生国、アトリファスが滅亡すると、我が国とダガイルは国境を接する事となり、次に狙われる。なんとしても阻止しなくてはと、誰もが思った。
しかし相手は、聖剣を授かってから無敗を誇るダガイルだ。圧倒的な数で殺戮と陵辱、簒奪を推し進め、平和な国を荒野に変えてゆく。
援軍として参加した我が国も、激しい戦でディマリオ元帥と兵の半分を失った。
誰もが敗戦を覚悟し、王都から貴族が逃げ出し始めた時に、小さな勝利の一報が届く。
――獣の顔を持つ王子が率いる小隊が、奇襲を仕掛けて敵の先行隊を全滅させた――
王宮はにわかに活気づいた。その後も勝利の報せは続く。王子率いる全軍は、隣国アトリファスの国土の六割を奪還し、国を分けていた山脈の向こうまで敵軍を退けた。 しかし時は遅く、王族や貴族は一人残らず処刑された後で、アトリファスは滅んでしまった。よって奪還した国土は、シャトルリューズの支配下となった。
勢いに乗じて、山脈に囲まれた盆地も取り返せという意見が、なにも分からぬ貴族から出たが、王子は深追いせずに休戦した。そして帰還する、その顔を見る者全てに晒しながら。
堂々とした姿に民は畏怖の念と、尊敬を抱く。獣の顔を持つ異形の王子は、残虐と言われるダガイルから守ってくれる力の象徴なのだ。
そして王都でも、ダガイルを打ち破った王子を、神が見捨てた筈がない。名誉は回復されたと見て良いと宣言された。
しかし、それは表向きのこと。
獣の顔を持つ限り、近隣諸国も国内の貴族も、王子を陰で嘲る。
そしてそれを身に受ける王子も、貴族たちと距離を置き、軍中心の生活を崩さない。
ダガイルの侵略を防ぐため、山脈の峠に砦を築き、王子はそこで過ごすことを好んだ。ますます王宮との溝は深まる。
そのまま時は過ぎ、次回の神事が近づくにつれ、『今回も神が何かを示すのでは』と皆が期待して、王太子問題は棚上げされた。
故に今回の神事には、いつもと違う熱気があった。
――――もしかしたら王子の顔が、元に戻るのでは――――
そんな噂の出所がどこかは、わからない。 王子を慕う軍からか、奇蹟と信じる神官たちか、それとも孤高の王子に同情的な民からか。
だがそれは、小さい頃から王子を見守っていたシュヴァイツにも、微かに点る希望の光だった。
幼き頃より利発だった王子。実の母を早くに亡くし、代わりの側室は慈しんでくれたが、臣下の礼を崩さなかった。産まれた腹違いの弟を差し置いて傅く側室を遠ざけたのは、自分より幼き弟を思う故にと、シュヴァイツは知っている。
そして第三の母、現正妃とは、初めから距離を置いた。
幼き頃、無償の愛を亡くし、甘えることを諦めた王子。
異形である故に、自らの居場所を軍に見いだし、王宮を遠ざける王子。
このままで良い筈がない。このままである筈がない。
今回の神事で何かしら変わればと、一番に期待しているのはシュヴァイツかも知れない。
砦にいた王子は、王命により呼び戻され、かくして国内の視線がこれまでに無いほど集まる中、神事が行われた。
そしてそれは、誰もが予想しなかった事態をもたらす。
十年前と同じ唄が、別の神官によって詠われる。それを周囲が、固唾を飲み見守る。
やがて陣の中央に白い光が現れた。どよめく貴族達を尻目に、操られるように、王子が陣に歩み寄る。
王子が触れた途端、光は立ち消えた。
そして姿を見せたのは――――――子ども?
成人とは思えぬ小柄な身体。肘が見える粗末なシャツ、脛が覗く半端な丈のズボン。何で作られているかすら解らない靴。
何よりも目立つのは背に流した漆黒の髪。神と同じ色を持つ子ども。
その子は、ただ驚きの目で、肩を掴む異形の王子を見つめていた。怖れも嘲りも嫌悪も混ぜぬ、澄んだ瞳。
シュヴァイツは忘れられない。その黒き瞳が、ただひたすらに、異形の王子に向けられていたことを。
そして次の瞬間に、おずおず伸びた右手が、王子の頬を掴むのを。
驚きながらも怯えない、不思議な子ども。だがその数分後、現れたのは子どもではなく、二十歳の成人女性と分かり、シュヴァイツ自身が愕然とする事となるのだが。