11 持ち上げられた分だけいつか落ちると思うのは、マスコミの悪影響でしょうか。
神殿から部屋へ戻る途中、シュヴァイツさんから嬉しい申し出があった。
「どこか他に、行きたい所はございますかな?」
何も考えず、即答。
「城下の町へ」
「それはすぐには叶えられませんな」
ちっ、即時却下。
「サクラ様は目立ちすぎますから。髪の色も瞳も」
「え?」
「神事の直後も、神官たちが申していましたでしょうに。黒を纏いし神の御遣いが現れた。と」
なんで?
まあ、確かにあのひとたち、あのときテンションMaxでしたね。わたしゃ茫然自失してたので、何も覚えちゃいませんよ。
「昨夜、貴族達も申していたではありませんか。黒髪も黒目も、この国にはおろか、大陸中どこを探してもおりませんぞ」
えええなんで今さらそんな事実が。
「アレですか。比類なきそのオニキスのごとき瞳とか、闇夜にも似た艶やかな漆黒の、妙なる御髪とか」
「ああ、貴族のたしなみですよ。唯一の色を持つ貴女の気高き美しさを詩に詠んで讃える」
…………なんて分かりにくい。
そう言えば会わなかったな黒髪のひとに不思議なくらい。って気づけよわたし。
「神は黒髪に黒き瞳、と伝えられていましてな。サクラ様のそのお顔立ちも、神に近い御方のしるしと国中の評判で」
やーめーてー!
全力で否定します、こんな間抜けな神様なんて知らないって。でもそう言ったあと、どうなるのか考えたら、恐ろしくて言えない。
いきなり知らない世界に連れて来られて、祭り上げられて。そんな価値があるのかどうか、本人さえ判らないのに、噂が独り歩きしてる。いきなり来てしまった世界で、こんな立場に立たされて、怖くないワケがない。
悪い例ばかりが頭をよぎる。古くはジャンヌ・
ダルク。最近では、元IT業界の寵児で受刑者とか、スポーツ選手何人か、あと子役含めた芸能人。
良いときにちやほやされても、一度躓く(つまずく)と、反動のバッシングが凄い。人気が実力以上なら、余計にだ。
ボロ出せないな、これは。気を抜かないよう、心しなくては。
特に宗教関係。
神の存在を否定したりバカにするなんて、もってのほか。日本には八百万の神がおわします。なんて話も迂闊には出来ない。
いつも助けてくれるシュヴァイツさんにすら、心を許すのは危険だ。
シュヴァイツさんが、わたしを気遣い、助けてくれるのは、わたしの存在が国のためになると、国王陛下が判断したからに過ぎない。
プロフェッショナルな女官長も侍女たちも、仕えているのはあくまでも「神が遣わした娘」だ。「高橋咲良」じゃない。
流されてはいけない。考えなくちゃ。
高橋咲良の味方は、まだこの世界にはいない。
「サクラ様?」
シュヴァイツさんの声に立ち止まった。
「はい?」「そちらではありません。こちらを右に」
ボーッと歩いていて、曲がる所を間違えたと、わかった。
「いかがいたした?何度かお声をかけましたが、上の空のようで」
「すみません。ちょっと考え事を」
あわてて笑顔を作る。
「城の外は、国王陛下のお許しが出て、対策を練ってからですな。宮殿の中ならどこでも、護衛付きで歩くとよろしい」
「わかりました」
訝しげに覗きこんでいた、シュヴァイツさんの口調が、僅かに硬いな、と思った。
なにかまずい事があったかと、少し不安になる。
「で、今日はこのあと、どちらへ?」
シュヴァイツさんの口調が、やっといつもの、優しげなものに変わった。
「……宮殿内に図書館や書庫のような物はありますか?」
ゆっくりと歩き出そうとしていたシュヴァイツさんの足が止まった。
「……王宮に来る者皆に開放されている図書館と、王族のみが入る事が出来る、書庫がありますぞ」
「そうですか。では、今日は図書館の方へ行きたいのですが」
どちらも見たいけど、まずは利用者が多い方で、必要な知識を得てから、かな。
シュヴァイツさんは、意外そうな顔をした。なにか言いたげだか、ちょうど部屋の前。
「しばし休んでから参りましょうか」
その提案は大賛成です。
居間の方に落ち着き、シュヴァイツさんと二人、お茶を頂いていると、女官長が硬い声で話があると言う。
「はい、なんでしょう」
「ここではちょっと」
シュヴァイツさんが頷いたので、寝室に行って話すことにした。
「申し訳ないことが起こりまして」
女官長が広げたのは、わたしのブラ。程よく使い込んだヤツなので、さすがに恥ずかしい。
「ぎゃっ」
取り返したとき、あれ?と思った。ホックの横、端の辺りの生地が、溶けて固まってガチガチになっている。
「洗濯した下女が、火熨し(ひのし)を掛けたらこのように。申し開きのしようもございません」
火熨しって、アイロンみたいなものだろうか?温度調節なんて出来ないよね。そりゃ溶けるわけだ。化学繊維なんてあるわけないだろうしな。
惜しいけど、替えがあるからすぐ困る訳じゃない。
「責任をとって、下女にはヒマを出しますのでご勘弁を」
「え?それはダメ」
見たこともないモノを洗濯させられて、失敗したからクビなんて、酷すぎる。
「罰が甘すぎますか、ならば」
「違う!」
叫んだ勢いのまま、居間で待っていたシュヴァイツさんの所に戻って間髪入れず言った。
「シュヴァイツさん、これから洗濯場に行きます」
「洗濯場?」
あとを追って来た女官長が、高い声を上げた。
「サクラ様がそのようなところに出向くことなどございません!」
「シュヴァイツさん、すぐに行きたいのですが」
「サクラ様!」
叫び続ける女官長を、真っ直ぐに見つめて黙らせた。
「国王陛下から、王宮内ならばどこを見ても良いと言われています」
そうでしたよねシュヴァイツさん、とにっこり笑うと、苦笑が返ってきた。
「確かに」
突然やって来たわたしと前宰相、女官長の姿に、洗濯場に居たひとびとは、怯えるように頭を下げた。
中でも年長の、大柄な女性が一歩前へ進み出る。
痩せ気味だけど、筋肉がしっかりついている働き者な体つきだ。
「ここを任されています、ヘレナと申します」
気の強そうな顔を青くさせて、膝と、エプロンを掴む手が、がくがく震えていた。
「ヘレナさん、わたしはサクラと言います。あの、わたしの肌着を傷めたので、罰を受ける方がいると聞いたのですが」
「サクラ様!このような者達に直接声をかけるなど!」
女官長の声が止まったので、そちらを見ると、シュヴァイツさんが、手で制していたのがわかった。視線が合うと、先を促してくれたので、軽く黙礼して話を続けた。
「その方に、会ってお話しなければなりません。まだこちらにいるのですか?」 ヘレナさんは、口をぽかんと開けて立ち尽くしている。
「お会い出来ますか?その方に」
「あ、ああ、はいはいはいお会いできます。あ、いいえ今すぐに、だだだれかミリアを呼んできておくれ!」
部屋の隅で震えていた子どもが、転がるように走って行った。
「す、すぐに参ります」
「お手数かけます」
「いえいえ、そんな」
ヘレナさんは土下座同然に這いつくばっている。というか、わたしとシュヴァイツさんと女官長以外のひとが、皆さん同じ姿勢。
「皆さんお忙しいのでしょう?わたしたちに構わずに、お仕事に戻っていただいて下さい」
「へぇっ?」
あ、またへんな声。なんだか激しいテンパリ具合が気の毒に思えてきた。
「サクラ様のお心遣い、無になさらぬよう」
「はっはい!みんな!持ち場に戻って!」
中で働いているのは成人している女性が三割くらい、あとは七、八歳くらいからの子どもたちだ。当たり前に労働力なのかな?まだ小さいのに。
突然、背後のドアが開き、振り返ると、でっぷり太った脂ぎった顔の男が、小柄な少女の腕を掴んで引き摺るように入ってきた。
「お待たせしました。これがサクラ様の大事なお品を傷めた者にございます」
恭しく頭を下げた男は、貴族と言うには品がなく、庶民としては不自然なくらい太っていた。その横で、背はちびっこなわたしより小さく、軋むくらいに痩せている少女が俯いて震えている。
「あなたは?」
「申し遅れました。わたくしトマスと言いまして、カスラ男爵家ゆかりの者でございます。この洗濯場の管理を任されていまして」
おおかた、その男爵とやらが、外で作った息子ってところか。
「そうですか、わたしはサクラと申します」
「あの、今回の件は大事なお品に手を抜いたこやつの失敗で、わたくしどもはいつも、丁寧に扱うようきちんと教えていたわけでありまして、罰は充分に与えましたので」
「ミリアさん」
ぶよぶよ男の言い訳は無視して、少女に声を掛けた。ビクッと跳ねた肩を強張らせたまま、少女は顔を上げた。
それを見て、息をのんだ。
「……なんて酷い」
ミリアという少女の顔は、輪郭が分からないほど薄青く腫れ上がって、目も開かないような状態だった。