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聖女は檻の中で祈る ~守護騎士という名の支配者~  作者: そらのことのは


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第3話 魔法の鎖と監視の網

 エリナの専属護衛騎士となって四ヶ月が経った。


 季節は冬の深まりとともに、王都は厳しい寒さに包まれていた。彼女の生活は、俺の用意した完璧な秩序の中で営まれている。だが、俺の胸の奥には、常に微かな焦燥感があった。


 俺が彼女のそばにいられる時間は限られている。女性専用の居住区画、就寝中の時間、そして——俺の目の届かない、わずかな隙間。


 その不安は、ある日の午後、現実のものとなった。


「……エリナさん、どこにいるんだ?」


 思わず、小さく呟いていた。


 昼下がりの一時。訓練も祈祷も入っていない、わずかな自由時間。俺は大神殿の回廊を歩きながら、周囲に視線を巡らせていた。本来なら、彼女は自室で休んでいるはずだ。だが、さっき様子を見に行ったとき、部屋は空だった。


 侍女に聞けば、「書庫にお一人で向かわれました」とのこと。


 書庫の扉を開けると、ひんやりとした空気と、古い紙の匂いが鼻をかすめた。本棚の間を抜け、視線を走らせる。


「……あ」


 エリナは、いた。窓際の席に座り、分厚い魔法理論書を開いている。向かいの席には、見慣れた顔——騎士団第一部隊のレオンが、肘をついて彼女に何かを説明していた。


「ここだよ、こう。詠唱のときに、言葉の意味じゃなくて『響き』の方に意識を置いてごらん」


「響き……」


 エリナは、真剣な顔で聞いている。


 俺の胸の内に、冷たいものが落ちた。


「レオン先輩」


 俺は、できるだけ穏やかな声で呼びかけた。レオンが振り返る。


「ああ、カミシロ。悪い、ノーヴァを借りてる」


「何をしているんですか」


「浄化詠唱のコツをな。ガルバン導師のやり方だと、ノーヴァには少し合わない部分があるみたいでさ。第一部隊の聖女補佐が使ってるイメージの掴み方を、少し教えてたところだ」


 レオンは悪びれもせずに言った。彼に悪意がないことくらい、わかっている。だからこそ、危うい。


「……専属護衛である俺を通さずに、彼女と個別に接触するのは、あまり感心しませんね」


 一瞬、沈黙が落ちた。レオンは俺を見、それからエリナを見て、ふっと小さく笑った。


「……ああ。そうだな。専属護衛殿に任せるよ」


 そう言って、彼は席を立ち、手を振って書庫を去っていった。


 エリナは、不安そうに俺の顔を見上げていた。


「カミシロ様……ごめんなさい。私——」


「謝る必要はありません」


 俺は即座に否定した。


「エリナさんは、何も悪くない。悪いのは、俺を通さずに、あなたに直接やり方を押しつけようとした周囲の配慮のなさです」


 このままでは、まだ不十分だ。俺の知らないところで、無責任な外野がエリナに何かを吹き込もうとする。純粋な彼女は、他人の善意を装った干渉を断りきれずに混乱してしまうだろう。


 もっと、確実な「守り」が必要だった。


 ◇


 数日後、俺は王都の魔具店を訪れていた。


「追跡魔法の……首飾り?」


 店主の老人が、白い髭を撫でながら首をかしげる。


「そうだ。ただし、いかにも軍務用の粗末なやつでは困る。聖女見習いが身につけてもおかしくない、上質なものがいい」


「ほう……それはまた、贅沢なご注文で」


 店主はショーケースの奥から、いくつかの箱を取り出した。


「追跡機能を付与できるのは、このあたりですな。こちらの銀の細工は、聖堂の刻印も入れられます。信仰の証を兼ねれば、不自然さもありません」


「それだ」


 俺は、迷わず指をさした。


「見た目は、ただの装飾品として。だが、こちらの石に、俺だけが感知できる追跡魔法を付与してほしい。彼女がどこにいても、位置が把握できるように」


「お嬢様の護衛用、というわけですな?」


「ええ。彼女は少し……危なっかしいところがありまして」


 俺は、微笑んだ。


「迷子になりやすいんですよ。考え事をしていると、周りが見えなくなるタイプで」


 金額は、それなりだった。だが、躊躇する理由はなかった。彼女の居場所を常に把握できるという安心感を買えるのなら、安いものだ。


 ◇


 一週間後、首飾りは手元に届いた。


 銀の鎖に、小さな青い魔石。その表面には、さりげなく大神殿の紋章が刻まれている。同時に手渡された小さな対の魔石は、淡い青色に光っている。


 これで——ようやく、彼女を「完全に」守る準備が整う。


 ◇


「エリナさん」


 その日の夕刻、祈祷を終えた彼女を呼び止めた。


「あなたに、渡したいものがあります」


 俺は小箱を差し出した。エリナは、目を丸くしてそれを受け取る。


「開けてみてください」


 彼女が蓋を開けると、中の首飾りが、ろうそくの光を受けて小さく輝いた。


「……きれい」


 エリナが、小さく息を呑む。


「この魔石には、微弱ですが通信の魔法が込められています」


 俺は穏やかな声で説明した。


「もし俺のいない場所で何か危険を感じたり、困ったことがあったりしたら、この石を強く握ってください。すぐに俺が駆けつけます」


 エリナの淡い青灰色の瞳の奥で、いつものように思考の歯車が回り始めるのがわかった。「こんな高価なものを受け取っていいのか」「どう感謝を伝えるべきか」。


 彼女が結論を出す前に、俺は箱から首飾りを取り出し、彼女の背後に回った。


「さあ、着けてみてください」


「あ……でも、カミシロ様、こんな……」


「遠慮はいりません。これは装飾品ではなく、あなたの安全を守るための『お守り』です」


 俺は彼女の細い首に銀の鎖を回し、留め具を固定した。その瞬間、魔石に込められた追跡魔法が静かに起動し、俺の胸元に忍ばせた対の魔石とリンクしたのを感じた。


 もちろん、彼女にそのことは伝えていない。「監視されている」と知れば、彼女は不必要に緊張してしまうだろう。これはあくまで、彼女の安全を完璧に保障するための、俺なりの配慮だ。


「……ありがとうございます。とても、綺麗です」


 エリナは胸元の青い魔石にそっと触れ、控えめに微笑んだ。


 これで、彼女は二十四時間、俺の保護下にある。もう、誰も彼女を傷つけることはできない。


 ◇


 それから数日後。エリナが、珍しく俺に自分から話しかけてきた。手には一通の古びた封筒が握られている。


「カミシロ様……あの、少し、ご相談があるのですが」


「何でしょう?」


「実家の母から、手紙が来まして。少し、体調を崩しているようなんです。重い病気ではないらしいのですが……もしお許しいただけるなら、三日ほど、村へ帰らせていただけないでしょうか」


 彼女は不安げに俺を見上げた。頭の中で、神殿の規則やスケジュールを必死に計算し、この申し出がどれほど無謀かを自覚しているのだろう。


 平民の村。王都から馬車で半日の距離にある、辺境の地。そんな場所に、見習いとはいえ聖女を一人で帰すなど、あり得ない。


「心配ですね」


 俺は心からの同情を込めて言った。


「ですがエリナさん。見習いとはいえ、あなたはすでに神殿の重要な存在です。護衛もつけずに辺境の村へ帰ることは、規則上も安全上も認められません」


 エリナの顔が、さっと曇った。


「そう……ですよね。申し訳ありません、我が儘を言ってしまって」


「待ってください。頭ごなしにダメだと言っているわけではありません」


 俺は彼女の目を見て、優しく微笑んだ。


「俺が馬車を手配し、同行しましょう。ただ、神殿の祈祷を三日も空けるわけにはいきません。明日の朝早く出て、夕方には戻る『日帰り』の日程なら、俺の権限でなんとか許可をもらえます」


「え……カミシロ様が、一緒に……? 日帰りで……?」


 エリナは瞬きをした。「三日の滞在」が「日帰り」に短縮され、さらに「一人の帰省」が「護衛付き」に変わった。


「お母様も、あなたが立派な騎士を連れて帰れば、王都で立派にやっているのだと安心するはずです。それに、日帰りでも顔を見せれば、お母様の気も晴れるでしょう?」


 俺が先回りして『正解』を提示すると、エリナの迷いは消えたように見えた。


「……はい。カミシロ様のおっしゃる通りです。お手数をおかけして、本当に申し訳ありません」


 こうして、彼女の危険な単独行動は回避され、俺の管理下での安全な帰省が実現した。


 ◇


 翌日、俺たちは馬車でエリナの故郷を訪れた。


 村の小さな家で、エリナの母親は涙を流して娘の帰郷を喜んだ。だが、狭い土間に俺が立っていることで、母親は明らかに緊張していた。「立派な騎士様」を前に、言葉を選び、何度も俺に頭を下げた。


 エリナもまた、俺の目を気にして、母親と当たり障りのない会話しかできなかった。


「王都での生活はどうだ」と聞かれ、エリナは「とてもよくしていただいています」とだけ答えた。


 それでいい。平民の村の空気に再び染まってしまえば、せっかく王都で身につけた聖女としての品格が損なわれてしまう。俺という存在がストッパーになることで、彼女は『聖女見習い』としての態度を保つことができた。


 滞在時間はわずか二時間。俺たちは夕方には、予定通り大神殿へ帰還した。


 一分の狂いもない行程。護衛任務としても、申し分のない結果だった。


 だが、その数日後から、エリナの様子に異変が表れ始めた。


 ◇


「……っ!」


 魔法訓練の最中。エリナの手から放たれた浄化の光が、不自然に明滅し、パチンと音を立てて弾け飛んだ。


「どうした、ノーヴァ。魔力がひどく乱れているぞ」


 指導教官のガルバンが眉をひそめる。エリナは青ざめた顔で、自分の両手を見つめていた。


「申し訳、ありません……集中が……」


 俺は訓練場の隅から歩み寄り、エリナの肩を支えた。彼女の体は、微かに震えていた。


「ガルバン導師。今日はここまでにさせてください。彼女は実家への帰省で、まだ疲労が抜けていないようです」


 俺はエリナを自室まで送り届けた。ベッドに座らせ、温かいお茶を渡す。


「カミシロ様……ごめんなさい。私、どうしてしまったんでしょう。魔法が、うまくまとまらなくて……」


 エリナは震える声で言った。


 俺は彼女の頭を優しく撫でた。原因は明白だった。実家への帰省というイレギュラーな出来事が、彼女の繊細な精神に負担をかけたのだ。


「あなたのせいではありません。俺の管理が甘かった」


 俺は自戒を込めて言った。


「帰省の疲れが、思っていた以上に出ているのでしょう。明日からは、自由時間を削って、完全な休養にあてるスケジュールを組み直します」


「でも、これ以上ご迷惑を……」


「迷惑などではありません。あなたが万全の状態でいられるよう環境を整えるのが、俺の役目です。あなたは何も心配せず、俺の言う通りに休んでいればいいんです」


 エリナは、力なく頷いた。


 俺は自室に戻り、新たなスケジュール表を作成した。起床から就寝まで、彼女が一人で思い悩む時間を与えないよう、徹底的に管理されたスケジュール。


 俺の保護が足りなかったから、彼女は魔力を乱してしまった。ならば、もっと強く、もっと完璧に、彼女を守らなければならない。


 胸元の青い魔石が、微かに脈打つ。この魔石が示す光が、彼女が俺の用意した完璧な揺り籠の中にいることを証明している。


 これは、彼女にとって、最善の環境だ。

 俺が、彼女の世界のすべてを守り抜いてみせる。


 ◇


 ――エリナの祈りの日記より


『王暦1525年、冬の月、第20日


 カミシロ様から、美しい首飾りをいただいた。


「何かあれば、これを握ればすぐに駆けつける」と。


 とてもありがたいお申し出だった。私は頭の中で、どうやってこの感謝を伝えるべきか、三通りの言葉を組み立てていた。


 でも、私が口を開く前に、カミシロ様は私の背後に回り、首飾りを着けてくださった。


 冷たい銀の鎖が首に触れた時、なぜか、びくっと肩が跳ねてしまった。


 それ以来、首の後ろがずっとざわざわしている。まるで、常に見られているような、奇妙な感覚。


 昨日、遠くから私を見ていたマリア様が、すれ違いざまに小さな声で「その首飾り、魔力を感知するわ。気をつけて」と呟いた。


 連絡用のお守りなのだから、魔力を感じるのは当然だ。マリア様は、きっと勘違いをしている。私がカミシロ様を疑うなんて、あってはならないことだ。』


『王暦1525年、冬の月、第25日


 母が体調を崩した。


 私は三日ほど帰省して、母の看病をしたいと申し出た。でも、カミシロ様は「日帰り」で「同行する」という条件を出された。


 私は必死に考えた。日帰りでは、看病はできない。カミシロ様が一緒では、母は気を使って休めないのではないか。でも、規則上、一人で帰るのが難しいというのも事実だ。


 私が考えをまとめる前に、カミシロ様は「母も安心するはずだ」と結論を出された。その言葉を聞いて、私は何も言えなくなってしまった。


 実際に村へ帰ると、母は立派な騎士様を前にして、ずっと縮こまっていた。私も、カミシロ様の視線が気になって、「神殿は少し息苦しい」という本音を、母にこぼすことができなかった。


 母の顔を見られたのは嬉しかった。でも、村にいた二時間、私はずっと、見えない糸で縛られているような窮屈さを感じていた。』


『王暦1526年、春の月、第2日


 暦の上では春だというのに、胸の中はまだ冬のままのようだ。


 最近、魔法がうまく使えない。浄化の光を出そうとすると、頭の中が真っ白になって、魔力が散ってしまう。


 カミシロ様は「帰省の疲れだ」とおっしゃって、私のスケジュールをさらに細かく管理してくださるようになった。自由時間はなくなり、一人で部屋にいる時も、首飾りが重く感じる。


 カミシロ様は、私のために、私のすべてを管理してくださっている。私が間違えないように。私が疲れないように。


 でも、不思議だ。カミシロ様が私のために動いてくださるほど、私の魔力は乱れていく。一人でいる時間が減るほど、息が浅くなっていく。


 悪いのは、未熟な私だ。カミシロ様の完璧な保護に応えられない、私の魔力が弱いのだ。


 それなのに。


 なぜ私は、カミシロ様がいない場所で深呼吸をしたいと、思ってしまうのだろう。なぜこの首飾りを、引きちぎってしまいたいと、思ってしまうのだろう。


 考えすぎかもしれない。でも、この感覚を、どう名前をつけていいのかわからない。』

第3話を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


「守護の首飾り」という美しい贈り物が、実は見えない鎖であることを描きました。エリナの魔力不安定化は、彼女の心が無意識に発している「助けて」のサインです。


貴重なお時間をこの物語に使ってくださったこと、心から感謝しています。続きも読んでいただければ嬉しいです。

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