スキル:終焉収集
深淵のように静まり返った空間。
光も音も存在せず、ただ「無」が支配する場所で、ひとつの意識がゆっくりと形を持ちはじめる。
「……ここは……」
青年が呟いた声が、すぐに吸い込まれる。返事はない。
ただ、次の瞬間――頭上に、荘厳なる響きが降り注いだ。
「我は問う。
汝、次の生で――何を望む?」
それは威厳と静寂を併せ持つ声だった。
まるで、世界の理そのものが言葉を発しているかのように。
「……何を、望む……?」
青年は考えた。
この声の主が誰か、どこにいるのか。そんなことよりも、なぜか「今度こそ何かを成さねばならぬ」という焦燥だけが胸に残っていた。
「……俺は、終わらせたくないんだ」
「ほう」
神はわずかに声を低くした。
「終わらせたくない、とは」
「守りたいものがあった。でも、守れなかった。全部……壊れていった。
今度こそ、終わらせない力が欲しい。誰かの終わりを――止めたい」
しばしの沈黙。
やがて、静寂の奥から金色の光が滲む。
「よかろう。汝に授けるは《終焉収集》。
この力は、世界に起こる『終わり』を糧として集め、己の力とするものだ」
「……終わりを、集める?」
「死、崩壊、喪失――形あるものが終わるたび、その断片が汝の魂に還る。
ゆえに強くもなろう。だが、注意せよ」
神の声が、静かに鋭くなる。
「“終わり”を望めば、世界は応える。
汝が力を求めれば求めるほど、『終焉』は増すであろう」
「……それでもいい」
青年の瞳が、決意の色に染まる。
「俺はもう、何も失いたくない」
光が爆ぜ、無が割れる。
青年の姿は消え――新たな世界へと転生していった。
神は、しばし沈黙の中に佇む。
その口元に、わずかな憂いが浮かんだ。
「……終わりを収める者、か。
あれは、ほんに危うき願いよの」
転生の光が消えたとき、青年――いや、今やこの世界の名で呼ばれる「リアン」は、冷たい大地の上に立っていた。
見渡す限りの荒野。かつて王国があったという土地は、燃え残った灰と、瓦礫の山だけを残していた。
最初に出会ったのは、血に濡れた騎士の亡骸だった。
リアンがその手に触れた瞬間、視界の奥で黒い光がふっと瞬いた。
『——終焉、収束』
胸の奥に、微かな熱が走る。
それは痛みではなく、確かな“充足”だった。
騎士が迎えた死の「終わり」が、彼の中に溶けていく。
「これが……終焉収集、か」
リアンはしばし立ち尽くし、やがて空を仰いだ。
夕陽のような赤が、遠い雲を焦がしている。
それはまるで、世界が静かに終わろうとしているようにも見えた。
——それから、彼は歩き続けた。
村で病に倒れた老人を看取り、滅びかけた森で枯れ落ちる樹に手を触れ、戦場で散る兵の魂を抱いた。
そのたびに、リアンの中の“終焉”は増えていく。
死者の想い、壊れた夢、消えた希望。
あらゆる“終わり”が彼の力となり、確かに、彼は強くなっていた。
人々は次第に彼をこう呼んだ。
「滅びを祓う者《終焉拾い(エンド・コレクター)》」
不思議な力で死者を安らかに送り、破滅した地に再び命を芽吹かせる男。
それはまるで、絶望の先に希望を灯す聖者のようだった。
——しかし。
ある日、彼が辿り着いたのは、かつて自分が「守れなかった村」だった。
記憶の底から浮かび上がる、かつての笑い声。小さな手。優しい顔。
リアンは静かに膝をつき、崩れ落ちた家の柱に触れる。
『——終焉、収束』
途端に、胸が軋んだ。
ここで生きた人々の“終わり”が、一斉に彼の中へと流れ込む。
絶望、悲嘆、恐怖。
そして――願い。
「もう、こんな世界が終わらなければいい」
リアンの唇が震えた。
それは彼自身がかつて口にした言葉。
だが、今度はそれが、彼の中の“力”を大きく揺さぶった。
黒い霧が漂い始める。
彼の周囲で、石が砕け、地面が軋む。
「……終わりを集めすぎたのか……?」
その声は震えていた。
“終焉”はもはや彼の内には収まりきらないほどに膨れ上がっていた。
そして、誰にも気づかれぬまま――
世界の「終わり」が、ゆっくりと形を取り始めていた。
夜が明けなかった。
黒い雲が空を覆い、風は止み、鳥の声も消えた。
それは、リアンの中に集まった“終焉”が、静かに形を変え始めた日だった。
最初に異変を感じたのは、彼自身だ。
歩くたびに、足元の草が枯れた。
息をするたびに、空気が重く濁った。
手を伸ばせば、触れた花は散り、滴る水は砂に変わる。
「……違う。俺は、こんな力を……望んでいない」
そう呟く声に、応えるものはない。
ただ、世界がわずかに震え、彼の影が揺れた。
——“終わり”は集まり続ける。
止められぬほどに。
気づけば、リアンは国境の廃都に辿り着いていた。
そこでは、戦火の残滓が未だ燻り、瓦礫の下から呻き声が漏れている。
彼は倒れていた兵を助けようと駆け寄った。
だが――その瞬間。
『——終焉、収束』
声が勝手に響いた。
触れた兵士の瞳が光を失い、肉体は灰となって風に散る。
「やめろッ!!」
リアンは叫んだ。
だが止まらない。止められない。
力は意志を超え、ただ自動的に“終わり”を喰らい、取り込み続ける。
命、街、歴史――あらゆる終末を、彼の存在が吸い上げていく。
……気づけば、街は消えていた。
残ったのは、静寂と、空間の歪みだけ。
リアンの周囲に、無数の光の欠片が漂っていた。
それは人々の最後の記憶。恐怖と祈りと、そして“生の終わり”。
そのすべてを、リアンの体が吸い込んでいく。
「俺は……何をしてるんだ……」
胸を押さえ、膝をつく。
視界の奥で、何かが蠢く。
無数の“終焉”が、彼の心の内側で互いにぶつかり合い、歪な塊を作っていた。
『……再現、開始……』
低い声が響いた。
リアンは、息を呑む。
――目の前に、崩壊した街が再び現れた。
だが、それは“本物”ではない。
黒い影で縁取られた、仮初の世界。
そこに立つ人々の顔は、どれも曖昧で、色が抜け落ちている。
「これが……“終わり”の、再現……?」
リアンは震える手を伸ばした。
だが、触れた途端、その世界はひび割れ、粉々に崩れた。
——終焉は、終わらせるためにある。
収集とは、永遠を繋ぐ術ではない。
“終わり”を抱く者は、いずれその身に、世界の最期を映す。
「……神よ」
リアンは空を仰いだ。
「俺は、間違えたのか」
答えはない。
ただ、風も吹かぬ空の下、彼の影だけがゆっくりと広がっていく。
まるで、世界そのものを呑み込もうとするかのように――。
淡い光が揺れる。
神界の執務室――無限の空間に、古びた木の机と、二脚の椅子。
片方には神が腰を下ろし、もう片方では同僚の神が湯気の立つカップを手にしていた。
「……また、一つの世界が閉じたようだな」
同僚が、コーヒーを一口すする。
苦みの中に、かすかな甘い香りが広がる。
「ああ。だが、あの青年に罪はない」
神はゆっくりと映像を見つめた。
そこには、虚ろな光に包まれ、消えていく世界が映っている。
中心には、黒い光の中で静かに座り込む一人の男――リアン。
「《終焉収集》……よくもまあ、そんな危ういものを渡したな」
「選んだのは彼自身だ。私は“何を望む”と問うただけ」
神の声は静かだった。
だがその響きには、どこか深い疲労の色が混じっていた。
「終わりを集める……人の心には、そうした願いが少なからずある。
失いたくない。終わらせたくない。
だが、終わりは避けがたい理だ。抗えば、理の方が歪む」
映像の中で、リアンが微笑んだ。
その表情は穏やかだった。
すべてを呑み込み、世界の“終わり”を抱いた彼は、最後に両手を広げた。
まるで、それすらも赦すように。
そして――光が、全てを覆った。
「……終焉、収束」
神はその言葉を、かすかに口にした。
同僚が、カップを机に置く。
「で、結果は?」
「彼は“終わり”そのものとなった。
だが不思議なことに、彼が消えたあと、その世界は再び芽吹いたよ」
「……どういうことだ?」
「滅びのあとに訪れる静寂――それを“安らぎ”と呼ぶ者もおる。
終わりを抱いた彼が、結果として次の世界の“始まり”を生んだのかもしれぬ」
「まるで、掃除屋みたいだな。滅びの後片付けをする神の代行者か」
「そうだな。……だが、あれは決して幸せな結末ではない」
神はふう、と息を吐いた。
その表情には威厳がありながらも、どこか寂しげな温もりがあった。
「終わりを集めた者が、最後に辿り着いたのは“永遠の静寂”。
望み通り、“もう何も失わない”世界だ」
「皮肉なもんだな」
「人の願いとは、常に皮肉を孕む。
だが、それが人の美しさでもある」
そう言って、神は立ち上がる。
背後の光壁が揺らぎ、次の転生者の輪郭が浮かび上がる。
「さて、次の魂が来たようだ」
「また仕事か。相変わらず休まないな、あんたは」
「休めるものか。世界は今日も、誰かの“願い”で回っておるのだから」
荘厳な光が満ちる。
神は静かに姿勢を正し、いつもの言葉を口にした。
「我は問う。
汝、次の生で――何を望む?」
その声が響いた瞬間、またひとつの物語が始まった。
神は、今日も転生者を眺めている。




